

当サイト収録の拙稿『ビートけしの音楽活動について』に関して、ツービートのデ ビュー・シングル“不滅のペインティング・ブルース”のプロデューサーだった戸川 玲さんよりメールをいただきました。 転載許可もいただきましたので公開いたします。 2004.8.18 佐藤公哉(相談役)
はじめてメールいたします。 「不滅〜」は消えてもデビュー曲としては名を残すことになったのは、皮肉という より、音楽活動への導入部を作ったわけで、それなりの歴史でしょうか。当時、ツー ビートは名前はあっても、まだ人気の点で不安定な時期でした。太田プロの社長から 「トイレに行ったらそのままトンズラするかもしれないよ」と脅かされ、レコーディ ング中は気が気でなかった記憶がある。ビクターのディレクターの意向やMマネージ ャーの意見も採り入れ≪ヘンな曲≫になったけど、これはたけしさんの初体験なりの 捉え方でできた作品です。あとで「ホントはロッド・スチュアートのような音楽をや りたかったんだけどネ」なんて笑っていましたけどね。渋谷の街頭で幟を立てて、恥 ずかしげもなくキャンペーンをしましたが、通行人はひいちゃって不人気ぶりに焦り ました。そんなたけしさんの時代でした。本人は今でも塗りつぶしたい体験だったか もしれません。オールナイトニッポンのNディレクターも「ぼくが想定していたのは こんなんじゃない」と怒ってました。ステージ101 やニューフォーク、美輪明宏さん らとの仕事をし、手がけた中では武道館までたどり着いた野坂昭如さんよりアクが強 すぎてリードしきれず「歌じゃない」とおしゃるとおり失敗作だったのは認めざるを 得ませんね。 戸川 玲。
私からのお返事(一部割愛) ツービートのファースト・アルバム『目標百萬枚』(“不滅の”から一年三ヶ月後 のリリース)で、たけしさんの歌の作曲を手がけた加瀬邦彦さんと、少しお話する機 会がありました。 二年ほど前、ワイルド・ワンズのライヴを見に、銀座の加瀬さんのお店に行ったこ とがあり、ライヴ終了後加瀬さんがバー・カウンターに座っておられたので、思い 切って話し掛けてみたのです。 加瀬さんは、プロデュースや作曲を手掛ける場合、相手のアーティストとはよくお 話をされるタイプだそうで、たけしさんとも当時は何回も話して、たけしさんの意向 を十分考慮した曲作りをされたそうです。あのアルバムからのシングル“いたいけな 夏”は、加瀬さんが沢田研二に書いた“危険なふたり”路線の曲だったことに触れつ つ、ジュリーとたけしさんの共通項について聞くと「やっぱり同年代だし」というよ うな感じで、その近隣性について認めておられました。 「ホントはロッド・スチュアートのような音楽をやりたかったんだけどネ」とたけ しさんがおっしゃっていたそうですが、実際、ツービート唯一のライヴ・アルバム 『ヤイ! ヤイ! ヤイ! ツービートがやって来た〜オールライブニッポン』では実 際にロッドの“Hot Legs”をカヴァーしていました。 ということで、ほんの一年の間に体勢が整ったのか、アルバムが出る頃にはかなり たけしさんの音楽的指向が反映されたレコード作りになっていたわけですが、戸川さ んが参加された際は、まだまだ「コメディアンがとりあえず出す企画物のレコード」 みたいなスタンスだったのでしょうね。加瀬さんのように、たけしさんとよく話をし た上で音楽制作をするのは、まだ難しかった時期かも知れません。 「太田プロの社長から『トイレに行ったらそのままトンズラするかもしれないよ』と 脅かされ、レコーディング中は気が気でなかった」 というのはそれを象徴していますね。事務所主導のレコーディングで、アーティスト 本人はほとんど、ただレコーディングに来るだけ、というような。そういう制作現場 は大変であったろうと察します。 でも、「歌じゃない」と書きましたが、これは別に「貶して」いるのではありませ ん。 “語り”だって真っ当な芸能であるのは、言うまでもないし、その頃のツービート のスケジュールを考えると、“歌もの”をちゃんとやるのは至難なことで、とりあえ ず本業の喋りを活かしたレコードにしよう、となるのは必然だったように思われま す。 今、あの二曲(“不滅”&“みんなの童謡”)を聴くと、若い頃のたけしさんの勢 い(ついでながら、きよしさんも喋りに勢いが満ちている)がとても懐かしい。あれ を記録できたというのは、大変素晴らしいことだと思います。 でもって、初めてのレコーディング体験を経て「次にレコードを作るなら、自分な りの音楽的指向を反映させよう」となったのだと思われますが、「初めて」がなけれ ば次もなかったわけで、大変意義深い作品であったと思っています。
戸川さんからのお返事(一部割愛) ご丁寧な返信ありがとうございました。 20年余におよぶ私のプロデューサー活動の最後のほうの仕事でした。改めて思い返 すのですが、中途半端なかたちで終わってしまい、心残りを感じています。本音では 型破りなロッカーとして大成していただきたかったのですが、今や世界的監督となっ たのですから凄い才能です。そのうち、今までになかった音楽映画でもとひそかに期 待します。 『たけしの遺伝子』への転載、拙文ながらお役に立てばと思います。