A MIDSUMMER NIGHT'S DREAM#1 start at the night

――1――
  ―― side s ――

「あ、明日から一週間、練習はお休みよ」
 いつものように練習終了後、机の上の怪しげな機器(その一部は何物かわかったが、後は謎)を片付けながら、遠坂はそう言った。
「えっ」
 俺は思わず聞き返した。だって、練習――俺にとっては練習でも、遠坂にとってはある意味趣味。何の基礎知識も無い哀れな子羊を一人前にするという名目で、いたぶっていくというそれを一週間も休むなんて信じられないことだった。
「……まさかとは思うけど、もしかしたらものすごく失礼なこと考えてるんじゃない、衛宮君?」
 ぞくりとするほどの遠坂の笑顔。美人であるだけに、凄惨なまでに怖い。
「いや、決してそんなことわっ。むしろ、一週間もこうやって魔術の練習できないとなると、こうやって遠坂とゆっくりあえなくなるし残念だなぁ、というかなんと言うかそういう心境です」
 確実に追い詰められて、言葉遣いがおかしくなっている。
「あら、本当? 私には、こんな地獄のような特訓から一週間も開放されて助かった、というふうに聞こえたんだけど?」
 ……確かに、それは無いとは言い切れない。しかし、俺が遠坂との魔術の練習を楽しみにしているのは事実。なんたって、あの遠坂凛――学年一の美少女で、成績優秀スポーツ万能、非の打ち所の無い女の子。まぁ、実際にはかなり違ったわけだけれど、それでも憧れていた遠坂には変わりないわけで。
 だから、純粋に嬉しい、楽しみな時間であることに変わりは無い。
 しかし、それと同時にこういう追い詰められる場面も多々あるわけで。まぁ、魔術について追い詰められるというのならまだわかる。だって、こっちはほとんど素人もどうぜんで、あっちはもう立派な魔術師なんだから。しかし、魔術とは関係ない日常の一場面一場面でもことごとく追い詰められるというのはどうしてなのだろうか? 「修行が足らんからだ、喝!」とは一成の弁。……確かに修行は足りてないが。そう、この喜びと苦しみこそが魔術の第一原則、等価交換なんだろうと納得。
「でも、本当にどうしてだ?」
 切嗣が言っていたように、大切なのは毎日続けること。そうやって、回路を身体になじませていく。それなのに一週間も休んでしまっていいんだろうか?
「ん、ちょっとお客さんが来るの」
 遠坂はこともなげに言う。しかし、遠坂の家は由緒正しい――聖杯戦争のはじめにも関わっている魔術師の家系、そこを訪ねるということは、その客人も――
「もしかしたら、魔術師?」
 だとしたら、少し興味はある。何せ、きちんと協会に登録したりしている魔術師は遠坂しか見たことが無い。切嗣はフリーランスだったし、今は藤村組で藤ねえの一番弟子として成長を続けるイリヤも、その血を誇るアインベルツの出でありながら、真っ当な魔術師は若干言いがたい。だからこそ、他の魔術師を――魔術を使う人のことをみておきたかった。
「ちょっと違うわ。どっちかというと魔術師って言うよりあなたのほうに近いかも」
 少し考える仕草のあと、そう言った。

 こうやって遠坂と何気なく会話するようになってから半年くらいがたつ。そのきっかけとなった聖杯戦争も、思い出として語るには生々しすぎるけれど、何とかひとつの出来事としてとらえられるようにはなってきた。
 そう、季節は夏。冬木市の太陽も日増しにその暑さを増している。
 あの少女にこの太陽を見せたいと思うことがある。彼女が見続けたイングランドの太陽とはきっと違う輝きがあるような気がして。
 きっと、自分と似たようなあの少女が喜ぶ顔がみたいのだろう。
 叶うことの無い願い。それは叶わないほうが良い願い。
 彼女――セイバーはあの丘で眠っているのだから。


