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「なんかね、場違いな気がしてきたの……」
コーヒーとケーキを運んできた店員の胸に付けられたネームプレート、「英田」の読みが一体何であるのかを真剣に考えていたユイに向けて、香は唐突にそんなことを言い出した。
「何が?」
とりあえず、店員の名前問題は頭から追い出し、ユイは香にそう聞き返した。
よく考えれば、あの店員を名指しする機会があるとも思えない。
「えっと……だからね、周り見て?」
「周り?」
言われて、ユイは店内を見渡してみる。
ガラスを挟んだ窓際の席では、恐らく日本人ではないと思われるカップルが見つめあい、店員に割って入られている。
入口のほうへと目を遣れば、先程の「英田」くんが、黒髪の若いカップルに火花を散らすバケツ(?)を運んでいる。
「……別に、あれは注文しなくていいと思うよ」
「一体、何を見てたの……? そうじゃないの、そうじゃなくって……もういいわ」
全く的を外したユイの言葉に、香はため息をつきながら、目の前のコーヒーに角砂糖を放り込む。
生まれつき鈍感なのか、それともわざとそうしているのか。
ユイは、香の感じている居心地の悪さを、ちっとも理解できないようであった。
雑誌で見かけたカップル限定のこのカフェに、偶然を装ってユイを連れてきたまではよかった。
だが、ここまでカップルだらけだとは、香も予想していなかった。まさか本当にカップルしか入れないわけがない、そう思っていたのだが、香は少し、このカフェをナメていたらしい。
激しくラブラブムードを発散させるカップル達に、香は入店の時点からノックアウト気味であった。
もちろん、自分たちだって十分にカップルに見えるだろうし、そうなりたいとも思っているのだが……。
一体、何年越しの片思いだろう、などと考えながら、香は自分の不甲斐なさに悲しくなる。
「……香」
「え?……な、何?」
気が付くと、ユイが珍しく真剣な目で、香の目を見つめていた。
「すごく言いにくいんだけど、驚かないで聞いてくれる?」
ユイの声は、実に真剣だった。
透き通るような青い瞳に見つめられ、香は思わずドギマギしながら視線を逸らした。
昔に習ったマナー講習によれば、相手の目を見れない時は相手の口元を見ればいいのだという。香はそれを思い出し、視線を相手の口元へ移した。
「う……うん」
「よかった。じゃあ言うけど……」
こんなに改まって、一体何を言うつもりなのだろう。
香は、破裂寸前の心臓を抑えきれず、頬が熱くなるのを感じ、思わず恥ずかしくなって顔を伏せた。
ホワイトデーが近いからだろうか、激しく脈打つ胸の奥に、かすかな期待まで生まれてしまう。
そして、ユイがゆっくりと口を開き、発した言葉。
それは香にとって、この上なく衝撃的だった。
「肩にバッタ乗ってる」
「きゃあああぁ――――ッッ!?」
悲鳴を上げて立ち上がった香の肩から、マニアにはたまらないであろうほど大きなバッタが転げ落ち、慌ててテラス席から避難していく。
同時に、テーブルの上の二つのコーヒーカップが倒れ、床の木目の上に盛大に中身がぶちまけられる。
「驚かないで、って言ったのに。」
香の悲鳴にざわつく店内を見渡しながら、ユイは困惑した表情で言った。
「だ……だって、だってぇ……」
半泣きで椅子に座り直す香をよそに、ユイは落ち着いた様子で、床を拭きにかかる「英田」くんに一言謝り、倒れたコーヒーカップを元に戻す。
「うん、新鮮な反応で面白いよ。姉貴だったらこうはいかないから。たぶん、普通に掴んで捨てるよ、あの人は」
「う……和歌、強い……。」
確かにユイの姉なら、バッタだろうがゴキブリだろうが、掴んで捨てそうだな、と、香はその光景を想像する。
「……ごめんね、ユイ」
香は、しゅん、と肩を落とし、ケーキだけが残ったテーブルの上に視線を彷徨わせた。
「いいよ、別に」
もうこのカフェには来たくない、そう考えながら落ち込む香に対し、ユイは実に可笑しそうに笑っていた。
「ケーキ食べたら? たぶん、コーヒーはまた淹れてくれると思うから」
「……うん」
重い空気を背負いつつ、香はフォークを握り、ケーキの端の方に突き刺した。
テラス席なんかに座ってしまったことが悔やまれる。オープンテラスということは、昆虫に対してもオープンであるというのに。
「それ、おいしい?」
「うん……おいしいよ。たぶん」
正直、味などわからないくらいにヘコんでいた香であったが、一応、無難な答えを返しておいた。
「そう。よかった」
だが、それを聞いたユイは、そう言って笑った。
「え?」
「それ、ホワイトデーのお返しってことでいいかな? 香もバレンタインの時、ケーキおごってくれたから」
「ホワイトデーの……?」
香は、思いがけない言葉に、呆然と目の前のクリームケーキを見つめ、呟いた。
もう何年越しの恋になるのかもわからないが、今年初めて、マトモに渡せたバレンタインのプレゼント。それも、チョコレートを渡す勇気がなく、結局レストランでデザートを奢っただけだった。
まさか、それにお返しがもらえるとは、思ってもみなかったのだ。
「それとも、何か物のほうがよかった?」
「う……ううん! そんなことない!」
再び、かあっ、と顔が赤くなるのを感じながら、香は慌てて首を振った。
「……うれしい。ありがとう、ユイ」
ユイといると、香の心臓は一日に何度ドキドキさせられるかわからない。それでも、彼といたいと思ってしまう。
香は、食べてしまうのがもったいなく感じてきたケーキに、仕方なくもう一度フォークを入れた。
「あのね、ユイ」
「ん?」
「えっと……また来ようね、ここ」
もうバッタの痛手は消えてしまったのか、と、ユイは首を傾げたが、少し笑って返事を返した。
「……そうだね」
嬉しそうにケーキを口に運ぶ香の姿を見ながらユイは、入口に立てられたホワイトボードの文字を思い出したが、それを掻き消すように軽く、頭を振った。
香はおそらく、自分にそれがわからないように連れてきたつもりなのだろう、ユイはそう考え、あえてそれは口に出さないことにした。
帰り際、会計を済ませたユイは、香にホワイトボードを見せないように気を遣いながら、カフェを後にした。
女の子が好みそうな、ポップな文字でデカデカと書かれたその一文。
そのわりには、目立たないところに置かれたホワイトボードを振り返り、ユイは小さく笑った。
『カップル限定☆』
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