リリア編(2年生)
茶色の巻き毛が自慢のリリアは芸術科2年のアイドルだ。そしてそんな彼女のハートを射止めよう
と多くの学生達がねらっていたのは言うまでもない事なのだ。彼女の回りに自然と彼女を守る学生達
の集まりができているとしてもふしぎではないのである。
「本当にかわいいよな、彼女」
喫茶室に集まったアマゾン達はリリアのうわさをしていた。小柄なのにけっこうグラマーで、くりく
りとした濃い茶色の瞳は形の良い丸型の輪郭に収まっている… 彼女は誰から見ても“かわいい”と
いう表現がぴったりの女性だったのだ。それに特定の相手のいない彼女は恋人候補No.1であって
当然なのであった。
「ほら、あの子だよ」
アマゾンが喫茶室に現れたリリアを指さした。
「確かにかわいいね」
タダは彼女の方を向いた。アマゾンだけでなく男子学生がうわさするだけあって親しみやすそうな
かわいい女性だった。
「タダにはフロルがいるもんな。フロルの方がずっと美人だと思ってんだろ?」
あまり話に乗ってこないタダをアマゾンはからかったのである。
「そんな事ないけど… 」
しかし図星だったのだ。本当の所フロル以外の女性に興味はないタダなのだ。口の悪いクラスメイ
トはタダに向かって“美人は三日で飽きるぞ、性格の悪い奴が多いからな”と、冗談を言っていた
がそんな事はないと思うタダだったのである。“性格の良い美人なら最高だと言う事を知らないな”
と、言ってやりたいのだがそれは相手のいない者にとってはものすごくこたえるだろう事を知って
いたのであえて言わない事にしている。もう一言付け加えれば“性格の悪いブス”もいるのも事実
だと思う。
「タダ! ヌーとチャコが呼んでたぜ、超新星の観測、今夜するから準備してこいよってさ。行く
んだろ? お前」
フロルが入って来た。
「当然さ。良かったら君もどうだい?」
タダは誘ったのだ。フロルはどうしようかと迷っているみたいだった。
“あれ… ?”
タダは何かを感じたのである。
“これは… ?”
フロルに対する嫉妬みたいな感情がリリアから流れてくるのだ。なぜか彼女はじっとフロルの方
を見ているのだ。
“どうして彼女が?”
タダは気のせいかなと思ったがそうではない。しかしリリアは明かにフロルの事を意識している
みたいだった。
「フロル、あそこにいる彼女、知ってる?」
タダは聞いた。
「知らねぇよ、あんな奴。航空科にいたか?」
フロルはあっさり否定したのであった。
「お前… ひょっとしてでかい胸が好きなのか?」
フロルは聞いた。
「どうして僕が!! 僕は胸なんてどうだっていいよ!」
タダはむきになって否定したのである。
“そのくせ一番に手が行く所は胸なのに… ”
と思うフロルだったのだ。
航空科のフランク・フォン・ギーベンラートは手紙の束の前にため息をついていた。自分に惚
れている女がいる事くらいは知っている。しかし芸術科のリリアのしつこさにはうんざりしてい
たのだ。そして彼女を断る口実についフロルの名を出してしまったのであった。
「好きな女がいる。お前なんかよりずっときれいな女だぜ」
フロルの事をそう言ったのだった。そしてその名はリリアにとって嫉妬の対象になってしまった
のだ。。
「あいつフロルに何かしないだろうな、外見に似合わず根性の悪そうな奴だったからな」
フランクは少し不安になってきた。しかしフロルはそれに充分対応できるだろう。なんと言って
もこの自分を夢中にさせてしまう程の女なのだ。それに彼女には恐い男が付いている。何かがあ
れば必ず彼が出て来て彼女を救うだろう。どうせ自分なんてあの二人のすきまに入ることすらで
きないのだ。
「タダ、しっかり守ってやるんだな。オレは知らないぜ」
フランクは淋しそうに笑ったのである。
「だからね、ちょっと脅かすだけでいいの」
リリアは自分の取り巻きのボス格の学生達に言った。
「あの子すごく意地悪なのよ。わたしの事を色々悪く言ってくれちゃって… だからお願いね!」
かわい子ぶると言うのだろうか、そんな甘ったれた声でリリアは言った。この際どういう風な悪
