哀愁のテレパス編(3年生)
医学科課程を選んだ者なら5年後にはA級医師免許取得のテストが受けられる。しかし医学
科以外の者でも5年間、一般医療コースを続けていれば取得テストが受けられるB級医師免許
は学生達に人気があったのだ。
宇宙大学には春休みや冬休みみたいな長期間にわたる休みはない。その点が一般の大学とは
大きく違っていたのである。この大学は基本的に学習の場であるのだから当然の事なので、あ
えて不満を言う者はいなかったのである。したがって自分の故郷の大学の学生達に比べると、
信じられないような学習時間を費やしている事になるのであった。しかしそれが当たり前にな
っていて、中には趣味として楽しみながら多くの資格を取得して卒業してゆく学生もいたので
ある。
免許の取得、それは自分がどれだけ在学中に頑張ったかという証しでもあった。
マギーは自分が変わっていると知っていた。勉強が趣味なのだ。ほかのことにはあまり興味
がない。この大学に入学したのも勉強に励んだ延長線上にここがあったからなのである。それ
だけではない、友達には言っていない事なのだが直感が優れているのであった。たまにそんな
者がいる。第六感が働くという者の事なのだ。
“それが特徴の星の人がいたんだ… ”
マギーはタダトス・レーンというシベリース出身の青年と同じ一般医療コースになってそう思
ったのである。1〜2年の時は彼の存在を全く知らなかった。彼女が勉強以外の事に興味がな
かったせいだけではない。多くの学生を抱えている宇宙大学だ、学科やクラスが違うのなら知
らなくて当たり前の事なのだ。そして彼は同じ航空科を専攻していたのである。
「あの人がそのタダトス・レーンよ」
マギーの友人、航空科のリンダが教えてくれた。以前リンダと直感力やテレパスの話をした事
があるのだった。
「シベリース人ってみんな直感力があるんだって。強い人ならテレパス並だとか、でも弱い人
なら私たち一般人とかわらないそうよ」
タダに関する知識はその程度のものだったがマギーはなぜかそのタダトス・レーンにひかれる
ところがあったのだ。
「同じグループで実技をする事になるね、今月は外科手術が入ってる。いきなりできついかも
知れないけれど… よろしく」
そう言ってタダは手を差し出した。今回の実習は7人が1グループになっていたのである。
「こちらこそよろしく、はじめてのコースなの。足をひっぱる事になると思うけどごめんなさ
い」
3年生になってから気まぐれで受講しているこのコースだ、もちろん免許を取ろうなんて大そ
れた事なんて考えてはいない。ただ少し医学に関する知識が欲しかっただけなのであった。一
般医療コースは1〜2年では主に技術面、そして3年になると精神面の課題が増えてくる。し
かし実習は、今まで覚えて来た技術を落とさない程度の回数で行われていたのであった。
「最初は見学だけになるけれど、それでも充分知識は得られると思うよ」
タダは言った。
「そりゃ、あなたたちと一緒に執刀してみたい気はあるけれど無理なことはわかってる。でも
1年後には少しは役にたてるようになってると思うわ」
マギーは笑って答えたのである。
“しっかりした女性だな”
タダは思った。しかし彼女の心はわからない。という事はよほど何も考えていないか心をロッ
クする事を知っているのか… あるいはテレパスなのかだが…
「頼りにしてるよ」
そう言ってタダも笑ったのであった。
“感じいいじゃない”
マギーの直感で彼は自分よりもずっと強い力を持っている事がわかる。シベリース人なら誰で
も持っているという力をはるかに越えた力がおぼろげながら伝わって来るのだ。しかし彼の思
考は全くと言っていいほどつかめなかったのである。“私はこの人に興味を持っているだけな
んだ。それだけなんだ”
マギーは思考を読まれないようにしながら自己分析していたのである。
タダを含むこのコースを受講して3年目の学生達は手際良く手術を進めていく。単純骨折の
治療とは言うもののマギーにとっては初めての人体に施す手術なのだ。彼女はその出血の赤い
色と人骨の白さが目に焼き付いて軽い吐き気を覚えていた。
