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「何してるの?姉貴って、ジャンキー(薬物中毒者)だっけ?」 「違うわよ。」 和歌は、低い声で言い、顔を上げた。鮮やかな金髪と青い瞳が、和歌の視界に至近距離で入り込む。 「・・・あっちはすごいよ、香のお陰で、話題騒然。どういうことなんだって兵梧がうるさいから、逃げてきたけど。」 ユイは、掴んだ和歌の手を離さぬまま、もう一方の手で駅の方を指差した。 「・・・あっそ。あたしが戻ったら、またうるさいんでしょうね。」 先程の香と上牧の会話が幹部メンバーに筒抜けだったのだから、和歌と上牧の関係も彼らの知るところとなったわけである。和歌としては不本意だが、こうなってしまった以上はとぼけても仕方がない。 「ああ、それはそうだろうね。でも、それがもう過去のことだっていうのも事実なんだし、堂々としてればいいんじゃない?」 「軽く言ってくれるわね。あいつらゲリラ連中は、WASPが嫌いでしょうがない奴らの集まりよ。その社長の身内な上に元彼女なんて、本来ならボコられても全然不思議じゃないくらいなんだから。」 「大丈夫。もしボコられたら助けてあげるからさ。これでも一応、責任感じてるんだから。香に盗聴器つけたのは僕だしね。ごめん。」 不機嫌そうに言う和歌に、ユイは少し力ない笑いを浮かべる。珍しく素直に謝った弟に、和歌は不機嫌な表情のまま、軽く首を横に振ってみせた。 「べつに。あんたのせいじゃないでしょ。」 「そう?」 言いながら、ユイは隙を突いて、和歌の手から注射器を素早く奪い取った。あ、と声を上げ、和歌が手を伸ばしてくるが、ユイはさっと身を翻してそれを避けた。 「それで?これは何?」 「・・・・・・薬。」 和歌は、恨みがましい目でユイを睨みながら、ぼそりと答えた。 「薬?何の薬?」 「・・・返してよ。」 強引にそれを奪い返そうとする和歌を押し戻し、ユイは、その注射器をレンガ造りのビルの壁に叩きつける真似をしてみせた。 「言わないと、これ割るよ。・・・姉貴、何か病気?何ていうか、こっちに来てから様子が違うみたいだけど。・・・・・・もしかして、眠いだのなんだのって、薬の副作用?」 「・・・・・・違う。副作用じゃない。」 和歌は、まるで拗ねた子どものような顔でユイを見つめ、少し頬を膨らませるような仕草をした。 「じゃあ、何?早く言わないと、これ本当に割るよ。」 「・・・・・・。」 和歌は、追い詰められたように低く唸った。 だが、それはたった数秒の間のことで、しばらくすると、彼女は開き直ったような態度で、ふふん、と鼻で笑ってみせた。 「それ、本気で言ってんの?」 「は?」 「割りたかったら割れっつってんの。やれるもんならやってみなさいよ。」 「・・・・・・。」 ユイは、無言で和歌の勝ち誇ったような顔を見返した。 彼女は、ユイがこの注射器を割れないことをよくわかっている。理由はわからずとも、この薬が姉にとって本当に必要なものであるならば、ユイはそれを割ることができない。第一、最終的にこれを割ったからといって、その先、ユイにとって有利となるわけでもない。和歌は、それを全部わかっていて言っているのだ。 黙り込んだユイを見て、和歌は実に機嫌よさげに笑い、片手を差し出した。 「あたしを脅迫しようなんて、百年早いのよ。返しなさい。」 「・・・何も言わないつもり?」 注射器を壁から離し、ユイはため息混じりに言った。和歌は、差し出した手を伸ばして注射器を奪い返し、もう片方の手で弟の頭を撫でた。 「・・・・・・ごめんね。