桜の花の舞い散る下で
霧越カズト
1
桜の色は、きれいな色。
何故あんなにきれいなのだろうか。人は色々と言っている。曰く、その下に死体が埋まっているから。また、その下にいると、気が狂ってしまうという話もあった気がする。
たぶん、すべてを狂わせる元凶となっているのは、桜の、小さな、けれど、どの春の花よりも、しっかりと己を主張している、あの花弁にあるに違いない。
ああ、あの花弁の色は何色というのだろうか。
淡紅色などと言ったりもするようだけれども、それが正しくあの色を表しているとは到底思えない。
言葉というのはなんと不便なのだろうか。たかが花の色さえ正確に表現できないではないか。
それとも、桜が、言葉という人間の最高傑作を凌駕しているという事か。
桜など無ければよいのに、という歌を詠んだ歌人がいた。全くその通りだ。
桜さえなければ、あの事件は起こらなかったのではないか。
桜さえなければ、あの春は何も無かったはずではないか。
桜さえなければ、彼女はあのような事にはならなかったのではないか。
桜さえなければ、
桜さえ……
さくらさえ……
さくら……
2
街が、だんだんと春めいてきて、新入生が、まだ大学に夢と希望だけをもっている頃、四月。そんな爽やかな季節にふさわしく、いつもは沈みがちな僕の心も、どこか弾んでいるようだった。そして、そのようにいつもと違うということは、周りの人には、すぐに判ってしまうらしかった。
春らしく、晴れた土曜の午後。僕はいつものように、サークルの会合へと来ていた。そこで、いつものように教室へと入ると、このように言われたのである。
「なんか、良いことでもあったの? なんか、珍しく機嫌が良さそうだね」
まるで、いつもは不機嫌だとでも言いたいような口調で、さくらが、話し掛けてきた。普段から、こんなものだと言い返すが、
「絶対、いつもはもっと機嫌悪いよ。うん」
と、言い切られてしまう。まぁ、そう言うことにしておいても良いが、浮かれているのは、彼女もいっしょである。この前と比べると、来ている服の色遣いが、春らしくなり、少しのことでも、よく笑う。全く、他人のことを言えるものでも無いだろう。
そのように、軽く言い合っていると、恋人同士のようにでも見えるのか、
「ちょっと、浮気しないでよ」
などと言いながら、僕の彼女のあかりが、教室に入ってきた。
「誰がこんなやつと……」
などと、まるで高校生のようなことを、わざと言ってみる。あかりとさくらも、そんなくだらないことに乗ってくるから、不思議だ。……やはり、春だからだろう。みんな浮かれているのだ。春の空気は、人をおかしくする。
しばらくして、いつも通り集合時刻から少し遅れて、サークルのメンバーの全員が集まった。
それでは……、と、まとめ役の佐藤が、会合を進めていく。やはり、春だからだろうか、いつもはとても眠たげで、なんにつけてもやる気の無いこいつが、なぜかやる気になっている。
張り切った佐藤のおかげなのか、会合は、普段が信じられないほど、順調に終わった。そのあとは、いつものように、雑談へと流れ込む。教室の中に、いくつかの話の輪が、出来上がる。僕は、あかり、さくら、そして、なぜか、僕らと仲が良い、佐藤と、他愛も無い話をしていた。
そのようにして、何時の間にか時間が経ち、まだ早い春の暗闇が訪れる頃、僕らは、四人で飲むために、学校から繁華街へと向かっていた。今週は僕たちだけだが、後何週間か後には、新入生歓迎の飲み会があるはずだ。まぁ、そんな名目をつけなくとも、飲みたいときに飲む、というのが大学生なのだが……。
飽きもせずに、話しながら歩いていると、いつもの公園に差し掛かった。
さくらが、何かを見つけたのか、僕に声をかけてきた。
「ほらほら、桜の花が、もうすぐ咲きそう」
見ると、確かに、桜のつぼみがほころんできている。そういえば、もうすぐ花見シーズンも到来する。昨日のニュースでは、どこかでもう桜が咲いたといっていた。この街のすぐ近くにまで、桜前線が到来しているのだ。
「『さくら』だから、『桜』に気が付くのが早いのか?」
とからかい気味に訊いてみる。何か言い返してくると思ったが、さくらは、とても嬉しそうに、
「たぶん、きっとそうだよ。それに、私、桜の花が一番好きだから。自分の名前も、とっても気に入っているから」