口を言われたとか言うのはどうだっていいのだ。ようは彼女からたよりにされて頼まれ事をされ
たという事が嬉しい彼らなのだ。崇拝する彼女の為なら何だって言う事を聞いてやろうという連
中がいるのであった。そのおろかな者の名はアリオンとトリィと言う。
芸術科の第一学舎はデザイン用のコンピューターが所狭しと並べてある。この大学における芸
術科は幅広い知識と技術が必要であった。一般の大学では軽く扱われがちの学科なのだがここで
は違っていたのである。取得しなくてはいけないコースも多い。しかしこの学科を専攻する学生
は一般の大学と同じく毛色の変わった者が多かったのであった。
「確かに航空科の学生だったよな」
芸術科5年のアリオンは同じく5年のトリィに向かって話しかけた。
「フロルベリチェリ・フロルって奴だ。変な名だなぁ、それに辺境星出身だ。田舎者だな、そ
いつ」
「どっちにしても僕たちのかわいいリリアを悪く言うなんて許せない!」
二人とも実に単純でわかりやすい性格だったのだ。この二人は大学に入る前も入ってからも勉
強以外には興味がなくて世間知らずに過ごしてしまったという不幸な学生達なのであった。そ
して最初に興味を持った女性とは外見が良くて性格の悪いリリアだったのである。しかし女性
に対する免疫がないくせにいきなりリリアをしってしまった二人は彼女の言うがままになって
しまったのである。彼女のすべてがかわいくて欠点までもが魅力的だったのだ。
「この教室におびき寄せて閉じ込めて… 立体映像で脅かしてやろうぜ」
アリオンは言った。彼はキャラクターデザインが大好きなのだ。彼の星では暑い季節になると
ゴーストやモンスターがもてはやされていて、そのイベントの為にいくつもの恐ろしいキャラ
クターデザインを考えているのであった。宇宙大学の学生にあるまじき、すごく単純な発想で
はあるが確かに誰でも驚くだろう。
「お前、本気か?」
トリィは聞いた。これは犯罪のような気がするのだ。
「リリアの為だ!」
アリオンに悪びれた様子は全く見られなかったのである。
昼下がりの喫茶室の中で小さな声が聞こえてくる。その声の主はどうやらフロルを探してい
るようだった。タダは目を閉じてその声のする方に心を向けた。どうやらさっき入って来た二
人の学生だった。5年生のバッジをつけている。
「いないみたいだな、たいがいここに来ているってリリアが言ってたのに… 」
「しかたない、次の授業の間に来てみよう」
「で、どう言って連れていくんだ?」
タダはその会話をじっと聞いていた。
「えっと… そいつにリリアは悪口を言われたと言ってたっけ… それはどうしてなんだっ
て聞くんだよ」
タダは思わずその声の主を見たのであった。この上級生は達はどうやらリリアの側近のよう
だった。
“フロルが悪口を言ってたって? 彼女、リリアの事なんて知らないって言っていたのに… ”
タダは何かあるなと感じていたのである。
“それにしてもくだらない奴らに狙われたものだな”
タダはフロルに同情したのであった。きっとフロルは何かの理由で彼女に逆恨みされてるらし
いのだ。こうなれば自分がフロルをしっかりと守るしかない。タダはなぜか心がわくわくして
くるのだった。ちょっとしたナイトの気分なのだ。彼は次の授業の間にも是非ともここに来な
くてはと思うのであった。
さっきの二人は勉強以外の事には働かない頭で色々と考えていた。そしていくら考えてもい
きなり拉致する事は無理だという結論に達したのだった。
「この子の友達で芸術科はいないんだろうか?」
と、その友達を利用する事にしたのだ。
ティラとカズは大先輩のアリオンとトリィに呼び出された。彼らは芸術科では群を抜く才能
を持っていた。当然彼女たちは彼らの事を知っていたのである。フロルに関する情報はすぐに
集まった。彼女はかなり有名な学生らしくて芸術科の中でも評判だったのだ。交友関係もすぐ
にわかったのである。
「で、彼女を立体映像のモデルにしたいからここに来るように言えばいいんですね、先輩」