――2――
  ―― side r ――

 新都郊外の坂の上にある教会。綺礼の後任として派遣されている老神父に私と士郎は呼び出されていた。
「まぁ、そう警戒なさるな。ほれ、茶でも飲んでゆっくりしなされ」
 そう言いながら彼は、私たち二人の前に二つのグラスを置く。中には冷えた麦茶、氷がカランと音を立てて、とても美味しそう。
「……別に警戒しているわけじゃ」
 毒が入っているわけでもないだろうし、ありがたくいただく。
 最近は日が落ちてもまだまだ昼間の熱気が去らない。とにかく暑いのだ。今日だって例外ではなく暑い。その暑い中をこんな郊外の坂の上まで来てやったんだから、冷たいものの一杯くらい当然だ。
「ほぉ、警戒しているわけじゃないと。なら、どうしてそんな身構えているのかな?」
 その老神父の言葉に、私は一瞬身を硬くする。彼が言うとおり、私は固くなっている。それは――
「遠坂は神父さんが苦手なんですよ」
 と、隣で麦茶をすすっていた士郎がそんなことをのたまわった。確かに、私は彼が苦手だ。今までここには綺礼がいた。その開いた穴にこの老神父は何事も無かったかのように入り込んでいた。
「でも、嫌っているわけじゃないと思います」
 だから大丈夫です、と。私はそういう士郎のように割り切ることがなかなかできなかった。そう、ただ単に戸惑っているだけなのかもしれない。大人気ない、とも思う。もっと単純に、綺礼だってただの管理者だった、それが違う人に代わっただけ。そう考えればいいのに、考えられなかった。
 それは自分できちんとわかりきっている事実。だからこそ――
「――士郎」
 私は横目で彼をにらむ。自分でわかっていること、だけどなかなか素直にできないこと、そういうことを他人に言われるのはそれほど気分の良いものじゃない。そういう思いを込めて、黙れ、と視線で合図。
 と、士郎の表情が凍る。顔面は蒼白、なにやら暑いのとは違う意味での汗が流れてるみたい。もしかしたら、私の視線での合図で? 私に魔眼は仕えないはずだけど、まぁいいか。それよりも本題に。
「それで、私たちを呼び出した理由は?」
 それについては、ある程度予想できていた。ここしばらく感じている違和感。それは、あの時感じた感覚と同じ。そう、ほんの半年ほど前に感じた感覚と――
「わかっているだろ? 遠坂の娘さん。また聖杯の活動が活発になってきているのを」
 そんな重大な事実も老神父の口から出ると、それほどのことでもなさそうに聞こえる。が、
「――っ、なんだって?」
 士郎が激しく反応してくれたおかげで、私はある程度の冷静さを保つことができた。
「アレは――聖杯はセイバーが破壊したはず。それが――」
 彼がそうやって叫ぶ理由もわかる。セイバーを縛り付けていたのは、彼女自身の思いと、そして聖杯。それさえあれば、自分の過ちを正すことができる、と。そして、その聖杯を彼女は破壊した。それはただ単に聖杯を壊すという意味だけでなく、それ以上にセイバー自身の思いに決着をつけるという意味も持っていたのだろう。そしてセイバーの思いに、士郎は自分をも重ねていた。
 ――十年前の自分。
 ――助かった。
 ――助けられなかった。
 ――だから……
 ――でも、間違い? 過ちばかり? 不可能? 夢物語?
 絶えず投げかけられる問いに対する答え、それが聖杯を壊すという行為だった。
 だから、それがまだ存在しているということは――
「俺は……セイバーは、いったい――」
 何をしたのだ? と。
「まぁ、聞きなさい。君たちがしたことは、決して無駄じゃない。それはわかっているだろう? まずはそこから話を始めよう」
 老神父の声が優しく響く。
 前任者は綺礼だったし、この老神父とも聖杯戦争の後始末でしか顔をあわせていないので忘れていたが、そう、彼は神父――迷える子羊を導くためにいるのだ。私は、今更ながらそのことに思い至った。
「それで、聖杯が活発になっているってどういうこと?」
 私も感じていた違和感。今までは無意識に否定していたけれど、この神父が言うのなら間違いないだろう。
「彼とそのサーヴァント、セイバーのおかげでこの世の中の罪悪はこの世界にこぼれ出ることはなかった。しかし、それは目覚めていた。目覚めていて、後は外に出るだけだった。その出口をお前さんのセイバーは吹き飛ばしたんだ。十分にこの世界のためになっているよ。が、外に出られなかったそれはどう思っているかな? 目覚めていたのに、外だって見えていたのに、なのにいきなりその出口がなくなったんだ。やっぱり外に出たいと思うのが人情だろうて」
「――それ、って何?」
 老神父の言葉の中で引っかかったもの。そんなの、私は知らない。あの聖杯には意思がある?
「それは――聖杯の中に巣くうもの。何代か前にアインツベルンが呼び出した罪悪だよ」
「呼び出したって言うことは、サーヴァントなの?」
 サーヴァントなのに聖杯の中に留まっていたというのか。
「アレをサーヴァントとよんでいいのかはわからんがな。が、それに似たようなものだ。それが外に出たがっている。けれど、自分の力だけでは出られない――それが拠り代にしていたものとの絆も切れたようでな。ならばいったいどうするか?」
 外に出るには力が要る。けれど、自分には力は残されていない。だったら――
「――もう一度、聖杯戦争が」
