星色物語17
若きウィスリーの悩み編
グレン教官こと、石頭は頭を抱えていた。
「この時期になるといつもこうだ」
新しい年度が始まり新一年生が入って来るといつもこうなのだ。隣の航空科専用の部
屋には新一年生の母親が待っている。今日は二人だった。一昨日は三人… そう言っ
た具合に大学星に父兄がやって来る。これはどの学科でもある事なのだ。自分の子供
の心配をしてやって来ると言うと聞こえがいいが要するに親離れ子離れができていな
いのである。それは最終テストの在り方に問題があるのかもしれないと石頭は思った。
主に協調性を見極める目的で行われるのであるが、合格グループ全員が優れた協調性
をもっているとは限らないし、反対にたった一人のせいで優れた素質を持つものまで
が不合格になってしまう場合があるのだ。職員会議はなかなか終わらないのであった、
いや… 終われないのである。
「私の息子は小さな時からすごくしやすい子供だったんですのよ。それに優しくて…
父親とはえらい違いだわ」
さすがに受験生の母親だけあって星間用語が上手である。話しかけられたもう一人の
母親がそれに答えている。
「うちの息子もそれはもう優しくて… こんなに聞き分けの良い子はめずらしいくら
いですわ」
二人は和気あいあいとしている。二人とも違う星からやって来たのであるがその息子
に共通している事は精神的に未発達な息子だという事実なのだ。
「でもね、この前息子から連絡が入ったんですけど、なんでも同級生で意地の悪い学
生がいるんですって。奥様、お聞きになった事ありません?」
「ま、お宅もですの? うちの息子も同じような事を言ってましたのよ。この銀河系
の最高学府であるこの校内でそんな事があるなんて信じられませんわ。だからお勉強
が手につかないとか… 」
二人は少しエキサイトしてきたのである。その時石頭に連れられて航空科一年のウィ
スリーとバートルが入って来た。二人の母親は息子を見るなりだきしめて、まるで幼
子に語りかけるような口調でしゃべっているのであった。石頭は頭が痛くなりそうだ
ったがとりあえず自己紹介をしたのである。その後はお決まりなのだがクラスメイト
の悪口と自分の息子の自慢話なのだ。突っ込もうと思えば突っ込めるのであるが話を
ややこしくしてはいけないし、選んだ大学側にも責任があるので責任を持って対処し
なくてはならないのである。大学側が誇る教官陣は、この時期いつもこんな問題に悩
まされるのであった。航空科筆頭教官である石頭は同じ立場である教官と酒を酌み交
わしながらうだうだ言っているのである。
ウィスリーはこの宇宙大学に入学してからしばらくは、勉強に手が付かなかったの
である。今まで母の言うとおりに勉強のみに励み、そしてついにこの大学に入学する
事ができたのだった。母は自分の周りから勉強以外の余分な事は全て排除してくれた
のであるが、いざここに入ってみると自分が思っていたのとは違った社会があったの
である。そして今、自分は一体どうしてこの学科を選んだのか、また自分は何をした
らいいのかわからずとまどった結果、学生痴呆になってしまったのである。つまり一
日中ボーッとした状態が続いていたのであった。
いつものメンバーが集まる喫茶室でアマゾンはぼんやりと誰かが来るのを待ってい
た。ついさっき石頭に呼ばれ、航空科の教官室で同じハイスクール出身であるウィス
リーの母親と話をしてきた直後だったのだ。テラ系シュシュきっての受験校出身と言
っても自分には面識のない男の母親なのだ。なのにこの母親と来たらどうしてもアマ
ゾンに会って話をしたいと石頭に頼み込んだらしいのだった。いい迷惑なのはアマゾ
ンで、彼はウィスリーの母親から息子をよろしくと強引に頼まれてしまったのである。
石頭は後で気の毒そうにアマゾンを慰めてくれたのであるがどうしたものかと悩んで
いたのだった。航空科と言えばタダとフロルのいる学科なのだ。しかし自分でもやっ
かいな事を二人に… いや、フロルでは無理だろうし、かと言って正面切ってタダに
も言いづらい。
“どうしたものかな… ”
とりあえずアマゾンは冷めたコーヒーを飲んだ。
ポコン!
