栗色の柔かい髪を梳かしたら、どこかで嗅いだような花の香りがした。

  冷たい床に座り込んだ沙岐に適当な言葉を掛けながら、俺は、ゴムやピンを駆使して複雑に留めてある沙岐の髪を、少しずつ解いていく。

  ・・・にしても、兄妹だってのに、なんでこんなに髪の色が違うもんなんだ? 顔は似てんのに。

  俺も親父もお袋も、姉ちゃんも、もう一人の妹も、みんな髪は黒かったってのに。

  両親が離婚した時、お袋が沙岐だけ連れて出て行ったのは・・・やっぱそーいうコトか?

 ま、 今となっちゃ、確かめよーもねーし、どーでもいいけど。

  「ねえ、お兄。」

  「んー?」

  沙岐はここ最近、なんか微妙に元気がない。

  食堂の一件から、何度か和歌や和歌の弟と鉢合わせになったり、俺と和歌が喋ってるとこを沙岐に見られたことがあったけど、沙岐はせいぜい相手を睨むぐらいで、別に手を出そうとかはしなかった。

  最初は、和歌が敵わない相手だってわかったからかな、とかって思ってた。

  けど、ここ一週間、うるせーぐらい喋り好きだった沙岐とは思えねーぐらい口数が減って、ボーッとしてる事が多くなってきた。食欲だって、目に見えて落ちてきてる。

  今日なんかコイツ、訓練中までボーッしてたもんだから、今日、とうとう教官に右腕を撃たれた上に殴られちまったぐらいだ。

  「大人になるって、楽しいかな。」

  「何だそれ、いきなりだなー・・・?」

  沙岐は、撃たれた右腕をさすりながら、壁に掛かったホワイトボードの予定表に目を遣って、ため息をついた。

  「私たち、ここで大人になんのかな?」

  ・・・変だ。  おかしい。

  沙岐がこんな感傷的な声出すなんて、聞いたことねーよ! うわ怖ぇ。

  俺は、沙岐の髪を梳く手を止めて、気持ち引き攣った声で、一応無難な返事を返す。

  「あ・・・あー、まー生きてりゃ、歳とるからなー。」

  「・・・・・・。」

  「何だ、お前ー? なんか変だぞ、なんかあったかー?」

  なんか難しい顔して黙っちまった沙岐に、俺は首をかしげた。

  「最近、お前、変じゃねー? どっか悪りーのかよ?」

  「・・・別に。」

  沙岐は、ホント蚊が鳴くみてーな声で呟いて、立ち上がった。

  櫛を持ったまま行き場を失った俺の手をそのままにして、沙岐はその茶色い猫っ毛を片手で軽く梳いてから、サッサと自分のベッドに潜り込む。

  「何でもないわよ。」

  「・・・・・・。」

  向こうを向いて寝る体勢に入ってしまった沙岐の姿を眺めながら、俺はもう一度、首を傾げた。

  やっぱ、何かあったんだろーか。

  「・・・なら、いーけど。」

  俺は、手に持ったままだった櫛をベッドの横に置いて、狭い部屋の入り口にある電気のスイッチを押した。

  ドアの上の鉄格子から入ってくる光で薄暗い部屋の中、俺は電流の流れるドアに触らないよーに気をつけながら歩いて、自分のベッドに腰掛ける。

  「・・・なんかあったら、言えよ?」

  「・・・・・・。」

  寝たふりでもしてるつもりか、何にも言い返してこない妹をしばらく見てから、俺も自分のベッドに横になって、毛布にくるまった。

  ・・・まあ、沙岐ももう13、世間で言えば中学生・・・思春期ってヤツなわけで、なんかいろいろと男兄弟には理解できねー悩みもあるんだろーな。

  男の俺がどんだけ考えたところで、乙女ゴコロなんてモンは理解不能な感情だし。

  明日、和歌にでも訊いてみるか?