そのように話していると、あかりと佐藤が話しに加わってきた。
「そうだね、来週くらいには、桜も、花見をするのに、ちょうど良いくらいじゃない?」
あかりがそう言う。確かに、来週の週末くらいには、桜も、ちょうど見頃だろう。花見というのも、良いかもしれない。
「なあ、みんなで、花見をしないかい? この公園なんか、花見には、うってつけの場所じゃないか」
普段は、ボーっとしているくせに、なぜか宴会事が好きな佐藤が言う。
そうとなれば、そこからの話は早い。次の土曜日に、花見を行う、ということが決まるまでに、それほどの時間はかからなかった。今日これから、ということにならなかったのは、ただ桜がまだ見頃じゃなかったからに過ぎない。桜が見頃ならば、今すぐにでも花見をはじめるところだ。場所はこの公園。時間は、夜桜が見たい、というさくらの希望によって、夕方の六時過ぎから、ということに決まる。
お弁当作るからね、私も作るよ……。などと、さくらとあかりがはしゃいでいる。別に、出来合いのものでよいのに……とも思うが、少し、いや、かなり楽しみでもある。
ふと、空を見上げると、月が出ていた。今の欠け具合から考えると、来週の週末くらいに、ちょうど満月になりそうだった。
暗闇に浮かび、柔らかな光を放つ、丸い月。その光を受け、幻のような、満開の桜。そして、その下にたたずむ女性……。今、僕が想像しているのは、あかりだろうか、それともさくらだろうか……。
3
四月の、晴れた土曜日の夜。僕たちは、公園へと花見にやってきた。この公園は、特別、花見の名所というわけでもなく、他に、団体は無く、散歩がてら桜を眺めようという近所の人が少しいるだけだ。数多く桜の木が、立ち並んでいるわけではないが、僕たちが、花を楽しむには、十分なほどの桜はあった。
空には、明るい満月、その光に映える美しい桜。そして、これ以上は無いと思えるほどに、桜の花が似合う少女……。今日のさくらは、それほどまでに綺麗だった。
ここにしようよ、といいながら、さくらが一本の桜の木の下に、敷物を広げる。それを、佐藤も手伝う。
「私、お弁当作ってきたよ」
とあかりがお弁当を広げる。私も、さくらもお弁当を広げる。そして、あかりが割り箸を配る。そうこうしている間に、それぞれのポジションが決まった。時計回りに、僕、あかり、さくら、佐藤、という順番。そしてなぜか、さくらの前にはあかりのお弁当、あかりの前にはさくらのお弁当がおかれていた。
そうしたら……、と、佐藤がいそいそと立ち上がる。
「かんぱーい」
と、一気にビール、から、花見は始まった。
酒だけを飲むのは、体に悪いので、とりあえず、近くにあるさくらのお弁当から、鳥のから揚げとフライドポテトをつまむ。うん、なかなかいける。といっても、たぶん冷凍食品だろうが。
さくらも、
「私もなんか食べようかな」
と、言いながら、目の前にあるあかりのお弁当を覗き込んだが、
「私のお弁当から、卵焼きとって」
と、あかりに頼んだ。
「ごめんね、私、卵焼き作るの忘れてて……」
そう言いながら、あかりはさくらの皿を受け取り、卵焼きを載せる。他には? と聞きながら、それをさくらに返した。さくらは、ありがとう、といいながら、卵焼きを口に運んだ。
そして……。
「うぐぅ……」
突然苦しみだすさくら。そのまま後ろに倒れようとするのを、佐藤がすばやく近寄って支える。僕もすぐに、さくらのそばに行く。あかりは、小さな悲鳴をあげ、少しばかり後ろに下がる。
佐藤と二人で声をかけるが、意識が混濁してきているようだ。あかりに、救急車を呼ばせる。
「どうやら、毒を飲んだらしい。水をたくさん汲んできてくれ」
佐藤が、僕に叫ぶ。急いで水を汲みに走った。遠くで、救急車のものと思われるサイレンが聞こえる。
さくらは、病院に搬送されたが、その夜遅く亡くなった。死因は、毒性が極めて高く、ほんの微量でも死に至るという即効性の粉末状の毒による心不全だったそうだ。
4
