| 年齢制限=なし | 本編=なし | 読者制限=制限なし | |
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夕立 |
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百合 夏樹 |
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暴力的な音を立てて、雨が降る。
空は重く厚ぼったい灰色。
夏にはよくある天候――夕立だ。すぐに止むだろう。縁側から空を覗いて、俺はそう判断した。障子も襖も開け放たれて、それでも湿気でムシムシしている。雨が降れば、ちょっとはましになるだろう。
庭にならんだひまわりは、大粒の雨をうけても凛と立ったままだ。ちょうど花盛りで、大輪の花が元気に咲いている。
「雨ですね」
黒い盆を置き、俺の隣に正座をして、少女が言う。盆の上に乗っている二杯のウーロン茶。透明なグラスの中で、氷がからんと音を立てた。少女がそのひとつを、白い手で差し出す。
「飲みますか?」
「ああ、どうも」
喉を鳴らして飲む。雨音がそれをかき消す。少女は俺の喉のあたりをじっと見ている。黒目がちの、大きな瞳。
「今日は、わざわざ来てもらって、……ありがとうございました」
少し小さめの声は、ともすれば聞き逃してしまいそうだった。
「え? ああ、いや、べつに。仕事だからね」
年下のオンナノコの扱いがよくわからなくて、なにやら素っ気ない返答になってしまう。それを見透かしたように、少女は静かに笑って、肩を少し過ぎたくらいで切りそろえられた髪を弄ぶ。
ついさっきまでは、床の上を引きずってなお余るくらいの長さだった。不揃いな、意図的にめちゃめちゃに切ったとしか思えない髪だった。それを整えたのは、俺だ。
俺は美容師で、普段は駅前の店で一従業員として働いている。今回は特別、店長から出張しろと命令があって、ここに来た。店長とこの少女の母親が知り合いのようだったが、詳しくは知らない。
「えっと。お母さんは?」
「おばさんは、おしょうゆが切れたとかで、あっちのスーパーに行きました」
すい、と指をさして答える。伸ばした腕は、本当に、細い。
「え……そうなんだ」
代金をもらわないと帰れない。イヤ、店長がこの子の母親から直接払ってもらえばいいのか? ちゃんと聞いてくればよかった。出張なんてしたことがないからシステムがよくわからない。電話してもいいけど、店長、出られるかなあ……この時間。一番店が混んでる時間帯だ。
「……なんだか、ごめんなさい。引き留めたみたいになっちゃって」
「いや、謝らなくていいよ。気にしないで」
笑って、頭をなでる。少女が首を傾げた。
「あの。わたし、いくつに見えますか?」
「え? えーと。十二、三?」
「……十六です」
十六。十六……、俺と四つ違い?
「ごめん!」
「いえ、いいんですけど……そっか、だから会う人みんな子供扱いなんだ」
なにか納得した様子で、一人肯く少女……十六っていったら、もう大人だから少女じゃないよな。けど顔立ちも背丈も体型も、どう見ても十六には見えない。
「わたしね。最近まで、母親と一緒に住んでたんです。父親は、私が小学校を卒業したときくらいに離婚してて、いなくて」
雨は止まない。遠くで雷が鳴っている。ひまわりは震え続けている。
「それから、お母さん、……なんていうか、世の中に拗ねちゃったっていうか。グレるって、子どもに使う言葉だから、おかしいかも知れないけど。どうしようもないことに、怒って、拗ねて……」
茶を飲む気はないのだろうか、彼女は両手でグラスを弄んでいる。細くて白い指が、グラスに付いた水滴に濡れる。雷が光った。一瞬、指が青白く、石のように、光をうける。ひまわりの下に濃い影ができて、すぐに消えた。何秒かあとに、地鳴りのような、遠いとおい低い音。
「その間、ろくにご飯が食べられなかったんです。近所の人に、食べさせてもらったりはしてましたけど。それで成長が止まっちゃったんじゃないかな……お医者さんもそんなこと言ってましたし。あーあ、もともと童顔だったのに、ますます幼くなっちゃった」
グラスをおいて、ぱたんと後ろ向きに倒れると、溜息をつく。その頬には、苦笑いが張り付いている。
