あなたは人目の訪問者です。
ようこそいらっしゃいました。

以下の文書は個人的にある会で発表のために出した原稿で、途中から書き込んでいますので書き出しがおかしいかもしれません。


 地域の中で何ができるかいうのは、イコール社会の受け入れ態勢で、当たり前
に受け入れてもらえることが、特別なものとして捕らえられているということで、
 なんでもすべてが特別なもののように別枠であまりにも囲われすぎているような
気がします。

 現在、「レスパイトサービス」というサービスに興味があり、関わりつつあります。
「レスパイトサービス」とはあまり聞きなれない言葉であると思われます。同時に
「アテンダント」とかいう言葉も普通に使われつつあるようです。言葉の意味を説
明する前に、生命維持、精神衛生などという「ヘルパー」の枠組みから、生活を楽
しむ枠組みへと広がり、趣味など楽しむための我慢をしないような風潮になりつ
つあります。当たり前に生活を充実させる方向へ(ただ、お金があれば・・・という
条件はいつも付きまといますが)と変わりつつあります。
さて、「アテンダント」とは何か、一般的に生活を楽しむための有料のボランティア
的な要素を持って使われつつあります。
それでは「レスパイトサービス」とは、福祉専門の方たちが本人の生命維持、精
神衛生などという「ヘルパー」の枠組みも含む家族の方たちへのサービスを提供
する援助活動で本人も取り巻く、学校・地域活動への援助活動であるようです。
実際、ここ長崎市(多分県も含む)で普通学校に車椅子使用の障害児が通う場
合、親の同伴が絶対の条件で親が風邪などをこじらす、もしくはほかの子供が体
を壊した場合、障害児は教育を受ける本来の権利がなくなってしまう。だからとい
って養護学校に通わせるほうがマシ、といってしまえばそれで済みそうだが、本
来の統合教育の目指すところが薄れてしまうような気がする。そこで、今までは
本人だけのサービスから家族・地域活動までも有料(もうすでに一部の行政では
補助金が下りている)でサービスを提供する団体ができつつあります。
 24時間という時間の中で1人の人だけのかかわりより、いろんな人が仕事とし
て、ひとつの理解し合える社会作りにだんだん実現化するために変化していま
す。
 私が正直思うのは、平成15年には障害者の方たちへも介護保険が適用される
のではといわれていますが、果たして今のデイサービスが、どこまで固定した施
設がすべて担えるのだろうかと心配します。多分ももっと個人はわがままになる
ような気がしますし、そういった個人の活動にあわせたサービスのメニューが増
えてきそうな気がします。
 いろんな施設が老人や障害者だけにとどまらない社会教育的なカリキュラムを
持って独自の特色のあるデイサービスであり、曜日毎個人の選択できる施設サ
ービス内容が問われ、福祉だけにとどまらない専門のプロがやるようなクラブ的
場の提供が今後のデイサービスへの転換のキーワードになるような気がします。
一見現場を何年も離れていますが、今は結構、客観的に眺めています。

 東洋一と呼ばれた水族館の原型が徐々におかしくなっています。
 建物の芸術的な価値とその地域に文化を残した遺功は大きな意味を残してい
ます。
 子供のころ、ものすごく広く感じていた。なんか夢のある世界に行けた気がした
のは僕だけでしょうか。
 今ずいぶん壁に穴があき、壁が壊されています。いったん作った形は確かに維
持することは大変であるのは、言うまでもなく、わかりきったことですが、今、ふっ
と思うとあの建物に対しての感情は、日本にいながらにして、別の国でもなく、独
特の空想空間を与えてくれていたような気がします。決まった割り振りのある空
間でなく、コンクリートの冷たさを感じさせず、世界で泳ぐ魚に親しみを感じさせる
そんな場所でした。実際、正門の向こうにひがる橘湾の入り口を眺めた景色はよ
く覚えています。宝、いざとなるとやっぱり寂しいなぁと感じる今日この頃。

 実はみんなともだちの機関紙が一ヶ月ほど前、完成はしたのですが、それ以後
疲れましたね。
 みなさんには更新情報が変わっていないので、こいつさぼっているなぁと思われ
たかもしれませんね。

 今回の情報は実際、文化祭をはじめ700KBというチョーヘビーなデータもありま
すが、パソコンを使って対象者別にどのようなソフトや機材があるのか紹介したり
しています。
 会の一番の特徴はユーザーがデモンストレーターということで嫌が上でも納得し
てもらうような文化祭の会場です。その雰囲気が伝わればうれしいです。
 あと実際どういうソフトや機器を用いて指導しているかなどがわかりやすいよう
に一覧としてまとめています。

