星色物語bQ2
銀河の海編
タダ達は3年生になった。宇宙大学は基本的には5年生までであるが、本人の希望
によって研究生としてさらに5年在籍する事ができるのだ。さらにそれからは教官へ
と就職の道も開けていた。もちろん研究生にならなくても教官になる事もできるので
あった。大学生としての5年間を済ませ、一般の職に就いた者でも再び大学に帰って
来て教官となる者もいたのである。
新年度になって最初に悩む事は、どのコースを選ぶかという事である。必修コース
は決まっているが選択コースとなると迷ってしまってなかなか決まらないタダであっ
た。
「フロル、決まったかい?」
タダはフロルのアパートに入って行った。
「いや、まだだよ。この一般医療コースをどうしようかと迷ってるんだ」
フロルはタダと一緒に2年間、この一般医療コースで学んできたのである。
「やめちまうのか? どうして」
タダは少し残念そうに言った。
「やめるとは言ってないけど… このコースはつらいんだ」
フロルは学習面ではなくて実技面の事を言っているのである。実技面においてはかな
りの精神力を必要とするので感情の起伏の激しいフロルは自分を押さえる事に必死だ
ったのだ。人の生死にかかわってくる授業だけに、その採点は厳しいものがあった。
事実、一般医療コースは単位を落とす者も多いのである。
「パイロットには医学の心得がいるって言ったのは君だぜ。それをあきらめちまうの
か?」
「う … ん、そうだな… やっぱ、必要だよな… じゃ、オレも受ける」
フロルは迷いながらも決意した。一般医療コースとはいえ3年目ともなるとかなりの
専門的な知識と技術を要する事が予測できる。
「大丈夫、教官も君に関しては意外だと言ってたから」
タダは言った。
「なんだと? それってオレが全然ついてけないと思ってたのか?」
フロルは憤慨している。しかしタダは知っていた。フロルは挑発に乗りやすいって事
を…
「じゃ、決まりだな! この次ぎの授業は… 」
タダは次々とコースを決めていった。フロルは思い切りがいいのであまり迷わずに決
めてしまったようだった。
「ガンガにとっては一般医療コースなんて息抜きみたいなもんだろうな」
フロルはため息をつきながら独り言みたいな口調で言った。
「いや、そうとは限らないよ。ガンガはそのつど真剣に挑んでいるようだから」
「そうだな… あいつ… 」
二人の思いは同じであった。彼のクロレラ培養が彼の命を一年でも長く生きながらえ
さす事ができたらと痛切に思うのである。
大学病院に入院している患者の中で、余命いくばくもない者は一般病棟とは別のフ
ロアに入っているのであった。そこは伝染性の病気以外で死と向かい合っている所で
あり、治療とは別に心のケアが最も必要とされる所であった。今までの2年間、技術
面に重きをおいていたのであるが、今年度からは精神面においての課題が増えてきた
のであった。
「オレは正直なところ、こういうのは苦手だな」
ガンガが言った。彼はさっきから心理学のファイルを熱心に眺めていた。タダも同じ
画面を見ながらその対処の仕方を考えているのであった。タダには相手の気持ちがわ
かってしまうだけに人一倍つらいものがあるのだ。
別名“死の病棟”と呼ばれているその場所は、常に調度品とか個人に合った趣向が
こらされており、家族が寝泊まりできる場所も同じ室内に設置されていた。学生達は
白いユニホームに着替えた時から医師のような顔をしなくてはならないのである。そ
れは自分が単位を取るだけの学生ではないという自覚を植え付けるためでもあった。
その担当の者は単純に“ケアマン”あるいは“ケアウーマン”と呼ばれていたのであ
る。
「まいったな、ぼくの担当の患者は明るすぎる」