 

  ・・・と、ここで、俺はふと我に返る。

 

  「・・・うーん・・・。」

  ・・・はー、やっぱ俺って兄貴なんだなー・・・。

  こんなクソ生意気な妹でも、どーやら俺は心配してるらしい。

  きょうだい4人揃ってた時は、この沙岐のことが嫌いで嫌いでしょーがなかったモンなんだけど・・・。

  不思議なもんで、昔はそんなに嫌いだったってのに、今はやっぱ、護ってやりたいって、そー思う。

  死んだ一番下の妹と、もういない姉ちゃんの分まで、とか、代わりに、とかじゃなくて。

 

  ・・・今夜は、デブの担当官に呼び出されてねーんだろーか。

 

  「おやすみー。」

  そう声を掛けたら、沙岐はホントに寝かかってたのか、不機嫌そーな声で一言、オヤスミ、って返してきた。

  ・・・やっぱ明日、和歌にそれとなく聞いてみよ。

  俺は、軽く腹の底から息を吐いてから、ゆっくり目を閉じた。

 

  何にも聞こえない、静か過ぎる研究所の夜。

  ――今夜は、脱走者を知らせるサイレンも鳴らない。

 

 

 

 

  「――てなわけでさー、妹がヘンなんだよなー。」

  「・・・だから?」

  「うわー、氷点下。」

  和歌の返事は、超冷たかった。

  「お前なー、それが意見を仰ごうとしてるヤツに対する態度かー?」

  俺は、和歌の腕に包帯を巻くのを手伝いながら、呻くみたいにして抗議する。

  和歌はっていうと、俺の言葉を聞いてんのか聞いてねーのか、涼しい顔して、空いた片手に持ったタオルみたいな布で濡れた髪を拭いていた。

  「完了ー。」

  包帯の端を金具で留めて、軽くその部分を叩いてやる。痛かったのか、一瞬、和歌がきつい目で俺を睨んだ。

  「・・・・・・乙女心を語れって?」

  「いや。」

  俺は、狭い部屋の中にある、彼女の弟のベッドに腰掛けながら、即座に否定した。

  「俺の目の前で堂々と服脱げるヤツに、そんなモンは期待してねーのー。・・・いーから、お前は服を着ろ。」

  相変わらず堂々と下着姿全開の彼女に指定ワンピースを投げつけて、俺は余った包帯とガーゼ類を箱に戻し始める。

  特に何も反論らしいものもなく、和歌は黙ってそのワンピースを頭から被った。

  「あのさー、お前、あんまそーいうコトすんなよー?」

  今日、俺は自分の訓練が終わってから、和歌を探して研究所中を歩き回った。

  いつものことっつーかなんていうか、今日も今日とて試合帰りの和歌を探し回った俺は、晩になってよーやく、南の端のシャワー室前で彼女を捕まえた。大した怪我もなさそーだったもんで、バカ込みの医務室から包帯とガーゼと薬を何個かもらって、彼女の部屋で話をすることにしたわけだ。

  ・・・にしても、脇腹と背中にガーゼを貼る、とか言ってイキナリ脱ぐ和歌は、女としてどーなんだろーか。

  まー、イキナリのストリップにすら全くドキドキできねー俺も、明らかに男としておかしーと思うんだけどな。

  「あー、何が訊きたいかって訊かれても上手く言えねーんだけどー・・・。」

  「・・・出直して来い。」

  「すみません、今整理しました。思春期特有の女性の悩みとかあったら教えてください。」

  「・・・特有の・・・?」

  大分へりくだってみた俺の質問に、和歌は片手の人差し指を顎のへんに当てながら、眉根を寄せた。

  「・・・っていうか、沙岐が俺に言いにくいってことは、お前も―――」

  「生理でも始まったとか。」

  たぶん言いにくいよな、って言おうとしたら、恥じらいのカケラもない言葉で遮られる。俺は、不覚にもちょっとひるんで目を逸らしてしまった。

  ・・・そーか、そーゆーヤツだよな、コイツは。

  クソ、こっちが恥ずかしーっての。

  「あー・・・それは、だいぶ前にあった、と思う。・・・たぶん。」

  急に歯にものが挟まったよーな言い方をした俺を、和歌は実に気持ち悪そーな目で見ながら、軽く首を傾げた。

  「・・・照れるな、気持ち悪い。・・・あんた童貞?」

  さらり、と、まるで『昨日の晩メシ何食った?』とでも訊くかのよーに、和歌は表情を変えねーまま、そんなことを訊いてきた。

 

  ・・・あのー、こーいうのって、普通?

  最近の13歳は、普段こんな会話してんですかね・・・?

