| 徐庶殿 お尋ねしたいことが在り申す。貴殿は諸葛丞相と友人であられますな |
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| はい関羽殿 そうですけれども? |
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| では・・諸葛亮殿の師とは一体誰でございましょうか? |
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| え?孔明の師匠ですか? |
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| ふむ お聞かせ願いませんか? |
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| 無論、是非聞いていただきたい。「三国志演義」では、劉の兄者が諸葛亮殿の存在 を知るきっかけとなるのは、司馬徽徳操殿の「臥龍」「鳳雛」という言葉によりますな |
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| えぇ そうですね |
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| しかし・・「正史・三国志」を読む限りでは、劉の兄者に諸葛亮殿のことを「臥龍」 であるとお教えになったのは徐庶殿、貴殿ではござらぬか? |
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| え・・えぇ はい |
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| 「諸葛亮伝」の註に見える襄陽記には「徳操曰く・・時務を識るものは俊桀にあり。 この間おのずから伏龍・鳳雛あり」という司馬徽殿に対し、劉の兄者が「それは誰 ですか?」と問い、「諸葛亮と〔广龍〕統です」という問答になっており申す しかしこの「臥龍」「鳳雛」という言葉は実は「司馬徽殿から出た言葉ではない」と同 じ「襄陽記」が否定しておるのです。 |
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| ではだれが言った言葉かと言いますと・・「〔广龍〕統伝」の註に「諸葛亮を臥龍となし 〔广龍〕士元を鳳雛となし、司馬徽を水鏡となしたのは、みな〔广龍〕徳(〔广龍〕統の 叔父さん)の語なり」と書かれており申す |
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| つまりはじめて「臥龍」「鳳雛」といったのは司馬徽先生ではなく、〔广龍〕徳殿である・・と |
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| この記述のまま見るとすると、司馬徽殿が諸葛亮殿をよく知っていた、もしくは親身に していた、師弟関係であった、ということが全く証言できませぬ、証明できぬどころかお 二人の間に交友関係があったかすら怪しくなりますな それに司馬徽殿は〔广龍〕統殿を評価されていたという記述は見えますが諸葛亮殿を評 価したと言う記述は見えもうさん |
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| 更に・・更にですぞ。向朗伝に引用されている「襄陽記」によりますと「向朗は若い 頃、司馬徽徳操に師事し、徐庶元直、韓崇徳高、〔广龍〕統士元といずれも親しか った」となっており、そこに諸葛亮殿の名があり申さん |
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| ・・・つまり 孔明と司馬徽先生のつながりが、正史では認められないということですね |
| 一般的には司馬徽徳操殿とされてるようですが、某の調べたところによるとどうも辻褄 が合わぬことが多いようですぞ |
| それにしちゃぁ 随分ひねくれた性格に・・・私が師ならばもっと素直で師思い の良い弟子にでもなりそうなものの |
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| なにも師は勉学の事だけではござらん。諸葛亮殿の言葉に「私は昔、崔州平と交際 して、たびたび物事の得失を聞かされ、後に徐元直とつきあってはねんごろに教え諭 された」とありますぞ(諸葛亮集 群下に与ふる書より) つまり徐庶殿も諸葛亮殿の師である可能性が十分在り申す(笑) |
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| は? わ わたしが?? |
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| 何を仰るか 徐庶殿、貴殿も諸葛亮殿の師の一人ではござらんか? |
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| しかし・・師もいない孔明、となると、独学であそこまで身に付けたということか・・ ある意味そらおそろしいな |
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| ふむ・・事情を知らなければいえぬ言葉でありますな |
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| 孔明は孟建が故郷の汝南に帰りたいと言っていた時に、「中原には士大夫が多 い・・遊学の徒をむかうるには何も故郷に限ることではない」と言ってます。 この言葉からも孔明は洛陽にでも遊学していたのでは? |
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| まったくその通り 一体諸葛亮殿は誰に学び どこで遊学されたのか・・ |
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| しかし・・いっつもやられっぱなしの私があの孔明の「師」の一人かもしれ ないとはなぁ。 うんうん なんか元気出てきたぞ!! |
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| はい 関羽殿また!! |
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| お時間をとらせて申し訳ござらん 徐庶殿 ではこれにて失礼致し申す |
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| 関羽殿まで・・孔明みたいなことを(苦笑) |
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| はははははっ 子は親を見て育つ 徐庶殿もご自身で気づかれぬこまった性癖 でもあるのかもしれませんぞ(笑)弟子はよく師を見ていますからな |
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