「大丈夫か? 貧血を起こす前にそっちで座っていればいい」
タダは声をかけてくれた。
「ありがとう… 」
マギーは素直にそれに従ったのである。たとえ実習とはいえこれは本物の手術なのだ。執刀中
の者に迷惑をかけるわけにはいかない。
“だらしないな… ”
マギーは反省した。大学病院にはいろんな患者が集まって来る。こんな初歩的な患者は広く一
般から交通費支給、医療費免除で学生達の為に数多く集められて来る。これから先もこんな実
習が続いて行くのだからこんな事ではいけないのであった。このグループの中で医学科以外の
者はマギーとタダとあと3名であり、今回初めての受講者は彼女だけなのだ。しかしもともと
負けん気の強いマギーは今度は最後までちゃんと横についていられなければと思うのであった。
「縫合終わり。そして… 」
医学科の学生が術式の終了を告げた。
「顔色、良くなったね」
タダが声をかけて通り過ぎた。
「待って!」
その後ろ姿に向かってマギーは声をかけたのである。自分でもどうして声をかけたのかわから
ないのだが急にタダと話したくなったのだ。
“彼が私を刺激するんだ”
マギーは胸の高鳴りをおぼえていた。
「何か?」
タダは振り向いた。が、別に用はないのだった。
「あの… 私、航空科のマギー・シェルナー。あなたは知らないかも知れないが同じクラスなの」
マギーは言った。
「知ってるよ、マギー。僕はタダトス・レーン、タダでいいよ」
タダは答えた。
「今日はごめんなさい。結局何もできなかったわ」
彼女は謝った。
「最初は誰でもそんなもんだよ。気にする事はない」
タダは思ったよりも気さくな青年なのだ。航空科ではかなりの秀才ぶりを発揮していたのでもっ
と取っ付きにくい人だと思っていただけに嬉しくなるマギーだった。彼女は今、はっきりとタダ
にひかれてゆく自分を感じていたのである。
「じゃ!」
タダは軽く手を上げて次の授業に向かったのである。後に残されたマギーは彼の後ろ姿をずっと
見ていたのであった。
“私、考えたら今まで人を好きになった事なんてなかったな”
マギーは胸がうずいたのだ。彼女はそんな気持ちを抱く事ができたという事実を喜んでいた。恋
の始まりとは誰でもこのようなものだろう。
“私は別に変じゃないんだ… 今までそんな人が現れなかっただけなんだ”
この大学に入る前も入ってからもずっと単位を取る為だけに頑張って来た。それはそれですごく
楽しい事なのだ。自分の努力が形になって現れる、取得単位が多いという事はそれだけ自分が努
力しているという事なのだから。でも…
「マギー、何やってるのよ。次の授業になかなか来ないと思ったら… あんた、何ぼんやりして
いるの?」
リンダが声をかけて来た。
「あ… ううん、ちょっと実習がきつかったもんだから… いきなり手術の見学だったんだもん。
まいったな」
マギーは適当な理由をつけてその場をしのいだのであった。
「ふうん、一般医療コースってそんな事をするのか。でも私たち航空科にはあまり関係ないんじ
ゃないの?」
リンダは関心がないみたいだった。
「でも、もしもよ。自分の操縦する船で病人やケガ人がでた場合、一人でも医療の心得のあるも
のが多く必要な場合があるかも知れないわ。たとえ医師免許がなくても多少の知識があっていい
と思うの」
マギーは少しムキになっていた。
「そりゃそうだけど… ま、そうかも知れないわね」
リンダは無難に流したのである。
この大学にいる学生達は一応に各星系きっての秀才が集まって来ている。中には勉学のみに追
われ、必死の思いで入学した者も多いのだ。したがってそれ以外の体験をしておらず、人間に幅
のない者もいたのである。
“わたしはその部類かもしれないのだ”
マギーは時々、自己分析してみるのだ。今まで単位を必死で取る事に追われていた。自分の持て
る能力を余す事なく使って今の状態を保っている。しかし他人の評価は単に変わった人、という
程度だったのだ。親友だと思っているリンダでさえそう思っているのをマギーは知っていた。直
感力でそう感じたのだった。
“マギーは余計な事に興味がない。つまらなくないのかしら?”
