
−2.名馬になれなかった不運の馬たち−
力強い末脚という武器を持ちながらSS産駒の特徴(?)である「良い脚がゴールまでもたない」弱点に泣かされ、”3強”の3番手で終わった。
骨折など、弱い脚部を労りながら5歳に本格化。サンデーサイレンス産駒としては珍しく古馬のタイトルを穫れる馬だったが、有馬記念で「いったんは先頭に立ちながら差し切られ2着」を2年繰り返すなど、とうとう頂点には立てずじまい。唯一勝ったGIである宝塚記念には3強の残り2頭はおらず、クビ差勝ちした相手も5歳馬バブルガムフェロー、すなわち「SS産駒の古馬」であった。
全く同じ運命ばかり繰り返す「血統」を乗り越えることが出来ないまま、脚部不安のため種牡馬として「SS後継争い」の頂点を目指す。 名馬シンザン産駒初のクラシックホース。
モンテプリンス一色の菊花賞であっといわせたのが懐かしい。古馬になってからも重賞路線で活躍していたが、アンバーシャダイの影に隠れて人気は最後まで無かった。
その後、アルゼンチン共和国杯を一勝しただけでひっそりと引退。
数年後、ミホシンザンの登場でシンザン産駒の代名詞までも奪われる事になる。自分に競馬を教えてくれた名ステイヤーであった。
(「シンザンを越えろ」はもう過去。毎年毎年最強馬が登場する。欧米文化への憧れのあまり良い伝統も平気で捨て去る日本人気質...これが日本の”文化”になってしまった ...和泉記) 小回りでも余す事なく発揮されたあの切れ味がありながら、1回のG12着を残しただけで引退してしまった。本格化が遅かった所為もあるが、運に恵まれなかったのも事実。辛うじて種牡馬になれたが、それまではいつ故障してしまうかと随分心配したものである。なにしろ数少ない個性派ディクタスの産駒、今後は追い込みの仕事でG1を席巻する超大物を送り出してほしい。
(勝ったレッツゴーターキンがパッとしないのでなおさら評価が上がらない...和泉記/北海道フォトギャラリーに彼の顔写真がありますよ) 4白流星の派手なルックスの持ち主だった。朝日杯GI、N騎手の「水車ムチ」でこれまた派手な勝利を飾った翌年にはダービーで6馬身差の圧勝。とうとう映画”優駿”のオラシオン役として芸能界デビューが決まった。しかし、菊花賞はN騎手の気合いが空回りして大外枠から暴走し惨敗、有馬記念ではスタートを意識しすぎて落馬、空馬で走って万馬券の「主役」になった。結局その後も映画撮影用カメラの前でひとレースも勝てないまま脚部不安で引退。なお、”優駿”の主役は斉藤由貴と緒方直人、また彼の影武者として何頭かのサラブレッドが撮影で命を落としている。
ラモーヌの弟という超良血も、とうとうGIに届かなかった。1989年天皇賞(秋)、前年オグリキャップをGIへ導いた名手O騎手がそのオグリを負かす為に選んだのがこの馬。しかし直線内から早めに抜け出して粘り込む作戦も通用せず3着。1年後の同レース、O騎手は位置取りもコース取りも仕掛けも前年と全く同じ戦法でとうとうオグリキャップを負かしたが、乗っていたのはヤエノムテキだった。アルダンは、Y騎手を背に追い込むもヤエノに届かず2着。結局、慢性の脚部不安との長い戦いの末、GIの勲章を手にしないまま無念の引退となった。
1987年の有馬で、後方内追走から競争中止したスターオー(A騎手騎乗)のいなくなった内ラチ沿いを抜けて万馬券をあけた馬。しかし翌年の有馬では全く同じ位置取りから前年と同じ3枠、A騎手鞍上の馬(マティリアル)がバテてずるずる後退、そのせいで最後方に下がり、直線、馬群をついて行ったら今度はスーパークリークが妨害。また最後方まで下がってそこから立てなおし、大外追い込んで(オグリ、タマモらの)5着。もったいない(私の馬券も)。これがなければ「昭和最後の名勝負」の中に"4強"の中の1頭として名を連ねていたかも知れないのに。引退理由が「枠内駐立不良が直らないため」だったなあ。
