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LOVE JUNKY
ピーンポーン
少なくとも、世の中の幼稚園児くらいは寝静まっているであろう時間、つまり真夜中。
突然、静かな水無瀬家に、ドアチャイムが鳴り響いた。
こんな夜中に、と不審に思いつつも、ユイはリビングのソファから立ち上がり、壁面に取り付けられたモニター付きドアフォンの受話器を取る。
「はい?」
しかし、外からの返答はない。モニターを見ても、誰も映っていない。
「ピンポンダッシュ・・・・・・こんな夜中に?」
真夜中に行われたイタズラに少し腹を立てながらも、ユイは受話器を置き、ソファに戻ろうと体の向きを変え、一歩踏み出す。
ピーンポーン ピーンポーン
今度は二回、チャイムが鳴った。
「・・・・・・?」
ユイは振り返り、受話器を取らずにモニターだけを見る。
モニターの映し出す範囲には、人の姿はない。
薄気味悪い感じを憶えながらも、ユイは静かに玄関へと向かい、音を立てないよう注意しながら、ドアの上部の覗き穴から外の様子を伺う。
「誰もいない・・・。」
ユイは首を傾げて、ドアから体を離し、リビングへ戻ろうと歩き出す。
「気持ち悪いなぁ・・・。」
こんな時に限って、不審者撃退には仲間内でも定評のある怪力娘、つまり姉の和歌は留守である。
ガチャ
と、背後でドアノブが回る音がした。
さすがに心臓が止まるかと思うほど驚いたユイだが、慌てて後ろを振り返る。
ガチャ ガチャガチャガチャガチャガチャ
ユイが見ている前で、ドアノブが激しく何度も回され、耳障りな音を立てる。
鍵が掛かっていて開かないドアを無理矢理開けようとでもしているのか、時折、ドアを蹴り付けるような音までする。
その様子に、ユイはさすがに恐怖を憶え、息を呑む。
「誰だよ!!」
ドアには近づかないまま、ユイは、ドアの外にいるはずの何者かに向かって怒鳴った。
すると、唐突にドアノブの回転が止まり、静寂が訪れた。
ユイは、恐る恐るドアに近付き、ドアチェーンは掛けたまま、そっとドアを開けてみる。
顔だけを出し、マンションの廊下を見渡すが、そこに人の姿はなかった。
「・・・・・・誰もいない・・・?」
ユイはなんとなく怖くなり、慌ててドアを閉め、しっかりと鍵を掛けた。
「ねーユイー、コンビニでアイス買ってきて。アイス。」
「自分で行け。」
例の事件の翌晩、自室から出てくるなり、妙に甘えた猫撫で声でふざけた頼み事を口走る和歌に、ユイは手元の科学雑誌から目を離すこともなく、即座に冷たい言葉を返した。
が、和歌という女は、その程度で諦めるようなタイプではないらしい。
ユイが座っているソファの背をドカドカと蹴り、自分の方を向かせようとする。
「・・・・・・Cut it out.(やめて。)」
鬱陶しいな、などと思いながらも、ユイは低い声で言い、雑誌を読み続ける。ここで振り返っては、色んな意味で負けなのだ。
無論、ソファごと揺れているため、読みにくいことこの上ない。
それでも、和歌は諦めず、今度は直接ユイの両肩を掴み、がくがくと前後に揺らし始めた。
「Cut it out・・・・・・Cut it out・・・・・・・・・Stop it!!!(やめろ!)」
あまりの揺れに、さすがに雑誌を読むのを諦め、ユイは思わず和歌を振り返って怒鳴りつけた。和歌は手を離し、揺するのを止めたが、特に怯んだような顔はしていない。素早く床に両膝をつき、ソファの背に両腕を乗せて、和歌は少し膨れたような、甘えた表情を作った。上目遣いに、ふざけた事を囁く。
「・・・・・行くの、めんどくさいんだもん。」
「行かないし、その顔別に可愛くない。」
「・・・ちっ。」
またしても即座に反撃を受け、和歌は小さく舌打ちし、次の策を考えるためなのか、急に真顔に戻る。さり気なく、ユイが読んでいた雑誌を取り上げて、もう読めないよう遠くに投げるあたりの周到さが、非常に彼女らしいといえば彼女らしい。
