「メインから、私達のデータを消したのは?」

  奈津子が、和歌に向かって訊くと、和歌はうってかわって、明るい表情で、コートのポケットから、小さな、名刺の半分くらいの大きさのカードを取り出して見せた。

  「ああ、それはあたし。それぞれに『心臓』を造るには、それぞれの身体的データが必要になるでしょ。大樹が既にデータのコピーを取ってる可能性は高いけど、一応、ね。内容は、こっちのMCD(Micro−Card−Discの略。記憶媒体。)にコピーしてきたから大丈夫。」

  「・・・お前の目的はわかった。それで、だ。」

  兵梧は、組んでいた両腕をテーブルの上に置き、和歌に詰め寄るような格好で、言った。

  「奈津子の力が必要だということは分かった。だが、俺たちスラムゲリラの力を借りたい、というのはどういうことだ?」

  「囮になってもらうわ。」

  和歌は、さらりと、当たり前のことを言うように言い放った。

  「囮、だと?」

  京は、普段あまり抑揚をつけないはずの兵梧の口調に、明らかな怒気を感じた。しかし、和歌は、それを全く気にも留めない様子で、話を続ける。

  「・・確かにマリアなら、社長室のコンピューターに侵入できるわ。ただ問題なのは、社長室のコンピューターが、WASPのメイン・コンピューターと、ネットワークで繋がってないってこと。外部から侵入できないようにね。」

  「どこからなら、入れるの?」

  奈津子もまた、テーブルに肘をついて、少し身を乗り出した。

  「社長室以外なら、社長室の真下、WASP本社ビルの48階、コントロール・ルームから接続できるわ。要は、首都の中に入らなきゃなんないの。」

  WASP本社ビル内の48階、コントロール・ルームとは、WASPのメイン・コンピューターを始め、関連施設のコンピューターや、データバンク全てを管理、整備する部署である。ユイが働いているのもこの部署で、だいたいの構造は、和歌も把握している。

  「どーやって入るんだ?また、その、ダスト・シュートから?」

  「いえ・・あのダスト・シュート、出るのは簡単だけど、入るのはかなりキツイのよ。ゴミを落とす穴が、かなり高い位置にあるからね。筋力のあるあたしや兵梧はともかく、マリアには、無理よ。それにB−21は、場所的にも、WASPの本社ビルから遠すぎる。」

  和歌は、昔、自分がダスト・シュートに落ちた時のことを思い出す。あの時は、子供だったとはいえ、2日もかかってしまった。恐らく、奈津子とて簡単には上れないだろう。それに、B−21は、WASP本社ビルから非常に遠い上、見つからずに本社ビルにたどり着いたところで、ビル内に入るために、また何か策を講じなくてはならない。

  「・・・だとしたら、スラムにあるWASPの施設からだな。」

  兵梧が、先程よりは落ち着いた口調で言った。和歌は、その美しいと言える貌に、満足そうな微笑を浮かべ、人差し指を兵梧に向ける。

  「当たり。さすがに元軍人ね。WASPの施設の構造にお詳しいこと。」

  和歌は、わざとそうしているのか、妙に挑戦的な言い方をした。

  「WASPの首都外施設から、壁の内側に入れるの?」

  「ええ。いくつかの軍事施設や研究施設の地下には、WASPの本社ビルや、大きな首都内施設と直通の、シャトル・トレインが走ってるから、それを使えば。」

  スラムと『首都』との間には、WASPや五大企業の所有する工場などの他に、軍事施設や研究施設が、いくつか存在する。軍事施設はもちろん、首都を防衛したり、スラムで時折起こる暴動を鎮圧する目的で、首都外にも置かれている。だが、研究施設の方は、研究しているものが危険であるから、スラムに置かれている。ほとんどが、バイオ・ハザードを起こす恐れのある、細菌やウィルスの研究施設だと言われている。

  そういった軍事施設や研究施設は、スラムにあっても、WASPの組織の中では重要な施設に当たり、当然、首都の中とで、人間や物の行き来も多くなる。そこで開発されたのが、首都外の重要施設と、首都内の関連施設を繋ぐ、コンピューター制御のシャトル・トレイン(直通地下鉄道)である。和歌は、それを使って、直接WASPの本社ビル内に侵入するつもりらしい。

  「・・・なるほどな。つまり、お前とマリアがシャトルに乗って、首都内に入るまで、俺たちゲリラが囮になって騒ぎを起こし、施設の人間の注意を引き付けておく・・・そういうことか?」

  兵梧の言葉に、和歌は真剣な眼差しで、頷いた。

  「ええ。そういうことよ。」 

 兵梧は突然、左の掌で、白いテーブルクロスが張られた食卓を叩いた。階下まで響くのではないかと思うほど大きな音と、食器が跳ねる甲高い音に、京とマリアは、反射的に身を縮める。花瓶に生けられた白い花が揺れ、いくつかその花弁を散らす。

  「・・お前達の為だけに、メンバーの命を危険に晒せると思うのか。」

  兵梧の声は低く、奈津子を気にする様子は見えるが、和歌に対しては、明らかに憤慨しているようだった。

  「短気な男ね。人の話は最後まで聞きなさいよ。」

  目を細めてそう言う和歌もまた、兵梧に引けを取らない程に、迫力があった。

  「取り引きしましょう。あんた達ゲリラが、あたしの目的に協力する代わりに、あたしは、あんた達の欲しがる情報をあげるし、ゲリラに協力する。これでどう?」

  和歌は、兵梧、京、マリアの顔を見回して、言った。

  「俺達の欲しがる情報って?」

  「あんた達ゲリラは、『壁』のない世界が理想なんですってね。でも、いきなり『壁』を壊して、世界を混乱に陥れるようなことはしないわよね?スラムの悲惨な状況を何とかするために、まず、あんた達がしたいことは何なのかしら?」

