Jeet Kune Do Japan 代表より日本の方々へのメッセージ
“Wise Man change his mind anytime he need,but Fool never does.”


ブルース・リー師祖、その偉大なる遺産と思想

 ブルース・リーという名を聞くと、あなたはまずどのようなイメージをもちますか?
 アメリカや香港では、
“武術家”“哲学家”と言うイメージが強いのですが、日本においては、いまだに“武術アクション俳優”というイメージの方が強いようです。確かに武術アクション俳優として1973年の冬に大ブレイクしたのが、彼の存在を知る最初であったので、いたしかたないと思います。しかも、30年以上もたっていまだに彼の作品が高評価を得て、若い世代のファンも増えている事は、大変すごい事であると感じます。彼の現実的な武術アクション、画面からすさまじいエネルギーがほとばしるその演技力、そして彼自身の俳優としての魅力。いまだに彼を超える武術アクション俳優は世に出ていない事は事実です。
 日本の芸能界の中でも彼を支持する方が大勢おられるようです。しかしそれは武術家としての彼ではなく、武術アクション俳優としての彼への高評価であるような感じをうけます。
 例えば、武術をやっていない一般の方々と話をすると、「あのアチョー!ってやる人?」とか「ヌンチャクのすごい人でしょ?」とか「昔いたアクション俳優でしょ?」程度の答えしか返ってきません。少し格闘技オタクのような人になると、「アクション俳優であり、ジークンドーの創始者」という答えが返ってきます。
 しかし、欧米や香港、台湾、中国の方々が言う、
「超一流の武術家」、「武術の達人」、「成功哲学の実践者」、「哲学者」、「思想家」、「努力を積み重ね自己の人生を切り開いていった人」という言葉は、この日本において一般的にほどんと聞かれないものです。日本では、“アクション俳優:ブルース・リー”のイメージが強烈に根付いてしまっているようで、私としてはこの事実がとても寂しく感じられ、又、それだけでは非常にもったいないような気がしています。
 なぜなら、彼が私達に残してくれた
偉大なる遺産が私達に多大なる恩恵をもたらしてくれる事を知っているからなのです。例えばアメリカでは人生に悩める人たちや、汚れた人生を歩んできた人達などが、彼の書き残した言葉による教えと彼の人生の歩み方を知り、理解し、そして実践する事により見事に、悩みから解放されたり更正できたという事実があります。その事による感謝の手紙が数多くブルース・リー財団に届いているのです。様々なよき内容の手紙や電子メールが世界中から届いているのです。
 日本でも“タオ・オブ・ジークン・ドー”や、“ストライキング・ソート”などが和訳されてリリースしましたが、それらはほんの一部の人達(彼のアートの実践者やファン)ぐらいにしか浸透しなかったようです。これは非常にもったいない事です。特に
“ストライキング・ソート”は精神的に悩める現代の日本人には、効果的な処方箋となる思恵書であると断言します。ブルース・リーが書いた事は全て武術/格闘技に関係する事であると思っているとしたら、それは大変な思い違いである事を指摘しなくてはなりません。武術というものは人を倒す方法だけではなく“人間とは何か?”の研究であり、“自己の一度しかない人生をどう切り開いていくか”という課題に対する答えを出す方法でもあるのです。
 ですから武術の修練から恩恵を受けた彼が理解し、実践し、悟り、そして書いた言葉や教えた事ですから、なにも武術に関する事だけではないのです。武術の研究というものは、肉体的なものだけに限定されるものではありません。
 彼の偉大なる遺産は武術/格闘技全流派の人達へ、そして武術/格闘技をやっていない全ての人達へ、
個々各々の恩恵をもたらしてくれるものであります。それは私達に、インスピレーションを与え、生きるための知恵と力を与え、自分を高めるための方法を与え、どう考えどう行動したら良いのかを教えてくれるものです。
 ですから私は先程、アクション俳優:ブルース・リーという彼の一面(外面)だけを見ているだけでは、大変もったいないことであると申しあげたのです。たとえば芸能人のかたであれば、自分自身を正直に表現する方法うを学ぶべきなのです.創りものを演じることは簡単な事ですから。新しく彼の俳優以外の面を強調したプログラムでテレビ放映されたり、ビデオ/DVDがリリースされたり、新しい書籍がリリースされれば、もっと多くの人々が彼に興味を持ち、そして
恩恵を得られるチャンスを手にする事ができると思っております。そして彼の偉大なる遺産により一人でも多くの人々が多大なる恩恵を得られる事を、ブルース・リー財団、ジークンドー・ジャパン、そして私ヒロ渡邉は願っている次第です。そのための活動を我々は行っているのですから。
 
“ストライキング・ソート”は良い本ですから熟読する事をお勧めします。頭で理解するのではなく、心の深い部分で感じて理解して下さい。そして自分の人生(日々の行動)の中に応用していくのです。年齢、男女差、身分など全く関係ありません。あせらず階段を一歩一歩登っていけばよいのです。疲れたら休めばまたエネルギーが回復してきます。ただ目的意識だけは決して消さず、正しい方法をもって目標を一つ一つクリアしていく事が大切です。キーワードは2つです。一つは“自分には絶対できる!!”と暗示をかける事。そして二つ目は“Walk on !!”です。

Knowing is not enough , We must apply. Willing is not enough , We must do.

