火曜日の夜、ユイは香と会うため、首都内のある場所を訪れていた。

  核爆弾の爆発にすら耐え得る外壁を誇る『首都』。その内部の限られた空間の中にも、軍隊というものが存在している。それは、かつての日本に置かれていた自衛隊のように国家に属するものではなく、彼らを指揮・統率するのは企業である。首都を牛耳る五大企業の中で比べてみたとしても、元々軍事が専門分野ともいえるWASPの前では、その他の企業の軍事力など足元にも及ばない。事実上、首都内に配備されている軍隊は、ほとんど全てがWASPの私兵と言っても過言ではない。

  限られた小さな空間で生きる人間たちにとって、その内側で時折起こる凶悪犯罪やテロリズムは、外壁の外側で起きるゲリラの暴動よりも、ずっと大きな脅威に感じられる。壁の外と比べて格段に治安の良い首都内においても、警察という組織だけでは手に負えない事件や事故が、全く起きないわけではない。よって、首都内における軍の第一の任務は、警察と協力して、凶悪犯罪やテロリストを取り締まるところにある。

  「・・・はぁ。」

  車のシートに身を沈め、ユイはため息をついた。

  ユイの視線の先には、高い鉄柵に囲まれた、巨大な軍事施設があった。無数のライトに照らされて、白く無機質な建物の周囲には、まるで昼間のように光が溢れていた。

  「八時は過ぎたよね・・・。」

  ユイは、携帯電話の時計を確認して、再び視線を軍事施設の正面ゲートへと戻した。待ち合わせに午後八時と指定したのは香だった。しかし、香が出てくる様子はない。

  「おかしいな、仕事は6時に終わるって言ってたのに。」

  香の職場である軍事施設を見つめながら、ユイは小さく一人ごちた。

  WASPの抱える軍隊は通常、陸軍、海軍、空軍の三つに分かれている。香が所属するのは、その3つのどれにも属さない、SWAGS(Special−Weapon−And−Guardian−Systemの略。首都防衛特殊戦術部隊とも呼ばれる。)という部隊である。

  SWAGSとは、旧アメリカの警察特殊部隊SWAT(ロサンゼルス市警特殊火器戦術部隊。)やデルタ・フォース(アメリカ陸軍第一特殊作戦分遺隊。対テロ部隊の一つ。)などを参考に、凶悪犯罪や立て篭もり事件、テロなどに迅速に対応できるよう創設された、少人数の特殊部隊である。ゆえに、入隊には厳しい選抜があり、誰でも入隊できるわけではない。

  香は、SWAGSの隊員ではあるが、基本的には戦闘オペレーター(実戦には参加せず、主に通信によって部隊を支援する。)や雑務を任されているため、『軍人』というよりは、それをサポートする『軍属』と言ったほうが近いだろう。

  (・・・まあ、香に実戦は向いてないからね。精神的に、弱いし。)

  ユイがぼんやりと考え事をしていると、不意に、すぐ左の運転席側のドアが開いた。

  「ごめんね、ユイ!遅くなっちゃった。」 

 そこに立っていたのは、花柄のワンピースを着た黒髪の少女だった。

  「いいよ。仕事だったんだから。」

  ユイが優しい声でそう言うと、少女・・・香はホッとしたように微笑んだ。

  「うん、ちょっとね、やる事があったの。ごめんね?」

  「いいって。僕もそんなに待って・・・。」

  ユイが言いかけた時、突然、ガン、という大きな音と共に、車体が激しく揺れた。ドアに手を掛けていた香が、思わずよろめいて、ユイの肩に額をぶつける。

  「痛・・・っ。」

  「よお、久しぶりだな、ユイ?なんでテメーがこんなトコにいんだよ。」

  聞き覚えのある声に、ユイは心の底からため息をついた。香を押し退けて車外に出ると、髪を奇抜な緑色に染め、鋲や鎖だらけの服を着た男が、青い車体に片足を掛けて、こちらを睨んでいた。

  「別に、君に用事はないよ、和高。香を迎えに来ただけだ。」

  淡路 和高(あわじ かずたか)は、ユイが最も苦手とするタイプの男だった。彼は香と同じく、SWAGSに所属する軍人であり、同じように改造を受けて生き残った八人のうちの一人でもある。だが、自分に合わない者は、徹底的に攻撃しなくては気が済まない、そういうタイプの男であり、特に理由もなく他人に絡みたがる。

