愛の言葉

霧越カズト


 私は彼女を愛している。
 他の誰よりも愛している。私よりも彼女を愛している人なんて、どこにもいない。
 私の愛を彼女も受け止めて、彼女も私を愛してくれていた。
 私と彼女の、二人だけの愛の生活。二人の間にある愛だけが、この世界の全て。愛し、愛されることの悦楽。その生活では、苦労も何もかもが快楽。二人でいられるならば、他の何を捨てたってかまわない。
 私はそう想っていた。彼女もそう想ってくれているはずだった。
 そう、そのはずだった。
 私と彼女は同じ想いでいるはずだった。
 しかし、あいつの――あの男の存在がそれを壊した。
 私と彼女の間の関係を、壊した。
 あの男さえいなければ――
 あの男さえ私と彼女の間に割り込まなければ――
 全てはあの男のせい。
 あの男がいたせいで、私と彼女の関係は終わった。
 終わらざるを得なかった。
 彼女は私から離れ、私は一人になった。
 私は、泣いた、ないた、亡いた。それでも想いは無くならない。
 学校で何気ない毎日を送ろうとしても、それは無理だった。
 私を悲しみが支配していた。目を閉じれば彼女のことが思い出される。
 彼女の笑顔。彼女の泣き顔。彼女の怒った顔。彼女の悲しんだ顔。それを構成する彼女の目、鼻、口、耳。
 何度その目を見つめただろうか。何度その耳に愛を語りかけただろうか。何度その唇に口づけただろうか。
 これからも、見つめて、囁いて、口付けていくはずだったのに……。
 桜舞う春は、彼女の髪に触れた花弁をそっとぬぐって。向日葵咲く夏は、彼女と太陽の下を歩き。枯葉散る秋は、彼女とその葉を踏み。粉雪舞う冬は、彼女の手の温もりを感じる。
 けれど、彼女は私から離れた。
 私はその原因となったあの男を恨む。


「それで、話っていうのは?」
 男が女に話しかける。放課後の教室。二人の制服が西日に照らされる。
「あなたに、伝えたいことがあって……」
 椅子に座った女が言う。男は、ほんの少しはなれて机に座っている。それを咎める人物はここにはいない。
「返事を、聞かせてくれるのか?」
 軽くうつむいて、男が言った。それは、どこか恥ずかしがっているようにも見える。
「ええ」
 そう答える女は男と違い、どこか余裕が感じられた。
「それで、O.K.してくれるのか――?」
 うつむいて、手をせわしなく動かす。直接的な言葉にも、彼が落ち着いていないのが見て取れた。
「あなたに告白されて、とても驚いた。そんなの、今までになかったから――。私をそういう風に見ている人がいるなんて思ってもみなかった。だから、本当に驚いたの……」
 そう答える彼女の目は、彼を見てはいなかった。
「それじゃあ――」
 男が答えを急ぐ。
「でも、ごめんなさい」
「え?」
 男の表情が、崩れる。
「私はあなたの気持ちにこたえることができない」
 女の表情に、迷いは見えなかった。
「ど、どうして?」
 男は明らかに狼狽していた。彼女の言葉からして、告白されたのは、はじめてのはず。それならば、かなりの確率で自分の告白は受け入れられるはず。そう思っていた。それなのに――
「どうしても、答えることはできないの」
 彼女は理由を述べない。
「俺が、何か悪かった? 何か気に入らないことでもある? 趣味の違いくらいならこれからいくらでも直すから。だから、俺はお前が好きなんだ。だから、お願いだから――」
 男は懇願する。その姿は何かの映画やドラマのようで、どこか滑稽だった。
「違うの、そういうのじゃないの。――私には、好きな人がいるの……」
 彼女はそう答えて、はじめて男を見た。その顔は、眩いばかりの笑顔だった。
 その笑顔を見て、彼はもう一度彼女に恋をした。
「それは――、誰? 付き合ってるの?」
 あきらめきれず、男は尋ねる。
 彼は、その人物を恨むことになるだろう。自分が恋した少女が惚れていた人物。自分の恋はその人物のせいで成就しなかった。そいつさえいなければ、自分は彼女と愛し合うことができた。
「ううん、もう別れちゃった」
 彼女は力なく笑う。
「それじゃあ――っ」
 男はそう言って立ち上がった。そいつとの失恋の傷を自分が癒す――これ以上はないといったお膳立てだった。あと一押し、もう少しで彼女は自分のものになる。男はそう確信した。
「でも駄目。私はあなたと付き合えない」
 それでも彼女は、きっぱりと否定した。
「どうして?」
 男の質問が空しく響く。
「だって、あなたは死ぬんだもの」
 女は立ち上がり、男の胸にナイフを突き立てた。