「よう、どうした? せっかくのいい男がしけた顔してさ」
フロルが丸めたプリントでアマゾンの頭をたたいた。
「なんだ、フロルか… お前じゃあな… 」
アマゾンはため息をついた。明らかに落ち込んでいるのが分かる表情である。
「聞き捨てならねぇな。オレじゃ力になれないって事なんか?」
とはいうもののアマゾンはとりあえず、さっきの事をフロルに話した。
「そんな野郎はほっときゃいいんじゃねぇのか? 第一お前とは関係ない男なんだろ?
頼む方が間違ってるぜ。その場で断わっときゃよかったのに」
そんな事ができれば苦労はしないのだが、人のいいアマゾンにはそれが出来ず、うや
むやに済ませてしまったのである。
「そうだな… アマゾンの気持ちよくわかるよ。僕でもその場なら彼と同じ態度を取
ったかもしれないな」
タダは言った。
「一度そのウィスリーに会ってみてもいいな、石頭も困ってるだろうしさ」
タダは友達思いである。フロルが冷たいと言うのではないがアマゾンの為に力になれ
たらいいと思っているのであった。
「まあ、お前ならそう言うと思った。アマゾンが今夜アパートで待ってるって言って
たぜ」
アマゾンはタダが来るのを待っていた。もうすでにウィスリーはここにいるのだ。
アマゾンのアパートでウィスリーはドキドキしながら時間を気にしていた。今日母親
が教官に無理を言って紹介してもらったカーナイス先輩の部屋で、自分はどうしたら
いいのだろうと戸惑っていたのである。とりあえず航空科の友達を紹介してやると言
われているのだが、何をしゃべったら良いのかわからない。大体こういった事は今ま
で教科書に載っていなかったのだ。
玄関のドアが開いて先輩の友達らしき人の声が聞こえた。彼の緊張は一気に高まっ
た。カーナイス先輩が言うには航空科でも常にトップクラスを維持している秀才と言
うことなのだ。
「はじめまして、ウィスリー。僕は航空科二年のタダトス・レーン」
タダは手を出した。彼の手からものすごい緊張感が伝わって来た。今は頭の中が真っ
白で何も考えられない状態らしい。彼はあいさつをしなかった。
「オイ、普通は自己紹介くらいするもんだぞ」
フロルがウィスリーに向かって言った。彼は驚いたようにフロルの方を見た。そうだ
った、人が名乗った時は自分も名乗らなくてはならないと何かに書いてあったのだ。
彼はその何かの通りに行動した。
「親によってつちかわれた典型的なスタディマシーンだな。与えられたカリキュラム
通りの事しか出来ない… そして反発する自信もないみたいだった。でも彼は無意識
のうちに何かに気づいてる」
アマゾンはいつもながらタダの直感力には感心させられる。彼が冴えている時はもの
すごいものがある。それが今なのだ。
「無意識の事まで分かるのか?」
アマゾンは聞いた。
「自分で自分が理解出来ている、つまり意識していると言うのはほんのわずかな事な
んだ。それ以外は無意識で… 意識と言うのは八分の一くらいかな? 全体の。だか
ら人間は眠っている時に無意識の部分が現れていると言う説もあるらしい。ウィスリ
ーは緊張のあまり真っ白になった状態だったから夢に近いものが僕には感じられたん
だ」
「つまり、夢が見えたのか?」
アマゾンはうなった。タダの話は突拍子もないのだ。
「そうだな、意識と無意識の境の所の前意識の部分かな? その中で彼は何とかしな
くてはいけないと思い始めているんだ。彼は自分では気づいていないようだが… お
もしろい事に彼はよく、怪物の夢を見ている。それもメスのね」
「ガキだな、あいつ… でも何とかしなくてはって思ってるのはいい傾向だぜ」
フロルは楽観的だ。
「でも… 」
タダは楽観的に物事を考えられなかった。
“レーン先輩は優しそうだけど、女性の先輩は冷たそうだ… ”
タダとフロルの事である。
“女性の先輩は人形みたいに整い過ぎた奇麗さはあるのだが、なぜかあの金髪をみる
といらいらしてくるのだ。彼女は母と同じ金髪なのに… ああっ、どうして僕は悩ま
なくてはいけないんだ? 一体、何に悩んでいるんだ?”