そう思っているらしい。でもそれを強く否定していない事は嬉しかったのだ。
「リンダ、私をショッピングセンターに連れてってくれない?」
マギーはリンダに真剣な顔をして頼んだのである。
「あんた、本気なの? 今まであんたの口からそんなセリフがでた事なんてなかったから… で
もすごくいいことよ」
リンダは彼女の為に喜んだのである。
「世間一般の女学生がする事をしてみたくなったのよ」
マギーはそう言って笑っていた。
「そうね、あんたちょっと変なとこあったから… 別にそれはそれでいいと思うんだけど個性だ
からね。でもやっぱり嬉しい、だっていつもあなただけ誘っても行かなかったからあきらめてた
んだ。でも一体どうしてなの?」
リンダは正直だった。
「心境の変化… っていうのかな? いつまでも厭世的な考えじゃいけないのかなと思っただけ
よ。自分を変えたいの、変身願望なのかな?」
マギーは答えたのである。
「それがわかっただけでも上出来だわ。でも今までの努力家のあなたを見失わないようにね」
リンダはいたずらっぽく言ったのである。
「マギーは自分をしっかり持ってるから色々好みがあるだろうけれど… まず服ね。あなたはい
つも同じようなのを着ているけれどもっと似合うのがいっぱいあるんだから」
リンダもはっきりものを言う。ふたりはそんなところが共通していたのである。ふたりは楽しそ
うにしゃべりながらマギーの服を選んでいた。
「あなたってけっこうグラマーなのね。それじゃこんなのはどうかしら」
色が少し黒くてふっくらしているマギーに濃い黄色の服はよく似合っていた。
「よくわからないけどこんな服を着るのは初めてなのでくすぐったいわ」
それでもまんざらでもないような素振りである。
「髪もね、こうやって自然な感じでね」
リンダはマギーの髪からヘアピンを外したのであった。
“人って服を変えただけでも変わるんだ… ”
そんな単純な事に気がついたマギーだった。
「ほら、こっちのも似合うわよ」
リンダは次々と彼女に合うようなのを出してきたのである。
アパートに帰ったマギーは買ってきた服を着て鏡の前でポーズをとっていた。別におかしくない
事だが彼女はすごく恥ずかしいような気がして自然と頬が赤くなるのであった。
「疲れているみたいだね」
タダはフロルの顔色が悪いのに気づいていた。
「うん… 疲れていないと言えばウソになるけど… 精神的なものかな?」
彼女は一般医療コースでケア・ウーマンの実習が始まったばかりなのだ。手の施しようのなくなっ
た患者の介護にあたるその実習は、3年生の一般医療コースで初めて体験するものであった。
「お前のクラスはまだだろうけどこれって結構きついんだぜ」
彼女はかなり参っているようだった。死期を目の前にした患者の世話をするという苛酷な授業は医
療機関に携わる者としての強い精神力を養うために行われるのだが、これがいやでB級医師免許を
あきらめる者もいるほどだった。
「だろうね。僕たちのクラスはまだだけど君の様子を見ていると覚悟がいりそうだなって事がわか
る」
「お前が落ち込んでたら慰めてやるからな… 」
フロルが言った。
「それは今、君を慰めろって事かい?」
タダはフロルの頬に両手を添えた。
「当たり!」
タダの手のひらの中でフロルはウインクしたのであった。
たまたま次の実習も外科手術だった。今度は前のような事にはならないぞと心に誓うマギーだった。
「今度は助手の真似くらいならできると思うから」
マギーはグループのみんなに言った。最初から彼女は期待されていないけれど、その努力はたいした
ものだとみんなは思っていたのである。銀色の手術服に着替えたグループのメンバーは手術を開始
したのであった。
消毒を終えた患部にメスが入った。今日の執刀はタダである。
「鉗子… 」
マギーはタダに手渡した。
「縫合… 」
タダの額の汗をマギーは拭った。彼の額に触れた時、何とも言えない甘い感覚が襲ってくるのを彼女
は感じていた。慣れた手つきで手術は進んで行く。そのむだのない動きにマギーは改めてタダのすご
さを思い知らされたのである。
“この人が好きだ… ”
彼女はタダにますますひかれて行く自分を止められなかったのである。
「ありがとう、今日はよい助手に恵まれたよ」
