雪とコーヒーと僕と彼女の温度
霧越カズト
ありえない、と思った。
深々と雪が降り、モノの芯から冷え切っていくような、冬の夜。
そんな中歩いてきたんだから、暖かい――というよりも、熱いくらいの飲み物のほうが身体が温まっていいだろうと用意したコーヒー。しかもちょっと奮発して買った、とっておきの豆。こともあろうに、それを――
「あーッ、何でコーヒーを冷蔵庫に入れるんだよおぉっ!?」
あっさりと冷蔵庫に入れやがった。なんて奴だ。彼女と付き合って半年ほどになるが、こんな仕打ちを受けたのは、初めてだ。
「だって、熱いんだもんっ」何事もなく言い放つ。
「あー? そりゃ熱いだろうさ。熱いの淹れたんだから。それを冷蔵庫になんて……」怒りのあまり、言葉が続かない。
「だってだって、熱いの苦手なんだもん」彼女に、全く悪びれた様子は見えない。
「熱いの苦手だってなぁ、いくらなんでも冷蔵庫に……」
「猫舌さんなんだもん」にゃあ、と猫の真似。みみとしっぽをつけたら良い感じ。
――いや、そうじゃなくて。
「人のせっかくの好意を……、殺るぞ?」
「わ、そんなこと言わないでよ。もう、しょうがないなぁ」あはは、とごまかし笑い。
「でもさ、私が猫舌だって言ってなかったっけ?」ちょっと不満そうな顔。舌だけでなく、表情まで猫といっしょで、ころころと移り変わっていく。
「あ、そういえば――聞いていたような……」この前いっしょにお昼を食べた時にそう言っていたのを思い出した。
「もうっ、どうしてそういうこと忘れるのぉ? ひどいね」くすん。
「い、いや、ひどいって言われても……」
「私のこと、嫌いなんだね」軽く俯き加減で、拗ねた声。
「嫌い、じゃないけど……」
「ほんと?」潤んだ目で、覗き込むように僕の顔を見る。
「ほんと」
「ほんとに私のこと嫌いじゃないの?」上目使いで尋ねてくる。
「嫌いじゃ、ない」僕は、その目に弱い。
「それじゃ、私のこと、好き?」猫のように、するりと身を寄せてくる。
すぐ近くに、彼女の体温を感じる。
僕の答えを待つ彼女の呼吸を感じる。
何の疑いを持つこともなく僕を見つめる視線を感じる。
「好きだよ」僕は素直に答えた。
「だったら、忘れたの許してあげる」そう言って、彼女は微笑んだ。
勝利を得た彼女は、堂々とした態度でコタツに入る。ふにゃあ、と蕩けたような顔。彼女の前世は、絶対に猫だったと思う。
「ん〜、しあわせー」心からしあわせそうな声で言う。
「でも、冷蔵庫に入れるのはひどいと思うぞ」その恨みは忘れない。
「――確かに、ちょっと悪かったかな」彼女は、そう言ってコタツから這い出し、冷蔵庫からマグカップを取ってきた。
いくら冷蔵庫の中に入っていたとはいえ、元々とても熱かったコーヒーは、微かだけれど湯気を立てていた。
冷たかったマグカップが、じんわりと室温で暖められる。
彼女が、一口褐色の液体を口に入れる。
「……あったかい」
「ぬるくなってるだろ?」
「ううん、あったかいよ」しあわせそうな笑顔。
「淹れなおしてやるよ」
「いいよ、私には良い感じだから。それにね……」すっと言葉を止める。
「それに?」
「あなたが淹れてくれたから、おいしいの」そう、続けた。
冷たい雪が降りつづける街。
どうかこの雪が、幸せを運びますように。
"Snow for you" is over.