ティラはアリオンとトリィに言った。
「ああ、ぜひとも彼女を見て見たいんだ」
アリオンは言った。最初からその気なんてないくせによく言うよと思うトリィだったのだが…
「 …って先輩が言っていたのよ、フロル」
ティラとカズがフロルの所にやって来て言った。
「後で行くって言っといてくれないか」B
フロルは答えたのだった。タダからアリオンとトリィと言う芸術科の先輩に気をつけろと言わ
れていたのだ。しかし彼女は好奇心が旺盛だった。一体何が起こるのだろうという興味が恐怖
心より勝っていたのだった。彼女は芸術科の学舎に向かったのである。
「ようこそ、フロルベリチェリ君」
アリオンは入って来たフロルに向かって言った。
「ようこそ、はねぇだろ。人を呼び付けといてよ」
フロルははなからモデルの話なんて信じてはいなかった。
「お前らがオレの事を何か言ってるって聞いたから来てやったんだぜ。何か用があるんなら
オレの前ではっきり言うんだな」
フロルはたんかを切ったのだった。これには二人も驚いた。上級生に呼び付けられたと知っ
ていてそれを恐れないなんて… 彼らはリリアがこの子に意地悪をされて当然だと思ったの
である。この子ならきつい事でも平気で言いそうだ。
「君はリリアを知っているだろう」
トリィは聞いた。
「知らんね、そんな奴。そいつがどうかしたのか?」
逆にフロルが聞いたのだ。
「知らないとは言わせないぞ、君がリリアにつらく当たっている事は知っているんだからな」
アリオンは言った。
「ばーか! オレがいつそんな事をしたっていうんだよ。一体どこで! 何を?どんなふう
に! さぁ、はっきり言ってみなよ!」
フロルは腹が立って来たのだった。身に覚えがない事で呼び出されるなんて… 自分に落ち
度がある事なら仕方のない事なのだがこれでは腹の虫が収まらないのだ。
「お前らそのリリアって奴に言い具合に使われてる腰ぎんちゃくだな! そいつに言っときな、
言いたい事があるんだったら堂々とオレの前に来いって」
二人は一瞬ひるんだのだった。
“押されている… 2年生の女に!”
しかし二人は気を取り直した。これではいけないのだ。自分たちはリリアのナイトとしてこ
のフロルから彼女を守る為に決行する事があったのだから。
「タダ、ちょっと言っとく事がある」
喫茶室に急いでいるタダに向かってフランクが声をかけてきた。無視しようと思ったのだが無
視できない何かを感じていたのである。
「何の用だ?」
タダは無愛想に振り返った。どうもフランクが好きになれない。
「フロルの事だ。お前に言っておきたい事がある」
そしてタダはすべてを知ったのであった。
「側近の5年生を甘く見るなよ、ああいう連中は自分だけが正義だと思っているばかなんだか
らな、賢すぎる奴ほど世間を知らないって言う見本みたいな奴らだからな」
「あっ! 何すんだよ!」
フロルはトリィの腕から逃れようともがいていた。いきなり羽交い締めにされるとは思わなか
ったのだった。
「お前ら女の扱いを知らねぇな!」
フロルは叫んだ。口では威勢のいい事をいってみても所詮男の力にはかなわない。彼女は後ろ
手に縛られて備え付けのデスクにくくりつけられたのだった。
「何すんだよ! 卑怯者!」
フロルは大声で叫んだが無駄だった。この教室は防音壁になっていて外には声は聞こえない
のだ。
「いまから君にいいものを見せてあげるよ」
アリオンは明かりを消してコンピューターを起動させた。かすかなうなりとともに教室の一角
にぼんやりと映像が浮かび上がったのである。それは恐ろしい形相をしたゴーストだったのだ。
「 !! 」
立体映像と知っていてもフロルは思わず声を上げて驚いた。二人は顔を見合わせてにやりと笑っ
たのである。そしてフロルを閉じ込めたままでその教室を後にしたのだった。
「 !! 」
フロルは再び叫んでいた。立体映像だろうが何だろうが暗い教室で後ろ手に縛られてたらどう
しても正気でいられないのだ。フロルはその時初めてリリアに対して本気で怒りを感じていた
のである。
“このぉ… 落ち着けってんだ!”