タダは薄い手袋を外した手で握手を求めてきた。その手に包まれた時、彼女の手から全身に稲妻が走っ
たような気がしたのである。激しい感情だった。しかし彼女の能力でその思考は完全にロックされてお
り、タダに伝わることはなかったのである。もしタダが少しでも彼女に興味を持ち、強くそのロックを
解除しようとすれば充分に可能なのだがあいにくタダにその気がなかったのである。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
マギーは相変わらずの平静を保って答えたのである。しかしあまりのときめきの為にしばらくその場か
ら離れられなかったのであった。
「?」B
「やっぱり彼女、無理していたみたいだな」
「でもしっかりしているよ、ちょっと何を考えてるかわからないような変わった子だけど」
タダはグループの学生達と彼女のうわさをしていたのであった。彼のマギーに対する評価はその程度の
ものだったのである。
マギーは今度は一人でショッピングセンターに出掛けていた。今頃気づいたのだが買い物をするとい
う事は楽しいものなのだ。大学惑星は四季が目まぐるしく巡ってくる。だからどのシーズンにでも適応
するように四季の商品がそろっていたのであった。派手な夏物の服の横にシックな冬物が飾られている。
そんな矛盾が彼女の目に新しかった。
“シベリースって夏の星だとガイドブックに載っていたな… ”
マギーはマフラーを手にとっていた。伸縮性のない細い糸で編まれていて柔らかで暖かい。
「いかがですか? お嬢さんによくお似合いですよ。ほら、それでしたらこっちのとペアになっている
からセットでいかがですか?」
愛想のよい店員が色違いのものを出してきた。マギーは自分とタダとがこのマフラーを巻いている姿を
想像して、幸せな気分になっているのであった。想像の中で二人は手をつないでいる。何か楽しそうに
しゃべっている。誰でも当たり前のように体験している事をマギーは想像の世界で体験していたのであ
る。彼女は幸せな夢に浸りながらそのペアのマフラーを買って帰ったのであった。
「なんだか楽しそうね」
リンダはマギーの様子がおかしい事に気が付いた。いつもよりハイになっている。
「ううん、自分をかまう事って楽しいものなんだなって気づいただけよ」
マギーは言った。今日もリンダに選んでもらった服を着ている。それも彼女によく似合っていたので
あった。
「そうね、マギーはかわいいから割りとなんでも似合うわよ。あなたは今まで当たり前の事をしてい
なかったので心配してたんだけど… でも本当に安心したわ」
リンダはおしゃれに目覚めた彼女を応援していたのであった。しかしそれがすべてタダにつながって
いるとは気づきもしないリンダだったのだ。
「ありがとう。自分が変わるのがこんなに楽しいものなんて知らなかった。でももっと以前に気づい
てたら今頃この大学には入れなかったような気がするんだけどね」
それも本心だった。割りと夢中になりやすい性格だったからである。二人はいつしか大学からかなり
離れたショッピングセンターに向かって飛んでいた。そこで何か掘り出し物を探そうという事になっ
たのであった。
「だからさぁ、お前が決めればいいじゃん。何もオレに振ってこなくてもさ」
フロルはチャコに向かって不満そうに言った。クィーニの誕生日に何か気の利いたものを送りたいの
だがいつも迷って決められないチャコだったのだ。今年も又、フロルの出番なのだ。
「いいかげんにクィーニの好みくらいおぼえろよな!」
それでもフロルはチャコの為にあれこれと選んでいたのである。ここはクィーニも自分もめったに来
ないショッピングセンターなのだ。だからあえてここでプレゼントを選ぶ事になったのである。
「あ、失礼… 」
マギーの手が横から伸びて来た手に触れた。
「悪い… 」
フロルも謝った。二人は同時にペアのティーカップに手が行ったのであった。
「お前の方が先だったぜ」
フロルはマギーに譲ってやった。マギーは真正面からフロルを見た。彼女はフロルを見てなぜか衝撃
をうけたのだがそれがなぜかわからないのであった。
「ん? どうしたの? 何を見てんのよ」