  「そーかい。なら、今度から俺の目につかねートコに停めろよ!」

  再び、和高が車体を蹴りつけた。両足の筋肉をサイバー化された和高の蹴りは、左の後部座席のドアを大きく陥没させる。

  「和くん、やめて!」

  香が悲鳴に近いような声を上げるが、和高はちらりとそちらを見ただけで、すぐにユイの顔をねめつけて、言った。

  「ムカつくんだよ、テメーは。弱ぇくせに、余裕ぶった顔しやがって。テメーが上牧に優遇されてんのは、妹の七光りだろーが!!」

  「・・・・・。」

  ユイが何も言わないのを見て、和高はさらに調子付いたようだった。ユイの方へ歩み寄り、馬鹿にしたように笑った。和高は、ユイの神経を逆撫でするには、和歌や八重の話題が一番効果的であることを知っていた。それほどに、この二人の衝突は頻繁であったのだ。

  「何だよ、ビビってんのか?今日は、守ってくれる姉ちゃんもいねーもんなぁ?死んじまったんじゃねーのか、あの女。」

  「・・・ああ、君達も気付いてたのか。」

  研究所の爆発で行方不明になった女の名前は伏せて報道されていたはずだが、やはり、和歌の目的を知っていた和高や香には、それが和歌のことであるとわかったのだろう。もっとも、和高は和歌の計画に激しく反対していた者の一人だったのだが。

  「血も繋がってねークセに、姉弟だとか言いやがって。それとも、どっちかとデキてんのか?気持ち悪ぃ・・・!」

  その台詞も終わらぬ内に、ユイの横殴りの一撃が、和高の左頬に思い切り入り、和高はそのまま地面に体を打ちつけた。低い呻きを漏らし、和高が地面に転がるのを見て、香が小さく悲鳴を上げた。

  「こ・・・の野郎!!!」

  自分から喧嘩を売っておいて勝手な話だが、何の予告も無しに殴られて激昂した和高が、起き上がる力を反動にして、ユイの頬を殴り飛ばした。車のドアに背中を叩きつけられながらも、ユイは、和高の受けた筋力増強が両足だけであったことに感謝した。もし、和高が和歌のように、両腕の筋力をも増強されていたなら、今の一撃で顎の骨が砕けていただろう。

  「・・・蹴り入れてやればよかったぜ。」

  和高は、青い車にもたれかかったユイを見下ろして、低い声で言った。

  「あ・・・!」

  突然始まった激しい喧嘩に怯えていた香が、小さな声を上げて、施設の門のほうへと走り出した。ユイがそちらに目を向けると、丁度、門から誰かが出てこようとしている所だった。

  「・・・愛怜か。」

  香が駆け寄っていった人物を見て、ユイは小さく呟いた。和高もまた、勢いを殺がれたように舌打ちする。

  「何やっとんねん!!あんたらは!」

  怯えきった瞳の香に導かれ、愛怜と呼ばれた赤毛の女は二人に走り寄り、吊り上がり気味の目をさらに吊り上げて、間の抜けた関西弁で二人を怒鳴りつけた。

  「やあ・・・愛怜、久しぶりだね。」

  「何が久しぶりや!ユイ、あんた最近、和高とケンカしてるトコしか見てへんで!ええ加減にせえよ!!」

  関西弁の迫力に圧され、ユイは困ったように香の方を見た。香は、ユイのその表情を見て安心したのか、小さく笑った。

  張・愛怜・ライトスパロウ(チャン・アイリン・ライトスパロウ)は、香や和高と同様、SWAGSの隊員であり、やはり改造を受けた一人だ。年齢は、和歌と同じ21歳で、ユイや香、和高より少し年上になる。香港系であり、関西地方にいたことはないはずなのだが、何の影響か、関西弁を好んで使う。