言わないといけないことはたくさんあるけど、でも・・・。」 和歌はそこで言葉を切り、その顔から、全ての明るい感情を消した。哀願するような目で、ほんの僅かだけ自分より高い位置にあるユイの双眸を見上げる。 「・・・・・・今じゃなくてもいい?」 「・・・・・・。」 和歌は、口端だけを歪め、かすかに微笑う。 ユイは、じっと和歌の黒い瞳を見つめた。その瞳に浮かぶ表情を、感情を、決して見逃さぬように。 漆黒の双眸に過る非壊と絶望。それを覆い隠すかのように浮かぶ、虚勢と微笑。 ユイの目の前にあるのは、姉の顔。 どんな時でも弱さを見せようとしない、『お姉さん』の顔。 けれど、それが姉の本当の顔ではないと、ユイがそう気付いたのは、いつのことだっただろうか。 「・・・姉貴がそうしたいなら。」 唇から紡ぎ出されるいつもの言葉。 姉が求める言葉。ユイが彼女に与える言葉。 それは『Why』でも『What』でもなく、ただ、『Yes』。 (・・・僕にだって、姉貴を助けられるだけの力はあるはずなのに?) 「・・・ありがとう。」 和歌の深い闇のような瞳が揺れる。僅かに潤んだその中に、憂いと自嘲が交錯する。 『お姉さん』という仮面の下で、少しずつ壊れていく。ゆっくりと時間をかけて、狂っていく。 少し体を離した和歌が、白い腕に注射器の針を当てる。 微かに金属が擦れるような音が、鳴り響くサイレンの隙間を縫って、ユイの耳に届いた。 音の方向を辿った先には、和歌の透けるように白い首筋にかけられた、銀色のチェーン。 (・・・もう僕の他に、姉貴が頼る人間はいないはずなのに。) 彼女が最も信頼していた仲間は既にこの世を去り、上牧もまた、彼女の側を離れた。彼女より年長で、常に彼女を助けてきた千鳥や徳也も姿を消した。 (いつになったら、姉貴は僕を頼ってくれる?) 信じられるものは、お互いの温もりだけ。 すぐ側で自分の手を握りしめてる、お互いの存在だけ。 幼い頃からそうして生きてきたのに、気が付けば、お互いに相手に言えないことばかりを抱え込んでいる。 繋いだ手が離れたのは、いつのことだっただろうか。 先に手を離したのは、どちらだったのだろうか。
『第3小隊、第4小隊、搭乗して下さい。』 ぼうっと姉の顔を眺めていたユイの耳に、通信機越しに香の声が飛び込み、ふと我に返った。気が付けば、盗聴電波の向こうは、徐々に騒がしく、緊迫しつつあった。 「・・・始まるわね。」 和歌は、腕から引き抜いた注射器を地面に投げ捨て、低い声で呟いた。 『スラムへの電力供給をカット。回路をロックして下さい。』 再び、香の声が薄暗い路地に響き渡る。 「・・・・・・地下鉄が停まる・・・・・・戻る?」 片手で駅の方向を指し、ユイが静かな声音で呟くように尋ねる。和歌は、左手首に巻いた腕時計で時間を確認し、顔を上げて小さく頷いた。 午前11時53分。 突然、スラムの街に重なり合うようにサイレンを響かせていたスピーカーが、中途半端にその音を吐き出すのを止めた。 「・・・停電ね・・・・・・静かになって嬉しいわ。」 大音量に慣れつつあった耳には、急速に静まった裏路地の空気が、むしろ不自然なものに感じられる。和歌は、右耳を手で塞いだり離したりを繰り返しながら、ふっと笑った。 サイレンの残響の向こうから、駅前の雑踏と混乱を思わせる激しい喧騒が、一陣の冷えた風に乗り、二人の立つ裏路地を駆け抜けた。 和歌は、兵梧の待つ駅前の方向へと足を向け、ユイを振り返った。 「ほら、行くわよ。」 まるで急かすかのような和歌の態度に、ユイは思わず呆れたように肩を竦め、 「モタモタ注射打ってたのは自分のくせに、ホント態度がデカいよね。」 姉の態度の尊大さについては前々からわかりきっていた事だったが、一応、小声で悪態をつく。 「さっさと歩かないと、兵梧に置いていかれるでしょ。」 ユイの言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか定かではないが、和歌はユイの腕を掴み、早足で歩き出した。 「・・・はいはい。」 和歌に腕を引かれるままに歩きながら、ユイはため息をつき、あからさまに適当な返事を返した。