近寄って来たリンダがマギーの見ているほうを向いた。彼女の視線の先にフロルの姿がある。
「すごい美人ね、なんだか近寄りがたいけど… 確か彼女、航空科の同級生よ。だって見た事あるも
ん。彼と一緒に買い物とはうらやましい話ね」
二人そろってティーカップを見ていたならば当然恋人同士と考えてもいいだろう。
「ほんと… 彼女一般医療コースも取ってると思うわ。何回か会った事あるから。でも間近で見たの
は初めてよ」
マギーはまだフロルの事が気になっていた。どうしてなんだろう? しかし答えは出て来なかったの
である。
「で、僕のはついでに買ったのかい?」
タダはフロルが目の前に置いた二つのマグカップを手に取った。実用的な大きさの飾り気のないあっ
さりした寒色のものだった。
「だってチャコのを選んでたら自分たちのも欲しくなってさ。ま、ついでには違いないな」
フロルはあっさり認めたのである。彼女はそのマグカップにコーヒーを入れた。
「ほら、見てみろよ!」
寒色のマグカップが暖色になった。
「君はそんなのが好きだね」
タダは笑っていた。いつまでも子供っぽいというか… かわいいのだ。
「気にいらねぇのか?」
ちょっと不安そうな顔をしてフロルがたずねた。タダは首を横に振ってコーヒーをすすったのであっ
た。彼女の容姿とアンバランスの好みもタダにとっては魅力のひとつだという事をフロルは知らない
のだ。タダの前に座ったフロルは自分もマグカップを取り上げた。二人で黙ってコーヒーをすする…
それだけが嬉しい。そのカップの重みも共に感ずる事にも幸せを感じているフロルだったのだ。一瞬、
タダと目があった。何も言わなかったがほほ笑んでいる。さらに幸せな気分になってくる。フロルは
そっとカップを両手で包んだのであった。
マギーはタダの為に買ってきたマフラーを抱いていた。これをどういう形で渡したらいいのだろう?
いきなり告白?
そんな事はとても出きない。
でも…
“私はどうしてこんなにあの人にひかれているんだろう?”
わからない。声をきくだけで、姿を見るだけで、おなじグループで授業をうけているというだけで胸が
はじけるようになり苦しい。しかし彼女はその気持ちを隠しつつ、グループのみんなで近くに出掛けな
いかと誘ったのであった。
「マギー! 用意はできた?」
リンダが入って来た。今日は彼女も誘ったのであった。同じグループのメンバーがそれぞれに友達を連
れてくるという事にしていたからである。
集合場所の航空科専用の発着所にはすでに何人かのメンバーが集まっていた。マギーはタダの姿を探
したが、まだ来てはいなかった。
「おい、あの子… 」
少し離れた場所で立っているフロルを指さして誰かが言った。人目を引くはっきりとした美人なのだ。
「航空科だろ、彼女。僕たち医学科にもあんな子が欲しいよな」
「言えてるな。いないもんなぁ、なかなか… 僕たち農学科にもいないな」
みんな勝手な噂話に花を咲かせているのだった。
“ …… ”
マギーの胸に再び不安が広がって行く。
「どうしたの? こわい顔をして… 」
リンダがマギーの顔をのぞき込むようにしてたずねた。
「え? あ… 何でもないの… 」
マギーはバックに忍ばせたマフラーの包みの辺りを押さえながら返事したのである。チャンスがあ
ればと思って持って来たのだった。
「遅いぞ、タダ。オレがちゃんとテーブルの上に置いたからなって言ったのに。お前いつも携帯用
のセット、持ってくって知ってたから… 」
ナイフや缶切りがセットになった七つ道具のことなのだ。忘れ物をしたタダを待っていたフロルが
彼のバックを押し付けながら言った。
「悪い悪い! みんなはもう来ているみたいだ。あっちに行こう」
タダはみんなの待っている所にフロルを連れていって紹介したのであった。
「タダ、お前なぁ… 」
さっきフロルのうわさをしていた学生たちがうらやましそうに言った。
「何が僕も友達を連れてくる、だよ。しっかり婚約者と同伴じゃないか!」
からかわれたタダは嬉しそうな顔をしてそれを認めていた。
タダの婚約者の出現でマギーの淡い思いが突然消え去った… 初恋とはいつもこんなものなの
かも知れない。しかし告白を待たずして消えた恋心をどこに持って行けばいいのだろうか? マギ