花見の日の事件後、僕たちは、警察に何度も呼ばれ、事情を聞かれた。どうやら、さくらのお弁当にあった卵焼きの上から、さくらの飲んだ毒と同じものが見つかったとかで、警察としては、自殺ではないかと考えているようだった。だから、さくらの様子に何かおかしいところは無かったか、何か変なことを言ってはいなかったか、何か思いつくようなことは……、と、いろいろ訊かれたが、答えは全てノーだった。少なくとも、僕たちの目には、いつもどおりの、あのさくらにしか見えなかった。そのことを伝えると、警察内部でも、自殺ではなく他殺ではないかという説も出てきたようだった。
そうして、ニ、三日過ぎた頃、さくらが死んだ後初めて、僕たち三人は顔をあわせた。あかりも佐藤も、どこか疲れているようだった。特にあかりは、とてもショックを受けた様子だった。しかし、そのあかりに、
「なんか、とても疲れてるみたいだね。大丈夫?」
と言われるという事は、僕も疲れているのだろう。三人で、ポツリポツリと話し始める。
「私も……危なかったんだって。ほら、私、さくらに卵焼きをとってあげたでしょう。そのときに、毒が私の箸についたらしいの……。警察の人がそう言ってた……。でも、私が卵焼きを取ってなかったら……。さくらは……」
そういって、泣き出すあかり。僕は、彼女に軽く肩を寄せる。
「でも、何で……。いくらでも相談に乗ったのに……」
悔しそうに佐藤が言う。しかし、なぜかその目は、悔しさ、というよりも、どちらかといえば、どこか恐ろしげな、怒っているような、そんな雰囲気だった。
二人と別れた後、僕は一人で、あの公園へといった。辺りは、もう薄暗くなり、空には、あの日よりも少しかけた月。桜の花は、もう散り始めていた。しかし、その美しさには、少しも変わりが無かった。その美しさの主ともいうべきものはもういないというのに。
少しの間、あの日花見をした木を見つめ、そこを去ろうと歩き出す。その時、隣の木の下に、見覚えのある割り箸の袋を見つけた。それは、あの日、あかりが用意していた割り箸の袋だった。僕は、折りたたんで捨てておいたし、他の誰かのだろうか。手を伸ばし、拾ったとき、後ろから声をかけられた。
振り返ると、佐藤が立っていた。ここだと思ったよ、と言いながら近づいて来て、僕の手にある箸袋に気がつく。
それは? ――佐藤に箸袋を渡す――佐藤は、それを詳細に観察していた。そして、どこか思いつめたような表情の顔をあげ、こちらをじっと見据え、
「きみに……話しておこうと思うことがある……」
5
僕は、公園の入り口で、彼女を待っていた。しばらくして、無理に繕った笑顔で彼女が現れた。あぁ、出来る事ならば、現れて欲しくは無かったのに……。
それでも、僕には、こうするしかなかった……。
誰のためでもなく――死んださくらでも、ましてや、僕のためでもなく。
たとえ、どんなことになろうとも、こうするしか……。
「何なの、話って?」
あかりがたずねる。僕は、
「少し歩こうか。」
としか言えなかった。
二人並んで歩き出す。何も切り出せない僕。何も聞けない彼女。ただ、時間だけが、過ぎ去っていった。恐ろしくゆっくりと、本当に少しずつ、過ぎていった。あの桜の木にさしかかった頃、僕は、やっとのことで口を開くことができた。
「さくらを……さくらを殺したのは、あかり、おまえだろう……」
信じられないといった顔をして、彼女がこちらを向く。
「どうしてそんなこと言うの?どうしてそんな風に思うの?」
今にも泣きそうな顔。それでも彼女は言葉を続ける。
「だって、さくらは、自分で作ってきたものを食べて死んだんだよ。私は、それをさくらに渡しただけじゃない。しかも、そのせいで、私も危なかったんだよ。何より、どうして……どうして、私がさくらを……」
僕も、何とかして言葉を搾り出す。
「そう、あかりはさくらに卵焼きを取っただけ。……そうするだけでよかったんだよ。自分でやったのなら、箸に毒がついているのもわかるから、危険じゃない。どうやってやったかは、僕でも、わかる。でも、どうしてそうしたかは、なぜ、さくらを――さくらの命を奪ったかは、あかりにしかわからない……、僕にはわからないんだ」
そう、僕は、さくらの死の真相を、先ほど、一時間程前に、佐藤から聞いたのだ。ここ――この桜の木の下で。
「きみに……話しておこうと思うことがある……」
そのように佐藤は切り出した。
「今まで、確証は無かったけど、たぶん僕は真実にたどり着いたと思う。君はそれを聞きたいかい? 君には、とても……さくらの死よりも、つらいことになると思うけど……。それでも良いというのなら、君に真実を話すよ」