(shouさん:メジロデュレンに加えて)デュレンはG12勝でありながら、あまりにもその評価が低く、さらに弟がすんげぇスーパーホースであったがために、種馬として廃用にされちまったのが、なによりの悲運でしょう。せめてマックイーンがG1一勝程度だったなら..... 「走る労働者」彼に附せられた名前です。
このような名前を貰った馬は何頭かいます。例えば、トウフクセダンとかヤマニンバリメラとかしかし彼らと違う点はやってきた相手がが全く違う。走ったレースが全く違うと言う事です。
有馬記念ではグリーングラスの鼻差2着、天皇賞ではプリティキャストの2着決定的な強さはなかったけれども間違いなくGIクラスの馬でした。競争成績はかなりしっかりしたものでしたが勝ちきれず内国産重視のメジロ牧場でさえ種牡馬になれませんでした。
勝つ事だけが自分を主張するしかないサラブレッド。しかし、彼が幸運だったのは中央競馬会に買い上げられ誘導場として余生を送れた事ではないでしょうか。幸福というのはどう言うものか。ひょっとしたらこの馬一番幸せな老後を暮らしたのでは?
(人間社会も不況の真っただ中。「職があるだけで幸せ」を実感させられる。ミスタートウジンはどうしているのだろうか ...和泉記) またやっちまった!
4歳の3冠レース、”実力”は認められながらも勝ちに届かないもどかしいレースを続け、周囲を心配させ続けていたが、5歳になって花開いた。関西の名手K騎手の騎乗で「史上最も堅い天皇賞」と言われたシルクジャスティスとの一騎打ちでみごとに勝利。メジロの伝統をしっかり守った。
ところがその後、間隔が開いたのが悪かったのか、非常識な灼熱の中のグランプリが悪いのか、それとも馬自身が悪いのか、宝塚記念でゲートイン直後に大きく立ち上がり(ひとつ間違えば騎手共々他界の大惨事だった)、外枠発走となったが今度は出遅れ。挙げ句の果てに4コーナーで前がつまり万事休す。
出遅れは”K騎手のいつもの事”だったとしても、このお粗末さはちょうど10年前の有馬記念のメジロデュレンと同じだな。
こんなんなら出走せずに涼しい北海道で秋までのんびり休養させてやりたかった。
この馬はメジロデュレンと同じ末路を辿るのだろうか。父メジロライアンを再現してしまうのだろうか。それともこの後父を越える名馬にまで上り詰める事が出来るのだろうか。 メジロの血を引いた豪傑となる素養は十分だったのに、マジメになる前(ダビスタで追い込みジョッキーだった頃)のY騎手の騎乗で「追い込んで届かない」ジリ脚のレッテルを貼られてしまった。有馬でもオグリを差し切れず、唯一のGI勝ちとなった宝塚記念だって「(同馬主の)マックイーンに”お情け”で勝たせてもらったのでは?」と言う人もいる。でも現役時代を見ているファンは「本当はすごく強い馬だった」ことを知っている。
スプリングSで、府中の直線を一気に駆け抜けたあの強さ、そして皐月賞パドックでのすばらしい馬体・・・ 名馬の素質はレース中の落馬寸前というアクシデントで内ラチに消えていった。ダービー6着、以後脚部不安で引退。絶対強い馬だったと思う。
レベルの低い世代に生まれたのが幸せなのか。不幸せなのか。世代レベルを少しでも保つために走った。走った。(7馬身も離されたのに)「ナリタブライアンの2着」を背負い続け、走る。走る。
中央デビューが仇となり、斤量と闘いながら地方馬でその生涯を終えた名馬。
大井から高知に移籍後、9歳から10歳にかけて破竹の9連勝を飾るも、その6日後、炎に焼かれながらこの世を去った。
