第6節 ブーイング、野次について考えた
「Consa de Consa」など、コンサ系サイトの有名どころやMLなどではおそらく何度も話題になっており、おそらく、サポーターであればおそらく一度は考えたことがあるだろう。
「ブーイング、野次は是か非か」ということを。
掲示板などでの議論を見ていると、喧々囂々、なかなか盛り上がりを見せているのではあるが、「かくあるべきだ」と議論がまとまったことを見たことは、少なくとも私は一度もない。そこでの議論に終わりが来るとすれば、ある程度考えが出尽くして、「もうこれ以上話してもしょうがない」という雰囲気になったり、議論に飽きてしまったり、あるいは、議論が白熱しすぎ、ブーイングの議論そっちのけで、感情丸出しで醜い罵り合いを始めてしまう人々が出てきてしまい、ほかのサポーターが辟易して引いてしまう…といったところではなかろうか。
ブーイングに限らず、サポーターと一口にいっても色々な考え方の人がいて、それらの人々をくくれる共通項は「そのチームが好きである」という、それ以上のものでも、それ以下のものでもなかろう。その多種多様な価値観を持つ人間を1つの方向にまとめるというのは並大抵のものではない。ましてや、本人の感情、価値観と密接に関わり合う問題となれば、まとめようとする方が野暮かもしれない。そもそも、ブーイングの是非など、多数決で決めればそれでOKなどというものではないだろうから。
じゃあ、なぜこんなコラムを書くの? と言われると、「それでもやっぱり何か言ってみたかったから」ということになる。ただ、是は非か白黒をはっきりつける気もないし、私の考えに異を唱える人がいてもそれは仕方がない。ただまあ、この3点なら、賛同してくれる人も多いんじゃないかな、ということを挙げてみようと思ったまでだ。
(1)他人のブーイング、野次は不愉快
たとえば、自分の幼馴染や恋人を普段はボロクソに言っているのに、それをいつも聞かされている友人に、全く同じせりふをオウム返しされると「ちょっとー、そこまで言うことないでしょ。あいつにだっていいところはあるんだから」と怒り出す(のろける?)人は結構いるのではなかろうか。たぶん、私もそんな人間だと思う(恋人はいないが…)。
人間の本能の一つではないか、とさえ思う。
スタジアムで聞く他人の野次、ブーイングなどというのはまさにこの図式があてはまるものだと思われる。相手が恋人でなく、愛するチーム、愛すべき選手というだけの違いなだけで。
もちろん、「だからブーイングはいけない」などというほど単純なものではない。そもそも、このコンサというチームは、過去の歴史において、決して「出来の良いチーム」ではなかったことの方が多いし、もう我慢できねーコノヤロー、と思った瞬間というのは1度や2度ではなかろう。
言いたいことを無理に我慢するのは体に良くない。でも、そのブーイングが、野次がほかの人間を不愉快にさせているかもしれない、ということに思いをはせれば、試合開始から終了後まで、のべつまくなし、応援は二の次でブーイング、野次をあびせ続けるということをためらわずに出来るものであろうか?。ましてや、「ブーイングをするからこそサポーター」「ヨーロッパではサポーターがブーイングをすることが当たり前」という発想の持ち主は「馬鹿じゃないの?」と言われて当然ではないか。あたかも、「こういうタバコの吸い方はかっこいいぜ」と公共の場で歩きたばこをして、周りの人間に煙をまき散らし、危険な目にさらしている困った人間ども同様に…
ま、同じ野次でも、的を射た野次なら「うんうん。そうだよなあ」と思うし、笑える野次なら、つい吹き出してしまい、不愉快な気分を忘れることもあるが…
(2)ブーイングに慣れることほど悲しいことはない
ブーイングや野次は、味方選手に対する叱責の念、審判に対する怒り、敵に対して威嚇したいという思い…など、何らかの感情や目的があるものだろう。人によって考え方は微妙に違うだろうし、これはブーイングしないといけないな、と冷静にブーイングする人、気がついたら口が動いていた人など、感情と思考のバランスも人それぞれであろう。
敵への件は(3)で別に記すが、味方選手や審判に対してのブーイングは多かれ少なかれ「しっかりしろよ」という意味が込められているといっても異論はないはずだ。
つまり、サポーターとしては、ブーイングを受けた味方選手や審判が、反省し、気持ちを入れなおしてしっかりやってくれることでこそ、ブーイング、野次が報われると言えるのではなかろうか。
