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窓の外には、無限に広がる雪景色。
あえかな光を注ぐ白い月の下、全てのものが神聖な銀色の輝きを放つ、冬の夜。
雪はスラムの全てのものに平等に降り積もり、この暗黒と混沌の支配する街を、白く清浄な世界へと変えていく。
純白に包まれた世界の中で、家々の窓に灯るほのかな光。
そこに暮らす人々が織り成す物語の数だけ、明るく温かな灯が見える。
と、まあ、窓の外にはそれなりにロマンチックな風景が広がっているわけであるが、正直、今の奈津子にそれをのんびり眺めている暇はなかった。
曇った窓にほんのりと映る家々の明かりは綺麗であるし、目の端にちらっとそれは見えているのだが、本当に今はそれどころではなかった。
「ど……どうしよう……?」
暖房をつけていても、室内は少し肌寒い。
スラムの不安定な電力供給のおかげで、度々暖房器具の電源が落ちてしまうのがその原因の一つだが、それも今の奈津子には興味のない話である。
奈津子は現在、たった一つの重大な問題を解決する方法、それを搾り出す事に、その脳細胞の働きのほとんどを占拠されていた。
目の前に広がる、絶望的な光景。
それを処理するのには、恐らくかなりの時間を要することだろう。
「無理。絶対無理……!」
奈津子は、少々現実逃避気味に『それ』から目を逸らし、絶望的に呟いた。
そう、この問題は、和歌が帰って来るまでに処理しなければならない。
だが、和歌の帰宅の時間は、こうしている間にも刻一刻と迫り、もはや、タイムリミットは目の前に迫っていた。
「こんなの和歌ちゃんに見つかったら……!」
見なかったことにしてしまおうか、と、甘い誘惑が奈津子の脳裏を過る。
だが、今そこにある現実を認めないわけにはいかない。
問題は確かにそこに存在し、たとえ今は目を逸らそうとも、いつの日か必ず、『それ』は再び大きな問題となり、奈津子の前に立ちはだかることだろう。
奈津子は意を決し、自らの犯した罪と真っ向から対峙するため、『それ』を今一度覗き込んだ。
「……。」
背中を、嫌な汗が流れるのを感じた。
奈津子の犯した罪の証は、揺るぎようのない現実としてそこに存在し、取り返しのつかない姿を晒している。
奈津子は震える手で、そこに折り重なる無残な『それ』を掴んだ。
水を含んだ『それ』は思ったよりも重く、それを持ち上げる奈津子の手に、ひんやりと冷たい感触が伝わってくる。
つい先程まで、当たり前のように奈津子に温もりと安らぎを与えていたはずのそれらの物体は、今や、完全に戦闘不能状態でそこに存在している。
これらのものが再び元のように機能することなど、果たして有り得るのであろうか。
奈津子がそう不安になるほど、その光景は、凄惨、悲惨、衝撃的、という、最悪な三大条件を満たしていた。
だが、ここで己の愚行を嘆いたところで、目の前のその現実が消えてくれるわけでもない。
奈津子は、半ばやけになって、手の中の『それ』を元々あった位置へと戻した。悲惨なその光景を俗世から隔離するかのように、そっとその上から蓋を閉め、それらを暗闇の世界へと封印する。
そう、奈津子にはもう、逃げ道など残されてはいなかった。
先程、作業の工程で奈津子の不注意から起こった事故は、もはや取り返しのつかないところまでその被害を拡大している。
だが今の奈津子には、それをどうにかするだけの知識も技術もない。
今の奈津子にできることといえば、『それ』が和歌の目に触れることのないよう、証拠隠滅を図ることくらいなのだ。
しかし、そんなその場しのぎの手を使ったところで、永遠に和歌を誤魔化し続けることなどできそうもない。
そうは思いながらも、奈津子は頭上の戸棚を開け、必死で手を伸ばす。
その時だった。
「ただいまー。」
不意に玄関から和歌の声が響き、奈津子はビクッと体を硬直させる。
間に合わなかったのだ。
「マリアー?」
「は……はーい! おかえりなさーいっ!」
若干焦って上ずった声音で、それでもなんとか返事を返す。
取り出しかけた『証拠隠滅道具』を慌てて戸棚の中に戻し、怪しまれぬよう、急いで洗面所を飛び出した。