フロルは目を閉じた。
“目を閉じてればこわくなんかねぇぞ”
しばらくじっとしていれば恐怖心が薄れて来た。フロルは落ち着いて手を動かしてみた。さっ
き体を動かしながら派手に声を上げたので結わえてあったひもがゆるんでいる。
“よし、いいぞ… ”
フロルは指の力を抜いて簡単にひもをほどいたのである。そして教室のドアを開けようとした
のだがそれはロックされていたのだった。
“許さねぇ… ”
フロルは開かないドアをたたきながら二人の顔を思い出していた。そして喫茶室にいたリリア
の顔も… いくら考えてもこの理不尽な事を許す訳にはいかなかったのである。しかしその前
に彼女には切羽詰まったものがあった。
「フロル!」
突然タダが飛び込んで来た。アマゾンやガンガ、それに四世もいる。
「無事だったか?」
しかしフロルはそのままタダの目の前を通り抜けようとした。
「どこに行くんだ!」
タダはフロルの手をつかんでひきとめたのである。
「トイレだよ! ずっと閉じ込められてたんだもん、離せよ!」
タダはあっという表情をして彼女の手を離したのだ。
「ははは… 思ったより元気そうだね」
四世は走って行くフロルの後ろ姿を見ながらタダに言った。彼女の頭の中は生理的欲求しか
ないのである。
「うん、そうだね」
何もなかった事を知ってタダはほっとしたのであった。フランクに呼び止められて喫茶室に
つくのが遅くなったために起こった事なのだ。自分がフロルを守ると言いながらなんて事だ
とタダは反省していたのである。しかしタダはフロルを監禁したアリオンとトリィは絶対に
許す事はできないと考えていたのであった。
「おい、タダ。お前… 何か企んでるな?」
ガンガは何となくタダの考えている事がわかる。
「どうでもいいけどほどほどにしておけよ」
そう言って四世はウインクしたのだった。
「大丈夫かい? フロル」
帰って来たフロルにタダは聞いた。
「何が大丈夫なんだよ、漏らしちゃいねぇよ!」
フロルは平気でそんなことを言う。
「そんな事、言ってないよ! 怖かっただろうなと思ってさ」
タダは教室をのぞいて立体映像を見たのだった。こんな物に対しては以外と臆病なフロル
の事だから… と思うと自分がそんな目にあわせた事が悔しくてならないのだ。彼女のた
めにもタダはこのまま黙っているつもりはなかったのである。
横の教室でフロルの様子を見ていたアリオンとトリィはそこそこの満足感を得ていた。
彼らは単なるいじめっ子みたいなものなのだが決してそうとは思っていないのだ。彼女の
友人みたいな学生が彼女を救い出したものの、自分たちもそろそろロックを解除してやる
つもりだったので満足感を損なう事もなかったのである。
「リリアに教えてやらなくては」
二人は喜びを分かち合っていたのであった。
タダは二人の気配を感じていたのである。そして冷静な目で彼らを見つめ、これからど
うしてやろうと考えているのであった。一方フロルはタダからどうしてこうなったかとい
う事を聞いてリリアに対する腹立ちをあらわにしていた。フランクの言葉が元になってい
るというものの彼には何の罪もない。すべてはリリアのわがままから起こった事なのだか
ら。
「おい、リリア。ちょっと話があるんだ」
フロルは中庭を通り抜けているリリアを呼び止めた。彼女は一瞬たじろいだ。さっきアリ
オンとトリィからフロルの事を聞いて気を良くしていた所だったのだ。ご褒美のほっぺに
キスで彼らを悩殺した満足感もあった。
「あ… あの… 何かな?」
リリアはまわりを見た。アリオンもトリィもいない。
「さっきはよくもオレにちょっかいを出してくれたな!」
フロルの声は怒りに満ちていたのであった。リリアは気が強いけれど一人では何もできな
いのだった。他人を利用して事を起こす、フロルの大嫌いな要領のいいタイプだったので
ある。
「オレお前なんか知らねぇし何か迷惑かけた覚えなんてねぇんだぞ! オレは嘘つきは嫌
いなんだからな」
フロルはきつい目をしてリリアを見ていた。端正な顔立ちなのでその目は必要以上にきつ
く感じたのである。フロルは彼女の胸倉をつかんだ。右手のこぶしが震えているのがはっ
きりとわかる。
“ぶたれる… !”