ウィスリーはぼんやりと歩いていた。次は必修科目の授業だ、出ない訳には行かない。
しかし気が進まない…
「あっ… 」
誰かとぶつかった。相手は自分の落とした資料を拾ってくれた上で声をかけてきたの
である。
「ごめんなさい、私ぼんやりしてて… 資料がばらばらになってしまったわね」
けっして美人ではないのだが優しそうな女性である。ウィスリーはときめいた。彼女
は自分の嫌いな父親と同じ髪の色だというのに嫌悪感がないのである。
「あなた一年生なのね、まだ慣れないかも知れないけど頑張ってね!」
彼女はにっこりほほえんだ。ウィスリーはこんな時、どんな態度をとったらいいのか
わからない。笑ったらいいのだろうか… ? もう随分長い間忘れてた… こんな感
情を…
「あの… どうしたの? 気分でも悪いの?」
クィーニはさっきから様子のおかしい一年生を心配していた。
「あ… いえ、ご… めんなさい… 」
ウィスリーは駆け出した。“ごめんなさい”と言う言葉は長い間、口にした事がなか
ったのだ。僕は今までこの言葉を使わずに生活をして来たのが不思議だった。
授業中もウィスリーはさっきの言葉を反復していた。“ごめんなさい”その言葉に
伴ってさっきの女性の顔が浮かんでくる。心が熱くなって苦しい… これって初恋と
いうものなのだろうか? ウィスリーは考えた。学校に入ってからは勉強に追われ子
供らしい遊びすらさせてもらえなかったのだ。この大学に入る為だけに自分の人生は
あったのだから… しかし今日からは違う。少なくともさっき出会った上級生がこの
大学にいる。彼女に再び会う事もできる。心に灯が灯るってこういう事なんだろうか?
友達のいないウィスリーはアマゾンの所にやって来た。彼は最終テストで一緒だっ
た者とも仲良くなれなかったのである。とりあえず頼る者はアマゾンだけなのだ。
「よお、入れよ!」
アマゾンは抵抗なく中に招き入れてくれた。そうだ、思い出した。
「おじゃまします… 」
こういう時はそう言うのだった。ずっと昔、父から教わった言葉なのだ。
「なんだ、今日はまともじゃん」
フロルはウィスリーの顔を見るなりそう言った。横にはレーン先輩もいる。
「フロル、そんな事言うんじゃない」
タダは小さな声で言った。
「どうしたんだ? 何かあったのか? 昨日お前のおふくろさんが誰かにいじめられ
ているらしいって言ってたけど… 」
アマゾンは聞いた。
「いや、そんな事ないんだけど… 母さんは何かあるとすぐ人のせいにしてたから… 」
タダはさっきから彼を見ていて驚いていた。彼は昨日と今日とでは、まるで別人のよ
うな印象を受けるのだ。彼は今、ものすごい勢いで精神面の成長をしているのであっ
た。その証拠に彼は自分の言葉に驚いているのだ。母親を批判するなんて今までなか
った事なのだ。自分は自分で驚くほど変わって来ている…
「お前、変わったな。この前とえらい違いじゃん」
フロルが感心したように言った。ウィスリーは一瞬びくっとした。彼女に話しかけら
れるとなぜか冷静でいる事ができないのだ。彼女の金髪が母を連想するからなんだろ
うか? ウィスリーはうつむいてしまった。
「なんだ、褒めて損したな。やっぱり態度悪いや」
ウィスリーはフロルの言葉に固まってしまった。“この先輩はきつい!”ウィスリー
はますますフロルと話にくくなってしまったのだ。
「フロル、君がよくない。だってそうだろ、彼、一年生なんだぜ。ただでさえ上級生
とは話しづらいのに君みたいに言われたら… 」
「でもタダ、オレ上級生と話す時あんまり気ぃ使わないぜ」
「普通は使うんだ!」
タダはむきになって言った。
「じゃ、アマゾン、僕たちは帰るから… また明日!」
タダ達は気を利かして出て行ったのであった。
「カーナイス先輩、僕がここに来る事は迷惑でしょうか?」
ウィスリーは恐る恐るたずねた。この先輩は母に頼まれたと言うだけで今まで面識す
らない自分をこうやってアパートに入れてくれる。これは自分の常識では考えられな
い事であった。
「オレは気にしてないぜ。同じ学校の出身と聞いただけで充分さ」
アマゾンの言葉にウィスリーはほっとした。
「少し前に素敵な上級生に出会ったんです。とても優しい人で… でも名前も学科も