タダが困った顔をしてぼやいていた。彼はもう一人の相棒の学生とともにあてがわれ
た50過ぎの男性患者を持て余していた。
「オレなんかたった8歳の子供だぜ。とても普通の顔をしていられない」
ガンガもつらそうにしている。彼の相棒もやはりガンガと同じ思いだったのだ。
「フロルはどうしているんだ?」
ガンガは聞いた。彼女は今、相棒とともに同い年くらいの患者につきっきりになって
いた。長い療養期間の後に死の足音を間近に聞いている、そんな患者がフロル達の担
当のようだった。
「フロルはああ見えてもしっかりやってると思うな。基本的な面でぼくよりしっかり
している所がある」
タダはお世辞ではなくて本気で言っている。ガンガもそれは認めていた。確かに彼女
はタダみたいに繊細ではない。欲求不満もさっさと解消してしまうタイプだから後に
尾を引かないのであった。
フロルとルナ、彼女はトトと同じ農学科の学生なのだが… は、自分たちと同い年
くらいの男性患者を担当していたのである。医師である教官が家族の希望を聞いて、
人生の末期に花を添えようという事で二人が選ばれたのである。患者の名はギィ、テ
ラ系シベリースの若者だった。彼は生まれつきの不治の心臓疾患である。その病状は
重く、人工臓器も受け付けない体質のため、手術は不可能だったのだ。彼女たちはギ
ィの両親としばらく話をした後で、病室に入って行った。彼は静かに本を読んでいた
のである。
「はじめまして、ギィ」
ルナは明るくあいさつした。フロルはシベリースの若者で今、目の前にした黒髪の青
年に一瞬言葉につまったのだった。タダとは全く似ていないのであるがどうしても彼
と同じ星という事が気にかかった。
「私はルナ、今日からあなたのお友達よ!」
ルナはいつも明るい。彼女の赤毛は彼女の性格そのままでクルクル巻いて輝いていた。
「 …… 」
ギィは何も言わないで新しく入って来た二人の“ケアウーマン”を見た。
“ティムに感じが似ているんだ”
フロルはシベリースに行った時に出会ったタダの友人のティムを思い出していたので
ある。彼とはいい思いではなかったものの、もう既にこの世にいない人間をどうこう
思いたくないのであって極力忘れるように心掛けようと思うのであった。
「それじゃお願い致します」
ギィの両親はていねいにあいさつをして別の部屋へ移って行った。
「もう一人の彼女の名はなんていうの?」
ギィはフロルに向かって声をかけた。呼吸器を喉に埋め込んでいるのでその声はくぐ
もっている。
「あ… フロルベリチェリっていうんだ。フロルでいいよ」
彼女はにっこり笑って答えたのである。ギィはフロルにほほ笑み返しながら言った。
「ぼくはティムって人に似ているのかい?」
ギィの質問にフロルははっとした。シベリースの人間は直感力があるという事を忘れ
ていたのである。フロルはあわてて心をロックした。彼女はタダと付き合うようにな
ってからそういう事を当たり前のようにできるようになった。ギィの顔が一瞬くもっ
た。フロルがそうするとは思っていなかったのだ。
「人の心を勝手に読むんじゃない。読んだとしても黙ってるもんだぞ」
フロルにしてはていねいな口調なのだが一般から言えば少し荒っぽい話し方にギィは
驚いた。
「ごめん、ついいつもの癖が出てしまったんだ。ぼくの星の人間は直感力があるもの
だから… 」
彼は少しの会話にも疲れるらしい。ルナは心配そうな顔をしてフロルに目配せした。
あまり話をしない方がいいのでは? と、言いたいらしい。
「声に出さなくてもいいから。心に呼びかけてくれれば答えるよ」
フロルはギィに言った。彼女はそんな会話に慣れているのだった。
“君はテレパスなのか?”
