星色物語bQ5



タダの手紙編



 タダは久しぶりに長老に宛てて手紙を書いていた。手紙なんてほとんど書いた事は
なかったのであるが今回は特別だった。タダは自分自身を見つめ将来の事を彼なりに
考え、そしてある結論に達した時、改めて長老に対し自分を知ってもらいたいがため
にそうしたのであった。他人にとっては手紙を書く事なぞ他愛ない事かも知れないが、
タダにとっては重要な意味があったのだ。直接言葉で話すより文字で書く方が自分の
気持ちが伝わりやすい事もある。
 タダは静かにペンを走らせていた。それは肉筆の長い手紙だった。

 天文学科の観測室でチャコはフロルと赤鼻を相手に星の話をしていた。
「そやさかいに光も波やから物体が近づいたら振動数が増えるさかいに実際の色より
も青く見えるんや。青方偏移と、呼んどるんやけどな。反対に遠ざかったら赤く見え
るんや、つまり赤方偏移。宇宙はだんだん広がっとるから物体は赤く見えるんや。ほ
ら、この銀河は赤い色をしとるやろ」
「ほんとだ… これってまだオレ達の銀河系の人間が行った事のない遠い銀河だろ?
  オレ専門外の事って何にもしらねぇからな。星ってただ見るだけで研究なんてした事
なかったんだ」
フロルはスクリーンを見つめながら言った。宇宙を旅するパイロットにとって星は当
たり前の風景なのであるが、それに関する知識を身につけている者は以外と少なかっ
たのである。フロルも星を見るのが好きだったがだからといってそれに詳しくなかっ
たのである。
「僕も天文に関してはさっぱりなんだ。たまに星を見ても晴れるかどうか天気予想の
為だけに見るくらいで… 」
どうやら赤鼻の知識もたいしたことはなさそうである。
「お前もクィーニもこんな勉強をしてたんだな。オレ全然知らなかったよ」
チャコはフロルに自分の持っているフロッピーを貸してやった。何でも興味を持った
時が一番身につきやすい時なのだから。しかし赤鼻はここに来たのは単に天文に興味
があってというのではなく、もっと違うところにあったらしい。
「なぁ、さっきから… どないしたんや? 何か悩みでもあるんかいな」
チャコが赤鼻に聞いた。赤鼻は一瞬ためらったがそれでも一呼吸おいて話始めたので
あった。それは彼の同郷の女性の話であった。

「フロル、何を見てるんだ?」
タダが声をかけた。フロルは机の前のファイルから目を離さない。
「チャコにかしてもらったんだ。広がる宇宙のはじまりと言われているビッグバンの
事も載ってるんだ。それにいろんな星の地質とか大気の状態とか… 原始的な生き物
まで載ってるぜ」
「ふうん、僕はあまり興味がないからわからないけど面白いのか? それ」
タダは無関心すぎるの悪いなと思い聞いてみた。
「うん、あらためてオレ自身が小さな存在なんだなって思っちまう」
フロルは遠い目をしていた。彼女がいつも星を見ているときの目だ。現実的で明るく
気の強いフロルが見せる“らしくない目”なのだ。
「でも僕の宇宙では君の存在は大きいぜ」
タダはさりげなく本心をあらわした。
「何だよ、からかってんのか?」
フロルは冗談と取ったらしい。まぁそれでもいいさ、とタダは笑った。
   「なぁ、タダ。お前“男”について考えた事あるか?」
フロルは唐突に言った。
「どうして?」
そんなことを聞くのかと言いたいらしい。タダはフロルの顔をのぞき込んだ。
「赤鼻が言ってたんだけどさ、あいつ同郷の奴がこの大学にいるんだって。そいつが
赤鼻の事を色々目の敵にするって言うか… うるさく言って来るって言ってた」
フロルの話は要領を得ない。
「それが男についてと言うのとどういう関係があるんだ?」
タダは何をいいだすのやら、と言う表情をした。さっき、照れ臭いのに臭いセリフを
はいて冗談と取られてしまった軽いいらだちがあったせいかぶっきらぼうな口調にな
っていた。
「なに怒ってんだ?」
フロルはタダの表情が気に入らないらしい。彼は言い訳はしなかったが小さくため息
をついたのだった。
「もういい!」
フロルは怒って再びチャコのファイルに見入ってしまった。いつもならいいわけする
タダだっのだが今夜はなぜかその気になれず黙ってフロルのアパートから出て行った
のだった。長い付き合いだ、たまにはこんな事もあるのだった。フロルは振り返った
がタダの姿はもうなかったのである。