わからなくて… 恥ずかしい話ですが僕にとって初恋なんです。付き合いたいとかそ
ういうのじゃなくて、ただもう一度会ってみたい… 」
ウィスリーは夢見るように言った。おそらく彼は今、彼女の顔を思い浮かべているの
だろう。アマゾンは過ぎ去った初恋のほろ苦さを思い出していたのである。“初恋は
実りにくいものだ”こんな事をウィスリーには伝えにくい…
「なあ、ウィスリー。お前フロルが苦手みたいだけど、あいつ口は悪いがいいやつだ
ぜ。さっきあんな事言ってたけど… たまにオレ達が言いにくい事を代弁してくれる
時もある」
「ごめんなさい… 僕、フロル先輩を見ると母を思い出すのです。同じ髪の色だから…
最近やっとわかった。僕がよく見る夢に出てくる怪物の正体が… 母だったんです… 」
「そっか、それでフロルの髪を見るとおふくろさんを思い出すのか… お前そんなに
おふくろさんが嫌いなのか?」
「好きだと思ってました。でも違うって事に最近気づいてしまった… 僕は母の呪縛
にかかっていたんだ。今までの自分は一体何の為に生きてきたんだろうと思うと情け
なくなってしまうのです。この大学に入る為だけに僕の人生はあったんだ… でもそ
の為に失ったものの多さに今更ながら… 悔やまれて仕方がないんです。僕は気づか
なかっただけで、不幸な人生を歩んでたんだ… 」
ウィスリーは興奮したのかアマゾンの前で泣いていた。今まで泣くことも忘れていた
のだが今では素直に涙が湧いてくるのである。
「ま、今から取り返せばいい。時間はあるさ。それに初恋の女性も現れた事だし、お
前の人生も捨てたもんじゃないぜ。悲観する事はないさ」
アマゾンは慰めた。慕ってくる後輩は可愛いものだ。アマゾンは少しこの状況に酔っ
ていた。
「もっと自信を持てよ」
アマゾンはウィスリーの背中を親しみを込めてバンとたたいた。その痛みは心地よく
ウィスリーの胸に響いて来たのである。
「アマゾン今頃、困ってんじゃねぇのかな」
「かも知れない。でもきっとアマゾンの事だ、悪いようにしないよ」
「そうかな… あいつおっちょこちょいだからいいかげんな事いってんじゃねぇだろ
な」
「フロル、気になるんだね。あのウィスリーって後輩が」
タダはフロルのカップにジュースをついでやった。夕食を作るのがめんどうなので帰
りにハンバーガーを買って帰ったのだ。手作りの食事をいつも食べられるチャコとは
えらい違いである。
「あいつ、何にも知らないガキみたいだからほっとけねぇよ」
ウィスリーの事である。彼女は末っ子だからどうしても自分より年下の者の事が気に
なるらしい。もっとも後輩だから年下とは限らないのだが…
「そうだな、でも今は君の方が心配だ。今日の操縦、さっぱりだったじゃないか。あ
んな事だと宇宙に出られないぞ。小惑星間飛行は少しのミスも許されないんだからな。
これは必修科目だから単位を落とすと卒業出来ないよ」
「卒業出来ないなんて… おどかすなよ」
「おどしじゃない、本当の事だよ。僕はウィスリーなんかより君が気になる!」
「 …… 」
フロルは人の事を心配している場合じゃない自分の立場を認識し、急に落ち込んでし
まったのである。タダは彼女の気持ちが手に取るようにわかる。
「怒った?」
タダはフロルをのぞき込んだ。
「いや、だって本当の事だもん。お前においてかれないようにしなきゃなんねぇから
な。とりあえず明日頑張るよ」
タダはフロルを後ろから抱き締めた。ウィスリーの事は忘却のかなたに去り、いまは
彼女の事だけを思っていた。アマゾンからウィスリーを紹介されたというのに全くい
いかげんなタダであった。
ウィスリーはアパートに帰ってから母の事を考えていた。母はこの大学に入ること
が唯一の親孝行だと小さな頃から洗脳してきたのである。遊ぶことは止められ友人は
母の選んだほんの一握りの同じ境遇の者とし、母の方針に反対の父とはケンカが絶え
ず、さらに父さえ排除しようとした。経済的理由の為離婚まではしなかったのだが父
の存在は無きに等しいものであったのである。
“母が憎い… こんな歪んだ人間に育てた母が憎い… もっと普通に、当時うらやま
しいとも思わなかった普通の子供に戻りたい… きっと彼らは僕の事を哀れんでいた