 そう応える士郎の声。わかっている。元々聖杯とはそういうもの。アレは英霊を呼び出してその力を得るためのもの。聖杯戦争はその為の手段に過ぎない。
「そう、また聖杯戦争が起きる」
 老神父は静かに継げる。
「……だったら、やることはひとつだけね」
 私は隣の士郎を見る。その顔には決意の表情だけ。確かにうなずいて、私はその先を続ける。
「聖杯がただ単に願いをかなえるだけのものじゃないのはもうわかっている。その代わりに良くないことが起きるって言うんなら、それを止めるだけ」
 そう、それが私――遠坂凛の決意。士郎みたいな半人前に任せてなんかおけない。
 士郎は何も言わず、ただまっすぐにどこか宙の一点を見つめている。きっと聖杯戦争のことを――セイバーのことを考えているんだろう。ちょっとだけ嫉妬。私も士郎にあんな表情で――
 そして老神父は、とても満足いったような顔で私たちを見ている。
「何か? あなたがどうしても聖杯を復活させたい――どんな被害も厭わず願いをかなえたいというのなら――」
 魔力回路を動かす準備。彼の返答しだいでは――
「いやいや、そういうわけじゃないんだが、お前さんたちはいったいどうやって聖杯戦争を止めるというんだ?」
 老神父のニヤニヤした表情で思い出す。そう、あのときの私たちにはセイバー、そしてアーチャーがいた。私たちはサーヴァントを従えるマスターだった。けれど、今はセイバーもアーチャーもいない。ただの魔術師でしかない。そんな二人が聖杯戦争を――サーヴァントを止められるはずがない。士郎の投影は大きな武器にはなるが、それだけではまともに戦うことはできない。
「そっか、しまった――」
「でだ、そういうお前さんにプレゼントだ」
 そう言いながら老神父が机の上に置いたのは、一個の宝石だった。紅く輝くその中には、びっしりと魔力がこもっていた。
「これは? もらってもいいの?」
 思わず声が上ずる。魔力がこんなにも詰まった宝石をもらっていいのだろうか?
「ああ、手に入れるときはなかなか大変だったんだがな、そうそうゆっくりとしている余裕もないみたいなんでな、これで呼び出してくれないか、サーヴァントを」
 確かにこれだけの魔力が詰まった宝石を使えば、サーヴァントも呼び出せる。が、私はそれができるだろうか? 私にとってサーヴァントは――本当に繋がりを持ったサーヴァントは彼だけ。その彼は、きっともう来ない。士郎の横顔を無意識に見つめながら、そう思っていた。
「――二人ともそれぞれの想いがあるのはわかっている。が、お願いだ。悲劇を阻止してくれないか」
 私は、その老神父の真摯な目を見つめ返す。そうだ、私も心の中で決着をつけなくちゃいけない。きっとアーチャーは――エミヤは来ない。だって、私が士郎を英霊なんかにさせないから。あんな悲しい英霊なんかにさせないから。だから、アーチャー以外のサーヴァントをサーヴァントとして認めなくっちゃ。それがきっとアーチャーのためにもなる。
「わかったわ。私が――私たちが止めるから」
 私たち――それはいったい誰を指しているのだろうか? 私と士郎? それとも私とアーチャー? これから呼び出す新しいサーヴァント? きっと、その全員を指すのだろう。
 私は机に置かれたその紅い宝石を手に取る。帰ったら早速準備しよう。今度は時間を間違わないように。そうすればきっと最強のサーヴァント、セイバーだって呼び出せる。彼女ではない、セイバーを。
「――ところでどうして余裕がないんですか?」
 士郎が老神父に尋ねる。そういえばさっきそんなことを言っていたっけ。
「ああ、もうバーサーカーが呼び出されて狂っている。すでにマスターが殺されている」
 言ってなかったっけ? という表情の老神父。私と士郎の目は点になっている。
「「ええっー」」
 ついでに声まで被る。
「とにかくすでに余裕がない状況でな。聖杯が呼んだのか知らんが、流れ着いた魔術師がな、なぜかバーサーカーを呼び出してな。まぁ当然のごとく制御しきれずに自滅だ」
「で、そのバーサーカーは?」
 今にも外へ走り出しそうな士郎を押さえながら訊く。
「それがわからん。全くその気配が感じられんのだ」
 彼の説明によると、その裏切られたマスターがこの教会に逃げ込んできたことで、バーサーカーの出現とその裏切りを知ったのだという。
「まぁ、亡くなった魔術師には悪いけど、手に余るものに目をつけられた、って言うことね」
 サーヴァントの中でも、最も制御が困難なのがバーサーカー。イリヤがあのバーサーカーを制御できていたのは、彼女自身も特別だったから。もし、他のクラスだったら呼び出しても死なずにすんでいたかもしれないのに。
「というわけで、余裕がない。いつ一般人に被害が出てもおかしくない。早くサーヴァントを……」
「わかったわ。早速だけど、これ使わせてもらうわね」
 私はその手に赤い宝石を握りながら、教会の一室をあとにする。
「遠坂――」
 あとに続く士郎が私に声を掛ける。
「わかってるわ。あなたも、手伝ってね」
 こうでも言わないと、こいつは引こうとしない。自分に力がないことはわかっているはずなのに、どんな無茶なことでもしようとする。手に負えないやつ。でも私はこいつに惹かれている。だから私がしっかりしないと――
 私と士郎は、生温い夏の夜へと駆け出していった。