現代人にマッチしたブルース・リーのアート

 古今東西、非常に多くの武術・格闘技の流派が現存しています。師祖の時代と比べると現在では分派から更に分派し、多種多様な概念を持つ流派(スタイル)を見ることができ、習う事ができるようになりました。伝統的な教義に沿ったもの・ムエタイをベースにしたもの・打撃と組みを混合したもの・護身術として行っているもの・リング・スポーツとして行っているもの・軍隊格闘技を民間用に改変したもの・徒手術だけ、武器術だけ、もしくはそれらを統合したもの・フィットネスとして改変されたもの・呼吸法や気功、体操などの健康法として改変されたものなど種類をあげればきりがないほど存在してるのが解かると思います。
 私たち日本人は情報社会の中で生活し、その恩恵を受けています。ゆえに学びに行く際、
自分の目的や考え方に一致した流派(スタイル)を選択することとなります。中には学校/職場/家から近いからとか、無料で習えるからとか、インストラクターが有名/かっこいいなどの理由で目的や考え方とか関係なく習いに行く人もいます。しかし、理由はどうであれできるだけ長く続ける事が重要です。また、良いインストラクターを選ぶ事も大変重要な要素の一つとなります。時には自分の選んだ流派(スタイル)が自分には合っていないケースもでてきます。そんな時は思い切って別のスタイルに変える事も必要です。別のスタイルに変える勇気をもつ事です。そして同時に三つも四つも別の流派を習うことだけはやめるべきです。例えば、伝統武術を長年やっている人は、キックボクシング系の格闘技を修得するのに大変難儀を示します。これは実際に教える経験上で起こった事なのですが、当然その逆もありました。打撃技に組み技を混ぜ合わせた総合格闘技もメジヤーになっていますが、両方の技術を習得しなければならないため、リングで戦えるようになるには相当の時間をかけてトレーニングしなければならないでしょう。中国武術や日本の古武術に代表する剣術・棒術・その他などの武器術も習得してゆくと大変興味深くなってきます。しかしそれらの武器を日常茶飯事、携帯しているわけにはいきません。状況によっては所持している場合、警察官に職務質問されてしまうケースも現実にはあるのです。それは護身道具でも同様のことがいえます。とくに最近ではナイフや金づち、ドライバーなどを護身用に隠し持っている精神不安定な若者や中年が多いので注意が必要です。武器術をやってる人は、いざという時の為に、私達が普段日常生活で使っている道具を器用に使いこなせる様になる事をお勧めします。ただし過剰防衛だけは避ける努力をするべきです。もうお分かりの事とは思いますが、いかに自分の目的に合ったスタイルを選択するかが需要なのです。実戦的(ストリート)な護身が良いのか、リング・スポーツでチャンピオンになりたいのか、ただのフィットネス・エクササイズとしてやりたいのか、身体の健康を維持したり、精神力向上の為にやりたいのか、目的意識をはっきりと持った方が効果を得られるでしょう。私は全てのスタイルは良いものであると考えます。そして一つのスタイルのみが地球上で最強・最良であるとは考えておりません。確かにスタイルによって、ルール無用上(C.Q.Bやストリート)で最も効果を発揮するもの、ルールありの試合で最も効果を発揮するもの、健康や能力開発に最も効果を発揮するものなど色々あります。しかし強さをテーマにした場合、スタイル自身が強いのではなく、それを修練している人自身がどれだけ修得し、経験して実力を付けているかによるものであると考えます。ただし、強さというものは様々なシチュエーションによって変化するという事を決して忘れてはなりません。
 ジークンドーの場合は、師祖が
C.Q.B(特殊部隊の近接戦闘)やストリート・ファイトで効果を発揮するように開発した武術です。つまり、いざという時に生き残るための方法であるともいえます。トレーニング方法の中に全身防具を着用してスパーリングを行うものもありますが、これはトレーニング方法の中の一つに過ぎません。急所への攻撃をためらわずに行うため防具を付けるのであって、リング・スポーツのそれとは全く異質なものです。しかし中級者以上になるとその防具でさえ役にたたなくなってしまうのです。最近、軍隊格闘技による護身の教室がはやっているようです。彼らは短期間で護身が修得できるといっていますが、私はその意見には賛成しかねます。実戦というのはまず第一に勇気/度胸/肝の座り具合であり、技術/技法はその次にきます。様々なシチュエーションで技術を教えていますが、習っている人がいざというときに効果を発揮させられることは全く無いとはいいませんが、非常に難しいと言えるでしょう。
 こういった事実があるのでジークンドー・ジャパンでは
段階をおった様々なトレーニング方法を行います。当然、実戦において必ず生き残る為に!!しかし、ジークンドーにおいてもそれは長期間の修練が必要となります。短期間で実戦において効果を発揮させる技術/技法などは存在しません。現実はそんなに甘いものではないですし、アクション映画の様にはいきません!!ですから、ジークンドー・ジャパンはそんな無責任な教え方はしないのです。
 
本当の護身とは、戦わない状況を常に自らが創りだしていくことです。しかし、いざというときの為に自分そして自分の愛するものを確実に守れる方法を身につけ、それによる自信を持っていれは良いのです。
 師祖が言った
“Fighting Without Fighting”の精神がここにはあるのです!!ジークンドーはインターセプションという技法に優れていますが、インターセプションするのは、相手の肉体や心だけではなく、自分自身もインターセプションできなくてはなりません。武術の修練は、相手を倒す事ばかり教えたり、やったりするだけではいけないのです。他人とのコミュニケーションの中で、いかに礼節を重んじるかも重要な事です。特に子どもや若者に教える時、お互いに礼節を重んじる事を教え、実践させることは、今の現代社会において大変重要な事です。師祖もこのことの大切さを言っていたとわが師はおっしゃっていました。ジークンドーのルーツなかには、誠実・真実・正直という在り方が含まれている事を忘れてはいけません!!
 師祖が創始したジークンドーは科学的及び哲学的な原理/原則の元で開発されています。ですから、確かにこれを習得していく事は至難と言っても過言ではありません。当時師祖は
「ジークンドーは大衆(万人)むけのアートではない。」と言っておられました。

つづく