I will say "Hello Mr.Night Walker,and good bye".

霧越カズト



それは、何の変哲もない夜だった。ただ、朧な月が、少し不気味だった。
 いつものように、深夜の帰り道。
 夜の町は、まるで時間が止まったように動くものはなく、どこか知らない世界のように思える。昼間と同じ形を薄闇の中にさらしているから、余計にそう感じられる。
 靴音が闇に吸い込まれる。視線が闇に吸い込まれる。
 取り留めのない想いが頭に浮かぶ。ランダムに繋がる意識。それは収束していくことはない。無限へと拡散していく。終わることなく、続いていく。
 ふと、その思考をさえぎる光景が目に入る。道端にしゃがみ込んだ人。何か調子でも悪いのだろうか、俯いて細かく首を動かしている。
 人? 普通の人にしては何かおかしかった。
 その人が何をしているかを確認できるほどに近づいてみる。
 何かを手に持っている。それを口に運んでいるようだった。何? ぐちゅぐちゅと音がしている。何の音? ぴたり、ぴたりと何かが滴り落ちる音。いったい、何?
 しゃがみこんでいるその人が、くるりとこちらを向いた。手に持ち、口に運んでいたものの正体が分かった。何が滴となり落ちていたのかがわかった。
 その人――いや、すでにそれは人ではないだろう――それが、手に持ち口に運んでいたものは、一匹の猫だった。それを見て、ああ、そういえば、この道にはよく猫がいたな、と思い出す。街灯の微かな光に照らされたそれは、真っ赤な血で染められていて、どんな毛並みの猫だったのか、全く窺い知ることができない。ああ、かわいそうだ。ゆっくりとそんなことを思った。
 口から鮮血を滴らせたその人の目が光る。この世のものではありえない、金色の瞳。その目が、にやりと笑ったような気がした。金色の瞳――最近流行のドラッグに特有の症状だとニュースで見たことを思い出した。
 次の瞬間、気が付いた時には、コンクリートの塀に体が押し付けられていた。首を押さえつけられ、少しも声が出ない。そればかりか、呼吸も満足にできず、少しづつ、意識が遠くなっていく。間近で見るその顔は、明らかに人のものではなかった。猛獣を思わせる瞳。にたりと開いた口からは、赤く染まった歯がのぞいている。何とか視線をずらすと、鋭い爪を具えた手が見えた。
 殺されるのかな? こんなドラッグでイッたやつに殺されるのか?
 そう、思った。大して楽しみでもなかったドラマの続きが気になった。そんなくだらないことよりも、大切なことはあるはずなのに、特に思い浮かばなかった。死ぬ直前には今までの人生が走馬灯のように駆け巡るなんていうけど、そんなの嘘だと思った。大体、死ぬ直前に見たことを、一体どうやって人に伝えるっていうんだ? そんなことは不可能だ。もし、誰かに伝えることができるような余裕があるのなら、それは死ぬ直前ではない。よく、臨死体験をして……、なんていうのも聞くが、それだっておかしい。本当に死んでないのだから。どう考えたって矛盾だ。
 世の中すべてが矛盾だ。
 そんなセンテンスが浮かぶ。死ぬ間際に何を考えているのだろうか? くだらない。もっと、世界人類のことを考えたほうがよいのだろうか? それじゃあ、まず世界とは何かを定義しなくては。そして、いったい何を思う?
 刹那が那由多に感じられた。永遠に、終わらない、夢。無限に、続く、世界。
 自然に、目を閉じた。
 しかし、終わりは、来なかった。
 ふっと、体にかかる負荷が消える。支えを失った体が崩れ落ちる。一気に空気が入り込んできて、むせ返る。闇のにおいが肺に充満する。
 恐々と目を開く。目の前には、一人の男が立っていた。全身を黒に包んだその男は、あのイッたやつを喉に突き立てた腕一本で支えていた。そして、それを放る。紙細工のように簡単に飛んでいく。しかし、一瞬で体勢を立て直したジャンキーは男のほうへと突進してきた。いつの間に出したのか、鋭いナイフが彼のほうに伸びる。しかし、ナイフは彼を貫くことはなかった。霞のように突進をかわした彼は、右手をふっと動かした。時期外れの黒いロングコートがふわっとひらめいた瞬間、ジャンキーが吹き飛んでいた。何とか立ち上がるものの、やつがやられかけているのは、明らかなことだった。両者の力の差は、火を見るよりも明らかだった。男はいつのまにか銀色に輝く長刀を携えていた。そして、何かの前に立ちはだかり、その刀を高く、真上に掲げ揚げた。朧な月明かりが、刀身に煌く。次の瞬間、彼の前には、真っ二つにされた体が転がっているだけだった。
 彼は、こちらを向いた。血塗られた剣をその手に持ったままだった。思わず後ずさろうとするが、すぐに背中が塀にぶつかる。先ほどは感じなかったもの――恐怖、絶対的なものに対する畏怖、無限のに対する有限の無力感、それを感じた。
 右手に血刀を掲げたまま、左手がこちらへと伸びてくる。避ける間もなく、手のひらが額に押し当てられる。いったいどうされるのだろうか? このまま、その血を吸った刀で首を切られるのだろうか?
「あなたは、何?」
 思わず、尋ねていた。
「私か? 私は、夜を歩く者。罪を犯せし者。そして、それを償いし者」
 期待していなかった答えだった。全くわけがわからない。
 何も分からないまま死んでいくのだろう。どこまでいっても、すべて理解できることがないとしたら、もしそうだったら、何も分からないまま死んでいく方がいいんじゃないだろうか?
「おまえは、生きろ」
 そう言った彼の顔は、とても優しくて、悲しくて、切なくて、恐ろしくて、いろんな感情が入り混じっていて、ああ、この人は神だ――、そう思った。
 意識が、薄れていった――。





I will say "Hello Mr.Night Walker,and good bye".is over.