んだろう… 今日、わかった。子供って親を選べないんだ! 僕は母にとって良い子
でありすぎたんだ”
しかし、ウィスリーはカーナイス先輩の言葉を思い出していた。
“今から取り返せばいい”“もっと自信を持てよ”
その当たり前で素朴な言葉は彼の胸に暖かく響いたのだ。
“まるで小さな子供みたいだな”
ウィスリーは自嘲していたのであった。
「なあ、やっぱりお前、補助やってくれないか? オレだめだ… 」
今日はどうも体調が悪い。とりあえず今日はタダに甘えてみるのもいいなと思うフロ
ルなのだ。タダは仕方ないなと言いつつまんざらでもない顔をした。頼りにされると
言うことは嬉しいものなのだ。今日は午後の授業だというのに二人は朝一番にやって
きた。シミュレーションルームが空いていれば練習しようと思っていたのである。
「あれ、あそこにいるのウィスリーじゃねぇのか?」
フロルは廊下の向こうを指さした。なんだか急いでいるようだ。タダはいやな予感が
した。
ウィスリーはグレン教官に呼ばれていた。急用だと言うので急いで教官室に入って
みるとそこには母がいた。
「母さん!」
ウィスリーは驚いた。まさか母が来ているとは思わなかったのだ。
「何かあったの?」
けげんそうな顔をして彼は聞いた。父に何かあったのかと思ったからだ。
「あなたの顔を見に来たのよ。どうしてるかと思って… 」
ウィスリーは愕然とすると同時に激しい怒りを感じて来た。
「帰ってくれ… 」
ウィスリーは小さな声で言った。
「え?」
母は聞き直した。聞き違いかと思ったのだ。まさか自分の息子がそんな事を言うとは
思わなかったのである。
「帰ってくれよ!!」
今度は強い口調で言った。母はこれ以上驚くことは出来ないと言う程驚きウィスリー
の顔を見つめていた。彼女は突然グレン教官の方を向いた。
「あなたはこの子にどんな教育をなさっているのですか? この子はこんな子供じゃ
ありませんでした。もっと素直な良い子だったのにこの大学が変えてしまったんです
わ。一体どうしてくれるのですか?」
彼女は石頭に向かって怒りをぶちまけた。
「少し落ち着いて下さい!」
石頭は母親を冷静にさせようと言ったのだがそれは逆効果であった。彼女はますます
いきり立って石頭を攻撃して来たのである。ウィスリーはたまらなくなって叫んだ。
「母さん! やめてくれ! 僕はもうあんたの言いなりにはならない。僕が素直だっ
て? あんた今まで僕の何を見てきたっていうんだ。僕の人生をいいように振り回し
てきて… 父さんとケンカばかりしてきて… 僕は本当は素直でも賢くもないんだ!
学校の勉強さえしていれば母さんは機嫌いいし、父さんともケンカしなかったから僕
はそうしてきただけなんだ。僕はわかってしまったんだ! あんたが悪い! でも…
僕はもっとバカだった… 」
ウィスリーは教官室から出て行った。かなり興奮していたのでどこをどう走っている
のかわからない。気が付けば知らぬ間に中庭の奥深くに迷い込んでいたのである。
「クィーニ… 」
チャコは彼女に近付いた。彼女は黙って目を閉じる。チャコの左手はクィーニの腰を
抱き右手は首のあたりをまさぐっていた。チャコはいつもと同じようにキスをした。
ウィスリーは偶然その様子をのぞき見てしまったのだ。男の相手が自分の告白もし
ていない初恋の女性だと気づくのに時間はかからなかったのだ。彼の興奮は一気に冷
め、やがてその後には自分の存在の一切を否定しまいたいという空しさだけが残って
いた。彼の心は激しく病んでいた。ウィスリーは航空科の格納庫に向かって歩きだし
たのである。その頃、石頭はウィスリーの母を、一時眠らせていた。彼は自分の妻よ
り気が強そうな彼女をなだめるのに、自分の超能力を使わざるをえなかったのである。
シミュレーションルームのロックを解除しようとしたタダはその手を止めた。
「どうした?」
フロルは聞いた。
「これは悪い予感だ… さっきから気になっていたんだ。僕は格納庫に行くよ」
タダは駆け出した。フロルはその後を追った。タダの直感力は自分自身のこと以外で
は冷静になれるせいか良く当たる。彼の予感が的中していればウィスリーは明日とい
う日を迎えられないかもしれないのだ。
“いったい彼に何があったのだ?”