――3――
  ――side s――

 真夏の夜の街を、俺と遠坂は彼女の屋敷へと移動した。それほど急いではない。なぜなら、
「どうせ早く呼び出したって、今日一日はまともに動けなくなるわ。それなら、今日万全の体制で呼び出して、明日完璧な布陣でバーサーカーをしとめたほうがいいわ」
 と、遠坂が言ったからだ。
「けど、一晩放って置いていいのか? 相手はただのサーヴァントじゃない、バーサーカーなんだぞ?」
 ただ狂うことのみを追求し、その代わりに強さを求めたサーヴァント、それがバーサーカー。
 それゆえ、何者の制御も受けず、ただひたすらに破壊の限りを尽くす――はずである。
「それが、今日はもうとても静かなの。一応使い魔を街中に飛ばしてみてるけど、それらしき気配は全くなし。無駄に探し回るよりもこちらの体制を万全にするの」
 そう言われれば、半人前魔術師の俺としては頷くしかない。
 半年前には、俺にはセイバーが付いていてくれた。だから、一人でも闘えるって突っ走った。
 けれど、今はたった一人。
 投影だってまだまだあいつのようには使えない。
 だからこそ、こんな全く戦力にもならないような俺に、手伝ってね、その遠坂の言葉がとてもありがたかった。
「遠坂――」
 深山町の遠坂の屋敷へと続く坂道を登る途中、先を急ぐ彼女に話しかける。
「何?」
 応える彼女は振り向かない。視線は常に先を向いている。
「あの、ありがとうな」
 が、俺の言葉に、彼女の歩みは止まる。
「え、えっと、いったい何が?」
 振り向いた遠坂の顔は、驚いたような照れているような、この半年で何度か見た、何ともいえない表情。
「俺も、手伝っていいって。そう言ってくれただろ。俺はまだまだ半人前だし、今回はセイバーだっていないし。それなのに――」
 説明する俺を、きょとんとした表情で見つめる。それから破顔。
「ほ、ほら、アンタってああでも言わないと一人で突っ走っていきそうだし、そうなったら危ないし……」
 彼女はなにやらごにょごにょと呟き続けている。
 そんな遠坂の横を通り抜けながら声を掛ける。
「ほら、早く行って用意しないと」
 いくら今日はサーヴァントを呼び出すだけだといっても、すでに日付が変わるまで間もない。ぐずぐずしていたら夜が明けてしまう。
 と、遠坂はまた一瞬あっけにとられたような顔をしたあと、
「ふんっ、そんなのわかってるわよ。全く本当に……もう――」
 なんて言いながら、また俺を追い越して行った。

