沈みゆく青
霧越カズト
それは、冬が始まったばかりの礼拝堂。私は栞と二人、向き合っていた。夕方、下校時間を少し過ぎている。先生に見つかっても、言い訳は難しい。けれども、私は彼女から視線を動かすことはできなかった。
冬の冷たい、赤い夕日。ステンドグラスをとおって青く、青く栞を照らしている。
「栞……」
私は無意識で彼女に声をかけていた。人に声をかけるという行為、その行為が無意識に出てきたことに私は驚いていた。以前の私では考えられないことだった。それは、自然に彼女を求めているという証拠?
栞は、その長い髪を震える指でかき上げる。そして、涙を隠した痕。
わかっている。二人の別れが近いことは。いくら足掻いたって、ただの高校生にできることは、ほとんどない。それは本能でわかっている。それでも、私は彼女を求めずにはいられなかった。今、こうして生きていくうえで必要不可欠な存在――それが栞だった。けれどもそれは麻薬のようなもので、私は彼女と離れなければならない。彼女には彼女の生きていく道がある。その邪魔になるのなら、私は消えてなくなろう。それが彼女のためならば。彼女のためなら――大切な人のためなら、死んでしまってもかまわない。喜んで灰になろう。
なのに、私は消えてなくなってもいいのに、どうしてあなたは泣いているの?
「聖……」
彼女の呟き。小さく、耳に届く。そんなに無理な笑顔しないで。そんなに泣き出しそうな笑顔なんて、耐えられない。
――ブルーの光が降り注ぐ。
見つめあい、沈黙。冷たい部屋が、私たちを責める。色々な感情が渦巻く。哀しみ、刹那さ、そして愛おしさ。彼女が愛しいというたった一つの真実。失うことの恐怖。耐えられない、耐えられない、耐えられない。
飽きがくる程、二人でいたい。何度も、何度も、いつまでも、いつまでも抱き合っていたい。それは希望。
私は、栞の唇に指を伸ばす。彼女が微かに唇を動かす。声にならない呟き。それを読み取る。言葉にならない想い。それを感じる。いつしか、感情が乱れていく。彼女に、言葉を返せない。それは私も想いを言葉にできないから。どうして、言葉は不自由なのだろうか? 想いをそのまま彼女に伝えられたら良いのに。言葉よりも指先が、視線が雄弁に物語る。
彼女の髪をなでる。滑らかな、流れるような黒。そのまま滑らせて、肩に触れる。そこに天使の羽根を感じた。私の天使――栞。その肩を、軽く、本当に軽く握る。指先で、たった今だけの合図。
栞は、寂しそうに、けれど優しく微笑んだ。
――栞がブルーで照らされる。
そっと、包んで欲しかった。この壊れそうな、揺らめきそうな心を。崩れるくらいに抱きしめて欲しい。
すぅ、と栞の手が私に回る。私も、彼女を抱きしめる。
感じる体温。冷めた心を暖める。
聞こえる鼓動。閉ざされた心を叩く。
この彼女の温もりが、この彼女の鼓動が、そして何より彼女の笑顔が、私の心をとかしてくれた。
そう、彼女が私を救ってくれた。
けれど、私は彼女に何をできた? 私はただ彼女に助けられただけ? 私はただ受け取るだけの存在?
与えられるだけじゃ物足りない。私も、何か与えたい。
私は栞のおかげで変わった。私も栞に影響を与えたい。聖のおかげで変われた――そう栞に言って欲しかった。
ただの自己満足かもしれない。それで満たされるのは私の利己心だけかもしれない。それでも、願わずにはいられない。ずっとそばにいて、変わり続ける彼女を見つめ続けたい。抱き合うことのぬくもりだけじゃ、つまらない。それでも、私は彼女と抱き合う。欲求に従う、堕ちてゆく。感じる喜び、ただ二人抱き合うだけの快楽。哀しみと背中合わせの悦楽。
――二人をブルーが照らす。
抱き合いながら、泣いていた。私も、栞も泣いていた。
とめどなく、涙が流れる。
私と抱き合う彼女の間にある、その言葉にできない感情が、二人に涙を流させていた。
「栞ぃ……」
「聖ぃ……」
少しずつ確かめるように、小声で呼び合う。揺らめきそうな二人の青い影。
色は容易に薔薇へとイメージを繋ぐ。青い光――青い薔薇。それは、この世の中に存在しないモノ、虚無への供物。
ずっと、許されることのない恋。
今この日を、懐かしく思い出せる時は来るのだろうか? ずっと、今を後悔し続けるのではないだろうか?
不安、純粋、恐怖、悲哀、鈍痛、幻想、無力――絶望。
いやだ、怖い。耐えられない。
――せめて、せめてあと少しだけでも……
ひとつになった二つの青。私は、栞を抱きしめ続けた。弱く、弱く。
「栞……」
呼びかける。
「――……何?」
優しい声。
「お願い、そばにいて。私――っ」
伝えたい想い。栞は、言葉の代わりに私を抱く手を、少し強くした。
"Maybe Blue"is over.