陽だまり

霧越カズト


 私は、ここにいていいのだろうか?
 一人になると、いつもこの疑問が頭をもたげてくる。
 終わった――大聖杯さえも破壊されて、もう二度とこの地では起こらないであろう聖杯戦争。その贄とされるために呼び出された自分が、いまだこうやって存在し続けている。
 今の自分を繋ぎとめているのは、マスターであった桜の、哀しい魔力。
 暴力的に授けられたその力のおかげで、私はこうしてこの世界に留まり続けていられる。
 その力の元がどうであれ、それをどのように使うか、それが大切だから、と、彼女は私にその魔力を提供してくれている。
「私は、あなたにいて欲しいの――お願い……」
 だから私は、いまだこの世に暮らしている。

 だけど――晴れた春の午後、縁側に座って考える。
 本当に私は必要なの?
 ライダーとしての能力なんて、毎日の生活じゃ全く役に立たない。
 それに、私以外にも彼女を支える人はたくさんいる。
 タイガはこの家でだけでなく、学校でも桜を気に掛けてくれているようだし、そのおかげかもともとの桜の人望なのか、最近は普通の友人も増えてきたようだ。
 何よりも、姉の凛、そして士郎が桜を支えている。
 彼女達の間に入り込もうと思えば、いくらでもできるだろう。
 むしろ、彼女達は私を自分達と同じように扱おうとするだろう。「……家族なんだから」ぶっきらぼうにそう言う少年の顔を思い出す。
 けれど、私にはそれが少しだけつらい。
 仲が良い彼女達に遠慮するというのではない。
 メドゥーサとして実際に生きた日々、そして、サーヴァントして聖杯戦争を戦った日々。そのどちらからも今はかけ離れている。だからこそ、ここは私の居場所じゃない、そういう考えが常にある。
 そんな私が彼女達と共に過ごしていて良いのだろうか?
 彼女達は、ここじゃない日々の私を許してくれている。過ぎ去ったこと――それよりも、今こうしてここにいることのほうが大切なのだから、そう言ってくれる。だけど、私にはどうしてもそう割り切ることができない。この私を作ったのはあの過去の日々。幾たびも血に塗れたからこそ、今私はこうしてここにいる。
 許して欲しくはないのかもしれない。許される、ということは、それが過ちだと認めるということ。過ちだ認めてしまえば、間違っていたと認めてしまえば、その過去から作られている私さえも、間違いになってしまう。
 間違いだけでできたものが、どうして正しいものになるだろう?

 ――春の優しい日差しも、私の心を焼くように。

 ――にゃあ。
 足元から声がした。見ると、どこからか入り込んだ鯖トラの猫。ようやくひとり立ちしたくらいの、まだ若い猫がいた。
「あら、珍しい」
 背後から、桜の声がした。声を掛ける間も無く、彼女も縁側に座り猫に手を差し伸べる。
「おいで〜」
 桜は指先を猫の目の前で動かす。その手に興味を持ったのか、猫は左の前足で、彼女の指先を追う。
 その幸せそうな姿に、私は彼女の中にあの聖杯戦争の記憶を見ることはできなかった。
 しばらくすると猫も興味を失ったのか、芝生の上の陽だまりで横たわり、眠ってしまった。桜は私の横に座りそれをずっと眺めている。
「ねえ」
 同じように猫を見ていた私に、桜が話しかける。
「――なんでしょう?」
 二人とも、視線は眠る猫を見ている。
「……やっぱり、普通の人間の暮らしって、馬鹿らしく思ったりしてるのかな?」
「――はい?」
 私には、一瞬彼女が何を言っているのかわからなかった。
「だって、ライダーってたまになんか物思いにふけっているって言うか、そういう表情したりしてるから……。だから、やっぱり神話の人にはこういう普通の暮らしって物足りないのかなぁ、とか……」
 あたふたと説明する私のマスター。
 そう、彼女はこういう人間なのだ。
 自分の傷だって、まだまだ癒えていないだろうに、他人の心配ばかりをする。全身骨折しているくせに、他人の突き指を心配するようなものだ。
「そんなことはないです。私は――満たされています」
 今までは知ることのなかった穏やかな日々。これ以上何を望むというのだろうか?
「うん、だったら良かった」
 桜は安心したように言った。
「だけど――いえ、だから、怖いんです」
 自分がこんな毎日を送って良いのだろうか?
 もし――この毎日が唐突に終わりを告げてしまうようなことがあれば?
 一度知ってしまったから、失うのが怖い。
 自分で確実に手にしたものじゃない。こうして触っているのだって、奇跡に近いような、不確実な平穏。
 失う姿はいくらでも想像できるのに、ずっと幸せでいられる姿はほとんど想像できない。
 少しでも押されれば転げ落ちてしまうような、平穏。
 だから、怖い。
 陽だまりで眠る猫を見る。
 私は、あの猫のようなもの。
 空が曇れば、暖かい陽だまりは消えてしまう。
 冷たい雨が降るかもしれない。厳しい風が吹き付けるかもしれない。
 陽だまりさえ知らなければ、その冷たさが普通だと思えれば、その厳しさが常だと思えれば、苦しくはない。
 けれど、私は知ってしまった。陽だまりの暖かさを。
 きっと耐えられない。雨の冷たさ、風邪の厳しさに。
「――大丈夫よ」
 桜の腕が、私を抱きしめる。
「あなたは、今は一人じゃない。私は頼りないかもしれないけど、姉さんもいるし、それに、先輩もあなたのこと大切にしてくれる。どんなことがあっても、皆いるから」
 温かな腕。
「でも、誰もいなくなったら?」
 怖いのは、独り。
「もう一度、誰かを探せば良い。きっとあなたを暖めてくれる誰かがいるはず。きっと、あなたを必要としている誰かがいるはずだから」
「私を――必要?」
 こんな私を、誰が必要とするのだろうか?
「そう、私みたいに……」
 そう言って、桜は少しはにかんだ表情を浮かべる。
「私には、マスターに何もしてあげられることがない」
「それでもいいの。あなたは私の大切な人だから」
 私が、大切?
「あなたは、ずっと私のことを想ってくれていた。だから、私は今こうしてここにいられるの。私のことを想ってくれているんだから、あなたは私にとって大切な人」
 私に回された腕に、少し力がこもる。
 そっと、その腕に手を添える。
 こんなにも、私のことを想ってくれる少女が、ここにいる。
 それ以上に望むことなど、何もない。
 もし、死が二人を別とうとも、この少女の温もりを想えば、どんな寒さだって越えていける。
「ありがとう――あなたは私にとっても大切な人」
 私はマスターではなく、一人の人として、彼女にそう言った。

 ――春の暖かな日差しが、私たちを優しく包み込んだ。


 で、目覚めた猫を私の髪の先であやしているところを士郎に見つかって赤面したりしたのは、また別のお話。

"I want to hold your hand"is over.