 フロルはクィーニと共に調理の実習をしていた。どの科にも属さないコースの授業
で、ここでは過半数を女性が占めていた。その中には昨日、赤鼻が話していた“奴”
がいたのである。フロルもクィーニもその“奴”とは話をした事がなかったが赤鼻が
いうには鼻持ちならない奴らしいのだ。しかしそれはあくまで彼の主観であり、その
授業においてはそんな様子は感じられないような存在だったのだ。
「わぁ、きれいにしあがったのね!」
クィーニはベルに声をかけた。昨夜チャコからどんな女性か見て来てくれないかと頼
まれていたのだ。今日の実習は果実を利用したオードブル作りであった。
 ベルとは赤鼻のいう“奴”の名前なのである。突然今まで話した事のない者から声
をかけられたベルは少し間を置いて答えた。
「この果実、固くて細工するのに手間取ってしまったわ」
それでも褒められて悪い気はしないらしい。クィーニはチャコの影響か人当たりが良
くなったのであった。女性同士ではうけもいい。
「あ、でもちゃんときれいに切れているじゃない。あたしなんて全然だめだったもん」
「でもあなたのもなかなかユニークに仕上がってるわよ」
ベルはクィーニとフロルが作ったオードブルを褒めた。決して上出来とはいかなかっ
たもののまあまあの出来である。クィーニはベルのお世辞に彼女の性格を感じ取って
いたのである。
「私ね、気に入った本があるんだ。良かったら貸してあげるわよ。全部アパートに持
って来ているんだ。料理が好きだから」
ベルはどうやらクィーニが気に入ったらしい。
「え? 本当? うれしい。今日取りに行ってもいい?」
クィーニはチャコの為にもっと料理がうまくなりたかったのだ。
「あなたんちに持ってってあげるわよ」
そう言ってベルは気持ち良い笑顔を見せたのであった。

「別に普通だったぜ。あいつ」
フロルは赤鼻に言った。いつも仲間が集まる喫茶室である。今日はまだ二人だけだっ
た。
「それはフロルが女性だからだと思うよ。あいつ、男に対してだけきついんだ。僕な
んかいつも言われっぱなしなんだ」
赤鼻はため息をついた。
「そんなものなんかな? お前、ベルの事好きなのか? 意識してんじゃねぇのか?」
フロルは何となくそんな感じがしたのである。しかし赤鼻は激しく否定した。
「誰があんな奴を! だってハイスクール時代は僕なんて完璧にみんなからばかにさ
れていたんだよ。だってこの顔だし、この体型だもんな… 」
赤鼻は昔から、自分の容姿に自信がなかったのであった。それが態度に出ていておど
おどするところがあり、よりいっそうばかにされていたのであった。そんな彼が唯一、
他人より秀でていると言えば勉学に対する向上心だったのである。
「でもよ、顔や体型なんてどうでもいい事じゃんか。オレ、他人のそんな事なんて気
にした事ねぇもん」
フロルは確かにそういう性格なのだ。しかしそれがすべての者に当てはまるとはいえ
ないのだ。むしろそういう事が気にならない性格の方がめずらしいのだった。
「それは君だから言えるんだよ」
赤鼻はひがみではなく思ったままの事を言った。
「何だよ、その言い方。トゲがあるぞ! でもオレって少しずれてるとこあるからお
前の方が正しいのかもしれないな」
今日のフロルは素直である。昨夜タダと小さなケンカをしたせいか、少し反省してい
るのだった。
「何か… 素直だね」
「オレが素直だったら悪いのか?」
「いや、そういう訳じゃないけど… 」
赤鼻は言葉を濁した。