振り返ってしまった時点で、ユイは少々負け気味ではあるのだが、一応の抵抗を試みるため、テレビをつけてみる。そして間髪入れず、和歌がそれを消す。
「っていうか。」
和歌は真顔のまま、首を傾げて言い、そこでなぜか言葉を切る。
「何。」
「若い女の子が、こんな夜中に一人で出歩けるわけないじゃない。」
「なんで?」
「・・・・・・うーん、なんでかしら。痴漢に遭っちゃったり?」
どういうわけか疑問形な和歌の言葉に、ユイは上体をひねるような格好でソファの背に片肘をつき、表情も変えずに言い返した。
「それは大変なことになるだろうね。痴漢の方が。100%病院送りだよ。」
「あーむかつく。いいから行ってよ。」
「いいから、の意味が全然わからないし。」
もはや策すら講じなくなった和歌に、ユイは半眼になって言葉を返す。和歌は、ふるふると左右に首を振り、
「外出んのイヤ。だって、引越しの片付け疲れたんだもん。さっき終わったの。」
「・・・・・・引越しねぇ・・・。」
和歌の主張に、ユイは室内をゆっくりと見回す。
先日、5年間過ごしたJ−302研究所を出た和歌とユイの姉弟は、それぞれ仕事を持つにあたり、新しい家・・・WASPの社員寮に引っ越しをした。とはいっても、広さや間取りは以前の寮と大して変わらず、持ってきたものを前と同じ場所に置けば、それでほぼ事は済んだ。そのため、ユイの部屋と、その他の共用部分が片付くのは早かった。
しかし、片付けが何よりも苦手な和歌に限っては、そうもいかなかったらしい。
ユイは、半眼のまま、和歌を見た。句読点の感じられない、棒読み調子で言う。
「・・・っていうかほとんど僕がやってあげたような気がするんだけどとかそーいうことはあえて言わないでおくよ。」
「言ってんじゃーん。」
「いいから自分で行きなよ。コンビニ近いんだから。」
「えー、もー使えないなぁ。・・・もういい、自分で行く。」
和歌の勝手な言い草に少し不快な気分にさせられたものの、最近にしては珍しく勝利というものを感じ、ユイはホッと安堵のため息を漏らす。
面倒臭そうに立ち上がり、のたのたと玄関に向かう和歌を見送って、ユイは別の雑誌を手に取り、それを広げた。
「あれー?ねーユイー、あんたに手紙みたいなの来てるー。」
玄関から、和歌がユイに向けて呼びかける。
「ここ置いとくわよー。」
「はいはーい。」
後で取りに行こう、と、ユイは適当な返事を返し、雑誌の文字を読み始めた。玄関のドアが開き、閉まる音。続けて鍵の掛かる音が響き、ようやく室内に静寂が戻る。
「最初から自分で行けば早いのに。」
ユイは、ぼそりと独り言をこぼす。一日に何度もある、ああいった和歌のお願い事をいちいちきいてやっていては、いくらなんでも身がもたない。
まあ、言い合いになり、今回のようにユイが勝利するのは稀なことなのだが。
プルルルルルル
突如、電話のコールが鳴った。
プルルルルルル プルルルルルル
和歌が忘れ物でもしたのか、と思い、ユイは受話器を取った。
「はい、水無瀬です。」
『・・・・・・。』
電話の向こうの人物は、何も言葉を発しない。
「もしもし・・・?」
夜中の無言電話に、ユイは昨夜の出来事を思い出し、背筋が寒くなるのを感じた。
『・・・・・・。』
「・・・切りますよ。」
ユイは、嫌な予感を感じながらも、そっと受話器を置いた。その場で立ったまま、しばらく電話を見つめる。
プルルルルルル
「うわ、やっぱり。」
予感が的中し、電話は再びけたたましいコール音を鳴らし始める。
プルルルルルル プルルルルルル
どうしようか、としばらく思案したものの、いつまでもしつこく鳴り響くコール音に耐えかね、ユイは受話器を取った。
「・・・もしもし?」
『・・・・・・。』
やはり、相手は無言であった。
即座に電話を切り、ユイはとりあえず、電話線を抜いて不審者に対抗することにした。
「何なんだ・・・一体・・・。」
頭を抱え、ユイは思わず呻いた。