ーはフロルを見て感じていた不安が今はっきりとわかったのであった。しかし彼女は強い。そんな
思いをみじんも見せないでグループのみんなに向かって今日の計画を話すのであった。
「で、キャプテンはタダにお願いしたいんだけど… いいかしら?」
マギーは言った。みんなに異存はない。タダは快諾したのだ。すでに石頭から大型ボートの使用許
可をもらっている。
「補助がいるなら私もリンダも航空科よ。遠慮なく言ってね」
自分の心を殺しながらマギーはタダに言った。
「オレも航空科なんだ。でも今日はこの星から出ないんだろ? じゃ、補助なんていらねぇな」
マギーの気持ちを知らないフロルはいつものような口調であった。マギーはその言葉に自分を排除
された思いがして悲しくなったのである。
冬が近づいて寒くなって来た大学の建っている大陸を離れ、タダは春の季節の場所に船を着陸さ
せたのであった。
「すこし肌寒いけど気持ちいいな」
フロルは船を下りた。ここは石灰岩の地層が剥き出しになっているカルスト平野なのだ。
「この下には大きな鍾乳洞の洞窟があるんだよ」
タダが言った。ここは一度フロルとともに来た事がある。
“確かその時、フロルがどこかの穴に落っこちて足を擦りむいたんだっけ… ”
タダは思い出し笑いをした。運動神経の鈍いものなら大ケガになっていたところだったのだ。
「お前が今、何を考えていたかわかってるんだからな」
フロルはタダをにらんでいた。
「ははは… 」
タダは笑ってごまかしたのである。マギーはそんな二人のやりとりを見逃さなかったのだ。きっと
この二人はずっと以前から付き合いがあったに違いない。
「洞窟に入ろうか」
農学科の学生の言葉にみんなは賛成した。
狭い入り口に比べその中は驚くほど広い。時折聞こえてくる水滴の音が洞窟に響いている。天井
にあいた穴から漏れる光の当たる部分だけに茂った緑が目にまぶしかった。少し進むと地底湖が現
れた。その中央にも外からの光が入って来ているのだ。どうやらこの洞窟は穴だらけの洞窟らしい。
この上のカルスト平野が立ち入り禁止になっているのはそれに落ちないようにだろうという事がう
かがえるのだった。
「 !! 」
滑りそうになったフロルをタダは手を伸ばして支えてやった。下はぬめっていて滑りやすいのだ。
彼女は礼を言うかわりにタダの首に両腕をまわし、彼の頬にキスをした。薄暗い所だったので誰も
見ていないだろうという安心感がそうさせたのである。しかしマギーはフロルにキスされて嬉しそ
うにしているタダの姿をじっと見ていたのだった。
“え?”
リンダはその時、初めて気づいたのだ。
“マギーったらさっきからタダの方ばかりを向いている… ”
彼女も又、薄暗い中なので油断していたのだった。リンダは驚いたような顔をマギーに向けた。
彼女の直感力を知らないリンダはいつも心をオープンにしている。
“あ!”
マギーはリンダに自分の心を見抜かれた事を知った。
「マギー… あなた、いつから… 」
小さな声でリンダが聞いた。しかし… 答えに窮するマギーだった。
「あなた… だから… 」
今まで興味のなかったショッピングセンターにでかけたりおしゃれの話をするようになったのか
とリンダは心で言っていた。マギーはたまらなくなり彼女から顔を背けたのであった。
“タダに婚約者がいる事は有名なのをあなたは知らなかったのかしら… ”
でも世間に興味のなかったマギーの事だ、きっと知らなかったに違いない。リンダはその恋心
に気づかなかった自分を責めていた。
“私が気づいていればあなたを苦しめるような事はしなかったのに… ”
マギーは自分が思っていたよりももっと、リンダが自分にたいして親友意識があるのだという
事に驚いたのだった。
「いつからなんてわからない… 」
彼女に心を許したマギーはそれだけ言うのがやっとだった。
リンダは謝った。
「あなたが謝る事なんてないんだから。それに私は大丈夫よ、そんな事なんて平気だわ。明日にな
ればいつもの私になっている自信があるもの」
マギーはなにかをふっ切るように言った。そう、彼女は強いのだった。
「二人で盛り上がってるね! そろそろ外に出ようか?」
医学科の学生が声をかけた。タダとフロルもこっちの方を向いている。
「すぐ行くわ」