戦国の名将『織田信長』を髣髴とさせる野武士であったと思います。
(地方馬はよく”野武士”と言われる。個人的感想では、中央との交流によって地方競馬は”草競馬”から”マイナーリーグ”へ転換した様に感じる(少なくとも道営競馬に関しては、個性が失われ、魅力が無くなった)。秀吉の様な出世物語ではなく、そう、信長のスケールと存在感をもった豪快な地方馬が大活躍して欲しい。 ...和泉記) 噂では若き天才T騎手が「この馬で3冠を狙う!」と豪語したらしい。そのとおりデイリー杯3才Sを圧勝したが、不運にもそのレースで重度の骨折。懸命な治療のかいあってターフに復帰し、脚にボルトを入れたまま走ったが、天皇賞3着が精一杯でGIには届かなかった。
お顔・お姿・身のこなしなど全てに大女優入ってましたなぁ〜。今でも引退レースとなった有馬記念のパドックのビデオを見ると、「やっぱり牝馬はこうじゃなきゃ」と言うくらい、おしとやかでいい雰囲気を出しているんです。
まぁ〜この頃には『ウバギク』など、おちゃめなネーミングもありましたが、これも人気のなせる技?。『ウバ・・』もとい『シラギク』の追っかけしてた頃が、競馬が一番楽しかった頃じゃないかな。
有馬ビデオの続き・・・最後の直線の叩き合いのシーン。当時「三度の飯」より好きな「三頭の馬(カネクロシオ8着・ローラーキング2馬身・ヤマノシラギク3/4馬身殿)」のあまりにも壮絶な意地の張り合いにその他の馬は・・・と言うより前がどうなろうと知ったこっちゃない状態(どうせ勝つのは去年のオペラオーより確実な馬居たし)になってしまった。
時は流れて、今年、フジヤマケンザンとの間に生まれたラガーソルジャー(牝3)がデビューを控えている。この娘も『桃屋の××』みたいに「忘れた頃にやってくる」を芸風とするのだろうか。 昭和51年生まれ、牡馬クラシック3冠すべてに出走。
天皇賞にも出走したけど、果たして彼のことを覚えてる人はどれくらいいるのか?
金杯、中山記念、クモハタ記念と勝鞍があるけれど・・・
同期がカツラノハイセイコだからなぁ。
ルックスも地味だけど、やっぱり地味な存在だしなぁ。
門別種馬場→沖田牧場で種牡馬生活を続けた後、現在は平取の高橋啓牧場に引き取られ、悠々自適の隠居生活。
りんごが大好きで、毎年会いに行くと「りんごちょうだい!」と前掻きしておねだりしてくれて、とっても可愛いやつです。
(のんびりした生き方がやはり幸せなんだよね。 ...和泉記) 4歳牝馬特別出走前は、「女ブライアン」とか言われてかなり騒がれてましたが、オークス出走後笠松に戻ってからはイマイチ全盛期の状態に戻れないまま引退してしまいました。
井崎氏が言っていたように「一生に一度の鬼脚」だったように感じてしまって、今でも残念です。
(トライアルで豪脚を披露してくれた後、桜花賞で同じ様に追い込んで届かず。そこでオークスでは意識的に先行したけどそれが裏目に...これがクラシックを穫る事の難しさなんだろうね ...和泉記) 「遅れてきた関西の秘密兵器」と言われて1番人気になったダービーでスローペースにはまり4着。高松宮杯快勝後、函館で休養中に物音に驚いて脚を負傷、その後、完調ではない京都新聞杯をたたき、本番菊花賞で復活か?と思われたが、サニーライトと同じく進路妨害を受け、それでも3着に突っ込んだ。中1週で臨んだJapan Cupで4着、しかしその後脚部不安で長期休養の後結局出走もできずに引退。
引退後種牡馬となり、1996年産駒がJapan Cup出走を果たした。しかしその1年後、牧場で骨折。子供に託したGIの夢を達成する前に他界。 毎年、年明けからその年のクラシック候補生が騒がれますが、この1頭も忘れられません。
この馬との出会いは平成3年1月の京都でした。