 数時間前に辞したはずの遠坂邸。その居間で俺はぼおっとソファーに身体を沈めながら天井を見上げていた。
 屋敷についてすぐ、遠坂は「サーヴァントを呼び出す準備をする」と言い残して地下へと降りていった。どうやらサーヴァントを呼び出すまでは一階へ戻ってこないらしい。
「今度こそ、最高のサーヴァントを呼び出すわよ」
 自信たっぷりの言葉と笑みを残して彼女は降りて行った。
 時間は午前一時。遠坂のコンディションが最高になるが午前二時だから、俺はあと一時間ほど待たされるわけだ。
 とにかく、自分にできることを懸命に考える。
 戦闘――サーヴァントとまともにやりあうのは、無理だ。元々が違う。サーヴァント――英霊は人間以上の存在であるが故に、サーヴァントなのだ。
 ならば、補助――しかし、それだって一人前の魔術師である遠坂に比べれば、子供だまし。唯一彼女に勝ってるであろう投影魔術だってまともに使えるものじゃない。
 ああ、だんだんと気が沈んでいく。
 結局自分は足手まといにしかならないんじゃないだろうか?
 けれど、決めたんだ。
 もう、助けられないのはいやだって。
 その為には全力を尽くしていくんだって。その進んでいく道を誇るのだ、と。
 それが、あの丘へと戻っていった彼女への誓い。
 と、そんなことを考えていると、いつの間にか午前二時はすぐそこまで来ていた。あと五分ほどで、長針はちょうどを指す。針がかちりと動いて十一を指した瞬間、居間は突然の光に包まれていた――

  ――side r――

 宝石を溶かして魔法陣を描く。
 よし、完璧。
 今度こそ間違いなんてない。
 前みたいに時間を間違うなんてない。
 腕時計を確認する。よし、あと五分で午前二時。今度こそ、わたしの力が最高になる瞬間にサーヴァントを召還してみせる。
 アーチャーじゃなく――アイツも最高なやつだったけれど――今回こそセイバーを。
 左手の時計が午前二時を指した瞬間、私は呪文を詠唱し始める――

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。 祖には我が大師シュバインオーグ。
 降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ
 みたせ  みたせ  みたせ  みたせ  みたせ 
 閉じよ。 閉じよ。 閉じよ。 閉じよ。 閉じよ。 
 繰り返すつどに五度。
 ただ、満たされる刻を破却する
      セット
 ―――――Anfang
 ――――――告げる

 ――――告げる。
 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ
 誓いを此処に。
 我は常世総ての善と成る者、
 我は常世総ての悪を敷く者。
 汝三大の言霊を纏う七天、
 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 地下室が輝きに満ちていく。その輝きはエーテル。それは以前と同じ感覚。
 それども今回は大丈夫。確信。力が集まっていく――
 きたっ、今度こそっ!

 が、そこから先も以前と同じだった。
 室内をあれほどまでに満たしていた光もエーテルも消え去っている。あまつさえ上から崩れるような音も。
「嘘ーっ。またやっちゃったー?」
 暗い階段を駆け上がりながら、私はこの腕時計だけ五分間進めていたことを思い出した。――士郎との約束に遅れないためのちょっとした工夫。それがあだになろうとはっ――。
 ああ、もう。やっぱりわたしだ。ここ一番って言う、本当に大切なところでミスをしてしまう。でも今回のは士郎が悪い。だってこの時計は士郎のために進めているんだから。だからわたしは悪くない。――悪くないということにしておこう。
 心の中だけでそう決めて、わたしは一階のドアを開けた。