「あら、ドルフ。意外な人とお知り合いなのね」
ベルが赤鼻に声をかけてきた。意外な人とはフロルの事なのだ。
「何だ、お前ら知り合いなのか?」
フロルはとぼけている。
「まさかあなたの彼女ってわけないわよね、ドルフ。だってあなたとは全然似合わな
いもの」
ベルは笑った。嫌みな笑いである。
「どういう意味だ?」
フロルは聞いた。
「どうもこうも… あなたもわかっているくせに。言わなくったって」
ベルは実習の時と違い、意地が悪い。ようは美女と野獣ほどの差があると言いたいら
しい。
「お前、失礼だぞ! そんな言い方って。逆にお前がそんな事言われてみろよ、どん
な気がするんだ? こいつはオレの大事な友達だぞ、バカにすんのもたいがいにしろ
よな。それともお前、こいつが好きなのか?」
フロルはむきになっている。赤鼻はあわてて彼女を止めた。喫茶室の中なのだ。大き
な声はまわりに迷惑をかける。しかし彼はフロルの言った言葉をうれしく思っていた
のである。
「どうして私がドルフを好きにならなきゃいけないの?」
今度はベルがむきになって来た。赤鼻は正直言って困っていた。
「そこまでにしようよ。ふたりとも美人が台なしだぜ」

 こんなセリフを言えるのは四世ぐらいなものなのだ。彼は喫茶室に入って来るなり
そう言った。ベルは四世と赤鼻の顔を見比べた。それにフロルも… 彼女は彼らの交
友関係が不思議だったのである。ベルはフロルをにらんで喫茶室から出て行った。
「助かったよ、四世。困ってたんだ」
本当に困っていたらしい。彼の額は汗で濡れていた。
「みたいだな、フロルは相変わらずだから」
四世は訳がわからないままその場を収めたのである。

 フロルは大学から帰ってすぐにタダのアパートに入って行った。昨夜ケンカをした
ことなんて忘れてしまっていたのである。
「何か考え事をしてたんか?」
フロルは聞いた。タダはぼんやり机に向かっていたのである。
「いや、何でもないよ」
とはいったものの机に広がっている紙切れをタダはあわてて隠したのであった。
「なんか怪しいな」
フロルはじっとタダの目を見た。
「何でもないって言ってるだろ。それよりどうしたんだ?」
タダは冷静を装ってフロルに聞いた。
「どうかしないと来ちゃいけないのか?」
彼女は隠し事をするという事が気に入らなかったらしいのだ。
「いや、そういう訳じゃないんだ! 」
タダはあわてて否定した。
「誰かからラブレターでももらったのか?」
フロルは思いつくままの事を口にした。
「違う! これは… 」
長老に宛てた手紙の書き損じなのだった。普段はあまり肉筆で書く事のないため何
度も失敗していたからである。
「じゃあ、どうして隠すんだ? 昨日といい今日といいお前、何か変だぞ! それ
って本当に… 」
確かにタダは魅力的なのだ。四世のように完璧な容姿じゃないけれどその誠実な人
柄は女性を引き付けるのに充分であった。
「ぜったいそんなのじゃないから!」
タダは否定した。しかしフロルは少し不安だったのだ。長い婚約時代は冷めてくる
場合が多いのを知っていたからだ。その不安は急速に彼女の胸の中に広がって行っ
たのである。フロルはじっとタダの目を見た。もちろんタダを信じているのだが果
たして彼の心は… ?
 フロルはタダの部屋から飛び出して行った。