  そう言われると、京は何も答えられなかった。京がスラムゲリラに参入した動機も、『壁』のない世界を造る、その理想に単純に憧れたためだった。スラムの現状を救うために、目下、何をするべきなのだろうか。

  「スラム結核のワクチンと治療薬が欲しい。」

  答えたのは、奈津子だった。

  「スラム結核の・・・?」 

 和歌は、奈津子の必死な表情を見て、訊き返した。

  「スラムに住んでて、一番怖いのは、スラム結核だもの。それで死ぬ人が減れば、孤児も減るし、そうしたら、治安ももっとよくなるわ。」

 奈津子は、治療法も無いまま、無念のうちに死んでいった父を思い浮かべた。『スラムの人間と首都の人間の違いは、スラム結核の予防接種を受けたか受けていないかの違いだけだ。』という父の言葉が、奈津子の脳裏に、しっかりと刻み込まれている。

  「奈津子ちゃん・・・。」

  奈津子が泣いてしまうのではないかと、京は、奈津子の肩に、優しく手を掛けた。

  「・・・確かにな。『首都』がスラムの人間を壁の中に入れたくない理由の一つには、スラム結核を持ち込むことを恐れて、というのがある。首都の人間でも、体質的にワクチンを打てない者は、抗体を持っていないからな。」

  兵梧が、奈津子の方を気にしながら、話を続ける。

  「スラムでは、孤児が増えると、それに比例して犯罪が増える。スラム結核で死ぬ人間が減れば、孤児が減り、犯罪も減少する・・・。桂博士の持論だったな。確かに、スラム結核のワクチンと治療薬の奪取は、俺達ゲリラの目的の一つに入っている。」

  「・・・桂博士・・?」

  一人で何度も頷きながら言った兵梧の言葉に、和歌は一瞬、眉をひそめた。だが、兵梧の耳には、和歌の呟きが届かなかったらしい。

  「・・和歌、スラム結核のワクチンと治療薬は、手に入れられるか。」

  兵梧が問うと、和歌はハッと我に返ったように顔を上げ、答えた。

  「ワクチンと薬そのものがなくても、製造方法がわかればいいんでしょ?あれは、開発するのには苦労したみたいだけど、製造するの自体は難しくないから。」

  「ああ、データだけで構わない。」

  和歌は、人差し指を顎の先に当てて、記憶を辿った。

  「だったら、コントロール・ルームのデータバンクに、製造方法の保存されたMCDがあるはずよ。どのMCDかは、ユイならわかるわ。あたしと一緒にシャトルに乗って、盗んで来れば?」

   「その、ユイとかって奴に、連絡は取れんのかよ?」

  京が言うと、和歌は小さく笑った。

  「ああ、大丈夫。WASPの盗聴が怖くて、電話とかメールは使えないけど、直接会うことならできるわよ。」

  「直接会うって・・・スラムで?」

  奈津子は、きょとん、とした顔で、和歌の顔を見た。通常、首都に出入りするには、IDカードのチェックや声紋の照合など、厳しいチェックがかかる。各種の予防接種を受けている首都の人間が、『外』に出入りすること自体には、それほど規制は無いが、誰が、いつゲートをくぐったかが、明確に記録されるようになっている。

  「今、この状況で、ユイが外に出た記録が残れば、お前の居場所が特定される危険がある。」

  「平気。あの子はちょっと特殊だから、記録を残さずに出てこれるわ。スラムに出るのは、あの子の趣味みたいなもんよ。」

  と、和歌は、再びピザを切り始めた。暖房が効いているとはいえ、芳しくないスラムの電力事情では、室内でも少し肌寒い。それぞれの前に並べられた料理は、とうの昔に冷め切っていた。

  「兵梧、スラムの情報屋の話じゃ、あたしの他にも、あんたのことを探ってる女がいるそうよ。」

  「女、だと?」 

 兵梧が眉をひそめて問い返すと、和歌は、くすくすと小さく笑った。

  「ユイに会える日は近いわ。」 

 意味あり気に笑う和歌の顔を見ながら、京は、ローストビーフを口に運んだ。孤児院出身の京にとっては、生まれて初めて食べる高級料理で、理奈の店とはまた別の美味しさに感動する。

  しばらく無言で、和歌の顔を見ていた兵梧が、不意に口を開いた。

  「・・こういう取り引きに関しては、俺の一存では決められん。条件はいいが、な。組織の他の連中に話すのは、まずお前の弟に会って、情報の信憑性を確認してからだ。それから決める。」

  兵梧は、口早にそれだけ言うと、椅子に座り直して、海の幸を詰め込んだパイを食べ始める。窓の外に吹き荒れていた風の音も止み、一番街は、静かな夜を迎えていた。降り続く白い雪は、少しずつ、スラムの景色を白一色へと変えていく。

  和歌は、長く、艶やかな髪をかき上げて、ふっと笑った。

  「・・OK。それでいいわ。」

 

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