僕は、その真実を聞くしかなかった。僕にも、何があったかは、わかっていた。それは、ただの勘というやつで、確証など、何処にも無かった。それに、どのように、それを実行したかなど、全くわからなかった。今の僕にとって、どのような手段で、さくらが殺されたかなど、全く意味の無いことだった。重要なのは、さくらを殺したのは、あかりしかいないということだった。
「教えてくれないか……、その真実を」
しかし、僕は聞くしかなかった。そして、出来る事ならば、そんなことは不可能だといいたかった。
「君も気がついているようだけど、さくらを殺したのは、あかりだよ。
――あぁ、やはりそうなのか――
今、ここで君の拾った箸袋を見て、確証が持てた。その箸袋の中を良くみてごらん。白い粉がついているだろう。たぶん、それがさくらの死因となった毒物だろう。あかりは、まず、自分で箸を配り、そのとき、自分の手元にその箸を置いておく。後は、さくらに、何でも良いから料理をとってやればいい。その箸をつかって。そうすれば、箸袋の中で箸に付着した毒物が、料理にもつくだろう。使われた毒物は、ほんの微量でも死に至るというから、それくらいで十分だろう。そして、僕たち二人に目が、さくらに向いている間に、さくらが口にした食べ物に、箸袋の中の毒物を振り掛ければよい。だから、毒物が食べ物の上にあるという、少し変なことになっていたんだ。普通、食べ物を使って毒を飲ませるなら、そのものの中に毒を入れるだろう? しかし、今回はなぜか上に振りかかっていただけ。それは、中に入れることが出来なかったから。今言ったことが可能なのは、あかりだけなんだよ……」
僕には、何も否定できなかった。ただ、うなだれるだけだった。
そして、僕はあかりを呼び出した……。
僕は、佐藤から聞いたことをあかりに話した。 「そう……
――頼むから否定してくれ、そんなのは、僕たちの妄想に過ぎないと――
……その通りよ。私が……やったの。さくらを殺してしまったのは、私」
「何故、なんだい? どうしてさくらを?」
彼女は、さびしそうに微笑んで、桜の木へと歩み寄る。あの日、花見をした、あの桜の木へと。花は、美しく舞い散っていた。
「きれい……だったから。この桜の花みたいに。とられると思ったの……あなたを」
そういって、彼女はこちらに振り返った。
欠け始めた月の下。舞うようにして散り始めた桜の花。その下で悲し過ぎる微笑みを見せる彼女――あかりは、あの日のさくらよりも……いや、この世の中で、一番きれいだった。
その微笑のまま、
「ごめんなさい……さようなら」
そういって、彼女は、僕の前からいなくなった。ずっと……消えてしまった。
後に残ったのは、地面に落ちた、彼女の涙。
頬を流れる、僕の涙。
そして、舞い散る桜の花弁。
それだけ。ただ、それだけだった。
6
あれから、どのくらいの年月が過ぎただろう。僕も、人並みに他人と付き合い、人並みに働き、人並みに結婚したりもした。
でも、まだ、一人で桜の花を見ることはできない。あの春のことを思い出してしまうから。
あのあと、あかりは、どこか遠くへといってしまい、今も連絡は無い。佐藤は、
「あれくらいの証拠では、起訴もできないだろうよ」
と言って、警察には、一切何も話してはいないようだった。
その佐藤とは、今でもたまに会ったりもするが、あのことが話題になることは決してない。二人にとって、あのときの僕たちにとって、悲し過ぎる事だから……。しかし、きっと、忘れることの無い、そんな過去だから。
たまに、本当にたまにだけど、春――四月の公園を通ったりすることがある。そうすると、桜の木の下で、宴に興じる人々を見たりする。
彼らは知らないだろう。
桜の花の、恐ろしさを。
桜の花の、悲しさを。
桜の花の、あの美しさの秘密を……
最近、とある詩人の詩を読んだ。その詩は、喜びにあふれて、桜を見つめる人々の中で、ただ一人、その桜を悲しみの眼でしか見ることができない、そんな男の詩だった。
希望に満ち溢れた、春という季節の中で、美しく舞い散る桜の花を見ても、ただ、涙を流すことしかできない、そんな哀れな男の詩。
……まるで、僕のようだった……。
"Under The Blood Red Blossom"is over.