「クィーニ、クィーニ!」
フロルはクィーニのアパートに飛び込んで行った。
「どうしたのフロル?」
クィーニはただ事でないフロルの様子に驚いていたのである。
「タダが… 」
フロルは何かを言おうとしているのだが言葉にならず顔を覆って泣き出した。
「どうかしたの?」
奥の部屋からベルが出て来たのだ。フロルはベルと目が合った。お互い昼間の喫茶
室のいさかいがあっただけに気まずい思いだったのだ。フロルはもっと格好悪かっ
た。彼女はあわてて涙を拭ったのである。クィーニは女の直感でこの二人、何かあ
ったなと感じていた。
「フロル、まぁ座んなさいよ。どうせタダとケンカでもしたんでしょうけど… 」
クィーニはフロルを促した。
「 …… 」
クィーニがお茶の用意をしている間、二人の間に奇妙な沈黙の時間が流れていた。
「オレさ、赤鼻からお前の事を聞いてたんだ… 」
フロルが切り出した。
「お前が何かにつけてうるさく言ってくるんだって。でも実習の時、そんな気配が
感じられなくてさ… 」
「私を観察していたってわけね」
「そうだよ。オレあいつの友達だから何とか力になってやりたくてさ。お前には悪
いとは思ったけどあいつ真剣だったから」
「友達か… ドルフにもあなたみたいな友達がいたんだ… 」
ベルは妙に感心している。
「私の星ね、テラ系のペロマって言うんだけど… 何て言ったらいいか女は損なの
よ。例えば国連議会なんてほとんどの議席は男が占めてて、女の意見が通らないっ
てとこがあるんだから」
ベルの星はどうやら男性社会のようだった。
「それならオレん星もかわんねぇや。ヴェネって言うんだけど未だに一夫多妻制な
んだぜ。おまけに長子でないと男になれない。せっかく両性体で生まれてきてんの
に選択権もないんだぜ」
フロルはぼやいた。
「両性体? それじゃ… あの… 」
ベルは顔を赤らめた。
「両方付いてるんじゃねぇよ。第二次成長期になるとどちらかが発達してきてでき
てくるんだ。でさ、人口比が1対5なのに統治するのは数の少ない男なんだ」
「そんなのおかしいよね! ドルフはそんな男達といっしょなんだから。小さな時
から近所のがき大将にいじめられながらも必死で付いていってたんだ。そしてそん
な奴の手先になって私たちのことをバカにするもんだから私はそれが許せなかった。
もっとも彼は自分がどうしてそんな目に遭うかわからないでしょうけど」
「なんだ、それじゃ赤鼻とお前は幼なじみだったのか… でもあいつ気が弱いから
な、悪気はないんだと思うぜ」
フロルは赤鼻の為に弁解した。
「だから嫌なの。他人の意志に左右されて自分を見失ってる情けない人なんて最低
だわ」
ベルの赤鼻に対する評価はかなり厳しい。どうやらこれは女性蔑視とは別の所から
来ているようだが…
「でもそんな赤鼻だからこそ星間弁護士になりたいと思ったんじゃないのかな?弱
いものを助けたいって言ってるもん。あいつ弱い者の立場を良く知ってると思うぜ。
今のあいつを見てやれよ」
フロルはひたすら彼をかばっていた。
「でも女が勉強ばかりしていると結婚できないとか言った事もあるんだから」
ベルは小さな事までよく覚えている。おそらくずっと以前の話だと思うのだが…ク
ィーニはお茶の用意をやめてワインを取り出した。今度チャコといっしょに飲もう
としていたのだが友情の始まりの予感がするのでしかたがないなと思ったのだった。
“あたしのまわりって個性的な人ばかりだわ… ”
クィーニはちいさくため息をついた。

 タダの部屋の遠距離通信機にメッセージが送られてきた。長老からだった。彼は
そんな予感がしていたのでフロルを迎えに行かなかったのだ。それは短いメッセー
ジだったがタダの全身から言いようのない喜びがあふれてきたのである。タダはフ
ロルのアパートに立ち寄ってからステーションへ向かった。いまならまだ夜行に間
に合う。彼はヴェネにいるフロルの両親に会うつもりなのだ。