雨が、止まない。ますます暴力的な音を立てて、降り注ぐ。
「……じゃあ、あの人、お母さんじゃなくて」
「そう、おばさん。お母さんのお姉さん。一ヶ月くらい前まで海外にいたらしいんですけど、帰ってきてお母さんを訪ねて、私を見つけて……そりゃもう、すごい騒ぎでしたよ」
「すごい騒ぎ?」
「わたしがあんまり酷い格好だったから」
想像してみる。酷く痩せた少女。長い髪を引きずって。服から伸びる、細い手足。不健康的な顔色。
「確かに……、騒ぎにはなるだろうね」
「でしょ。わたし、怒られちゃいましたよ」
「怒られた?」
「なんでもっと早く、周りの大人に助けを求めなかったのかって。……でもね。わたし、べつに、助けてほしくなんてなかったんです」
「え?」
「ううん、ごはんは食べたかったし、殴るのもやめてほしかったけど、そうじゃなくて。誰かに、助けてほしかったんじゃなくて」
また、雷が鳴った。光った直後に、激しい音が空気を振るわす。近いな、とつぶやくも当然彼女には届かない。全ての音が消えたように感じた。
すぐにまた、暴力的な雨音。
「……そうか」
少女が救いを求めたのは、母親自身。
「はい。結局、おばさんに助けてもらいましたけど。あ、もちろんありがたいんですけどね。……お母さん、いま、どこにいるかよくわかんないんです。誰も教えてくれなくて。きっとお母さんも私の居場所、知らないんじゃないかなあ」
彼女はまた苦笑いをして、身を起こす。ウーロン茶を飲み干す。雨音で何も聞こえない。氷のゆれる音も、彼女の喉を茶が通り抜けるときの音も、しない。
「お母さんね、悪い人じゃ、ないんですよ。ただ、なんていうか、世界になじめないだけで」
世界に存在しながら、世界になじめない人間は確かにいる。世界とは違った基準を己の中に持つからだ。そういった人間は特有の磁場をつくる、と思う。違った基準で、別の歪んだ世界をつくり出す。
一番不幸なのはそれに巻き込まれる無力な周囲だ、例えば彼女のような。
それでも彼女は、母親を慕う。
「……ごめんなさい。なんでこんな話しちゃったのかな……」
苦笑いを消さないままに、少女は俺の目を見て言う。
「……ゴッホって、知ってる?」
「え?」
「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。画家なんだけど」
「あ、はい、知ってます。おばさんが好きですよ」
「そうなんだ? じゃあ、ひまわりっていう絵は?」
「知ってます。花瓶にひまわりが挿してある絵ですよね」
「そうそう。俺、あれ見ていっつも思うんだよ。これ書いてるとき、ゴッホって一体何考えてたんだろーなーって」
「……?」
「イヤ、あれ、みんなが褒めちぎってるけど、俺には枯れかけたひまわりにしか見えないんだよね。まあ、俺は頭悪いし、ああいうエライヒトの絵を評するのなんて向いてないんだけど、さ」
「……ああ……わからなくもないです」
「でしょ」
雨に打たれるひまわりを、俺たちは眺める。ぴんと花びらをのばし、力強く立っている。これが、ひまわりだと、思う。
「なんだかんだいってさ、ひまわりはこういう、ちゃんと生きてるーって感じがするのがいいな、俺は」
「……わたしも、そう思います」
「だろ」
俺らしくもない。何でものらりくらりとやり過ごすのが習性になってしまった俺が、こんなにも必死にしゃべっている。自分でも何を言いたいのか分からない。
「でも、どうしてそんな話を?」
小首を傾げて彼女が問う。
「さあ……、俺にもよくわからない」
彼女がしばし考え、言った。
「きっと雨のせいですね」
「そう、かな。たぶん」
雨音はいろいろな音をかき消してくれるから―――だからだろうか。
「また、来るよ。髪が伸びたら、切りに」
聞こえるか聞こえないか、ギリギリの呟き。
彼女は明るく笑った。
「次はわたしがお店に行きますよ。もう、こんなに綺麗に切ってもらったんだし、外も歩けます」
「あ、そっか」
二人で、声を上げて笑う。
ひまわりが、雨に打たれて小刻みに揺れている。それはまるで歓喜に打ち震えるようで。
―――雨はまだ、止まないようだ。
だったら、もうしばらく、たわいない話をしていようか。
END
FIN
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