リリアは怖くなって目を閉じた。フロルからは逃げられない、そう思ったからだ。
「ごめんなさい… ごめんなさい… 」
突然リリアは泣き出した。いきなり素直に謝られて泣き出されてしまったフロルは驚いた。
こいつ、こんなに根性なしだったんか? という思いなのだ。
「お前… 」
なきじゃくるリリアの前にフロルは完全に戦意を喪失したのだった。
「行けよ、もういい。オレ、お前を相手にしてたのがばからしくなった。そのかわり今度
あいつらがオレに何かしたら… お前を絶対許さねぇからな!」
それだけ言うと彼女はどこにも寄らずにアパートに帰って行ったのである。
タダはアリオンとトリィを捕らえようとしていた。捕らえるといっても監禁ではない。
フロルを閉じ込めていた教室に二人が戻って来るのをタダは待っていたのであった。
“もうすぐここに来る… ”
タダは感じていたのである。彼は持って来たコップに水を汲み近くにあったデスクに置いた。
「誰だ? お前は」
教室の中に見知らぬ男がいるので不審に思いアリオンは声をかけた。2年生のバッジをつ
けている。
「お前は芸術科じゃないんだろ? どうしてこの教室にいるんだ?」
トリィはタダの所に詰め寄って行った。
「芸術科じゃなくてもここに入れるのじゃないのかな?」
タダは不敵に笑って答えたのである。
「何だと!」
その挑戦的な答えにトリィはますます腹がたったのだ。
「わからないのかい? 君たちは今日フロルをここに閉じ込めただろう? 彼女、航空科
なんだよ」
タダは二人の上級生を前にして落ち着き払った表情で言ったのである。
「リリアの言葉をうのみにして何もしていないフロルを閉じ込めるだなんて恥ずかしい
事だと思わないのかい?」
タダはあくまで冷静なのだ。それがかえって二人を刺激したのだった。
「それで、何の用なんだ? あの女はお前の女なのか」
いくらすごんでも所詮相手は一人なのだ。二人は自分たちが優勢だと思っていたのであった。
「一人で抗議に来るとはいい度胸だな。でもここに来た事を後悔す事になるぞ」
トリィはタダの前でにらみをきかせていた。所詮たった一人の下級生なのだ。体格は変わら
ないというもののこっちは二人である。負ける事はないのだ。
「そうかな… 」
タダは二人に向かってコップに入っていた水をぶちまけた。
「何をする!」
二人は飛びのいた。しかしその水は二人にかからなかったのである。
「 …?」
水は空中に止まり丸い無数の水玉になって浮かんでいたのであった。表面張力の為である。
「お前… 何を?」
アリオンは瞬時にタダが念動力の持ち主であることを知ったのであった。二人の顔に恐怖が
走った!
「無重力空間と同じだよ。君たちはたった一杯の水で溺れる事になるんだ」
タダが冷静に言った。
「うそ… だよな?」
アリオンは後ずさりをしていた。
「うそじゃない。この水玉が鼻から肺に入って行くと窒息してしまうんだ。僕はこれを自由
に操る事ができる」
タダはその水玉をじっと見つめていた。それらは音もなく光りながら二人の前に移動してい
ったのである。
そして… 二人の鼻先で止まった。
「やめろ! 何をするんだ! お前、正気なのか!」
トリィが叫んだ。タダは何も言わずに笑っていたのである。
「やめてくれーっ!」
水玉は逃げる二人を執拗に追ってくる。アリオンもトリィも必死になって教室を逃げ回って
いた。ドアはロックのランプがついていないのに開かない。それもこの男の仕業だろうとい
う事がわかるとさらに恐怖心が増してくる二人だった。所狭しと並んでいるコンピューター
で体のあちこちを打ったトリィは息をきらしてひざをついた。静寂の中に二人の荒い息づか
いだけが聞こえている。アリオンももう立っていられない状態なのだ。
「君たちはたった一人のフロルを… 何もしていない彼女をここに閉じ込めたんだぜ」
タダは二人の前に立っていた。無数の水玉も彼の回りで不気味に光って空中に停止している
のだ。
「今度、彼女に手を出したら… 」
タダは言葉を止めた。自分でも脅しだけじゃなくて何をするかわからないのだった。アリオ