「マリア? どうかしたの?」
奈津子には到底似合いそうもない、上品なデザインの白いコートを脱ぎながら、和歌は洗面所から現れた奈津子の方を見た。
「う……ううん、なんでもないのっ。ねえ、和歌ちゃん、き、今日はどんなお仕事だったの!?」
あからさまにどもりまくっている奈津子の言葉に、和歌は不思議そうに眉根を寄せた。
「別に……今日は情報屋まわりしてただけだけど……。」
「そうっ……『何でも屋』さんって大変なのね!」
「……。」
和歌は、妙にそわそわと落ち着かない奈津子の様子を見ながら、何となく、何か不穏なものを感じて目を細めた。
この部屋に奈津子が居候するようになって、まだ数日。
だが、和歌はそのわずかな期間の中で、大体の奈津子の行動パターンが読めるようになっていた。
こんな風に落ち着きなく、そわそわキョロキョロとしている時は大抵……
「……マリア。あんた、今度は何したの?」
「えっ……!? な、何って、何にもっ!!」
「……怪しい。」
焦った声でオロオロと答える奈津子を一瞥し、和歌は彼女を押しのけ、スタスタと洗面所に直行する。
「あっ……えっと……あの、そっちは……。」
ダラダラと冷や汗を流しながら立ちすくむ奈津子を残し、和歌は明かりがついたままの洗面所へと消えていった。
奈津子は青ざめた顔のまま、洗面所から聞こえる物音に耳をそばだてる。
どうか、どうか気付かれませんように
ただそれだけを祈りつつ、奈津子は胸の前で両手を組んだ。
しかし、その思いは届かず、奈津子が最も恐れていた音、それは意外に早く彼女の耳に届いた。
カタン、と何かを持ち上げるような、軽い音。
そして、室内を支配する、一瞬の静寂。
それを突き破って響き渡る、女の怒号。
「マリアぁ――――ッッ!!!」
「だって……だって……。」
「だってじゃない。」
数分後、奈津子は見事に和歌の怒りを買っていた。
「だって……わかんなかったんだもん……! 洗剤だと思ったんだもん……!」
「あんた日本語読めないのっ!? 『漂白剤』って書いてあるじゃないのよっ!!」
和歌は怒鳴りながら、片手に持った箱を突き出した。その表面には確かに、『驚きの白さ・漂白剤』と書かれている。
奈津子は半泣きどころか完璧にベソをかきながら、改めて、自分の罪の証である『それ』を見るべく、和歌によって蓋を開けられ、封印を解かれた洗濯機の中を覗き込んだ。
奈津子がさっき脱いで入れたばかりの、お気に入りのピンクのカットソー。
ふわふわした肌触りが大好きだった、青いチェックのバスタオル。
和歌が気に入ってよく着ている、ワインレッドのカーディガン。
漂白剤の絶大なる威力を実証するかのように、それらの物体はものの見事に、奇妙なまだら模様に変えられていた。
『乾燥機はコインランドリーの使えばいっか♪ 最近、天気悪いし。』と、安易に夜中に洗濯など始めたのが運のつき。
電気もつけずに洗濯機に衣類を放り込み、入れたのが洗剤ではなく粉末漂白剤であったと気が付いたのは、ようやく洗い上がった洗濯物を取り出そうと、洗面所の明かりをつけた時であった。
「しかもあんたっ!」
と、和歌は頭上の戸棚を指差し、さらに声を荒げた。
「証拠隠滅しようとしたわねっ!?」
和歌が指差したその先には、半分閉じた戸棚からはみ出した、黒いゴミ袋が一枚。
「うっ……ふぇ〜……和歌ちゃん、ごめんなさぁ〜い!!」
「ごめんで済んだら警察要らない! もう! これ気に入ってたのにー!!」
もはや元々何の柄であったのかすら判別がつかなくなってしまったワンピースを、洗濯機の中に再び放り込み、和歌はため息をついて洗濯機にもたれかかった。
「ったく……どーせいつかバレるのに、なんで隠そうとするのよ。」
「……だって……だって……わ、わたし……。」
全く何を言っているのかわからない奈津子の言い訳に、和歌は困ったような顔で再び嘆息する。
戸棚からはみ出したゴミ袋を引っ張り出し、それを奈津子の方に放った。
「言い訳はいいから、さっさと始末しなさい。」
「……ひっく……ごめんなさい〜……。」
しゃくりあげる奈津子を呆れた目で見ながら、和歌は、壊れそうなほど勢いよく洗面所のドアを閉め、出て行ってしまった。