 フロルが自分のアパートに帰ったのはもう夜明け近くだった。あれからずっと三
人で盛り上がってしまったのだった。
“あれ?”
フロルは机の上に置かれた白い封筒を見つけたのである。
“何だよ?”
フロルは封を切った。シャワーの後のほてった体で床の上に座り込み、フロルはそ
れを読み始めたのである。それはタダからの初めてもらった肉筆の手紙だったのだ。
あわてて書いたのか文字が乱れていたがそれでも真剣な内容だった。
《君がこれを読んでいる時、おそらく僕は船の中だと思う。僕は今までずっと考え
続けていた事を君に話したい。僕は自分の人生のけじめをつけたいと思っている。
それは君を生涯のパートナーとして選んだ時から心の奥に密かに決めていた事なん
だ。僕は4年になると20才になる。それはひとつの区切りのような気がする。も
し、君さえよければ卒業を待たずに… いっしょにならないか? とりあえず僕は
君の両親に許しを得る為にヴェネに向かっている。長老の了解はもうすんだ。それ
じゃ、あした帰るから… 》
たったそれだけの短い文章だった。
“下手くそな手紙… 今時こんな文章を書く奴なんていねぇぞ。それにお前って字
が下手だったんだな”
フロルは床に寝転がった。そしてもう一度、最初から読み返したのだった。いくら
読んでも飽きることのない正直な手紙であった。
“オレが反対すると思ってんのか? そのくらいわかんねぇのかよ”
一度にさめてしまった酔いのかわりに熱いものが胸に込み上げて来てフロルは朝ま
で眠れなかったのである。

「子供ができてしまったのか?」
フロルの兄が聞いた。彼女の両親に改めて結婚の承諾を得ての帰りだった。ステー
ションに向かう車の中でジードが言ったのだ。
「いえ、決してそんなのじゃありません。僕はただ婚約時代を長引かせたくなくて…
 それに自分のけじめというか… うまく言えないけれどフロルとならずっとうま
くやって行けると思うから」
ジードは気の利いた言葉が苦手なタダがかわいく思った。
「食事に行こう!」
ジードは車をUターンさせた。
「え? でも大学が… 」
夜行で帰らないと二日休む事になる。
「朝ヴェネについたばかりですぐに帰るなんて許さないぞ」
タダは驚いた。ジードがこんな性格だとは思わなかったのだ。ジード自身も驚いて
いた。彼にとって初めての年下の義弟になるタダの存在がうれしかったからいつも
よりハイになっているのだった。タダは黙って従った。彼も又、義兄を持つという
事がうれしかったからである。長老と二人きりで育ったタダにとってそれは夢だっ
た。20才という比較的若い年齢に結婚というくぎりをつけたいと思ったのは、心
の底で血のつながりを求めていたからかもしれない。

「いっその事、今日は泊まって帰ったらどうだ?
ジードは笑った。

 きょうのベルは最低のコンディションだった。フロルに付き合ってずっと飲んで
いたのだが、彼女のペースに巻き込まれて深酒をしてしまったのだ。彼女は中庭に
設置されたベンチで休んでいた。
「なんだ、くたばってるんか?」
フロルが赤鼻と一緒にやって来た。
「昨夜お前言っただろ、こいつと二人で話がしたいって」
ベルは驚いた。いつそんな事を言ったのだろう? いや、しかし何となく覚えてい
る。確かに一度、ドルフと二人でゆっくり話がしてみたいって… 
「でも… あのフロル、ちょっとあなたって… 」
フロルの行動は素早い。その事をベルは知らなかったのだ。ベルはなぜだか頬が紅
潮してくるのだった。
“赤鼻、うまくやれよな”
フロルはそっと耳打ちして消えていった。全然寝ていなかったが今日はいい気分な
のだ。タダの手紙をポケットに忍ばせて授業に出ているのだから。二晩続けてのケ
ンカも不信感もどこかに飛んでしまった彼女はタダがかえってくるのが待ち遠しか
った。