ンもトリィもその落ち着いた下級生を心底恐れていた。この男が本気になれば何をするかわ
かったものではない。冷たい目だ… 見かけ倒しのからいばりではないのは確かである。そ
の時二人は初めて自分たちがいかにばかな事をやってしまったかを知ったのであった。タダ
はそんな二人の心を読んでいた。もうこの二人に害はないだろう。
コップ一杯分の水が音をたてて床に広がった。もう何も起こらない。アリオンとトリィは
黙って出て行くタダの姿を呆然と見ていたのであった…
「遅かったじゃねぇか! もうすぐ観測が始まるぞ」
観測室で一晩を過ごす準備を終えたフロルはタダのアパートでずっと帰ってくるのを待って
いたのであった。
「疲れた… 」
タダは一言だけ言ってベッドの上に転がってしまったのだ。
「もう… 人を誘っといてその態度は何だよ! いいかげんな奴だなぁ… 」
フロルはタダの手を引っ張った。しかし動く気配はない。しかたないので彼女は出て行こ
うとした。
「待てよ!」
タダが声をかけた。
「なんだ、起きてるんじゃねぇか」
フロルはベッドに腰掛けたのだった。
「ここにいなよ… 」
タダは眠そうな声で言った。
「じゃ、観測… 行かないのか?」
フロルは聞いた。チャコやヌーがもう観測を始めている時刻なのだ。
「少しだけ眠りたい… 後で一緒に行こうよ」
タダは目を閉じたままで両手をのばして来たのである。フロルはタダの横に抱かれたままの
格好で横にならざるをえなかったのだ。かすかな寝息が聞こえてくる。もう眠ってしまっ
たらしいのだ。フロルはタダの顔をのぞき込んだ。かすかに笑っている…
“何があったかしらねぇが… しまらねぇ顔すんじゃねぇよ!”
フロルはその両頬をぎゅっとつねったのであった。
リリアはアリオンとトリィの前で泣いていた。フロルに脅かされた事が悔しかったのだ。
しかし彼女一人では何も言い返せなかったので二人になんとかしてもらおうと思っていた
のである。
「リリア、悪いがあの子とかかわりあいになりたくないんだ」
トリィが冷たく言った。
「あの子、きつそうだけどそんなに悪いようにみえないしな… 」
二人はタダの顔を思い浮かべながら言った。明らかに恐れているのがわかる。
「じゃ」
二人はリリアの前から去って行ったのであった。
「航空科のフロルって子、すごく美人だったな… 」
トリィが言った。
「リリアよりも、だろ。でもあんな危険な男が横についているんだから今度なにかした
ら殺されるぞ」
アリオンはすでに悟っているのだった。
「よく見るとさ、リリアよりもかわいい子、この学校にも結構いるんだ。それがやっと
わかったんだよ」
「僕もさ」
二人は少し賢くなったようだった。彼らはもうリリアに振り回されないだろう。 残さ
れたリリアは再びフランクに宛てて手紙を書いていた。今度は手作りのプレゼントを付
けて渡すんだ、そう考えていたのである。彼女は懲りるという事を知らないらしい。
遅れて行った二人はチャコやヌーに何があったのかと冷やかされながら観測室に迎え
入れられたのであった。
ひときわ輝く超新星は自分の最期の姿をはるか未来の人々に見せていた。今見ている
その場所にはその星はもうないのだから。遠い過去からの光の旅は限りなく続いている。
天文学科じゃなくてもロマンを感じる一瞬だった。
その暗い部屋の中でタダは再び眠気を感じていた。まだ充分に回復していないのだっ
た。それに気づいたフロルはタダの横に腰掛けた。
「疲れてるんなら眠ってろよ。オレに寄りかかっていいからさ。ただしチャコには見つ
からねぇようにな」
フロルはそっと耳打ちしたのだった。タダはかすかにうなずいた。
パシッ! と、たたかれたのはフロルの胸にのびてきたタダの手だった。
「眠りたいなら手ぇ出さずにさっさと眠れよ、ここは教室なんだぜ!」
フロルは思わず大声を出したのであった。
「なぁタダ。そりゃお前ら仲がええのんわかるけどな」
チャコが冷やかした。
「いや… 僕は… 」
何もしていないとは言えないのだ。一度に眠気が吹っ飛んでしまった彼は、素直にみんな
と一緒にスクリーンに映し出された映像を見ていたのだった。もちろん手はひざの上で…
終