  ――side s――

 光が収まり、ぼおっとしていた視界がクリアになっていく。視覚が回復していくにつれて居間の惨状が明らかになっていった。
「うわ……」
 思わず声が漏れる。きちんと整頓されていた家具はぐちゃぐちゃに倒れていて、豪華な調度も埃にかすんでいる。自分がこうしてソファーに座り続けていられているのが不思議なくらいな光景だった。
 と、その散々な部屋の中で、もう一人整然と座っている人影に気が付いた。
 一部の隙もなく洋服を着込み、スツールに足を組んで腰掛けている。
 その腰間には大小二本の刀。オールバックの頭髪に彫りの深い顔立ちだけに、その腰のものが浮いて見えそうなのだが、そのような印象は全くない。むしろ、その刀こそが彼を彼たらしめているようにすら感じられる。
「ええと――」
 前後の状況からして、彼は多分サーヴァント。遠坂が呼び出したサーヴァントに違いない。それがどうして地下室ではなくここに現れているのかは謎だが。
「ふむ、君がおれのマスター、というわけではなさそうだな」
 そのサーヴァントは俺を一瞥してそう言った。
「ああ、俺はマスターじゃない」
「それでは、我がマスターはどこにいる? まさか君が殺した、というわけではあるまい?」
 彼はさらりと恐ろしいことを言う。
「そんなことはするはずがない。俺が遠坂を殺すなんて――」
 いや、実のところ仄かな殺意というか復讐心は幾度となく抱いたことはあったりなかったりなのだが。
「それに、マスターならすぐに来るよ」
 言いながら、俺の耳は地下室からどたどたと大きな音を立てて駆け上がってくる足音をとらえていた。

  ――side r――

「しまった……」
 やはりというか予想通りというか、居間は酷い有様だった。きちんと整頓されていた家具はぐちゃぐちゃに倒れていて、豪華な調度も埃にかすんでいる。
 しかし、それゆえに部屋の中で何事も無いように座って会話している二人組みは奇妙に映る。
 ……ん? 二人?
「えっと、こっちが士郎って言うことは……こちらの方は?」
 洋服姿の男を指差し、士郎に尋ねる。
「おいおい、こちらの方というのはないだろう。君自身が呼び出したサーヴァントだぞ。もっとマスターとしての心構えを――」
 と、士郎ではなくその男が返す。
 うん、やっぱりそうか。これがわたしが今回呼び出したサーヴァント。それとなく観察する。
 ちょっと古めかしい感じはするけど、一応洋服。多分それほど昔の英霊じゃないんだろう。けれど、腰には刀がある。
 刀を使うサーヴァント。
 キャスターじゃないことは確実。かといって、ランサーでもなさそう。ライダーもなんか違う感じ。ということは――
「――もしかしたら、今度こそセイバー?」
 上目遣いで尋ねる。
「いや、残念ながら違う。おれは――アサシンのようだ」
 にやりと言う笑み。その笑みが何よりも雄弁に、彼が人殺しだということを告げていた。
「まぁ、遠坂も座ったら?」
 と、椅子をひとつ立て直している士郎。もう、こいつはなんと言うか少し外れているというか。それでもちゃんと気は利いているみたいなので許容。
 椅子に座って一息つく。
 それにしても――
「またやっちゃった……」
 部屋の様子が目に入るたびに落ち込む。やっぱりここ一番というときに限って、どうしようもない失敗をしてしまう。
 が、いつまでも落ち込んでなんかいられない。
「そう、あなたに言わなきゃいけないことがあるの」
 わたしはアサシンにまっすぐ向かう。
「なんだ? おれは自分の役割はわかっているつもりだが?」
 彼の顔が鋭くなる。
「あなたもサーヴァントとして、聖杯を欲しがっているんでしょ? でも、残念だけど、わたし達は聖杯を手に入れるために聖杯戦争に参加するんじゃない。聖杯を破壊するために聖杯戦争に参加するの」
「ということは、勝ち残ったとしても聖杯を手にすることはできない、ということか?」
 アサシンの目がきつい。
「――そういうこと。納得できないというのなら、令呪を使ってでもっ」
 わたしは左手に浮かんだそれを見せ付ける。
「まぁまて待て。君たちは聖杯が欲しくないという。ならばここで聖杯戦争が終わるまでじっとしているのか?」
「いや、違う。俺たちは聖杯を手に入れるためじゃなく、聖杯戦争で悲劇が起こらないために――戦う」
 わたしじゃなく、士郎が応える。
 アサシンは目で問いかける。わたしもそうなのかと。
 考えるまでもない。士郎の決意はわたしの決意。
 正義の味方になりたいというコイツのために。
 正義の味方になりたいと思って、それでもなれなくて、その苦悩の末にああなってしまったアイツのためにも。
 わたしは――
「もちろん、戦うわ。そうじゃなかったらあなたなんて呼び出さないんだから」
 アサシンの眼光に負けないように見つめ返す。
「ならば良い。おれは戦うためにここに来ているんだからな」
 そう言って腰の大刀に手を掛ける。その顔は純粋に嬉しそうだった。
「ところでだ、先ほど『わたし達』といったな? それはいったいどういうことだ?」
 そのアサシンが尋ねる。
「ああ、わたしと士郎は一緒に戦うの」
 確かに普通じゃ考えられないことかもしれない。願いをかなえる聖杯はひとつだけ。それを手にするのはたった一人のマスターとそのサーヴァントだけ。だからマスター同士は普通手を組まない。それに、基本的に魔術師は普通の人と一線を引く。こうしてサーヴァントを呼び出す場にマスター以外の人間がいるとか、そいつと手を組んで戦うとか、ちょっと普通じゃないのかもしれない。
「そうか。きみも我がマスターと志を共にしているということだな」
 納得したようにアサシンは士郎を見る。士郎は士郎で曖昧な返事。志とかそういうちょっと慣れない言葉に戸惑っているのかもしれない。
「おれの時にも志を共にする者は、互いに力をあわせて戦ったものだ。だから、マスターと君のことは、わかるつもりだ」
 そう言うアサシンは、遠い目で誰かのことを思い出しているようだった。
「……あなたは誰と一緒に戦ったの?」
 その目があまりにも優しすぎるから、だからそんなことを、つい訊いてしまった。
「おれか? 決まっているだろう――」
 そうだ、聞くまでもないことだ。それでも、彼の口から聞いて確かめたい。
 洋装の武士。
 彼が誰と共に戦ったかなど――
 月夜の川原。
 闇の小路。
 ぬるりと暑い町屋。
 白刃を振りかざし突き逝く。
 そして、誰もいなくなり、北の大地の冬。
 勝つはずのない絶望的な合戦の中でも戦い続けた男。
「おれが共に戦うのは他の誰でもない。近藤、それに沖田――新撰組しかない」
 アサシン――新撰組、壬生の狼と呼ばれた集団の中でも鬼と恐れられた副長は、そう言って笑った。

