本格ミステリの定義
 本格ミステリとは、
 1.問題の提示
 2.条件の説明
 3.問題の解決
からなる形式である。
  ただし、3の条件は必ずしも必要としない。

解説
 本格ミステリとして外すことのできない条件というのは、以上の三点だと考えられる。
 まず、第一の問題の提示は、本格ミステリには解かれるべき謎が必要だということである。ただし、この解かれるべき謎は明示されていなくても良いと考えられる。これは、その問題の設定自体が問題となりえるからである。いわゆる叙述トリックと呼ばれるものを考えると、この事は理解できると想われる。

 第二の条件の説明は、提示された問題を解くのに必要な条件を、残らず明らかにする、ということである。例えば、密室で殺人が起こるという事件があったとする。その密室の構成法が解かれるべき問題としてあったとき、解決の場面で実はその密室には抜け穴があって……、というのは、本格ミステリとしての条件を満たしていないのである。ここで、密室の構成法が解かれるべき問題でないときには、その密室を構成するのに抜け穴を何十本使ったとしてもなんら問題がないのは述べるまでもない。新本格第一世代の某有名シリーズがこの例に当てはまる。

 第三の問題の解決は、すなわち起こった事件――問題の構造の解説、それまで挙げられた条件の整理、解説である。これによりその問題の解答――事件の犯人であったり、周到なアリバイトリック、精密な密室トリックであったり――が得られるのである。ここで、解答がそれまでの説明から十分に判断可能で(どの本格ミステリでもそうなのだが)、作者が必要ないと判断した場合、その回答は省略されることもある。東野圭吾の「どちらかが彼女を殺した」「私が彼を殺した」がこれに当てはまる好例である。


本格ミステリの役割について

 定義で、本格ミステリは形式だと述べた。その形式がいったいどういう役割を果たしているのかを述べたいと想う。

 ミステリファンの間では、その作品が本格ミステリかどうかというのがしばしば話題に上る。つまり、ミステリには本格と、それ以外があるという考えである。これは、本格ミステリとは、不可思議な謎があり、それを探偵が颯爽と解決する――つまりははるか昔から言われてきたいわゆる「本格探偵小説」を指していると思われる。しかし、現状の「本格ミステリ」といわれる小説を見ても、それらが単純に本格探偵小説の枠に収まるものではないのは、一目瞭然である。つまり、本格ミステリであるか否か、という区分けでは現在のミステリを語る事は不可能なのである。私は、本格ミステリの上記のように定義した。本格ミステリは小説のジャンルを指すのではなく、物語を語る形式の事を指す、という主張である。どのようなミステリにも本格ミステリという形式は使用されている。本格ミステリとは、推理小説における単位元のようなものであると考えられるのである。それを元に集合を特徴付けているもの――本格ミステリは、推理小説を推理小説たらしめている最も重要な形式であり、逆に、本格ミステリの形式を使用している小説の事を、推理小説と呼べるのである。

 さて、この本格ミステリがどういう役割を果たしているのか――いったい何のための形式なのか、というと、それは物語を語るための形式、である。物語――それは、作者が伝えたいこと、主張、想いであり、そのことについても興味深いのではあるが、今回は本筋から離れるので、触れないでおく。
 本格ミステリとは物語を語るための形式――比喩的表現を用いれば、物語というものを入れる器である。ここで器、という比喩を用いたのは、そう考えることで、本格ミステリの方向性、役割が良く理解できるからである。
 器というものは物――主に料理――を入れるための道具であるが、その器自体も鑑賞の目的となる。器の器としての役割を追求していけば、それは限りなくシンプルで機能性を追求していったものとなる。そして、それはシンプルであるが故の、機能性が故の美を持つようになる。それがプロダクトデザインである。また、装飾として器を飾り立てるというのも、もうひとつの方向である。いわゆる骨董品と呼ばれるものを見れば、その表面に描かれた文様の美しさ、また、器自体の独創的な形態が、美術品としての価値を持つことは説明の必要もないだろう。
 これを本格ミステリに当てはめてみると、プロダクトデザイン系の美しさ――つまり、機能の追及というのが本格ミステリの形態の追求ということになり、これは、本格ミステリの謎解き――先に述べた定義を追及していくことになる。つまり、謎の提示、その謎の解決に至る論理の追求である。このロジックの追求の最も完成された形のひとつが、クイーンの国名シリーズであると考えられる。
 次の美術品――装飾的な器の美しさの追及というものの好例は、カーということになるだろう。
 ここで注目したいのが、どちらのほうが簡単に高級だと分かるのか、というところである。色々と綺麗な飾りがたくさんついていたほうがそれが高いものだと簡単に推測できるのは、明らかである。つまり、色々と華美に飾り立てられた本格ミステリ――古びた屋敷、血塗られた一族、複雑に構成された密室、謎めいた美女、そして鮮やかな推理を披露する探偵。そういったものがあれば本格ミステリとしてより分かりやすいのである。それ故、今述べたようなものがたくさんあるものが、本格ミステリとしてもてはやされてきた。その際たるものは、某新本格第一世代作家の本格とは雰囲気だという発言だろう。
 それに比べると、プロダクトデザインというものの価値は、分かりにくい。何の装飾も施されていない物が、信じられないくらいの高値をつけることもある。例えば、イームズの椅子などは、知らない人が見たら何万円もの価値があるものには、決して見えないだろう。しかし、じっくりと鑑賞し、実際に使ってみれば、その椅子が持つ機能性と、そこから来る美しさというものにほれ込む事は、間違いがない。一部の隙もない機能性と、ほんの少しの遊び心、これは、ロジックを中心とした本格ミステリに共通する事柄だろう。一見素人さんはお断り、けれど、実際はまってみれば二度と抜け出すことはできない、それが本格ミステリのロジックである。

 最後に両方に共通して注意しなくてはいけないのが、どちらも器である、ということである。いくら装飾にころうとも、それは器なのである。実際に使うことができなくては意味がない。器であれば、物を入れることができる、というのが器であることの条件であるが、本格ミステリではそれはいったい何か? それは、本格ミステリとしての定義を守ることである。すなわち、謎の提示と、それを解くための論理、この二点である。つまり、本格ミステリで一番重要なのは、その論理性である。トリックはあくまでロジックを際立たせるための、いわば額縁に過ぎず、プロットというのは、本格ミステリという器の置き方、見せ方に属するもので、本格ミステリというものの本質とは、少し異なるのではないだろうか。ただし、謎の提示の仕方、それを解くのに必要な条件の見せ方をプロットと呼ぶのであれば、プロットが重要だもののひとつであるという考えに反対はしない。が、それも十分なロジックがある、ということが必要な条件ではあるが。

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