リンダが返事をした。マギーはもう平気そうな顔をしている。二人は一番後から出て行ったのであ
った。
日が真上にあり、正午を告げていた。みんなは遊歩道の終点に建てられた屋根付のベンチで昼食
を楽しんでいた。この大学惑星は観光地ではない。基本的には学生の為に存在する星なので簡単な
施設が置かれているだけの場所が多かったのである。
「ひとつ… どうだ?」
フロルがみんなの前にサンドイッチを差し出した。
「タダが作ったんだけど結構いけるぜ」
「なんだ、タダが作ったのか? これ」
農学科の学生が驚いたように言った。みんなはフロルが作ったものとして疑わなかったのである。
「本当は二人で作るはずだったんだよな」
タダがフロルの方をチラリと見ながら言った。
「悪かったな、寝過ごしちまって!」
ちっとも悪くなんて思ってない口調でフロルは謝ったのである。
“こんな事をタダにさせるなんて… ”
マギーはフロルに対して腹が立ってきたのである。彼女は思わず差し出されたサンドイッチをほ
お張ったのであった。
「お前よっぽど腹減ってたんだなぁ、すごい食いっぷりだぜ」
フロルは感心して言った。
「でもそんな風に食べてもらえるとうれしいよ」
タダはマギーを頼もしそうに見ていたのである。彼はロックされたマギーの心を探ろうなんて気
はさらさらないのだ。タダは単純に喜んでいたのであった。
「まめな婚約者を持つと便利だね」
医学科の学生がフロルに言った。近寄りがたいように思われがちのフロルだが、実はあっさりして
いて話しやすいのだ。おまけに顔とはアンバランスな言葉遣いがみんなを安心させるのであった。
「男って美人に弱いのね。タダも所詮そんな男の一人だったのよ」
リンダは小さな声でマギーに耳打ちした。自分を慰める為にわざと言っているのがよくわかる。で
も彼の悪口を言ってほしくないマギーだった。
“でもそれだけじゃないと思う”
この二人の中には決して割り込めない絆みたいなものを彼女は感じていた。
「さて、食後の散歩でもしましょうか」
マギーは立ち上がった。遊歩道の両側に広がる平野は立ち入り禁止になっていない場所なのだ。そ
こには珍しい植物が群生しており農学科の学生の興味を引いていたのであった。
「あ、オレも!」
フロルも一緒に立ち上がった。一瞬マギーはいやな顔をしたが誰にも気づかれなかったのである。
リンダを含む三人は連れ立ってカルスト平野に入って行った。白い岩が剥き出しになっている所
も多く景観は異様なのだ。ここに一人旅でもしていれば変な気を起こしてもしかたないな、という
ような場所だった。
「お前ら、仲いいんだな。クラスは違うけどよく一緒の所をみかけてたんだ。いつだったかショッ
ピングセンターで会ったよな」
「そういえば… 」
ペアのティーカップを同時に手に取った事がある。
「あの時一緒にいたのはタダじゃなかったんじゃないの?」
リンダは聞いた。タダがいるのにどうして他の人と一緒に来ていたのか不思議だったのだ。
「ああ、あれはオレの親友なんだ。彼女へのプレゼントを選んでくれないかって言われちまってさ」
異性間の親友関係… そんなものもあったのかとリンダは思った。
「信用されているのね、タダに」
マギーは確認するような形でたずねたのである。
「うん、だってオレもあいつの事、信用しているから。だってウソついてもしかたねぇ事だし、あ
いつはなんでもわかっちまうからな」
フロルの自信ありげな言葉にマギーは再び二人の絆の強さを感じるのだった。
“あきらめなければ… ”
強く思う。自分は強い人間なのだともう一度、心の中で言ってみる。そして何も気づいていないフ
ロルの顔を見た。やはりつらいものがあった。
「ほら、あれは何かしら?」
リンダが白い岩の方を指さした。何となく気まずい雰囲気になるかもしれないと気をまわしたので
ある。
小さな生き物だった。ここの平野に繁殖している猫を小さくしたような生き物だった。
「あ、あそこにもいるわ」
リンダが指さした方にマギーは近寄って行った。彼女もフロルと同じで小動物が好きなのだ。フロ
ルもゆっくりと彼女の後を追った。平野とは名ばかりで岩だらけの歩きにくい土地だったのである。
「きゃっ!!」
小さな悲鳴を上げてマギーの姿がフロルの前から消えた。