  「それと、和高!どうせあんたがケンカ売ったんやろ?!女連れの男に絡むなんて、ダッサいなぁ、あんたは!!羨ましいんか?」

  「なっ!?別に俺はそんなつもりで・・・!」

  愛怜の叱責を避けようと横を向いていた和高は、思わぬ言いがかりに顔を紅潮させて振り返る。その様子を見て、ユイは思わず吹き出した。

  「へえ、そうなんだ、和高?それは気が利かなくて悪かったね。今度から、君の前で女の子と歩かないようにするよ。」

  笑いながら言ったユイの言葉に、和高は恨みがましい目でユイを睨みつけた。だが、愛怜の前でやり合うつもりはないらしい。

  「テメー・・・憶えてろよ。」

  月並みな捨て台詞を残して、和高は踵を返した。ようやく家路についた和高の背中を見送って、香がユイに駆け寄った。

  「ユイ、大丈夫?ごねんね、わたし・・・止められなくて。」

  「香が謝ることないよ。先に殴っちゃったのは僕だし。」

  口の中を切ったのか、ユイの唇の端には血が滲んでいた。鉄の味のする唾を飲み込んで、ユイは、心配そうに見つめる香の頭を何度か撫でた。

  「ユイ、香の前で殴り合いは感心せんわ。せっかく、香が二時間もかけて服選んだり、慣れん化粧したりしててんから、ちょっとは控えや。」

  愛怜の言葉に、香は耳まで真っ赤に染め、彼女を軽く睨んだ。

  「ふーん、遅刻の理由って、それ?仕事かと思ってた。」

  悪戯っぽくユイが言うと、香は胸の前で両手を振りながら、オロオロとした様子で言った。

  「ち・・・違うの!そうじゃなくって・・・。」

  「もー私も大変やってんから。二時間も『こっちがいい?』『この服は?』ってやられてんから、たまらんで。こんな時間になってもうたわ。」

  「もう!言わないでって言ったじゃない〜!」

  明るく笑う愛怜に、香は頬を膨らませて抗議した。

  「・・・ほな、私は帰るわ。仲ようしいや。」

  愛怜は、香の頬を軽く叩いて、笑った。愛怜はけして美人ではないし、言葉もきついが、不思議とその場を和ませてくれるような魅力があった。ユイは、くすくすと笑いながら、片手を挙げた。

  「ああ。止めてくれてありがとう、愛怜。気をつけてね。」

  朗らかに笑い、愛怜は手を振って、和高が去ったのと同じ方向へ歩き出した。

  (・・・愛怜と和高、か。敵に回すと厄介だな・・・。)

  ユイは、ふとそんなことを考えた。

  愛怜もまた、和歌の計画に反対していた。彼女は、平和な生活に波風を立てるのを嫌っていたし、上牧がそんな研究をしている証拠はない、と、和歌の言うことを信用しなかった。上牧の命令があれば、不穏な動きをする和歌やユイと敵対することも有り得るだろう。

  (・・・マリアを入れて、こっちは三人。香を引き込めば四人か・・・勝てないことはないかな?)

  改造を受けた八人のうち、現在所在がはっきりしているのは五人しかいない。残りの三人のうち一人は、すでに事故で死亡している。残りの二人、大宮 千鳥(おおみや ちどり)と富田 徳也(とみた とくや)は、賛成も反対もしないまま、和歌が行動を起こす前に姿を消し、行方不明になっている。

  つまり、これ以上お互いに戦力が増えることがない以上、中立である香をどちらが仲間に引き込めるか、それが問題になってくる。

  「どうしたの?ユイ、怖い顔して。やっぱり怒ってる?遅刻したこと・・・。」

  「え?ああ、いいんだ。怒ってないよ。」

  まだ少し紅潮した顔で見上げる香に、ユイは優しく笑いかけた。

  「ホントに?怒ってない?」

  「ああ、今日は可愛いから、許してあげるよ。」

  ユイがそう言うと、香は元に戻りかけた頬をまた真っ赤に染めて、少し下を向いた。その仕草には、実に、少女らしい可愛らしさがあった。

  「あ・・・あのね、ユイ?どこに行く?映画とか・・・あ、先にごはん食べてから・・・。」

  香は、照れを隠すように早口で、しかししどろもどろになりながら尋ねた。だが、ユイの返答を聞いて、更にうろたえることになる。

  「僕の家。」

  「え・・・ええ〜?!」

  香は、素っ頓狂な声を上げて、ユイの顔を見上げた。いくら香が少女じみた性格をしているとはいえ、18歳の現代娘にしては、やけに純情すぎる反応に、ユイは少し困惑して頭を掻いた。

  「えーと・・・香、何考えてる?」

  「あ・・・えっと、別に・・・。」

  全く言葉になっていない香の返事に、ユイは困ったような顔をして、言った。

  「期待してたらごめん。言葉が足りなかったよ・・・外ではできない話がしたいんだ。」

  「え・・・?」

  香は、真っ赤な顔のまま、動きを止めた。しばらくして、勘違いをしていた自分に気付き、香は穴があったら入りたい気分になる。

  「・・・そう。どんな話なの?」

  つとめて平静を装おうとする香に、ユイは低い声で告げた。

  「・・・マリアに会った。」

  「マリア・・・って・・・。」

  香は一瞬、その言葉を理解できなかった。ユイは、続けて言った。

  「ああ・・・『Cyber−Virgin−Mary(電脳の聖女)』だよ。」

 

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