「アイス食べたい〜・・・。」

  「またかよー。お前、そればっかじゃん。ちょっとはメシも食えよー。」

  「やーだー・・・いらない。」

  「えーい、ガキか、お前は! 医者だろ!」

  ピピ、と体温計が鳴り、斗岐は呆れた声でそう言いながら、ベッドの中でぐったりしている和歌から、それを受け取った。

  「うわー・・・すげーな、コレ。凄まじい熱・・・。」

  「もーむりー・・・つらいんだけど、もはや体のドコがつらいのかすらわかんないわ・・・。」

  「だろーなー・・・。」

  斗岐はため息をついてベッドの縁に座り、鼻声でもごもごと喋る和歌の頬を片手で撫でてやる。

  ベッドとは反対の壁際に置かれたテレビからは、前世紀のものじゃないか、と思われるほど古い映像の、再放送の幼児番組が流れている。顔面がパンでできているヒーロー、という、なかなか奇抜な発想のアニメである。

  「・・・・・・テレビ、消すか?」

  「つけといて・・・・・・それ、けっこうおもしろいから。何せ、愛と勇気だけしかトモダチいないのよ、そいつ。」

  「お前、結構、幼児番組好きだよなー・・・・・・。」

  昔から、と言いかけて、斗岐は口を噤んだ。

  昔の話はしてはいけない。特に、二人だけの空間に限っては。

  「ユイたち・・・うまくやってると思う〜?・・・」

  「・・・あ? ああ・・・大丈夫なんじゃねーのー?」

  ふと我に返り、斗岐は顔を上げ、慌てて返事を返した。

  斗岐たちCチームの出番は、3チームの中で一番最後である。最も早く出番のきたユイに、インフルエンザにかかった和歌の様子を見に行ってくれと頼まれ、斗岐はここにいる。

  もっとも、化粧をしていない姿を見せるのを和歌が嫌がったため、なんとかなだめすかして家に入るのに、3時間以上もかかってしまったのだが。

  確かに、和歌の素顔は、最近の化粧品の品質のよさを十分に立証していたが、正直言って、斗岐はあまり驚かなかった。

  昔、和歌の化粧が今よりずっと薄かった頃。

  その頃の顔と、そう大差なかったからだろうか。

  まあ、それからここ数年、どんどん彼女の化粧が濃くなっていった様子は、もはや進化の過程と言っていい。それほど変わった。

  (・・・性格も、えらく変わったしなー・・・。)

  苦しそうに呼吸をしながら、それでもなぜか真剣にアニメを見続ける和歌の顔を見つめつつ、斗岐は久しぶりに、昔の・・・B−21を出たばかりの頃の彼女を思い出していた。

  今と昔、どちらの彼女がいいか、と言われれば返答に困るのだが。

  (・・・思えば、あの頃の俺らは・・・痛かった。)