「……ひっく……。」
狭い洗面所にぽつん、と一人取り残され、奈津子はのろのろと洗濯機の中を覗き込む。
今日に限って、洗濯物が多かったことが恨めしい。
きちんと確認しなかった自分が情けなく思えて仕方がなかった。
「……なんで、上手くいかないのかな……。」
奈津子は、自分でもハッキリと自覚しているほど、家事のセンスがない。
かろうじて部屋の掃除くらいはできる程度で、料理などはもってのほかだ。
父が生きていた頃も、忙しい父の手助けをしようと、何度も何度も料理に挑戦し、そして惨敗した。電子レンジの中では卵を爆発させ、なぜか耐熱容器が溶解した。野菜を切れば指を切り、材料の半分以上は床に落とした。コンロを使えば火事になりかけ、どういうわけかフライパンに穴が開いた。
どうやら、それらの武勇伝は兵梧経由で和歌に伝わっているらしく、部屋の隅のミニキッチンは、奈津子立入禁止区域に指定されている。
「……お洗濯はできると思ったのに……。」
まさか、全自動の洗濯機で、こんな初歩的なミスを犯してしまうとは。
洗濯機の中で絡み合う、繊維製品としての寿命を全うできなかったそれらの物体を、のたのたと緩慢な動きで広げたゴミ袋に葬り去りながら、奈津子は、自分には洗濯のセンスすらもないことを思い知った。
つまり、これらの事象は、奈津子に対してある種の警鐘を鳴らしているのかもしれない。
嫁に行くな、と。
「あうう〜……全自動の洗濯機すら使えないのに、結婚なんて……。」
奇妙な柄のついた衣類を全てゴミ袋に放り込み、奈津子は自分の将来を想像して呻き声を上げた。
最も手軽で便利な家電製品……電子レンジや洗濯機の使い方すらアヤシイというのに、結婚など夢のまた夢なのではないだろうか。家事のできる男を選べとか、自分はサイボーグであるから普通の結婚などできそうもないとか、そういう次元の話ではないような気がしてくる。
奈津子はこれまた不器用にゴミ袋の口を結ぶと、完全に負け気分で、体で押すようにして洗面所のドアを開け、外に出た。
「終わった?」
洗面所を出ると、和歌は、それほど広くない部屋の中央に置かれたミニテーブルの向こう側に座って、面白いものでも見るかのような目をして、奈津子を見ていた。
テーブルの上にはクッキーの缶が置かれ、カップに注がれた紅茶が二つ、温かな湯気を立ち上らせている。
「うん……捨てたよ。本当にごめんね……。」
肩を落とし、奈津子は和歌の向かいに腰を下ろした。
「ヘコんでるわね。」
和歌はクッキーの缶を開け、奈津子にそれを勧めた。
奈津子はクッキーに手を伸ばす気にもなれず、うなだれたまま、和歌の顔を見た。
「ねえ、和歌ちゃん……私、お嫁にいけないかなぁ……?」
ぶっ、と和歌が口に入れた紅茶を吹き出した。
「はぁ?」
「やだー、和歌ちゃん、汚い……。」
吹いた紅茶を手近にあったティッシュで拭きながら、和歌は呆れたように奈津子の顔を見返した。
「あんた、17で結婚の心配してんの!?」
「だって、和歌ちゃんの妹も18歳で結婚したんでしょう?」
「それは特別っ。普通は30前ぐらいよ。」
そう言われて、奈津子は首を傾げ、うーん、と声を出してしばらく考える。
「でも和歌ちゃん、スラムじゃみんな早いのよ。女の子だったら、20歳ぐらいまでには、半分くらい結婚しちゃうし。」
「マジでー? ……そんじゃ、あたし行き遅れじゃない。」
まだまだ若いと思っていた21歳には衝撃的な話だったのか、和歌は何やら複雑そうな表情を浮かべ、再び紅茶をすする。
「えっと……和歌ちゃんは、ほら、生活力あるからっ。」
「……フォローになってないわよ。」
適切な言葉が見つけられなかった奈津子に、和歌は吐息混じりにそう返し、『どーりで古本屋のおっさんが、やたら息子を紹介したがると思ったわ』と、納得したように呟いた。
「だからね、私もこんなんじゃダメなの。もっとお料理とか……せめて、家電製品くらいは使えるようにならなきゃ、って。」
「そりゃあ……たいてい誰にでも使えるようにできてるのが、家電だからねぇ……。」
なぜ使えないんだ、とでも言いたげに、和歌は掠れた声でそう言った。