「久しぶりね」
 彼女が言った。
「本当に、久しぶりね。前の私たちじゃ信じられないわね。一週間も会わないなんて」
 私は、今更私を呼び出した彼女に皮肉を込めていった。
「――……元気だった?」
 彼女は、当たり障りのない質問をした。
「ええ、おかげさまで風邪も何もひいてないわ」
 どうしても、棘のある言葉を返してしまう。
「そんなきついこと言わないでよ……」
 彼女の顔が曇る。棘は私を傷つける。
「それで、今日は何? 捨てられた私がどうしているか見に来たの?」
 駄目、本当はこんなこと言いたいんじゃない。会えてとっても嬉しいのに。離れていった彼女と、こうしてまた話せているという事実。それだけでも私はとても嬉しくて天にも昇る心地だった。今すぐ手をとって喜びたかった。今にも踊りだしそうな気分だった。けれど、現実には酷い言葉しか返せない。自己嫌悪。どうして私はこんなに駄目なのだろうか。自分を責めても責めきれない。
「何って……。決まってるじゃない。もう一度、あなたとやり直したくて……」
 彼女は、そう言った。
 嬉しかった。私を捨てた彼女が、私とやり直したいと言ってくれた。もう一度、彼女と愛し合える。これから何度でも、瞳を見つめあい、愛の言葉を囁きあい、その手の温もりを感じあい、口付けを交わせる。
 私は歓喜に打ち震える。けれども、その歓喜の前にひとつの障害があるはずだった。
「それで、彼のことはいいの?」
 私は、彼女に告白した男子生徒のことを尋ねる。彼が彼女に告白したせいで、彼女は私から離れていった。彼から告白されて、彼女は迷った。男の彼を取るか、それとも、女の私を取るか。
 彼女と私は愛し合っていた。女同士のそれは、良識を信ずる人にとれば間違っていたのかもしれない。しかし、私は彼女を愛し、彼女は私を想っていた。その想いは純粋だった。互いのためだけを想っていた。だからこそ、彼女は私から離れていった。――このまま二人で愛し合うのは、二人の将来にとっては良くないことではないのか? 普通に男と愛し合うようにしなければいけないのではないか? 彼女は、そう思い悩んだ。
 私を好いてくれる男の噂は、以前からも耳にしていた。それと同時に、彼女を好きだという話もよく聞いていた。それでも、実際に二人にアプローチをかけてくる男はいなかった。それがどうしてだったのかはわからない。二人が愛し合っているという噂が流れていたのかもしれない。
 けれど、彼は違った。彼は、そういう噂を知らなかったのか、それとも真に受けなかったのか、彼女に愛を告白した。そして、彼女は、二人の将来のために私から離れていった。
 私は、泣いた。我を失うほどに、亡いた。
 それでも、二人の将来のため、という彼女が離れていった理由に、自分を慰めた。彼女は二人のために――私のために私から離れたのだ。そう思って前に進んでいこうと決めたのだ。
 けれど、その彼女がもう一度やり直そうという。
 私のために、離れていったはずなのに?
「いいのよ。だって、もうこの世にいない人とは付き合えないじゃない」
 彼女は、そうさらりと言った。
「え? どうして? 死んだの、光男君?」
 そんな話、聞いていない。彼とは――もちろん彼女もだが――同じ高校に通っている。もし、誰かが亡くなったとしたら、どこからかその情報は伝わってくるはずだ。けれど、私はそんなこと聞いた覚えがなかった。
「そうよね。知らないのも当たり前だよ。だって、光男は私がさっき殺してきたんだから」
 彼女は、そう言って微笑んだ。
「っ何? どういうこと?」
 混乱する。今彼女はなんと言った? 殺した? 彼女が光男を殺したというの? まさか――どうして?
「だって、あなた、見てられないくらいに落ち込んでいたんだもの。もう、私がいなきゃ駄目なんだなって、そう思ったの。それには、私に言い寄ってくる男の存在は邪魔なだけでしょ? だから死んでもらったの。でも、これであなたも私の存在の大切さに気がついたでしょ? これで二人に訪れる倦怠期も楽に乗り越えられるよ」
 そういう彼女の顔は、とても愛らしかった。私は、その、たやすく感情を表に出せる彼女に惚れたのだ。どこまでも内向的な私と違い、誰にでも自分の気持ちを伝えられる彼女――私は、私にないものを求めたのだ。
「あれ、どうしたの? どうしてそんな怖いものを見るような目をしているの? そんな顔されたら、私傷ついちゃうよ?」
 そう言われて、私は自分の頬に手を添える。顔面の筋肉が緊張しているのがわかった。表情を凍りつかせているのがわかった。
 彼女は、一歩こちらに近づいてくる。
 私は無意識に後ずさる。
「あれ、どうして逃げるの? もう一度愛し合おうよ。ねぇ、また私にキスをしてよ?」
 彼女が私に手を伸ばす。その手が私の頬に触れる。それは、信じられないくらいに冷たかった。
「私、あなたがかわいそうだと思ったから、彼のこと殺したんだよ? 彼が邪魔になったから――だからあなたのために彼を殺したんだよ? それなのに、私を拒否するの?」
 私は、何も答えることができなかった。今の私に、彼女を受け入れることはできなかった。彼女の存在は私の愛を超えていた。
「どうして? どうしてなの?」
 彼女の手が、ゆっくりと下のほうへと滑っていく。私の首にかかる両手。ゆっくりと、ゆっくりと絞められる。
「私は、あなたのことが好きなんだよ。ずっと、ずっと好きなんだよ。この世界の誰よりも、絶対にあなたのことが好きなんだよ。あなたは、私無しじゃいられない。それと同時に、私もあなた無しじゃいられないの。あなたが私の中から消えてしまうなんて、考えられない。だから、私を拒否しないで。私を受け入れて。私の愛を受け入れて。私はこんなにもあなたのことが好き。誰よりも、何よりも愛している。だから、ずっと私の中にいて。もう、二度と消えて無くならないで。お願い。大好きだから。私はあなたが好き。大好き。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。あいしてる。あいしてる。あいしてる。あいしてる。あいしてる。あいしてる。あいしてる。あいしてる。あいしてる。アイシテル。アイシテル。アイシテル。アイシテ……………………………………」
 彼女は、私の耳元で愛の言葉を囁き続けた。何回も何回も何回も何回も何回も何回も。永遠に囁き続けた。
 私の意識は彼女の言葉だけを認識していた。暗くなる。感覚が消える。そして――
 何も聞こえない。

"Kiss me,Kill me"is over.