――4――
  ――side s――

「なぜおれがこんなことを……」
 壬生狼は呆然と呟いた。
 その右手にはほうき。
「まぁ、やりましょうか……」
 俺にとっては半分くらい予想できた結果。が、アサシンにとってはそうではなかったらしい。ぶつぶつ言いながら手を動かしている。
 というわけで、俺とアサシンは散らかった居間の掃除をしているわけで。
 聞けば、アーチャーも初めてのお仕事は居間の掃除だったらしい。……もし将来英霊となってサーヴァントになることがあったとしても、遠坂の元にだけは呼び出されたくはないと思う。
 ……なぜかすでに手遅れだという予感がしているが、まぁ気にしないで。
「しかし、君も大変だな」
 床を掃きながら、アサシンが話しかけてくる。
「別に、掃除くらい慣れてるし」
 実際、無駄に部屋の多い衛宮の家を掃除するのは一苦労である。それに比べればこの一部屋を掃除するくらい楽なものだ。
「いや、そういうわけではないのだが……。ふむ、大変なのはマスターのほうというわけか」
 と、アサシンは一人で納得。
「? いったいどういう意味?」
 そんな一人で納得されても、こちらはわけがわからない。
「なあに、人というものはいつの世も変わらぬ、ということよ」
 ちなみにサーヴァントに大変だと同情されたマスターは、すでにお休み中だ。サーヴァントを呼び出したりとお疲れらしい。
 元々部屋がこんなになったのも遠坂がアサシンを呼び出すときにミスったせいだと思うのだが、彼女にすると、呼び出されたアサシンとその場にいた俺が悪いということになるらしい。
 ……理不尽だ。
 そんなことよりも、とにかくがんばって片づけを終わらせてしまおう。
 そして、俺も早く休まないと。明日には、バーサーカーを探し出して始末をつけないと……。

 とにかく、こうして二度目の聖杯戦争は幕を開けた。
 一度目は、あの緑色の瞳に見つめられて。
 今度は、あの時とは違う。
 聖杯戦争がどんなものかわかっている。どんなに努力しようとも、いくらかの哀しみを生むことはわかっている。
 でも、迷わない。
 彼女に誓ったから。
 その瞳に、儚き騎士王の、その剣に誓ったから。
 だから、戦う。

「よろしくな、アサシン」
 傍らの武士に声を掛ける。
「――ああ、こちらこそ。衛宮君」
 そう応えるアサシンの顔は、京の都を震え上がらせたというのが信じられないくらいに穏やかなものだった。

#2