 

  内心動揺した俺だったけど、一応、

  「違いますよー。」

  って言っておく。

  ・・・相手が必ず女じゃなけりゃカウントされないってんなら、話は別だけど。

  「・・・・・・やり方がわからないから、何もして来ないのかと。」

  「よく喋るよーになったじゃねーか、このマセガキが。」

  と、ここで、俺は逸れた話題を元に戻そーと、片手をぱたぱた振って立ち上がり、また和歌の隣に座った。

  「ってか、ンな話はどーでもいーんだってー。何か他にねーのー? なんつーかさぁ、沙岐のヤツが大人しーと、気持ち悪りーんだよなー・・・。」

  「・・・それは・・・もしかすると―――」

  和歌が何か言いかけた、ちょうどその時。

  ノックの音もなく、ゆっくり部屋の扉が開いた。

  「・・・NO.358・・・だったか? 何をしてる?」

  俺と和歌が同時に振り返った先には、怪訝な顔で入り口に立つ、白髪混じりのジジイ。

  いや、ジジイに片足突っ込んだオッサン、って感じのトシか?

  ともかく、俺はソイツに見覚えがあった。

  「・・・・・・上牧所長・・・。」

  なんでコイツがこんなトコに?

  「・・・別に何も。」

  和歌が立ち上がって、冷たい声で言った。

  「話をしていただけです。」

  上牧は、和歌と俺を胡散臭そーな目で交互に見てたけど、ちょっとして、急に柔和な笑みを浮かべて話し掛けてきた。

  「そうか。たまにはそういうのもいいだろうね。私は和歌に用があったんだが、」

  俺は、そのいかにも『人のいいオッサン』風の笑みを、本能的に『気持ち悪い』と感じた。

  お気に入りのオモチャを大事にするのと同じ、そんな目で和歌を見てる。

  和歌の『相手』はコイツだったのか、って、俺は一瞬で悟った。

  「また後にしたほうがいいね。」

  用事だと? このクソジジイ。

  そんなにヤリたきゃ、勝手に一人でヤッてろよ!

  俺は、かなり本気で気分が悪くなって、思わず上牧を睨んじまった。

  「・・・すぐ行きます。」

  和歌が、ものすごく無感情な声でそう言うと、上牧のヤツはまた『優しげな』笑みを浮かべて、二回、頷いた。

  「すぐでなくとも、来れるようになったら来なさい。」

  「・・・・・・はい。」

  静かに、何の音も立てないで、扉が閉まる。

  和歌はまるで人形みたいに、表情を凍りつかせたままで冷たい床に立っったままだ。

  なんとも言えず微妙な、できれば顔を合わせたくないよーな気まずい空気に、押し潰されそーだった。

  「・・・用ができたから、今度。」

  沈黙を打ち破って、和歌が俺にそう言った。

  「用ってなぁ・・・お前・・・。」

  顔を合わせよーとしないまま、ドアに向かって一歩踏み出した和歌の手を、俺は掴んで止めた。

  行き場のない、モヤモヤした嫌な気持ちが、俺の胸の中でグルグル回ってる。

  「行くなって、そんなもん。あんなジジイにヤラせんのか?」

  「・・・悪い?」

  「気分が悪い!」

  ヤバイ、おかしい。

  コントロールしてるつもりだってのに、感情も言葉も思う通りに出てこない。

  俺は焦って、顔を下に向けた。

  「・・・あなたに関係ない。」

  二人称が、『あなた』に変わる。

  和歌の言葉が突き刺さるみたいにして、俺の耳に響いた。

  「ここでお前を行かすと、俺が気分悪いんだよ。」

  高い声が出ない。

  こんなに低い声で喋るつもりなんてねーのに。

  「お前、『優秀者』だろ。ジジイの相手なんかすんな。」

  ンな事しなくたって、生きていけるクセに。

  連戦連勝の『優秀者』なら、ジジイに身売りなんかしなくったって勝ち抜いていけるだろーが。

  沙岐みてーに、弱い相手を用意してもらう必要もねーくせに。なんでジジイに媚売る必要がある?

  「あなたの妹は弱いから、デブとヤッてても何も言えない?」

  ふん、と鼻で笑いながら、和歌は吐き捨てるみたいに、そう言った。

  和歌が怒ってるのが、手に取るよーに理解る。今までにないぐらい饒舌に、人の一番痛いところを突いてくる。

  「・・・・・・。」

  思わず、和歌の手首を掴む手に力が入る。骨が軋むみたいな音が聞こえた気がした。

 

  ヤバイ。

  感情に押し潰されるな!

