photo gallery(二尊院) |
常寂光寺の北5分ほどの所に、二尊院(天台宗)がある。発遣の木造釈迦如来像と来迎の
木造阿弥陀如来像(ともに国重文・鎌倉)の2尊を本尊とすることからその名がついた。
承和年間(834〜848)嵯峨天皇が、のちに開山となる円仁に勅して創建させ,当時二尊教院華台寺と
称したという。また,一説に二尊教院と華台寺の2寺があったともいう。のち荒廃したが,法然が九条兼実の
助力で再興し,弟子湛空が堂宇を増築,天台・真言・律・浄土の4宗兼学の寺として隆盛になった。
10世僧令上人のときから浄土教西山義三鈷寺の兼帯となった。応仁の乱で焼失し,寺領は押領されたが,
永正年間(1504〜21)長門国の僧広明恵教が三条西実隆・公条父子の援助で復興し,秀吉は120石,
家康は200石の寺領を与えた。明治以降は天台宗に戻った。総門は角倉了以が伏見城の薬医門を寄進
したと伝える。門を入ると参道(馬場)で,桜の馬場とも紅葉の馬場ともいい,紅葉の頃がよい。
石段を上って門をくぐると竜女の池がある。今は水が涸れているが,門額をなめる霊蛇が住み,
正信上人の法力で成仏したという伝説がある。また,本堂前庭は竜神の庭とよばれ,白砂上に曲線で
円を描く低い垣,二尊院垣は蛇腹をかたどっている。本堂は室町末期の建築で方丈型建築,後柏原天皇の
「小倉山」,後奈良天皇の「二尊院」の勅額がかかる。室内は28畳敷の部屋を中心に6間,中央に本尊の
2尊と絹本著色法然上人像(国重文・鎌倉)を安置する。この法然像は九条兼実が宅磨法眼に
ひそかに描かせたもので、法然が浴後片足を出している姿であったが,法然が念仏を唱えると,
片足が戻って端座の姿になったという伝説があり,法然像としては最も古い。本堂南,庭をへだてて
後水尾天皇皇女賀子内親王の化粧室を下賜されたものを改装した茶室御園亭がある。
寺宝には2尊と法然上人画像のほか1167(仁安2)年入宋した俊乗妨重源が法然の命で翌年持ち帰ったという
絹本著色浄土五祖像(南宋)や,絹本書色釈迦三尊像3幅(元),絹本著色逍遙院実隆像・
絹本著色称名院公条像・絹本著色十王像10幅(いずれも室町)があり,書蹟には法門名義巻第一(平安)と
法然上人七ケ条制法付蒔絵箱(鎌倉)がある(いずれも国重文)。そのほか二尊院文書(南北朝〜江戸)
など注目すべきものがある。墓地に三条西実隆夫妻,角倉了以・素庵父子,伊藤仁斎・東涯父子の墓がある。
〜(京都府の歴史散歩:山本四郎著による)〜
総門
総門内
紅葉の馬場
龍神の庭、本堂への入口
龍神の庭
九頭竜弁財天
三条家霊舎
龍神の庭
唐門
寂光の庭
方丈
本堂
本堂内
二尊院垣
< 二尊院>
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