“まさか父上が反対してるんじゃねぇだろな?”
とうとう昨夜、かえって来なかったタダを心配していたフロルは今日もほとんど寝
ていない。気になりだすとなぜか悪い方にと想像がふくらんでゆくものだ。彼女は
首を振ってその妄想を追い出そうとした。タダの手紙はもう暗記してしまっている。
今はその手紙の主から声に出してそのセリフを言ってほしかったのである。フロル
はアパートの外に出て夜空を眺めていた。目の前に見える星がみんな赤く光ってい
るような気がする。
“これってチャコの言ってた赤方偏移かな? みんなオレの前から遠ざかっている
みたいだ”
実際には決してそういう事はないのであるがフロルの心にはそう写っていたのであ
った。
「なにぼんやりしてるんだ?」
タダが声をかけた。今かえって来た所なのだ。
「お前いつ… 」
「本当は昨夜かえってくるはずだったんだけど兄さんに誘われてつい飲み過ぎちゃ
って… 結局君の家に泊まって来たんだ」
タダは体裁悪そうに言った。
「待ってる間にお前の手紙、おぼえちまったんだぞ」
フロルはふてくされたように横を向いた。タダはその顔を自分の方に向けながら言
った。
「君さえよけりゃ… 結婚しよう」
タダは改めてプロポーズをした。二度目のプロポーズだった。
「手紙もいいけど… やっぱりお前の口から聞く方がうれしいや… 」
フロルは本当に幸せそうな笑顔をタダに向けた。タダは満足そうにフロルの細い腰
に腕を回したのだった。

フロルはタダの部屋の窓から夜空を眺めていた。さっきまで赤く見えていた星がも
とに戻っている。
「ずっと以前さ」
フロルは声をかけた。
「ん?」
タダが振り向く。
「オレ、女なんてだいっ嫌いだって言ってたよな。それがどうしてだかわかる?」
フロルは聞いた。
「君の星に行ってわかったような気がするよ。女性文化が発達しているとはいうも
のの、確かに女性の権利みたいなものが守られてない所があるような気がする。も
っとも僕が知ってるヴェネはほんの一部だけどね」
「そうなんだ。教職者や政治家も圧倒的に男が多い。男が統治している社会だから
自分達の都合のいいようにしてるんだ。そんな社会が当たり前だと思っていた時は
本当に男になりたかった… 男になったら何でも出来る、女にならなきゃいけない
自分がたまらなく嫌だったんだ」
「でも今はそう思っていないだろ?」
タダが聞いた。
「うん、結局オレって男社会を認めていたからこそ、なにかにつけ得な男になりた
かったんだって事に気が付いたんだ」
「でもきっとヴェネは変わるよ。そんな気がするんだ。時間はかかると思うけどい
ずれは君の望んでいるヴェネになる」
タダの言葉は心強い。
「それじゃ赤鼻の星もそうなるのかな?」
フロルはベルの顔を浮かべながらタダに聞いた。

「ベルみたいな女性がいるんだもの。きっと彼女は自分たち女性の権利の確立のた
めに社会を動かして行くよ。赤鼻もそれに協力すると思うしね」
タダはフロルの頭を抱いた。今はそんな会話をしたいわけではないのだ。タダはま
だしゃべりたそうにしている口を指でふさいだ。
「フロル… 」
タダは部屋のカーテンを閉じた。
「タダ… 」
フロルは小さな声で呼びかけた。
「オレ… とても眠い。昨日も一昨日も寝てなくてさ、悪いけどおやすみ… 」
そう言うなりフロルはベットに横になり目を閉じてしまったのである。
「そんな… 」
タダは肩を揺すったが彼女は動かない。
「君って本当に… 」
タダはベットの端に座って大きなため息をついた。

 本当はもっと言いたい事があったのだ。これから先の事も一緒に決めてゆくはず
だった。なのに彼女ときたら… 
 タダはチャコのアパートの電話をかけた。しかし応答はない。きっとチャコは今
頃… タダはあきらめて受話器を置いた。
“君に付き合って僕も寝るとするか”
タダはフロルの側に横になった。
 とりあえず彼女との関係が一歩前進したのである。タダは安心して眠りについた
のであった。

                                     終





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