正月からレースは荒れに荒れ、人気に答えていたのは明け4歳のトウカイテイオー(ペガサスステークス)とシスタートウショー(福寿草特別)ぐらいだったような気がしています。枠連しかない時代に万馬券が1日に4-5本出ていたのですから。
そんな京都のKBS紅梅賞、タニノメッセージ・レッツビギンなど桜を目指す馬が上位人気する中、下位人気馬の中にリンデンリリーの名前がありました。
レースは直線、人気馬の叩きあいになったところへ、全く人気のない2頭が。
フレンチパッサーともう一頭斜行しながら突っ込むリンデンリリー。
思い出すだけでも、背筋に冷たいものが走りそうな、強烈な末足でした。
結果は、リンデンリリーの1着降着、さらにレース中の骨折も判明し、春を棒に振ったのです。
その後のリンデンリリーの活躍は周知の如くで、9月に復帰後は中京の500万特別、ローズステークスと連勝し、女王の座を手に入れました。
しかし、彼女の薄い幸せはここまでで、女王と引き替えに2度目の骨折、引退となりました。
そして、鞍上の岡潤一郎騎手もまたその後G1に勝つことなく・・・。
(オグリキャップ以来「気が弱い」と囁かれ続けてきた岡騎手の汚名を晴らした孝行娘だった ...和泉記) 青葉賞の圧勝後「この馬ならトウカイテイオーを負かせるかも知れない」と名手O騎手がコメントし、ダービーでは直線早めに抜け出す戦法でテイオーを慌てさせた。おかげで(?)テイオーは骨折。テイオーのいない秋はこの馬の独壇場で、菊花賞を圧勝して見せた。しかし、これからテイオーとの本当の戦いが始まると言う矢先に脚部不安を発症。とうとう満足な姿でターフを駆ける事は出来なかった。
セントライト記念勝ちによりその実力を認められたが、セン馬の宿命を背負い、負けても負けても走り続けた(いや、走らされ続けた)。Japan Cupを勝った時点で引退させてもらえたなら名馬の仲間入りをしていたと思うのだが。
ローカル競馬の常連としてコンスタントに活躍。GIIIホースとしての名声(?)は得ていた。
そして天皇賞(秋)への挑戦。幻の3冠馬トウカイテイオー、毎日王冠をレコードで逃げ切ったダイタクヘリオスなどの有力馬達が揃ったこのレースで誰にも相手になどされなかった...ひとりを除いて。
当時毎日競馬漬けだった私(kenran@)が心の師匠として仰いでいたサンスポの個性派予想家 Y. 佐藤の本命には驚いた。しかし私は師に逆らいムービースターからの8点流し。
レースは予想通り超ハイペース。有力馬達がこの乱ペースに巻き込まれていった。直線、大外からムービースターが追い込んできたが、喜んだのもつかの間、その前に青い馬が...
完璧なレースだった。そして馬も強かった。私の敗北感も。
暮れの有馬記念、また洋一郎, S. が本命に。でもまたまた人気が無く、超スローペースにハマった事もあって、追い込んだが馬券に届かず4着。あの展開でこの4着は凄いと思うんだが、人々の記憶に焼き付けるにはほど遠いものだった。
大成するのが遅すぎた大器。引退して種牡馬入りしたが、その後ホントにどうなっているのでしょうか。
(歴代の天皇賞馬の中でも・・・もっとも痛快な勝ち方をしたレッツゴーターキン。ターゴワイスの後継種牡馬として活躍していればいいんだけど ...悶々さんより) 今でも忘れられない写真がある。
曲がるはずのない方向に折れた足でなお、鞍上の騎手を落とさぬ様踏ん張る彼女の姿を捉えたNスポーツの競馬面の写真。
思い出す度にとても複雑な気持ちになる、そんな馬の一頭。
(そんなの別に大した事じゃない。競馬に故障は付き物。競走馬の事故死なんて当たり前なんだ。って自分に言い聞かせた事何回あるだろうか ...和泉記)