 

  「妹のことは見て見ぬフリしかできないクセに、他人に指図?」

  「・・・・・・ッ!」

 

  パンッ、って、やたら耳に残る音がした。

  和歌の言葉に重なるみたいにして、部屋中に響くぐらい、でかい音。

 

  気が付いたら、俺の目の前に和歌の顔があった。

  いつの間にか立ち上がってる俺と、手の平に残る、じんとした熱。

  ガーゼを貼らなかった和歌の左頬の傷が開いて、血が滲んでた。

  ――ああ、そっか。

  殴ったのか、俺・・・。

  「・・・・・・。」

  試合以外で、女を殴ったことなんてなかった。

  むしろ俺の方がそのことにびっくりして、無言で少し目を伏せた和歌の顔を、俺は直視できなかった。

  「・・・あ・・・俺・・・・・・」

  上手く言葉が出てこなくて、それでもなんとか声を掛けよ―と口を開いた俺を、和歌は見ようとしなかった。

  「・・・・・・ごめん。」

  どーしたらいいのかわからずに、自分が殴った和歌の頬に手を伸ばす。けど、彼女は少し横に動いて、その手を避けた。

  「・・・・・・。」

  「――・・・妹を守りたいなら、」

  「―――え?」

  不意に耳に届いた和歌の言葉に視線を上げたら、視線を逸らしたままの彼女の眼は、ゾッとするくらいに鋭くて、冷たかった。

  「死んでも離すな。あなたが思う程、物事は単純じゃない。」

  行き場を失った手を所在なく空中に置いたままの俺に、和歌は抜き身の刃みてーな、冷たく澄んだ声音で続ける。

  「――・・・ひとりで生きていけない人間の人生を背負って生きる事は、そう生易しいものじゃない。身代わりに死ぬか、それが叶わないなら自分の手で殺すくらいの覚悟がなければ、人は護れない。」

  コイツは、一体何を言ってる?

  俺は、じんわり痺れる手の平の熱と、和歌の鋭い口調に圧倒されて、何も言えないまま、ただ立ち尽くした。

 

  死んでも離すな・・・・・・って、沙岐の話かよ? なんでそんな・・・?

  身代わりに死ぬ? なんで今、そんな話・・・?

  俺にはわからなくて、和歌にはわかる事?

  彼女は一体、何が言いたい?  俺に、何を警告してる?

 

  何言ってんのかわからない、理解できない。けど、自分の中で何ともいえねーデッカイ不安が頭をもたげてるのだけは、嫌になるくらいハッキリ理解できた。

  「お、おい、それってどーいう・・・?」

  「妹を、離すな。」

  言われてることがわからなくて話を止めようとした俺を制するみたいに、和歌は伏せた顔を上げて、吸い込まれそうに深い漆黒の瞳で、俺の両眼を射抜いた。

  その冷たく凍りついた目に見つめられて言葉が出なくなったのは―――たぶん初めてじゃない。

 

  「――わかったら、消えろ。」

  蔑んだみたいなそのセリフが、やけに胸に突き刺さって、痛かった。

 

 

 

 

  「へー、最っ高じゃん。あの女にビンタ?」

  俺の話を聞くなり、沙岐は満面の笑みを浮かべながら、手を叩いて喜んだ。

  もちろん話題は、昨日の晩の事。俺が和歌を殴った時の話。

  何の話をしてて俺がキレたかまでは言ってねーけど・・・俺自身、初めて女の子の手ェあげたって事に動揺して、どーもその事を誰かに打ち明けねーと気が落ち着かなかった。

  俺って、小心者?

  「最低だっつーのー・・・・・・。あー、俺って、キレたら手ェ出んだな・・・初めて知ったー・・・。」

  ・・・いや、違う。

  そんなことじゃねーんだ。

  俺が落ち着かないわけは、もっと別なトコにあんだから。

  「はぁ? 何言ってんの!? しょっちゅう私のこと叩くクセに!」

  「そ・れ・は! お前が言ってもわかんねーバカだからだろー。・・・だいたい、同じ叩くでも、身内と他人じゃ違げーんだよ。」

  テーブルに肘をついたままで言い返した俺の言葉に、沙岐は少なからずムカついたよーで、面白くなさそーに口を尖らせてみせる。

  「バカって何よ。自分は筋肉バカのクセに。」

  「・・・どーいう部類のバカだ、それは。」

  半眼で見返した俺に、沙岐は本っ気で意地の悪そーな表情をした。

  「物壊すしか能がないってことじゃん。ってか、お兄さぁ、絶対恋人とかにDV(配偶者間・家庭内暴力)しそう〜。やだー、妹じゃなくたって、絶対付き合いたくない。ってか、男同士のDVとか、絶対見たくないし。」

  「・・・・・・。」

  そりゃありがてーな。俺だって、テメーなんか死んでも願い下げだぜ!!