 ギャラリーが始まりました。自分のギャラリーをリンクしてほしいという方、どんど
ん連絡ください。

 あとテクニカルエイドのコーナーやリンクのコーナー開いたい気持ちはうずうず
していますが、体はひとつ。気長に待っていてくださいね。

 先日、私の友人が今日のこの話題について以前から僕のところに電話で相談
していたことでした。
 ただこの話題については、一団体を責めているわけではなく、本人も含めて、ま
だ、お互いの意識レベルを高めないと本当に何が福祉で個々の能力を認め合
い、個々の尊厳を守れるかということがポイントのような気がします。
 前置きが長くなりましたが、この話題のきっかけは、毎年二科展に入賞している
友人が、障害者の方の作品展(国際ボランティア年ということもあり、何か県の機
関で計画を立てているらしい、そこで彼にも白羽の矢が立った)を企画しているか
ら、と今相談を受けている−と相談の内容。「良い話(だつたら)でちゃんと画家と
して受け入れ態勢があるのなら、受けみんね(作品をだしてみたらと言う意味で
相談を返した)。」
 数日後、彼の心配(たぶん僕のホームページを隅から隅まで読んでくださった
方ならあっ、この人とお気づきでしょう)と僕の予感は見事的中し、展示会の発表
の場を与えて挙げているのだと言わんばかりの対応のようだったそうで、おまけ
にパンフレットのようなチラシには、その団体の活動の宣伝でせめて、彼らのこと
ももっと書いてくれたらいいのに、
 話を受けると決めて、話をつめていく途中、画材をはじめ、いろんな経費が必要
です。と伝えたのになんの返答もないまま、しぶしぶ参加したそうで・・・
 僕から、彼はまた逆にシコタマののしられたのはいうまでもなく、ただ、私が云
いたいのは自分から話を持って来て頼みに来ているのになぜ、プロと認めている
ならプロらしく、プロを迎えられないのか(素人がするのでなく、中に一人でもそれ
なり、芸術に対して一人でも心配りが出来、それなりの受け入れ態勢という意思
レベルをもっていたのなら、このような結果にならなかったような気がします)とい
うことです。別に学芸会やクラブで発表するのならともかく、また、相手で対応を
選ぶのか、たぶん予算がどうのとか言う話で終わりそうな気がしますが、
 さて、人権、人格の尊厳、社会参加と平等なんていう言葉を一番口にしている
人ほど、何だかきな臭く、最近特にオブラートに包むのが上手なのはそういう対
応をする人たちに目立ってきているなぁと感じています。
 参加する人、見に行く人の意識も変えないと本当に未だ、無意識のうちに同じ
市民なのに上下関係が消えないのは、悲しいことのような気がします。
 最後に芸術家のプロというからには、それなりに分けることなく認める社会であ
ってほしいと思います。もっとはっきり云えば、知的勝負で彼らを認めているので
あれば、そういう面ではハンディとは無縁のはずとおもいますが・・・ハンディにあ
ぐらをかいて座布団を引いてもらうようなら、やっぱり芸術家と認めてもらえない
のでしょうね。

 久しぶりの気まま日記の復活

 政治の落し所に東京の養護学校に問題の教科書を採用というニュース きな
臭さと面子だけの問題とまた、養護学校なら国際問題にしまいとどこかそんな安
直な匂いがしました。
 つい、うがった見方をついしてしまうのですが、政治運動(政治的圧力とか、政
治家になりにくい立場の人に押し付ける)にあまり力を持ちにくい人たちだから、
養護学校という苦肉の選択をされたのだろうか。ともとれる問題と感じたのは、私
だけでしょうか。国際問題と人権問題にもなりかねない要素を含んでいるようにさ
え感じます。
 事実、現在もかどうかは定かではありませんが、最近まで現場の先生から聞い
た話、養護学校の高校に進学する子供のカウントは普通学校の子と混ぜて進学
率をはじいていないそうで・・・。聞いてびっくり。同じ16歳なのに・・・。逆に何らか
の理由で健常者の子供が養護学校の高校に入るパターンもあるそうだけど、こ
のカウントも怪しいね。

表紙が少しは見やすくなったと思います。

気にかけていることは、目にハンディのある方でも見れることを前提にイラストと
あえて文字の説明を入れてみました。
ただどこでも配置というモードで作成していますので、若干読み順が前後していた
りしていたりするのではと心配しています。