もし、試合開始から終了まで耐えることなく野次やブーイングが続くチームに所属する選手たちが、あるいはいつも野次を受け続けている審判たちが「なんだまたかよ」「いつものことだ。気にしない、気にしない」などと、馬耳東風、慣れっこになったとしたら…ブーイングや野次をする方にとってこれほどの屈辱はないのではなかろうか。他人に「口害」をまきちらし、おまけに効果はなし。情けないじゃないか
じゃあ、どうすれば良いか、となると、味方選手に対する野次、ブーイングは、「もう本当の本当にどうしようもない時まで我慢した方が無難」という結論にいくのではなかろうか。まあ、その限界をどこに引くかは個人の自由だが…
そして、審判に対する野次、ブーイングももう少し出し惜しみした方がベター。最近では、味方に不利な判定が出ただけで、(どうみても正当なジャッジにも関わらず)ブーイングを機械的に繰り返す困った連中が増えつつある。それでは、「俺たちはサッカーのことなんて知らないただのコンサ好きのど素人集団ですよ」と公言しているようなもの。恥ずかしいったらありゃしない(^^;;;
微妙な判定では「畜生!」と思うことはあるだろうが、微妙な判定なのだから、それに対する怒りはぐっと飲みこんで、それをばねに自分たちのチームを応援する方にエネルギーを注いだ方が良いのではないか。そして、明らかに誤審だと思われたときだけ、会場がブーイングの嵐、ほかは声援だけ、というスタジアムに立たされたとしたら、審判にとってこれほど怖い環境はないのではなかろうか。ヘタなジャッジは全部、自分たちの未熟さは全部見抜かれてしまう、目の肥えたサポーターだ、とね。私にとって、究極のサポーターの型がそれである。出来ることなら、コンササポにはそんな集団であってほしいし、これなら、ゴール裏もメーンスタンドもバックスタンドも関係無い。全員でできる(でも全員で力を合わせないとできない)サポートである。
そのためにも、もっと勉強しましょうよ。知人からの話だと、ルールもよく理解せずに、的外れな野次を飛ばして、周りから失笑を買っている連中だっているそうですよ。残念ながら、コンサのホームゲームの観客席の中に…
(3)弱い犬ほどよく吠える?
試合前の選手紹介で、敵の名前が紹介されるたびに、ブーイングをしなければ済まない、という手合いがいる。コンサのゴール裏席の中にさえ、結構な数で。
中には「それが相手選手に対する礼儀というものだ」という、絶句するしかないことを言う人さえいる。
私といえば、敵に向かってブーイングすることにエネルギーを費やすのは無駄だ、と思い、このブーイングには一切参加しない。例えエメルソンが相手でもブーイングはしないし、コータなんかは拍手で迎えちゃったりもする(ゴールを決めても喜びはしないが…)
現在のコンサのゴール裏に陣取る連中には、このブーイングでエネルギーを使いきってしまったかのように、肝心の応援の声が段々小さくなっていく本末転倒な輩もいると聞く。かなり恥ずかしい(^^;;;
それに、ここで大きなブーイングが起こるということは、相手を恐れていることを公言するようなもので、ブーイングされた選手側が、「へへへへ、嬉しいな」「ようし、やってやるぜ」と大喜びしていたとしても何ら不思議ではない(選手の性格にもよるであろうが)。 敵からのブーイングは、選手にとっては勲章でさえあると言えよう。そういう意味では1999年に、コータが良くFC東京サポーターから受けていた「色白オカマ」なんて言葉、私はもう喜んで小躍りしちゃいましたよ。ボクシング界に、「オカマぁー」と野次を飛ばされる、コージ有沢という名選手(元日本スーパーフェザー級王者)がいたのを知っていましたから。端正な顔立ちと、それとは裏腹のガッツ溢れる戦いぶりに魅了されたファンは数知れず。コータそっくりじゃん、とね(注:顔自体はあまり似てません。念の為)
周りの人間を不愉快にさせ、敵を喜ばせるこのブーイング。そんなもの、サポートでも何でもない、と思いません?
それでもやりたいというのなら、もう止めはしませんが、こっちとしては、耳でも塞がなきゃやってられませんね。他人のタバコの煙を吸わされているみたいで、具合悪くなりそうですわ。
ただ、試合前、試合後に相手をたたえるコールやエールなどは、「やった自分たちが気持ちよくなれる」という効能があり、相手の毒気を抜いてしまうという副産物が期待できるかも。否定しませんし、むしろ推奨しちゃいます。
いずれにせよ、もっと頭を使ってサポートしましょうよ? みなさん、一人ひとりがね!
執筆 2003年2月14日