「あ。」
そこで、ハッと気が付いて、慌てて玄関へと走る。薄暗い玄関を見回し、シューズボックスの上に置かれた手紙を見つけた。宛名しか書かれていない、ピンク色の封筒。切手すら貼られていないそれを手に取り、ユイはその宛名の部分を見る。
ユイ・K・プラムフィールド御中
「御中、ってなんだよ?!会社か僕は!!」
普通に書き間違えている宛名を見て、ユイは思わず一人で突っ込みを入れる。
なんで普通に『様』と書けないんだろうか、などと素朴な疑問を感じつつ、ユイはのろのろと封を開けた。
なんとなく予想はしていたものの、封筒の中を見て、がくっと脱力する。
私の気持ちです
と書かれた一枚の紙。そして、大量の黒い髪の毛。
「あーもー全然わからないよ!あんたの気持ち!!」
ハラハラと舞い落ちる髪の毛の中、ユイは再び頭を抱え、半分苛立ったような呻き声を上げた。手の中の手紙に書かれた一文を読み返し、ユイはそれを思い切り床に叩きつける。
「・・・これって、ストーカー?」
今まで、あえて考えようとしなかった考えを、ユイはとうとう口に出した。
ユイは軽い頭痛を憶えながら、リビングへと戻る。
妙に疲れて、ダイニングの椅子に腰掛け、テーブルに突っ伏し、ため息をついた。その姿勢のまま、しばし考えを巡らせる。
(ストーカーって言っても・・・誰が?)
ユイが今までの人生で深く関わってきた人間というのは、それほど多くない。J−302研究所の元クラスメイト、研究所のスタッフ、所属するシンクタンク(頭脳集団。種々の領域の専門家の集まり)のメンバー、そんなところだ。特に女性で、17歳のユイに対して恋愛感情を抱ける程度の年齢、となると、その数はかなり限られてくる。
とりあえず、相手が男である可能性は、あえて考えないことにする。いくらなんでもそれは怖すぎる。
「うーん・・・・・・でも、1、2回会っただけでストーカーになる人もいるし。」
早く姉が帰ってくることを祈りつつ、ユイはなんとなく室内を見回した。そんなはずはないのに、誰かに見られているような気がする。
ふと、部屋の隅に置かれた、電話線の繋がっていない電話に目を留め、ユイは、あることに気が付いた。
「そうか、着信履歴が残ってるはず。」
ある程度知っている人間なら、家の電話に残った電話番号を見れば特定できるはずだ。非通知設定であったり、公衆電話から掛けられていれば、話は別だが。
ユイは、電話線は接続しないまま、電話の着信履歴を表示し、同時に自分の携帯電話のメモリー画面を開いた。
幸いというか間抜けというか、着信履歴には、非通知ではない普通の携帯電話の電話番号が記憶されていた。その電話番号を携帯電話に入力し、メモリーの中に検索をかけてみる。
「・・・ないなぁ。」
検索してみたものの、ユイの携帯のメモリー内には、ヒットする番号はなかった。
電話に表示された番号を睨みながら、ユイはしばらく腕を組んで思案する。
できれば、こういう陰湿なタイプの人間とは関わりを持ちたくない。それに、曲がりなりにも相手は女性であるし、できるだけ穏便に事を運びたいというのもある。しばらく放っておいて、それで事態が収まるとすれば、それが一番理想的であろう。ほとぼりが冷めるまで家に帰らず、誰かの家に泊まるという手段もある。
「ダメだ・・・・・・姉貴がキレる。」
ユイは一人暮らしではない。万が一、夜中のドアチャイムや電話のベルが、和歌の安眠を妨害したりしようものなら、恐らく、彼女の怒りの矛先は、目の前のユイに向けられることだろう。しばらく誰かの家に泊まってくれと頼んだところで、人のために動くのが大嫌いな彼女が、機嫌よく了承してくれるとは考えにくい。
ちなみに半年前、当時ユイが付き合っていた女の子が、和歌とユイが一緒に歩いているのを見て勘違いし、いきなり和歌に平手を喰らわせるという事件があった。その時は、女の子は奇跡的に無事であったものの、ユイの方は家に帰ってから本気で殴られ、鎖骨を骨折した。しかも、姉にやられたその傷を見た彼女がビビってしまい、音信不通になったりもした。