素人的な考えなのですが、よく人との会話に言語にハンディがある人が文字盤を
指差して、文字により会話をしているところを見かけます。
コミュニケーションエイドの手段としてシンボルマークという方法があります。簡単
にいうと、今はやりの携帯の絵文字と同じと思っていただけたらわかりやすいと
思います。そういう点で云うとシンボルマークの方が進んでいるのかもしれません
ね。
そこで耳の聴覚にハンディがあり、手話という手段もありますが、普及しているの
ならいいのですが、特にとっさに手話が使えればいいのですが、でも、会話はし
ければお互い困る。メモ用紙があればいいのですがこれも必ずあるとはいえな
い。身体と言語の発音にハンディがある人も使える道具としては、その店ごとに
大き目の文字盤などを置いていてもらえると足る刈るような気がするのは、私だ
けでしょうか。
もし、言語の発音にハンディのある方と文字盤をつかうことがあった場合、そのと
きは先走りをしないで.、本人の目の指す方をきちんと見てください。介護者付の
場合も必ずしも介護者が本人の代弁を100%くみ取って入ることは云えませんか
ら、一度本人の意思を確認し、会話が出来るようであれば先ほどの文字盤など
有効な道具です。音声の出るパソコンなどがあれば、それにこしたことないけど、
起動してなんととかじゃ。会話が待てない。ローテク(機械を介さない手動式のよ
うなもの)も時にはすごく有効な気がするし、高く付かないような気がします。

今日は車椅子の申請に行ってきました。

身体的にハンディを伴う子供の出生率は、子供の絶対数は減ったかもしれませ
んが、その割合はそれほど低下もしていなく、しいて云うなら、子供のころからの
リハビリなどで幾ばくかハンディの程度はよくなっているようで・・・・?

そういえば、ワンスイッチで遊べるホームページの話し、偶然ですが、「プロ野球
の名球界」のゲームのホームページを見ていたら、草野球とプロ野球と名球界と
いう各コースがあり、それぞれ玉が速くなります。確か5球投げてくるボールをタイ
ミングよく打たなければなりません。これがなかなか打てません。うまくいくとホー
ムラン。

どうしても体にハンディを持っている方の場合、周りの関係者は力んで、ワンスイ
ッチのゲームとなると限られてきて、特別につくつた物を与えなければ(ある種の
宿命にも似た義務感にとらわれすぎて特別な御誂え物を与えられてしまう傾向が
ややもするとそういう環境と思考に向きがちです。)と考え込みませんか。

偶然でも集中して打てたときの感動は特別なものがあると思います。発想は何が
楽しめるのか。で状況によってすべてがハンディキャプトであるといえないというこ
とです。参加するゲーム、共有できる空間、体験をもっと役割分担して参加できる
場が出来れば、ハンディの重い人でも何らかの意識が変わってくると思います。

ちなみにゴキブリたたきや名前は忘れましたが同じフリーソフトのただ単にピッチ
ャーが投げて打つだけのゲームや2スイッチでする、ロデオのゲームなどがあり
ます。

ゲームについては、みんなの中の役目を持って、参加する私がキネックスで作っ
た、ゲームもあとでアップしたいと思います。なぜ作ろうと思ったのか、その思いも
つけて、近いうちに発表したいと思います。

たくさんのアクセスとリンクの許可をもらっています。ありがとうございました。


障害者と健常者の出会いとコミュニケーションスペース PARA
  http://www.para-japan.com/
294(ふくし)GOGO
  http://www.29455.co.jp
ZON’s HOMEPAGE(児童福祉の問題を詳しく捉えている)へ
  http://www3.ocn.ne.jp/~zonjk/
以上3箇所の方有難うございました。

改めてリンクのページをつくりますので今しばらくお待ちを

あと、美味しい山菜料理の店とか諫早近郊で改築改造の相談を受けてくれる会
社の紹介などなどお知らせしたい情報はたくさんあるのですが、ページをつくる時
間がなくて


自分の会社の紹介はそっちのけになっていますね。


話は変わり視覚にハンディのある方を以前パソコンの指導をしました。
先週の土曜日にたまたま演歌の好きな方と検索をしていたら、歌詞を出してくれ
るサイトが見つかりました。
「うたまっぷ.com」と云うサイトでした。
以前カラオケで点字がないと聞いたことがあり、わざわざボランティアの人が点訳
していたそうで、確かにそのサイトに到達するまでは大変かもしれません。音声に
関するソフトのホームページリーダー(ホームページを音声で案内)とドキュメント
トーカー(テキスト読み上げ)と95リーダー(メニュー操作の読み上げ)をもし手に
入れられる(それに近いものでも)ようでしたら、気楽に歌詞を覚えられますね。

ただ、うちの掲示板一般投稿にしていますが、お互い著作権には気をつけましょ
うね。

2001/05/29 宣伝はじめに
いろんな検索会社へ登録済みました。疲れた。
実際ホームページって創って見ないとわからないことばかり

いまから大変だぞ

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薦お構いなく、ただ他人を載せる場合、本人の了解を得てくださいね。