タダはアマゾンに紹介されながらも彼の事をないがしろにしてしまった責任を感じて
いたのである。アマゾンに申し訳ない… 今はその気持ちで一杯であった。
「ウィスリー!!」
タダは格納庫に入ろうとしているウィスリーに声をかけた。彼はタダの方を向いたが
無視して中に入って行ってしまったのだ。
「フロル、彼は今、冷静さを欠いている。何をするか分からないからアマゾンを呼ん
で来てくれないか。彼なら203の教室にいる」
うん、と言うようにうなずきフロルは格納庫を後にした。
ウィスリーはボートに乗り込もうとしていた。後ろでレーン先輩が何か言っている
けれど自分にはもう無意味なことである。初心者用のボートだからワープができない
ものの数万メートル上空まで一気に飛んでしまう為、酸素マスクが付いていた。
“これは必要ない… ”
彼は操縦席の酸素マスクを引きちぎった。このままずっと空に向かって飛んで行くと
どうなってしまうのかな? 大学星の重力を振り切り大気圏外に出て慣性のままに飛
び続けてみようか… それとも流星になって夜空を見上げるアベックたちの目を楽し
ませるのもいいな… ウィスリーは寂しく笑った。
タダは突然ウィスリーの手を取った。タダは恐るべき速さで彼の思考を読み取った。
無防備な彼の心は子供のそれと同じくらい単純でわかりやすい。
“バカな事はやめろ”
タダは彼の心に呼びかけた。口に出すと安っぽい言葉だが心に呼びかけると別の言葉
のように響いてくる。ウィスリーは驚いてタダの方を見た。
“君の心はわかっている。悪いと思ったがのぞいてしまった僕を許してほしい”
「テレパス!!」
ウィスリーは狭いボートの中だというのを忘れて叫んだ。生まれて初めてその存在を
知ったのだ。彼の心から一瞬“軽はずみに思いついた死”が吹き飛んだ。
「君がいなくなったら父さんや母さんがどれだけ悲しむか… 君は考えた事があるの
か?」
タダは静かに聞いた。彼は母に対する失望と初めて味わった失恋とが重なって混乱し
ているだけなのだ。彼は立ち直れる、タダの直感は確かなのだ。
「君は自分が不幸だと思っているかもしれないがそんな事はないと思う… 僕はうま
く言えないけれど… 両親とはいいものなんだろうな」
“この先輩には両親がいないのか。でもそれが重荷になるという事もある… ”
ウィスリーはその言葉を飲み込んだ。
「君は優しいから… 今みたいに言葉を飲み込んできたんだね。優しさと素直さは同
居しているとは限らない、君は自分に素直じゃなかったんだ」
タダは自分にも言い聞かせているのかもしれないと思った。人は誰でもこういう所を
持っているのかもしれない…
通信機が鳴った。アマゾンからだ。
「タダ、タダ! ウィスリーは早まった事をしてないだろうな!」
彼は早口でまくし立てた。フロルに聞いて駆けつけて来たのである。息があがってい
るのがわかる。
「君はずっと幸せだったんだよ。君の母さんも、もっと違う形で愛情を表現していれ
ば君も今のように戸惑わなかったかもしれないが… そうは思わないか?」今日のタ
ダはひたすら優しい。今のウィスリーには目に見える優しさが必要だとわかっている
からなのだ。
「おい、タダ! どうなってんだ? 返事しろよな!」
アマゾンがいらついているようだ。
「ウィスリー、君はもう大丈夫だ。君からアマゾンに何か言ってくれないか?」
タダは彼の肩をたたいた。レーン先輩の声を聞いていると妙に自信がついてくる。で
も何を言ったらいいのだろう? ウィスリーは考えた。
「ごめんなさい… 」
考えた末に出て来た言葉は結局単純なものであった。しかし今の自分にわかる範囲で
精一杯の言葉だったのだ。