  それにしても、勝手な事をペラペラ言いまくってる今日の妹は、ここ最近にしては珍しく、ちょっと明るく見えた。

  って言っても、今朝起きた時から午前中の射撃訓練が終わるまでは、昨日までと同じくどーにも元気らしいものがなくて、やっぱりしょっちゅう考え事してるみてーな感じだった。

  今、ちょっと生意気な事言ってるのも、もしかしたら、ただ単にたまたま自分の興味のある話が出て来たから、ちょっと乗ってきただけかもしんねーけど。

  そうじゃなくても、俺が何回も『何かあったか?』って訊いたから、とりあえず強がってみせてるだけかもな。

  「・・・・・・沙岐、そーいやお前、今から『試合』かー? こんなトコでダラダラしてていーのかよ?」

 

        妹を離すな

 

  一瞬、昨日の和歌の言葉が頭ん中を通り過ぎる。

  「うっさいなぁー、もう行くわよ。お兄は? また訓練?」

  大げさにうるさそうな顔で訊いてくる沙岐に、俺は軽く首を横に振った。

  「俺? いや、検査ー。結果によっちゃ、また改造。」

  「げ、また馬鹿力度UP? そんじゃ、夜中までかかるかもしんないじゃん。」

  「そーかもなー。先に寝とけよー。」

  「そんなの、待つわけないでしょ。じゃ、行くから。」

  俺は別に、寝ないで待ってて欲しかったわけじゃねーけど、沙岐はびっくりするぐらい醒めた表情で冷たく言い放って、立ち上がった。

  ・・・試合か・・・・・・。

  まあ、コイツの場合は勝てる相手としか当たらねーから、大丈夫だと思うけど。

  けど、まだ教官に撃たれた右腕の傷が癒えてないのと、最近のコイツの落ち込んだ様子が、気掛かりっちゃ気掛かりで。

  それに―――昨日、和歌にあんな事言われたもんだから、なんとなく胸ん中も晴れてくれねーし・・・・・・って、ビビッてんのか、俺?

  「ああ・・・じゃーな。」

  「先に寝るけど、」

  沙岐は、歩き出した足を止めて、ちょっとだけ俺のほうを振り返って、素っ気無い口調で言う。

  「晩ごはん、取っといてあげてもいーよ。」

  「・・・え・・・?」

  おいおい、今、なんか優しげな事言ったか、コイツ!?

  あまりに珍しすぎるその態度に、俺は思わず面食らって沙岐のほうを見返した。

  「その代わり、タダじゃないわよ! 明日の朝ごはん、お兄の分のフルーツもらうから! じゃーね!」

  自分で言って自分で照れたみてーに、沙岐は、明らかにわざとらしいぶっきらぼうな声音でそう言い捨てて、ぷい、って顔を逸らす。

  何だぁ? アイツ?

  早足でスタスタ歩いていく沙岐の背中を見ながら、俺はその様子に、思わず笑いがこみ上げてくるのを我慢できなかった。

  俺は笑いながら、沙岐の背中に手を振って、一応、サンキュ、って礼を言ってやった。

  タダじゃないって言ってるでしょ! とかなんとか言いながら、素直じゃねー妹は、振り返りもしねーまま食堂を出て、俺の視界から消えていく。

  「照れんなら言うなってのー・・・。」

  俺は笑いながら、沙岐が片付けをサボった食器を自分の食器に重ねて、呟いた。

 

       ――あなたが思う程、物事は単純じゃない――

 

  ふっ、と頭の隅で、あいつが囁く。

  「―――・・・。」

  喧騒にまみれた食堂の中で、あいつの言葉だけが耳梁にこだまする。

  俺はもう一回顔を上げて、沙岐が消えた食堂の入り口に視線を遣った。

 

 

  なんだろう。

  嫌な予感が消えてくれない。

 

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