和歌が一歩を踏み出す度、チリチリと鳴る小さな音。
彼女の胸元に隠された、小さな金属が触れ合う甲高い音を聴きながら、ユイは自らの腕を掴む手を取り、そっと握り返した。
『第3小隊、スタンバイ完了。第4小隊、滑走路Lへ移動してください。』 すぐ前を行く広希の持つ通信機から、オペレーターにしては少し高い少女の声が聞こえ、奈津子は顔を上げた。 (・・・香ちゃん・・・・・・。) ユイの携帯電話に記録された香の写真を思い浮かべ、奈津子は心の中で、長い間離れていた親友の名を呼んだ。 サイレンが止まり、静けさを取り戻したスラムの街を走りながら、奈津子は荒い息をつく。吐き出された息は白く輝き、奈津子の頬を撫でながら後方へと流れていく。 『幹部メンバーに連絡する。三番街の駅前を目指せ。それ以外のメンバーはそのまま一番街へ移動させてくれ。』 通信機から聞こえた兵梧の声に、広希が短く返事をする。 地下鉄が止まり、取り残された人々を満載したバスやトラックが、傍らの道路をひっきりなしに往来する。中には、順番を待つことに不安を憶え、徒歩による避難を選んだ者もいるようだった。 いつになくスピードを上げて走り去るバスは、人々を三番街まで送り届け、再び五番街や四番街へと引き返してゆく。これは兵梧ではなく広希の指示によるものだが、バスや輸送トラックの行き先を一番街から三番街へと変更し、往復する時間を大幅に短縮させた事が効を奏し、全ての、とは言わないが、既にほとんどの市民が五番街を離れることに成功していた。 広希が元々、どういった人間であったのかは奈津子の知るところではないが、どうやら幹部メンバーの中で、作戦を立てたり、一度決定した事に細かな修正を加えるというような『頭を使う作業』は、元軍人である兵梧よりも、広希の方が向いているような印象があった。 ゲリラのメンバーには、市民を避難させる為にあるバスやトラックに乗ることは許されていない。そのため、奈津子や京、広希、その他のメンバーは全て、徒歩で移動しなくてはならない。 正直、鍛え上げられた肉体を持つゲリラのメンバー達に合わせて走ることは、体力的には普通の少女とさして変わらない奈津子にとっては、かなりの苦痛であった。 長く走り続けた脚は悲鳴を上げ、一歩踏み出す毎に脛や膝に耐え難い激痛が走る。膨張と収縮を繰り返す肺は限界に達し、喉が焼けるように熱い。 どんなに速く走っているつもりであっても、気が付けば一人取り残され、広希や京が気付いてスピードを落とすまで、奈津子と二人の間の距離は広がるばかりであった。 あまりの苦痛に何度も立ち止まってしまいたい衝動に駆られた。だが一度止まってしまえば、疲労した脚は二度と動こうとしないだろう。そうなれば、前を行く二人やその他のメンバーに迷惑を掛けてしまう。 『第21スコードロン(飛行中隊)第3小隊、カウントダウンを開始します。』 通信機から聞こえた香の声に、奈津子は一瞬、息を呑んだ。 同時に、広希の左手首に巻かれたデジタルの腕時計が、正午を知らせる小さな電子音を発する。 一度乱れた呼吸はなかなか元の調子を取り戻さず、思うように酸素を取り込むことが出来ない。