1.序曲  

 

 彼女が目を覚ますと、そこには、朝の冷気と静けさのみが在った。 

 身を切るような寒さの中、彼女は、上体を起こし、周りを見渡すと、一つ、安堵の溜め息をついて、大きく伸びをする。  空を見上げると、東の空が紅く染まり、海鳥が高い声で鳴きながら舞っている。少しべたつくような、優しい潮風が頬を撫でる。そして薄い霧が、辺りを幻想的に包み込んでいた。 

 彼女が横たわっていたのは、大きな、ゴミでできた丘の上だった。腐った材木、家電製品、ぼろぼろになったタイヤ、果てはジャンクと化した自動車まで、野晒しのまま、山になっている。周りには、そんな山がいくつもあり、なんとも言えない異臭が漂っていた。

 彼女は、しばらく呆然と辺りを眺めていたが、ふと我に返ったように立ち上がり、ゴミの山を慎重に下り、周りの様子を窺う。朝のジャンク置き場には、鉄くずを盗みに来る、貧民層の子供達すら、まだ来ていないようだった。 目が覚めるのが、もう少し遅かったとしたら、今頃、彼女は生きていなかったかもしれない。『WASP』のエンブレムの付いたジャケットを着たまま、もし誰かに見つかりでもしていたら、WASPの軍隊に通報されるか、スラムのゲリラに嬲り殺しにされるか、どちらかだっただろう。

  彼女は、埃まみれのジャケットの胸ポケットから、小ぶりの拳銃とホルダーを取り出し、左の腿、スカートの下に、しっかりと取り付けた。そして、背後のゴミの山に、エンブレムのついたジャケットを突っ込み、歩き始める。

  2015年から、3年間続いた世界大戦は、世界人口を10分の1までに激減させた。殲滅戦とでも言うべきか、誰もが誰かを失った。核や生物兵器の影響で、かなりの面積の土地が、人の住めない場所となった。国ごと消滅してしまった例も珍しくない。

  戦いの後に残ったのは、荒野と化した世界と、何もかもを失った人類、そして、大戦の初期に建造された、いくつかの、ドーム状のシェルター都市だった。

  それらのシェルター都市は『首都』と呼ばれ、核爆発にも耐え得る外壁を持つ、巨大な都市。大戦中、国家の要人達や大企業が、その中で戦いの指揮を執ったと言う。

  2030年、かつて日本と呼ばれた島国にも、一つの『首都』が存在していた。世界中の『首都』と比較しても、最大級の大きさを誇る。その中では、大戦前と同じか、もしくはそれ以上の生活水準と科学技術が保たれている。

  そして、その『首都』の周辺に集まった人々が造った都市が、スラムである。廃墟を利用して造られた都市で、何もかも失った人々が、寄り添うようにして生きている。労働の場である企業も、教育の場である学校も、すべて首都の内部にしかない。生活水準も治安も最悪で、首都内部とは対称的だ。

  大戦後、首都は、五大企業と呼ばれる五つの企業の管理下にある。五大企業は、首都を発展へと導き、独裁的ではあったが、市民に限りない安全と繁栄を提供した。同時に、それは、首都の内部と外部との貧富の差をさらに拡大させたのだが。

  朝の空気はとても冷たく、ジャケットを失った彼女には、この寒さが身に染みた。彼女が、久しく経験したことのない寒さだった。ドームで覆われた首都内では、寒さを感じる事がない。広大なその都市内は、常に、人間が活動しやすい温度に空調が利いていて、夏もなければ冬もない。

  彼女は、寒さで指先が動きにくくなっているのを感じた。これでは、満足に銃も扱えないかな、と危機感を募らせるとともに、ある種の感動をも感じていた。

  彼女は、21年前、かつての首都であった東京で生まれた。物心がついた頃には、例の大戦に巻き込まれ、大戦の終結する前に、首都に迎えられた。それ以降は首都で過ごし、冬の寒さも、夏の暑さも、いつの間にか忘れ去っていた。ドームの内側から、ドームの外壁・・・色のついた透明な壁を通して見た、あのくすんだ色の朝日・・・。

  彼女は、長い夢から醒めたような、不思議な感覚を、自分の中に感じていた。まるで故郷にでも帰ってきたような、ようやく自由になれた喜びを感じていた。一歩間違えば、命をも失いかねない、敵だらけのこの状況下でも、その喜びは変わらなかった。

  ジャンク置き場を出ると、そこには、まるで廃墟のような街並が広がっていた。今、彼女がいる場所は、スラムでは一般的に『五番街』と呼ばれている場所で、スラムの中でも最も人口が多く、七番街まであるスラムの中では、比較的栄えている地域である。だが、治安の方は、お世辞にも良いとは言えない。この五番街は、スラムのゲリラの温床でもあるという。 

 ゲリラとは、スラムに活動拠点を置く、武装テロ集団の事だ。スラムの住民には、首都に対して、憎悪にも近い感情を持っている者が多い。五大企業の独裁下にある首都には、外部の人間が入ることが許されない。豊かな生活が約束された首都に入れず、五大企業に見捨てられたスラムの住民達は皆、貧窮し、環境も治安も悪いスラムでの生活を強いられている。更に、首都内で重大な犯罪を犯した場合、首都から追放される場合がある。そういった犯罪者たちが、スラムでまた、犯罪を犯し、それもまた、治安を悪化させ、人々の生活を脅かしているのだ。そんな中で生まれたのが、スラムのゲリラであり、彼らは、首都の施設の破壊や、首都への輸送物資の強奪など、お世辞にも穏やかとは言えない方法で、首都のやり方に抵抗している。

   (・・・まあ、穏やかじゃないのは、お互い様だと思うけど。) 

 五番街の中心地まで来ると、こんな早朝でも、かなりの人間が通りを歩いていた。今から仕事に向かうのか、パンを片手に歩く、肉体労働者風の男達や、仕事を終えたらしき、派手な化粧の女達。更に、彼らをターゲットにしてか、道端には、いくつもの露店が並び、朝食向けの軽食類を売っている。

  彼女は、そのうちの一軒、新聞を売る露店の前で、足を止めた。

  『WASP内部、謎の爆発』『原因はガス漏れか?!WarShip炎上』どの新聞の一面も、ほぼ同じ内容だった。 

 「お姉ちゃん、買っといたほうがいいよ!あの大企業の研究所が爆発炎上だぜ?!首都内は大騒ぎだとよ。」

  初老ともいえる年齢の店主は、少々興奮したように言う。 

 「情報、早いんですね、内部のことなのに・・・。昨日の夜中だったんでしょ?これ。」 

 「詳しいね。ニュースでも見たかい?何でも、新商品の研究データが、きれいさっぱり灰になっちまったそうじゃねーか。」

  「何を研究してた施設だったんですか?」

  彼女の問いかけに、店主は眉間に皺を寄せ、考えるような素振りを見せた。 

 「・・・さあねぇ、新商品だとか言っても、世界がこんな状態じゃ、本当は何を造ってたっておかしくないからな。悪名高いWASPのことさ、本当は何を研究してたのやら・・・。」

  「・・・ありがとう、一つもらいますね。」 

 彼女は、代金と引き換えに新聞を受け取り、それの一面を開きながら、再び通りを歩き出す。

  『研究所半焼、女性一名行方不明』  その新聞の一面の見出しは、そんなタイトルだった。

      

 

               

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