「マギー?」
フロルはすぐ前の草むらに隠れた穴に彼女が落ちた事を知ったのだ。フロルの胸くらいの深さの穴
の底でマギーはうずくまっていた。
「大丈夫か?」
フロルは声をかけた。しかし彼女は小さなうめき声を上げるだけで返事をしようとしなかったのだ。
ただ事ではないと悟ったフロルはリンダをそこに残してみんなを呼びに行ったのだ。
「骨折だ」
医学科の学生が診断した。
「ひざの内出血もひどい。剥離骨折しているのかもしれないぞ」
タダは冷静に直感と目で見て診断したのである。どちらにしてもこのまま放ってはおけないのだ。
「添え木を… それと何か縛るものを」
農学科の学生がどこかから平らな添え木を持って来た。
「ロープか… ひもはないか?」
タダは医学科の学生と共に添え木に足を乗せながら聞いた。二人の学生が自分のベルトを外して差
し出した。しかしそれだけでは充分な固定ができないのだ。
「わたしのリュックに… マフラーが入ってるわ… 」
マギーがタダに言った。
「リンダ、マフラーを出してくれ!」
タダがリンダに向かって言った。彼女はリュックをのぞくとその中にはきれいに包装されたマフラ
ーが入っていたのである。
“あなた… ひょっとしてこれは… ”
瞬時にリンダはそのマフラーの意味を悟ったのであった。彼女は包装をそっと外してマフラーを取
り出しタダのほうに走って行ったのである。リンダはあまりにも単純で純粋なマギーの心に触れて
涙が出そうになったのであった。
「フロル、それを半分に切ってくれ」
タダはポケットから七つ道具を取り出した。いつもどこかに行く時に持ち歩いているものだ。が、
めったに使うことはなかったが…
「このマフラー、おニューみたいだけど我慢してくれよな」
フロルは一言ことわってからマフラーをざっくりと切った。
「 …… 」
マギーは自分の心が半分にちぎられる思いがして目頭が熱くなってきた。
「痛むのか? もうすこしの辛抱だから我慢してくれよ」
あふれて来た涙の訳を勘違いしたタダが彼女を励ましたのである。
“でももうあきらめられる… ”
引き裂かれたマフラーがその恋の終わりを宣告したみたいでかえってすっきりしたマギーだったの
だ。ふと見上げるとリンダがいた。彼女はマギーの為に泣いていたのである。
“ …… ”
リンダの心がはっきりとわかるのだ。彼女は本当に私を理解してくれている。
「大丈夫よ… 」
力無くマギーは言った。もう大丈夫だと思いたい。大学に向かう船の中でマギーはじっと耐えてい
たのであった。
「あいつら本当に仲がいいんだな」
自動操縦に切り替えたタダにフロルは話しかけた。
「そうだね。女の友情ってやつかな?」
タダはあまり興味無さそうだった。
「あいつのマフラー、だめにしちまったな。まだ使ってなかったみたいだった」
仕方のない事だとはいえフロルは気になったのだ。
「じゃ、買いに行くかい?」
タダはフロルの気持ちを察していた。
「だから好きなんだ」
フロルは両手を後ろに組んでさりげなく言った。聞き流したふりをしながらその言葉をかみしめ一人
でほくそえんでいるタダだったのである。
「これなんかどうだろう?」
フロルはマフラーを両手に迷っていた。ピンクの柄物と真っ白の無地のを手にしている。
「彼女ならこっちだよ」
タダは白い方を選んだのだ。それが彼女に似合いそうな気がする。色が黒くて健康的でしっかり者の
印象の彼女だったから。
“そういえば彼女は何を考えているのかよくわからない女性だったな… ”
タダはマギーのふっくらとした顔を思い出しながらマフラーを店員に渡したのだった。
大学病院に入院しているマギーは白いマフラーを首に巻いていた。さっきタダとフロルが持って来
てくれたのである。
「タダが選んだんだから気にいらなかったら文句はこいつに言ってくれよな」
フロルがそう言っていた。
“タダが私の為に… ”
それだけでも嬉しかったのだ。自分の思いは届かなかったけれど思いでの品が手に入ったのだ。たと
えしかたなしに選んでくれた物でもマギーは満足だった。
“この白いマフラーのどこかにタダは手を触れたんだ”
マギーはそれを首から外しベットの上に広げた。
そして丁寧に…
丁寧に隅の方から少しづつなぞってゆくのであった。
終