ギィはフロルに呼びかける。
「テレパスじゃないけど大体の意味はとらえることができる」
フロルは答えた。彼女の返事にギィは喜びを隠しきれず腕を伸ばしフロルの手を握っ
たのだった。
「フロルったら自分ばかりギィと話をして… 心になんか呼びかけられたって私には
わからないのに」
ルナは不満だった。自分も責任をもって“ケアウーマン”としてやって行きたいのに
フロルにばかりギィの視線が集まるからだ。
「仕方ねぇだろ。あいつの心臓、後いっぺんの大きな発作があったらつぶれちまうっ
て教官が言ってたぜ。それよりじっと聞いてみろよ。ギィの呼びかけを… ルナにも
きっと聞こえるから。だってオレでもできるんだぜ」
フロルはくさっているルナの肩に手を置いた。彼女はフロルにそう言われると何だか
できそうになって来たのであった。
「フロル、信じていれば聞こえるのよね!」
ルナの顔に明るさが戻った。
タダは死を覚悟した明るい男性患者を前に常に自分の力の及ばない事を認識させら
れてやりようのない気持ちを抑えるのに必死だったのだ。逝くものの目はまるで赤ん
坊のように澄んでいるのだという事をタダは再認識するのだった。
「 … タダ、タダ? おい、聞いてんのか?」
フロルと話をしていいる途中だったのだ。
「ごめん、聞いていなかった。いったい何を話してたの?」
タダは謝った。
「もういいよ。お前、何を言っても上の空だもん」
フロルはタダのアパートから出て行ってしまったのである。
「ギィ、入るぜ」
フロルはいつものように病室に入って行った。ルナは先に来ているようだった。しか
し室内はやけに静かなのだ。
「ルナッ!!」
フロルはギィのベッドにうつぶせになっているルナを見つけ体を揺すった。
「おい、しっかりしろ。ルナ! どうしちまったんだよ!」
ギィはその横で規則正しい寝息を立てていた。しかしルナは眠っているのではないよ
うなのだ。フロルはあわてて医師を呼びに行った。フロルの声に驚いたギィの両親が
隣の部屋から飛び出して来た。彼らはさっきまでルナの笑い声を聞いていただけにど
うしてこんな騒ぎになったのか不思議だったのである。動かしてはいけないだろうと
いう事で、彼女はギィの隣に寝かされていた。直ちに集められた医師たちが彼女を診
察したのだが、だれが見ても彼女は異常がないのである。医師たちは首をかしげてい
た。肉体に異常が見当たらない以上、彼らの出番はないのだ。今度は超能力開発コー
スの教官たちがギィの病室に集められたのである。
「タダ!」
“ケアマン”としての時間が終わるのを見計らってフロルが飛びついて来た。
「オレの相棒がおかしくなっちまったんだ!」
フロルは恐ろしくあわてていた。
「落ち着けよ、いったいどうしたんだ?」
タダは解放されているフロルの心を覗いていた。今は聞くよりこのほうがはやいのだ。
「フロル、取り敢えずルナの所に行ってみよう」
タダはフロルとともにギィの病室に入って行った。
「魂が抜けてしまった状態とはこういう事をいうんだろうな」
超能力開発コースの教官が言った。タダとフロルは顔を見合わせた。フロルの不安が
そのままタダに伝わって来る。彼女は今、タダに対し弱い面を隠さずに見せていたの
であった。それは普段の強気な彼女とは違っていて妙にしおらしく感じられ、タダは
いつもにも増してフロルをいとおしく感じるのであった。フロルのこういう表情はタ
ダの前でしか見せないという事を彼は知っていたのである。
“大丈夫だよ”
タダはフロルの手をぎゅっと握った。フロルはタダの横顔を見上げた。彼はびっくり
するくらい落ち着いていて、たのもしく思えて来る。フロルはほっとしたようにルナ
の顔を眺めていた。
「 … ? 」
フロルは何か気づいた。そして再びルナの顔を見た。次ぎにギィの顔を…
「タダ、ルナの顔を見てみろよ! 笑ってるんだ。そして同じ時にギィも笑ってる…
これは偶然なのか?」
フロルの言葉にタダはルナとギィを見比べた。確かに共通した感情表現をしているの
だった。
「これは… 」
タダは信じられないと言うような顔をした。
「どうした? タダ」
超能力開発コースのスミス教官はタダの変化を見逃さなかった。彼はタダが1年の時
からタダの並外れた力に注目していたのである。
「これは夢です。ギィが彼女を自分の夢に閉じ込めてしまったのです」