ボートから出て来たウィスリーを迎えたのはアマゾンだけではなかった。フロルは
アマゾンを呼びに行った後で、石頭とその横にいたウィスリーの母を連れて来たので
ある。軽い催眠術をかけられて落ち着きを取り戻したウィスリーの母は今までの事を
冷静に振り返らざるをえなかった。初めて息子に反抗されたショックは相当なもので
あったが、これも普通ならずっと前に経験しているはずのものであった。
“ウィスリー、君が母親を否定したり失恋をしたりするのは何も君だけの事じゃない
よ。母さんにとっても反抗されるのは初めての体験だろうし君と同じく傷ついている
んだ。でも人より遅かっただけで誰でも通る道なんだ”
タダは心に呼びかけた。
母は何も言わずに彼を見つめていた。子供はいつか巣立って行く… それを改めて
認識した彼女であった。二人は声を交わさなかった。今はそれでいいだろう。とりあ
えず一歩、歩み寄ったのだから…
航空科の必修授業はかなり難しい。しかしウィスリーにはレーン先輩という強い味
方がついていたのだった。彼はタダに対しては絶対の信頼をおいていたのである。彼
は分からない所が出来るとタダのアパートに聞きに来るのであった。あきらかにレー
ン先輩の彼女だという事がわかるフロル先輩の髪を見ても今では母を連想することは
無い。
「なあ、アマゾン。勉強が出来るってのは気持ちいいもんだろうな」
「そうだな、少なくともお前やオレみたいに付いて行く為に必死という者には味わえ
ない楽しさを知ってるだろうな」
「まあ、オレ達の苦労はわからんだろうけど… 」
フロルとアマゾンは雑談をしながら台所で夜食を作っていた。アマゾンのエプロン姿
もなかなか様になっている。彼は料理が上手だ。“お前いい奥さんになるぞ”と、フ
ロルに悪態をつかれているアマゾンだったのだ。
「お疲れさん」
二人を見送ったフロルがタダをねぎらった。
「優しい先輩なんだな、お前って。オレ、お前がそんなに面倒見がいいとは思わなか
ったぞ」
「やいてるの?」
タダはフロルの方を向いた。
「やいてねぇよ!」
彼女はふいと横を向いた。表情がはっきりしていてかわいい。
「だったらこっちを向きなよ」
しかしフロルがタダの言葉に従おうとした時、すでに彼の顔が目の前にあった。
「強引な奴だな!」
フロルは文句を言った。
「だって君の唇、柔らかいから気持ちいい」
「タダ、お前ってものすごく素直な奴なんだな」
フロルはやれやれと言うように両手をおおげさに広げた。
「しかたないだろ、君を見てると自分を作るのがばからしくなってしまうんだから… 」
それはタダの正直な気持ちだった。フロルとはそんな存在なのだ。タダはもう一度
フロルにキスをした。
今度は文句が帰って来なかった…
忘れ物をしたので引き返そうとするアマゾンをウィスリーが止めた。
「邪魔になるだけですよ」
彼は笑っている。いつの間にか人の気持ちも考えるようになってきたウィスリーだ
ったのである。
タダのアパートの窓から見える満天の星を二人は眺めていた。
「ずっと学生でいたい気がする」
フロルが言った。
「でもみんなここを卒業して行くんだよ」
タダが言った。
「でも仲間と離れるのはつらいや」
それはタダも同じである。
「別れなくては再会もないよ」
「再会出来ない奴があるかもしれないじゃん!」
フロルはムキになる。
「君は少し悲観的になったみたいだね」
タダはフロルの髪をなでた。
「お前がそうさせたんだ。なんでも好きになればなるほど別れがつらいんだって事
を… 知ってしまったんだから… 」
そんなフロルをタダはいとおしげに抱き寄せ… そして何も言わずに髪をなで続け
るタダだったのである。
終