吐き出そうとした息が、吸い込もうとした息と気管の奥で衝突し、呼吸が一瞬停止する。 奈津子は咳き込み、思わずその場に立ち止まってしまった。 通信機から流れる香の声が遠ざかり、奈津子は呼吸のリズムを取り戻そうと喘ぎながら、ぼんやりと熱を持った眼を、前方を走る京の背中へと向けた。 走らなければ。 頭ではそう思っていても、疲弊した手足は震え、立っていることすらままならない。 奈津子が立ち止まってしまった場所は、あれだけ走ってもまだ三番街から遠く、五番街への爆撃が始まれば、その余波を受けかねないような位置にあった。奈津子もそれは理解しているし、頭の隅で警鐘を鳴らしている自分がいるのだが、どうしても脚が動かない。少しでも気を抜けばその場にへたり込んでしまいそうなほど、奈津子の体は休息を求めていた。 (・・・走らなきゃ・・・!) 遠ざかる京の背中を見据え、なんとか自分を奮い立たせようと、奈津子は一歩を踏み出した。地面に擦るように差し出した足に、耐え難い苦痛を感じる。 「奈津子!!」 聞き慣れた低い男の声に、奈津子は振り返ろうと首を動かす。 だが、奈津子がそちらに視線を向けるよりも早く、奈津子は自分の体が宙に浮かぶような感覚を憶え、思わず声を上げた。 「きゃあっ?!」 「きゃーじゃないっ。」 上方から降ってきた声に顔を上げれば、すぐそばに和歌の顔があった。 彼女の顔越しに、周りの景色が後ろへと流れていくのが見える。冷たい風が、奈津子の頬を優しく撫でた。 「わ・・・和歌ちゃん!私っ、重いから!」 ようやく、奈津子は理解した。後から来た和歌が、自分を抱え上げたまま走っているのだと。 「ホントだわ。ダイエットしなさいよ。」 和歌は笑いながら、奈津子の体をしっかりと抱え直した。 奈津子は恥ずかしさと驚きが混じり合った表情で、和歌の腕の中から降りようともがいた。 「マリア、大丈夫?」 「ユイくん・・・。」 和歌の肩越しに、少し上気した顔のユイが、奈津子に声を掛けた。見ると、そのユイの向こうには、こちらもまた上気した兵梧の心配そうな顔。 「あんた、無理でしょ。大人しくしてなさい。」 奈津子は再び顔を上げ、和歌の顔を見る。彼女は奈津子を抱えて走り続けてもなお、息一つ乱していなかった。 「マリア、姉貴なら大丈夫だよ。この人、200キロくらいまでなら抱えてても、全然走るスピード変わらないから。」 走りながら、ユイがまるで茶化すような口調で言った。 和歌、兵梧、ユイの三人は、五番街からずっと、奈津子たちよりも長い距離を走ってきたに違いない。和歌は、彼女の持つ能力からか、全く疲労というものを感じさせない。その頬は上気すらしておらず、汗一つ見当たらない。 筋力については特に改造を受けていないはずのユイですら、それだけの距離を走り続けても、まだ言葉を発するだけの余裕がある。それに着いて来ている兵梧も、辛そうではあるが、まだ限界を感じさせない。 『第21スコードロン第4小隊、カウントダウンを開始します。』 和歌の左肩に取り付けられた通信機が、奈津子の耳元で香の凛とした声を響かせる。 「一個飛行中隊ですって?たった10機だけ?」 フン、と鼻を鳴らし、和歌が軽く肩を竦めた。 「それって、少ないの?」 ようやく喋れるまでに呼吸を整えた奈津子が、首を傾げて問う。和歌は、前を向いたまま、小さくそれに答える。 「ちょっと、ね。」 WASP空軍の編成において、爆撃機のスコードロン(飛行中隊)は普通、二個小隊から成る。一個小隊は二個編隊から成り、一個編隊は普通、2機の爆撃機で編成される。