「和歌ちゃんは、家事で失敗したことある?」
「あたし、掃除できない。」
する気もない、というようなニュアンスすら含め、和歌はキッパリとそう言い放った。
「そ……そう……じゃあ、掃除はユイくんがやってくれるんだ……?」
「んー……やってくれたりやってくれなかったり。あの子ね、掃除はできるけど、それ以外はけっこう無理よ。あんたほどじゃないけど。そっち系の武勇伝はいっぱい持ってる。」
あんたほどじゃないけど、の一言に、奈津子は、自分の不器用レベルが最低ランクに位置しているらしいことを、再び思い知らされる。
「そうなの……ちょっと親近感。例えば、どんなの?」
「そーねぇ……今までで一番びっくりしたのは……あたしが人に頼まれて、大量にお菓子作ってた時に、ちょうど客が来て、ユイに『ここに書いてある材料、混ぜといて』って頼んで、戻ってきたら。」
「戻ってきたら?」
「砂糖『4百』を『千百』と読み間違えて、なんの疑問も感じずにそのまま作業を進めてたのよね……。」
「それは……どう考えても溶けないよね。1キロ超えてるし。」
砂糖を1キロ以上使う、家庭でできるお菓子、というものが、果たしてこの世に存在するのだろうか……奈津子は、ざりざりと音を立ててボールの中でかき混ぜられる大量の砂糖を想像し、自分に匹敵する武勇伝に戦慄する。
「ごはん炊いといて、って頼めば、『炊飯』ボタンと『保温』ボタンを間違えて、なまあったかい『何か』を作り出すしね。」
「すごいね……まるで、私の話を聞いてるみたい。」
人事ではないな、と、奈津子はこめかみあたりに一筋の冷や汗など垂らしながら、紅茶のカップに手を伸ばす。
決して人事ではないが、自分だけではない、そう思うと、落ち込んでいた気持ちも多少軽くなったような気がした。
「でも……なんかいいなぁ。そういうの。私、兄弟いなかったから。」
「そう? でもうちは男と女だし、あんたが思う程ベッタリではないわよ。妹は、ほとんど一緒にいなかったし。」
「うん……でも、なんか憧れちゃう。」
研究所でも義父のもとでも、奈津子はずっと一人っ子として育ってきた。
少子化傾向にある首都とは違い、スラムではあまり一人っ子というのは見かけない。教育水準の低下や治安の悪化のおかげでどうしても上昇しがちな妊娠率のせいか、奈津子の周りの子ども達には、たいてい兄弟というものがいた。
父一人子一人、決してそれを寂しいと感じたことはないが、やはり、歳の近い兄弟というものには憧れた。
例えば、お姉ちゃんや妹と恋の話をしたり、服を貸し合いっこしたり。
お兄ちゃんや弟に、男の子がやるような遊びを教えてもらったり、お兄ちゃんの友達にドキドキしてみたり。
周りから聞くそんな兄弟とのエピソードは、一人っ子の奈津子にとって、夢のまた夢の世界の話。
「だって、そういうの、私には一生経験できないもの。」
「そうでもないわよ。」
ふう、とため息をつく奈津子の頬を、和歌が意地悪そうな笑みを浮かべて、ぺちぺちと叩いた。
「結婚、なんてことになったら、義理の兄弟ができるじゃない。……ま、『小姑』と仲良くなれるかどうかは、あんたの努力次第だけどね。」
「えーっ!? よくドラマなんかで嫁イビリしてるあれでしょう? そんなのやだぁ〜!」
TVドラマの見すぎなのか、奈津子は本気で将来の兄弟を想像し、悲鳴を上げる。
和歌は、頬に手を当ててブンブンを首を横に振る奈津子の様子を見ながら、おかしそうにくすくすと笑い声を上げた。
「バカね、だから、今から結婚の心配したってしょうがないの!」
笑いながら、奈津子の頭をポンポンと軽く叩く。
和歌はティーポットにもう少し紅茶を淹れるため、紅茶の瓶を開け、スプーンで葉をすくい上げた。
乾燥した茶葉のほんのりとしたいい香りが、奈津子の鼻を優しくくすぐる。
「そうかなぁ……。」
「そうよ。だいたい、あんた彼氏もいないでしょ?」
「……和歌ちゃんだって、いないじゃない。」
「ほっといて。」
奈津子の一言に何やら気分を害した様子で、和歌は威圧するように即座にそう返し、乱暴にポットからお湯を注ぐ。
「もう17でしょ? 気になる男とかいないわけ?」