  そう、『痛かった』。

  今思い出しても、和歌と恋愛関係にあった数ヶ月間、あまり楽しかった憶えはない。

  それは、斗岐にとって、激しい痛みを伴う関係であったからなのだろう。

  恐らくは、和歌にとっても。

  「ねえ。」

  唐突に伸びてきた手に腕を引かれ、斗岐の思考は途中でストップした。

  「何だよ、アイスは買ってこねーぞ。」

  「・・・思い出してたでしょ。」

  高熱を感じさせる吐息混じりに、和歌はそう言って、斗岐の目を見た。

  一瞬戸惑うが、斗岐はいたって平静を装い、間近に迫った和歌の熱に浮かされた顔を見返した。

  「何を?」

  和歌は笑って、斗岐の腕を掴む手を離した。

  「・・・また、あたしを殺したくなるんじゃない?」

  一瞬、斗岐の表情が強張ったのを、和歌は見逃さなかった。低い声で、呟く。

  「・・・いいけど。次は、最後まで力を抜かないことね。」

  斗岐はそれを聞きながら、無意識のうちに、和歌の白い首に視線を移す。そこに、くっきりとついたどす黒い痣を見たような気がして、斗岐は目を逸らした。

  和歌は、そんな斗岐の反応を見ながら、声を上げずに笑っていた。

  普段、昔の話を極力避けようとする和歌がこんなことを言い出すのは、やはり熱に浮かされているせいなのか。

  「・・・・・・もう、寝ろよ。」

  斗岐は目を逸らしたまま、リモコンでテレビの電源を切った。

  「嫌よ。あんたがアイス買ってくるまで、絶対寝てやんない。」

  先程までの視線の鋭さを、まるで猫が爪を引っ込めるかのようにどこかに隠し、和歌はいつも通りに笑ってみせた。

  「・・・・・・。」

  一体、どこからどこまでが本気なのか、どこからどこまでが冗談なのか。

  掴みどころなくコロコロと変わる彼女の視線の色に、斗岐は困惑して頭を掻いた。

  「・・・わかった。買ってきて冷凍庫に入れとくから、お前は寝てろ。」

  「ホントかしら。起きてアイスなかったら、真夜中だろうが任務中だろうが買いに行かせるわよ。」

  斗岐の困惑をよそに、和歌は疑り深げに一言そう言い放ち、それでも一応、ごそごそと頭までベッドにもぐっていく。

  「カードキーはー?」

  そういえば、と、この部屋がオートロックであったことを思い出し、斗岐は部屋の中を見回した。それらしきものが見当たらず、ベッドの方へ視線を戻すと、掛け布団の中からくぐもった声で返事が返される。

  「・・・・・・玄関にある。合鍵とか作ったら殺すわよ。」

  「作るか!」

  「・・・先に禁止しとかないと、あんたは突発的に予想外の行動をしてくれるからね。」

  「どーいう目で俺を見てんだ、お前はー!」

  「もー、うるさいわね。頭に響くから、でかい声出さないでよ!」

  そう言う自分の声のほうが大きいことに気付いていないのか、和歌は布団から顔だけを出し、うるさそうに顔をしかめた。

  「さっきよりは元気そーに見えるな。」

  先程テレビを見ていた時と比べ、呼吸も少し落ち着いた様子の和歌の顔を見ながら、斗岐はそっと、その黒い髪を撫でた。

  こうして触れてみると、和歌の髪はその深い色味のわりには柔らかい。

  指先に触れるその感触は、いつも、斗岐の意識を過去へと引き戻そうとする。

 

  甘く柔らかな栗色の髪。よく動く生意気そうな瞳。

  斗岐の脳裏を過る、今はもう触れることの叶わぬ少女の幻影。

 

  「・・・あんたといると、無駄に体力遣っちゃう気がする。」

  「そーだなー。ちょっと喋らせすぎたかー?」

  疲れたような声で呻く和歌の声に、斗岐は笑った顔を作りながら、彼女の髪を撫でる手を止めた。

  熱を持った彼女の赤い頬に軽いキスを落とし、斗岐はベッドから立ち上がる。

  「じゃ、俺はアイス買いに行くからー。寝てろよ。アニメとか見るなよー。」

  「見ないわよっ。」

  口付けられた頬を手の甲で拭いながら、和歌が甲高い声で言い返す。

  その声を背中で受けながら、斗岐は部屋のドアを開け、同時に壁のスイッチを押して部屋の灯りを消した。

  「おやすみ。」

  カーテンの隙間から注ぐ陽の光に頼り切った薄暗い室内を振り返り、斗岐は一言、そう言って手を振った。

  掛け布団に半ば顔を埋めた和歌は、斗岐に向けて手を振り返しはしなかったが、おやすみ、と小さく呟いて、静かに目を閉じた。

 

 

  「・・・・・・。」

  音を立てないように扉を閉め、斗岐はその場に立ったまま、深く息を吐いた。

  (・・・・・・最後まで力を抜くな・・・か・・・。)

  ぼんやりとした目で、斗岐は無意識のうちに自分の開かれた両手を見つめる。

  (・・・あの時、和歌が死んでたら、俺は今ごろ、どうしてたかな・・・・・・。)

  開いた手の中に甦る、人を殺す瞬間の感触。

 

               あたしを殺して

               あいつを殺して

 

  塞いだ耳梁に何度も木霊する、二人の少女の囁く声。

  閉じた瞼の奥に映る、栗色の髪の少女の最期の姿。

  「・・・・・・沙岐・・・。」

  斗岐は小さくその名を呼び、静かに目を開けた。

  静まり返ったリビングの静謐な空気に、斗岐の口から漏れた少女の名前は染み入るように溶け、やがて無に返る。

 

              あいつを殺して

 

  歩き出した斗岐の耳元で囁かれる、甲高い少女の声。

  いつまでも消えることのないその囁きを打ち消すように、斗岐は軽く頭を振り、歩き出した。

 

 

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