つまり、先程から香が指示を出している『第21スコードロン』は、第3小隊と第4小隊から編成される8機に、隊長機と副隊長機を加えた10機である。 スコードロンという単位は、WASP空軍編成の基本となる形ではあるが、スラム五番街とその周辺地域という比較的広い範囲の爆撃に対し、たった10機というのは少々少なすぎるような感が否めない。 「さあ・・・・・・それだけ、今回の作戦では燃料気化爆弾の方が大きなウエイトを占めてるってことじゃないの?」 「いや、一個飛行中隊でも十分だと判断されたのさ。」 ユイがセリフを言い終えるか終えないかのうちに、話に割って入ったのは、前を行っていたはずの広希だった。 気が付くと、広希の隣では京が荒い息をついていた。和歌たちの姿に気が付き、戻ってきたのだろうか。 「戻ってくるのが遅いね、Knignt(ナイト)。お姫様はお疲れだよ。」 「・・・・・・悪かったな。」 奈津子が立ち止まっていたことに気付かなかった京を咎めてのことだろう、明らさまに棘を感じさせるユイの言葉に、京はムッとした顔で一言、返した。 そんな二人のやり取りをちらりと見て、広希は再び和歌に視線を戻す。 「ゲリラは軍隊じゃないからな。空からの攻撃に弱い。」 「ああ・・・そうね。」 広希の説明は短かったが、どうやら和歌を納得させるには十分なものであったらしい。奈津子は、再び首を傾げた。 「どうして?軍隊とちがうって・・・。」 奈津子の問いに答えたのは、ユイの隣を行く兵梧だった。 「ゲリラには、軍と違って対空装備がない。対空ミサイルも機関砲も持たない。つまり、飛来する爆撃機を迎撃することは事実上不可能だ。向こうにしてみれば、最小の戦力でも叩ける相手だということだ。」 「・・・そっか。そうよね・・・。」 奈津子が肩を落としてそう言うと、ユイが和歌に近付き、ぼそり、と一言呟いた。 「・・・ちぃちゃんがいればよかったんだけどね。」 「ちぃちゃん?あぁ、千鳥?」 「千鳥?」 その名前を聞いて、兵梧が和歌を振り返り、奈津子もまた、和歌に抱えられたまま彼女の顔を見る。 「大宮・・・千鳥か?」 『生き残った八人』の名前を知る兵梧が、すかさず訊き返した。そう訊かれて和歌は、軽く頷いて応えた。 「ええ。今はどこ行ったかわかんないけど。なんていうか、能力の破壊力と範囲だけでいえば最強の女。」 「そう。パートナーがいれば、の話だけどね。」 和歌に続けて言いながら、ユイは少しだけ笑ってみせた。 「・・・大宮・・・千鳥?」 奈津子は、その名前を口に出して反芻する。 奈津子の記憶が正しければ、大宮千鳥とその能力上のパートナー、富田徳也は、研究所内では『電脳のマリア』と並ぶ有名人であった。飛び抜けた破壊力を持ちながら、パートナーがいなければ発動させることができない、異質な能力が話題になっていた。 (・・・どんな顔だっけ・・・・・・?) 奈津子は、昔一度だけ、千鳥と徳也の二人の顔を見たことがあった。 思い出そうと目を閉じるが、どうしても思い出すことができない。 (・・・あの二人も生きてたんだ・・・。) 大宮千鳥に富田徳也。それに、西院香、張・愛怜・ライトスパロウ、淡路和高。加えて、ここにいる水無瀬和歌とユイ・昂滋・プラムフィールド。改めて名前を並べてみれば、やはり皆、B−21研究所内でもある程度名前の通っていた者ばかりであった。 (・・・これで七人。あとの一人は・・・?) 奈津子は、ふと、自分を除いて八人いるはずであるのに、一人だけ名前も何も出て来ないサイボーグが存在している事に気が付いた。 (・・・単に、今回関わりがないだけかしら?) 最後の一人。奈津子は、それが誰であるのか知らない。 (・・・和歌ちゃん達と同じくらい有名だった子・・・・・・あと一人くらい、いたかなぁ・・・?) 意識して考えてみれば、あと一人、名の通った子どもがいたような気がする。 (・・・男の子・・・・・・確か、男の子だわ・・・。) 『15秒前、14、13、12・・・』 奈津子と京を除く全員が持つ通信機から、事務的なカウントダウンが冷たく響く。奈津子は我に返り、閉じていた瞼を開けた。 「マリア、大丈夫よ。最低5分くらいは余裕があるから・・・・・・。」 気が付けば、奈津子は緊張のあまり、自分を抱える和歌の腕をきつく握り締めていた。 「5分?なんでだよ?」 京の問いを受け、ユイが何か言おうと口を開いたが、言葉を発したのは、兵梧の方が少し早かった。 「俺は、空軍の出ではないが・・・。」 『10秒前、9、8、7・・・』 「爆撃機が攻撃する際には、自機が爆発に巻き込まれない程度に高度を上げる必要がある。一度、スラムの上を通り過ぎて、高度を上げながら旋回してくるはずだ。」 「・・・最新のアフターバーナー(一時的に推力を上げる装置)を使っても、そこまで高度を上げるには5分以上かかるだろうね。」 兵梧に台詞の前半を奪われた形になったが、ユイはそう付け加えた。 『4、3、2、1・・・作戦開始。』 「来るわよ。」 作戦開始を告げる香の声と、少し緊張した和歌の声が重なった。 前を行っていた広希が足を止め、暗雲の垂れ込める空を見上げる。それにつられるように、和歌やユイ、京、兵梧もまた、走り続けていた足を止めた。 周りを走っていた他のメンバー達は、一度も立ち止まることなく、一直線に三番街や一番街を目指して走り去る。 彼らの足音が遠ざかり、通りには六人だけが取り残された。 通信機からは、次の小隊の発進を秒読みするカウントダウンの声が響く。 「・・・和歌ちゃん・・・降ろして。」 突如舞い降りた静寂に遠慮するかのように、奈津子が控えめな声を上げる。身を屈めた和歌の腕から地面に降り立つと、舗装の行き届いていない湿った地面が小さく飛沫を上げた。 『10秒前、9、8、7・・・』 奈津子が地面に立ち、皆と同じように空を仰ごうと顔を上げた直後、道路のすぐ脇に建てられたビルの窓が、カタカタと小さな音を立てて震え始めた。 「・・・・・・!」 鼓膜を直接震わせる、まるで地鳴りのような爆音。 地面に落ちた小石が小さく跳ね、周り中の建物の窓ガラスが、今にも砕け散ってしまいそうなほど激しく音を立てて揺れる。 「・・・・・・!!」 自分が発した声すらも聞こえない、低音と高音の雑じり合う爆音の中で、和歌の両腕が動き、奈津子と京の体をそれぞれ掴まえた。 奈津子の視線の先、六人が立つ位置からほんのわずか西寄りの空を、真っ黒な影が覆い隠す。 教会の尖塔に衝突するのではないかと思う程の低空を、黒く光る機体がいくつも横切っていく。 間近に見るそれは、巨大としか表現の仕様がなく、見る者に充分すぎるほどの恐怖を与えた。 『5、4、3、2、1・・・第4小隊、発進。』 黒い機体がみるみるうちに小さくなり、過ぎ去った後に訪れたのは、後ろから突いて来るかのような凄まじい突風。 予想もしていなかった突然の突風に、奈津子と京が同時に前に吹っ飛ばされそうになる。よろめいた二人の体を、和歌の両腕がしっかりと掴んでその場に留めた。 「しっかり立ちなさい!」 風に巻き上げられ、乱れた長い髪を手で整えながら、和歌は奈津子と京の体を離した。 「和歌ちゃん、ごめん・・・・・・びっくりしちゃって・・・。」 「あんなのが、まだ来んのかよ・・・。」 「思ったより小型だよ。」 初めて間近で戦闘機を見た奈津子と京の驚きに、水を差すかのようなユイの声。彼は、自分の髪や服についた埃を手で払いながら、もう既に六番街上空に達した5機の戦闘機に目を遣った。 「次が来る、行くぞ。」 こんな状況でも落ち着き払った調子の広希の声に、一同は踵を返し、再び三番街の方向へと足を向けた。 その時だった。 盗聴電波の向こうのオペレーション・ルームに、けたたましいブザーのような警報音が鳴り響いた。