タダは直感した事をスミス教官に伝えたのだ。教官達はいっせいにタダの方を向いた。
「聞いた事がある! 僕の星の人間は、夢に住む事ができたんだって教わった事があ
るんだ。でもそれはずっと昔の話だと思ってた… 」
ギィはシベリースの人間なのだ。おそらくタダの言うとおりだろう。
「では、どうすればいいのかね?」
スミス教官がタダに聞いた。心理学科の教官たちはタダの答えを待っていた。
「この子は今までこんな事をしたことはない!」
ギィの父親が教官たちに向かって弁解した。彼の息子はルナをさらってしまったよう
にとられるのが嫌だったようだ。しかし父親の言葉はタダの心に影を落としたのであ
る。
「ギィの夢に入って行けば彼と話をする事ができるのだけど… でもギィは自分の夢
から出る事ができるのだろうか?」
タダは長老から聞いた話を思い出していた。現実の世界に心残りの事が有る限り、決
して夢には惑わされないだろうという事を…
「タダ、お前こいつの夢に入って行くつもりなのか?」
フロルはタダの腕を引っ張った。やめろと言わんばかりである。タダは静かに笑って
いる。
「大丈夫だよ。きっとルナを連れて帰るから… そうしないと二人ともずっとこのま
まになってしまうんだ」
“君がここにいる限り、決して夢に捕らわれる事なんてないさ”、タダはフロルにこ
の言葉をどれほど伝えたかったか… しかし心理学科の教官たちは強弱の差はあるも
ののほとんどがテレパスなのだ。タダのテレパシーはまだ完成されてはいない。フロ
ル個人に伝えたい言葉でも漏れてしまう事があるかもしれないのであった。タダはフ
ロルほど開放的ではない。照れがあったのだ。
「私が行こう。君に負担はかけられない」
スミス教官が言った。彼は心理学科の筆頭教官であり、その責任感は人一倍強かった
のだ。
「ルナ、君が僕について来てくれるとは思わなかったよ。ほら、見てごらん、ここは
僕の宇宙なんだ。生まれて来てからずっと家の中ばかりで過ごしていてもこうやって
広い宇宙を知ることができるんだ。いつも夢の中で空を飛んでいた。でも今日は君と
いうお客さんを乗せる事ができて本当に嬉しいんだ」
ギィは小さな宇宙船で銀河の海を進んでいた。彼の知っている範囲の銀河だが、それ
は鮮明にルナの目の前に再現されていたのである。
「僕はずっとこうしていたい。ここでは呼吸器なんか付けずに息ができる。ぼくは今、
全く普通の… 同じ年頃の青年が経験できる事をしているのだから」
ルナはそんなギィを不憫に思っていた。彼は治る見込のない病気であとわずかな命だ
という事を知っていたからなのだ。彼女は自分の心が読まれている事を知らずに彼に
同情していたのである。ギィがテレパスだと認識していても具体的にどういうものか
は彼女にはわからなかったものだから…
「あなたの夢はパイロットになる事なの?」
ルナは聞いた。ルナは明るいだけでなくて優しいのだ。
「夢だって? どうせ死んでしまうとわかっているのに夢をみられるわけがない。た
だこうして星の海を進んで行くだけで満足なんだ」
ギィがひがんで言っているのではない事がわかるだけにルナはつらかった。どうして
人類はいつになっても病気を克服する事ができないのだろうと思うのだ。病気との戦
いは太古の昔からずっと続いていて、ひとつ克服するたびにまた、新たな病気が生ま
れてくる。これはまさにいたちごっこなのだろう。
漆黒の闇に星が瞬いていた。真空の中では瞬かないはずなのに、ギィの宇宙では地
上から見るそれのようにきらめいていた。ギィは船の窓を開けた。少し冷たい風が入
って来る。低い音も外から聞こえて来た。
“ああ… こんな事はないはずなのに… ”
ルナは現実の常識をくつがえす、心地よいギィの夢の世界に酔っていた。彼は来る日
も来る日も自分の部屋の窓から見える空に、思いを馳せていたのかも知れない… そ
れが彼にとって最大の楽しみだったのかも知れないと思った時、ルナは突然ギィに対
し、言い知れぬ感情が沸いて来たのであった。ギィはルナの心の変化に戸惑った。そ
んなつもりはなかったのだから… 夢から離れられなくなりそうだ… ギィの心は複
雑だった。いったいどれだけの時間がここに来てから流れているのだろう? それす
らもわからないのだった。
「何かいるっ!!」
銀河の海に突如として正体不明の生き物が出現したのである!