陰湿な女ストーカーと対決するか、人間兵器怪力娘に殴られるか。
(・・・骨を折られない方で。)
考えるまでもなく、ユイは痛くないと思われる方を取った。
着信履歴を表示したまま、素早く電話線を電話に繋ぎ、受話器を取る。
あまり関わりたくはないが、和歌を怒らせることを思えば、ストーカーに直接電話して話をつけたほうが良い。
一瞬の躊躇の後、ユイは思い切って発信ボタンを押した。
できるだけ気持ちを落ち着け、受話器を耳に当てようと腕を上げた。
その時。
どこからともなくかすかに聞こえる、携帯電話の着信メロディ。
「・・・No kidding・・・・(嘘だろ).」
思わず、ユイは受話器を床に落とした。
受話器から聞こえるコール音と同時に鳴り出した、その間の抜けた着信メロディは、明らかに玄関のドアの外から聞こえていた。
「Damn!(畜生!)普通に怖いって!!」
ユイは、もうなにもかも投げ出してベッドに潜り込んでしまいたい衝動に駆られ、思わず叫ぶ。
しかし、解決のためには、ここで怯むわけにはいかない。ユイは、フローリングの床を蹴って、玄関まで全力で走った。一番履きやすそうな靴を急いで履き、ドアチェーンを外す。
そうしている間に、ストーカーの携帯の着信音は少しずつ遠のいていく。ユイの気配を感じ、逃げ出したのだろう。
勢い良くドアを開けて外に出ると、マンションの廊下の端にある階段へと走り去る、黒い髪の女の姿が見えた。
ユイはその女を追いかけ、階段目掛けて廊下を走る。しかし、ここはマンションの2階であり、階段を下りればすぐに外に出ることができる。外に逃げられる前に追いつけるかどうかは、微妙なところだった。
「きゃっ?!」
「きゃああああああああああっっ?!」
ユイが廊下を半ばまで走ったあたりで、突然、二人の女の悲鳴がマンション中に響き渡った。続いて、何かが階段を転げ落ちるような音。
「・・・な・・・何?・・・」
残りの距離を走り切り、ユイはそっと階段ホールを覗き込んだ。
「あら、ユイ。」
目の前に立っていたのは、コンビニの袋を右手に提げた和歌であった。エレベーターがなかなか来なかったのだろうか、2階であっても、階段で彼女を見かけることは珍しい。
「姉貴・・・こっちに女の子が来なかった?」
問われて、和歌はきょとん、とした顔で、階段の下を指差した。
「ああ、アレ?」
「アレ・・・?」
ユイが階段の下に目を遣ると、マンションのエントランスで失神している女・・・・・・思いっきりスカートがめくれた状態の、セーラー服の女子高生が目に入った。すぐそばに、バッテリーが外れた携帯電話が落ちている。
「なんか、いきなりぶつかってきて。あたしも落ちるかと思ったわ。友達?」
「いや、変な人だよ。」
ユイは、迷わず即答した。
「そっか。じゃ、ほっとく?」
医師免許を持っている人間とは思えないほど冷たいセリフを、和歌は笑顔で言い放つ。
「・・・でもやばくない?気絶してるし。」
さすがにこのまま放っておくのは気が引けて、ユイは和歌にそう提言してみる。和歌は、なぜか不思議そうな表情でしばらく考え込み、ふと顔を上げた。
「・・・そうね。スカートぐらいは直してあげたほうが。」
「それもそうなんだけどそうじゃなくて。」
「あれ?違う?」
和歌は、心底意外だ、とでも言わんばかりの表情で、首を傾げてみせた。
「診てあげないわけ?」
「えー、アイス溶けちゃうじゃん。」
「冷凍庫に入れとけ!!」
ぶーぶーと文句をたれる和歌を押し退け、失神している女子高生の様子を見るべく、ユイは階段を下りた。
(・・・あんまり関わりたくなかったんだけどな・・・。)
大理石模様の床に転がった、スカート全開の少女を見下ろしながら、ユイは心の底からため息をついた。
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