『香!何や?!』 『3号機、ロック・オンされています!!』 『ゲリラに対空装備はない!』 『わかりません!・・・隊長機、3号機、敵砲台を確認してください!!』
俄かに騒がしくなった通信機の向こうの声に、全員が顔を見合わせ、間もなく七番街上空に達しようかという5機の戦闘機に視線を移した。 「・・・あんた達、そんな装備持ってないって言ってなかった?」 和歌が、兵梧と広希を振り返り、眉根を寄せた。
『隊長機から管制塔へ!砲台、確認できません!隊長機、2号機、3号機、ロック・オンされています!!』
「隠してどうする。対空装備は一つもないはずだ!」 ただ目を細め、建物の隙間から見える機影を目で追う広希の横で、兵梧が半ば怒鳴るように言葉を返す。 「・・・だけど・・・!」 和歌が再び何か言おうと口を開いた瞬間のことだった。 七番街から伸びた一条の青い光が、暗く澱んだ空を灼き、垂れ込める暗雲を明るく照らした。 編隊を組んで空に並んでいた戦闘機の右端に、赤とオレンジの花が咲いた。 一瞬遅れて、腹の底に響く爆音が、奈津子の鼓膜を激しく震わせる。 高速で飛び続ける4機に取り残されるように、バラバラに砕けた黒い機体が地上を目指して落下を始める。奈津子の目には、それがまるでスローモーションの映像を見ているかのように映った。それが現実に起こっている事なのだと、即座に認識することができないほど、その光景は現実感を無視していた。
『3号機、撃墜されました!!』 『どこから撃たれた?!モニター回せ!』 『七番街です!・・・隊長機、一時の方角に砲台を確認してください!』
「・・・・・・あれは・・・。」 ぼんやりと目の前に広がる光景を眺めていたユイが、呆けたような声を出した。 そして、もう一度。青い光線がスラムの空を照らし、七番街上空を飛ぶ4機のうち1機の黒い片翼を貫いた。 片翼をもぎ取られた機体は大きく傾き、キリキリ舞いをしながら部品を散らし、墜落を始める。
『2号機、撃墜されました!!』 『・・・・・・和高、あの光・・・。』 『・・・ああ、こんな所に隠れてやがった。』
通信機の向こうでは、愛怜と和高が低い声で言葉を交わす。和歌は、ゆっくりと背後のユイを振り返り、顔を見合わせた。 「・・・間違いないんじゃない?」
『隊長機から管制塔へ!確認しました!!』
奈津子の周囲で、再び窓ガラスがカタカタと音を立て始める。少し遠くから、エンジンの爆音が響いてくる。後続の5機が再び上空を通過する前兆に、奈津子は足を地面にしっかり着け、襲い来るであろう突風に備えた。
『砲台は見当たりません!寺院屋上に・・・・・・高温のエネルギー隗を確認!人型に・・・発光しています!!』 『隊長機、ロック・オンされています!後続第4小隊、七番街を避けて進路を東へ!』 『・・・・・・人型発光体・・・。』
徐々に近付くエンジンの爆音の中で、和歌は再び顔を七番街の方向に向けた。肩にかかった髪を掻き上げながら、低い声で呟く。 「・・・千鳥・・・!」
そして再び。 青く輝く一条のレーザー光が、暗く澱んだスラムの空を灼いた。
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