ギィはガンを構えた。ルナもギィの後ろでガンのスイッチを解除した。正体不明の生
き物はルナの方を見た。どろどろとしたアメーバ状のモノで真ん中に大きな目が付い
ている。ギィは迷わずその生き物に向かってガンを命中させたのであった。砕け散る
アメーバ… そして再び銀河の美しい海が現れたのである。
「大丈夫ですか!」
弾かれたようにして倒れたスミス教官を、若い教官が抱き起こした。
「だめだ、ギィは私を受け入れてくれない」
スミス教官はうなった。
「ぼくが行きます。ぼくなら警戒されずに入って行けると思うから」
タダはそう言ってギィのそばに近づいて行った。
「タダ… 」
フロルが心配そうな目をしている。フロルはタダの手を握った。
「オレ、ここでずっと待ってるからな! 絶対、帰ってこいよな! 夢ん中に取りこ
まれんじゃねぇぞ」
フロルは泣き出しそうな顔をしている。
「大丈夫だよ。必ずここに帰ってくるから、だから君は心配する事なんてないんだか
ら」
タダはフロルの手を握り返したのである。
「帰りたくないな… 」
ギィはつぶやいた。いつまでもルナと二人でこうしていたい。それは我がままだとわ
かっているのだがギィの本心なのだった。
「やぁ、宇宙船の調子はどうだい?」
突然ギィの宇宙船の中に現れたタダが、シベリースの言葉で話しかけた。
「君は… ?」
同じ年頃のシベリースの言葉をしゃべる男にギィは驚いた。ルナもタダとは面識がな
かった為、少なからず驚いたのである。
“突然君の世界に入って来た事を許してほしい”
タダは静かにギィの心に呼びかけたのだった。
“君はシベリースの人間なのか?!”
ギィは嬉しそうな表情をした。大学病院に入院してからというものは両親以外のシベ
リースの者に出会った事がなかったからである。タダはうなずいた。
“君は銀河の海が好きなんだね”
タダは彼の心を読んでいた。同い年くらいなのに精神年齢はかなり若いのだ。ずっと
寝たきりだったからそんなものなのかもしれない。
「あなたは誰なの?」
ルナが聞いた。彼女は侵入者に対し警戒心を捨てていなかったのである。
「ぼくはタダトス・レーン、君とペアを組んでいるフロルの… 」
タダはそこで止まった。フィアンセ、恋人… 連れ合いといろんな言葉を並べてみた
がここで紹介するのは場違いのような気がするのだ。
「タダっていう人? フロルの恋人の!」
ルナが気づいた。フロルはもう自分の事をルナに話していたらしい。しかしそれが結
果的には良かったのだ。フロルから聞いていた黒髪の青年、それがタダだったのであ
る。タダはギィに向かって手を差し伸べた。
「君を迎えに来たんだ… 」
タダは優しく諭すように言った。
「君の御両親は心配しておられたよ」
ギィは静かにほほ笑んでいる。拒否をしていない事はわかるのだが…
「タダが戻って来ない!」
彼がギィの夢に入って行ってから随分と時間が経っていたのである。ギィのベッドの
横で椅子に座ったままうつ伏せになっているタダを見てフロルは不安が広がって行く
心を押さえ切れなかったのである。
「スミス教官… タダはどうなっちまったんだろう… ?」
彼女はたまらなくなってつぶやいた。フロルはタダの耳元に顔を近づけて彼の名を呼
んだ。
「お前、このまま帰って来ないんじゃないだろな。そんな事してみろ、オレぜったい
許してやんねぇから!」
タダはギィの宇宙船を操作していたのである。今、目の前に広がっている銀河の海
はタダの知っている海なのだ。タダはギィの夢を実現させるために彼の夢に自分の知
識をシンクロさせたのだ。タダは後しばらくギィの為に、彼の夢の中にいようと思っ
ていたのである。
「ワープ準備、3・2・1… 、ワープ!」
タダは大きくジャンプした。航空科だけあってその技術は確かである。一瞬の気分の
悪くなるような空白の後に、さっきとは全然違った星の海に着いた。
「ここはこの銀河でもっとも多く星が見える場所なんだ。ほら、シベリースの太陽系
があそこに見えているよ」
タダは斜め下の方向を指さした。ギィとルナはその方向に目をやった。
「今度はシベリースだ!」
タダは再びジャンプした。驚くほど近くにシベリースが迫っていた。
「 … シベリース!!」
忘れかけていた故郷の星の姿をギィは思い出していたのであった。彼の声は興奮で震
えていたのである。
「ぼくの星だ! ぼくは帰って来た… 」
タダはギィの希望する場所を次々とまわっていった…
“タダ、タダ!”