「うーん……いないかも……よくわからないけど……。」
「京とか。」
「えっ!? 京くん!?」
和歌の口から飛び出した思いもよらぬ名前に、奈津子は一瞬動揺し、顔を赤らめる。
「もうー! なんでそこで京くんが出てくるの?」
奈津子はびっくりした顔のまま、そう言って口を尖らせた。
何となく、香の反応に似ているなぁ……、と、和歌は初々しい反応に微笑ましさを感じつつ、小さく笑ってティーポットをテーブルの上に置き直した。
「べーつに。手近なところを挙げてみただけよ。」
「もー……からかわないで。」
「でも、お似合いだと思うわよ。可愛らしくて。」
「もうっ! やめてよ、和歌ちゃんったらぁー!」
くすくす笑いながら言う和歌に、奈津子はとうとう耳まで真っ赤になってテーブルを叩き、頬を膨らませた。
だいたい、京は自分よりも年下ではないか、と、奈津子は心の中で呟いた。
「あのねっ、私、年上の人がいいの!」
奈津子は頬を紅く染めたまま、紅茶を注ぐ和歌に詰め寄った。
「あら、そう?」
和歌は笑った顔のまま、ちょっと首を傾げた。
「和歌ちゃんも、やっぱり年上の人が好き?」
「……そうなのかしら。よくわかんないけど、確かに年下と付き合ったことはないわね。」
「やっぱり? ね、何人ぐらいと付き合ったことあるの? 聞いていい?」
奈津子は、興味津々、とでもいうような雰囲気を体中から立ち上らせ、さらに和歌に詰め寄った。
和歌は、紅茶に砂糖を放り込みながら、静かに答えた。
「ちゃんと付き合ったのは……実は一人だけ。長かったのよ。5年だから。……あと一人いたけど、それは、ちゃんと『告白』とかがあったわけじゃないから、数に入れてないのよ。」
「ええーっ!? そうなの!? じゃあ、ずっと一筋だったのね!! すごーい! ね、ね、『告白』って、どんなふうにされたの?」
「……されたんじゃなくて、あたしから。」
「えっ……そうなの?」
静かに言った和歌の答えに、奈津子は驚いたような声を漏らした。普段の和歌の性格を見ていると、彼女が『好きです』などど、可愛らしい告白をしている姿など、想像もつかない。
「何て言ったの? 教えてっ!」
子どものようにはしゃいで、奈津子は和歌の肩を両手で揺さぶった。和歌は、しばらく黙り込んで抵抗したが、しつこく聞き出そうとする奈津子の勢いに負け、奈津子のほうに顔を向けた。
少し照れたように笑いながら、和歌は仕方なく、口を開いた。
「……『あなたを好きにならないように努力したけど、無駄だったみたい』。」
言ってしまってから、よくこんなことが言えたものだ、と、和歌は過去の自分を殴りたい気持ちになって、思わず赤面した。
実際には、『あなたを』ではなく『先生を』であったのだが、とてもじゃないが奈津子にそれを教える気にはなれない。
「……すごい。和歌ちゃんでもそんなこと言うんだぁ〜……!」
奈津子は感心したようにそう呟き、和歌につられて自分も頬を赤らめる。
「あたしでも、ってどういうことよっ!?」
「ねえ、どんな人だったの? 優しかった? かっこよかった?」
「……。」
どうやら、香と同様、まだまだ奈津子も恋に恋するお年頃、という感じである。和歌は、興味津々な表情で詰め寄る奈津子の顔を見ながら、一瞬戸惑う。
奈津子が聞きたがっている内容というのは、和歌にとって、できることならば掘り返したくないことばかりだ。
和歌は、困ったように低く唸り、やがて、諦めたようにため息をついた。
「……そうね。優しかったと思うわよ。」
話せる事だけ話せばいい。
和歌は、キラキラと瞳を輝かせて自分を見つめる奈津子を見ながら、小さく笑った。
一体、何時まで質問攻めされることか……
和歌は、これから始まる女同士の『恋バナ』タイムに長期戦を覚悟しながら、奈津子の次の質問を待つ。
和歌は、そっと紅茶のカップを手に取り、質問に答えやすいよう、まずは口の中を潤した。
奈津子はまだ、気付いていない。
そうして恋の話に花を咲かせる自分たちこそ、どこから見ても仲の良い姉妹そのものであったということに。
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