フロルの声が聞こえてくる。タダは思ったより長くここにいる事に気が付いた。きっ
と心配して呼びかけてきたのだろう。
「ギィ、そろそろ帰ろうか? 」
タダはシベリースの夕焼けを飽きる事なく見つめていた二人に声をかけた。ギィはタ
ダの言葉に従う事にした。今日の体験は今まで生きて来た中で最も楽しかった事にな
るかもしれない。
“さよなら”
彼はそっとシベリースの大地に別れを告げた。生きて再び帰って来られないだろう事
を知っていたから… タダはそれを聞かないふりをして二人を促した。
「このバカ! オレがどんだけ心配したと思ってるんだ!」
物悲しいギィの夢から目覚めたタダのボディにフロルのパンチが決まった!
「いた… 何するんだよ、いきなり… 」
タダはパンチを打ったフロルの腕を掴んだ。彼はそのままフロルを病室から連れ出し
たのである。
「帰って来ないのかもしんないって思ったじゃねぇか! オレ、お前がいなくなっち
まうのなんて絶対嫌だからな! オレ、お前の事、すごく好きなんだからな!」
フロルはタダの胸に飛び込んで来た。はねっかえりで意地をはってなかなか素直にな
ってくれない時もあれば、今みたいに抱き締めたくなるほど素直な時もある。何より
自分なら絶対人前では言えないようなセリフを臆面もなく言ってのけるフロル。知ら
ぬ間にタダはフロルを抱き締めていた。時々いとおしさが込み上げて来て、我慢がで
きなくなる時があるのだった。この感情はどこから湧いて出てくるのだろうと思う。
フロルに出会うまで、自分がこれほど強く人を愛する日がくるとは信じられなかった
タダなのだ。今、タダの頭の中はギィの嬉しそうな表情も、ルナのギィに対するほの
かな感情もどこかに飛んでしまっていたのである。
「私“ケアウーマン”に向いてない… 」
ルナが悲しそうに言った。フロルはその気持ちがわかるだけに黙っていた。
「これから先、ギィみたいな患者を担当しなきゃなんないなんて私の神経が持たない
わ」
それほど彼女はギィに入れ込んでいたのである。
「もう永いことないのよね… 」
ルナの目に涙が光っていた。どうしよう、どう言って慰めたらいいだろうと迷ってい
るうちにフロルの方が先に泣き出した。ルナはフロルの涙を見て一気にたまっていた
ものが吹き出したのである。二人はギィの為に泣いていた。
「わかったから鼻水拭けよ」
タダはフロルの目の前にテッシュを差し出した。昼間に散々二人して泣いていたのだ
が、タダの前だとどうしても涙腺がゆるむのだ。
「ほら、こぼさないでくれよな。さっきから上の空なんだから」
今日はタダのアパートで夕食をごちそうになっているフロルなのだ。
「お前もこの前そうだったじゃん」
タダにとっても“ケアマン”の授業はつらかったのだ。
「でもフロル、こういう仕事ってとても大切だと思う。だからどんな患者の担当にな
っても対応できるようにしなきゃいけないんだ」
タダは自分にも言い聞かせているようだった。
「うん… 」
フロルは小さくうなずいた。
「頑張ろうな!」
タダは励ました。あしたも一般医療コースの授業があるのだ。重い気持ちを胸に二人
の夜はふけて行くのであった。
外は満天の星、ギィは今頃タダに連れて行ってもらった銀河を夢に見ているのだろ
う…
終