とんでもない発見編(3年生)    



 タダのいない日は退屈である。しかしすれ違いの実習が多い為、どうしてもそうなら
ざるをえないのだ。
“タダの部屋っていつも片付けるとこなんてねぇもんな”
チャコの部屋だとクィーニがやり甲斐があるほど散らかしているらしいのだが…
“あいつ、オレと違って誰かがしてくれる、って事なしに育ったからそうなんだろうな”
フロルは主のいない部屋のいすに腰掛けた。今日の夕方には帰ってくるのだけれどそれ
までは何もする事がないのだった。
“あれ? こんなのあったっけ?”
デスクの脇についている小さな棚に見慣れない本が置いてある。この部屋にある数少な
い本のうちの一冊なのだろうが、この場所に置いてあるという事は特別のものなのだろ
う。その証拠に彼の父である長老の手記が真横に並んでいたからなのだ。
“カギもねぇし… 少しだけ… ”
フロルはその本を開いたのであった。
“やっぱそうだったんだ”
と、言ったのは横にある手記と同じような作りになっていたからなのだ。思った通りの
ものであり紛れも無くタダの肉筆による手記だった。
“タダって字が下手なんだよな”
盗み見をしているくせしてきっちり批評をする人の悪いフロルなのだ。しかしその下手
な字にも暖かみが感じられ、ふだん見慣れている画面の文章とは全然違う印象を受ける
のであった。
“肉筆っていいもんだな”
彼女は素直にそう思っていた。画面にある文字は簡単な操作で一瞬にして消えてしまう
のだ。しかしこの手記はそうではない。この文字が彼を表しているような気がして悪い
とは知りながら、ついついページをくって行くフロルだったのだ。
 それは最初はなんでもないような文章で始まっているメモのようだった。しかしその
ページを読んだフロルは大きな衝撃を受けたのである。
《僕が死んだなら… 》
それはそういう書き出しだった。
《 …フロルの為にも少しでも長く生きられる事を… しかし… 》
  そんなに長い文章ではないのだが、彼女を驚かすのには充分だった。これはまさしく遺
書なのだ。
“どうしてこんな物を… ”
フロルの手が止まった。まだまだ書いてあるのだが手が震えて先に進めないのだ。
“あいつ悩みなんてなさそうだったのに”
昨日、出て行く時は何もないように見えたのだ。明るく笑っていつものキスをして…
  そして船に乗ったのだった。
“それがどうしてなんだ?”
フロルの疑問は果てしなく広がって行く。
“そんな危険な実習だったんだろうか?”
フロルは今回の実習について何も聞いていないのだった。あまりにも当たり前のように
くりかえされる授業の為、最近では深く意識した事がないのだった。航空科の実習は基
本的には船の操作とチームワークなのだ。偶発時の対処の仕方なども当然その中に含ま
れてくる。
“いや、実習に最初からわかってる危険なんてねぇぞ”
だったらもっと悪い図式が成り立ってしまうのだ。
“タダに限ってそんな事は絶対ねぇんだ。だってあいつ、少なくとも不幸じゃねぇとオ
レは思ってる”
しかし人の心はわからないものである。フロルのように直感力のない普通の人間にとっ
てひとの心は宇宙のように謎なのだ。
“でもタダは遺書を書いている。これははっきりとした事実なんだ… だってこの字、
間違いねぇよ”
肉筆だからわかるのだ。フロルは今まであまりにも何も考えなさすぎた事をなさけなく
思っていた。
“オレずっと幸せだったんだ。おまえと一緒に大学に入って勉強して… 何の疑いもな
しに楽しく生活していたのはオレだけだったんだろうか?”
フロルは石頭に連絡を取ろうと受話器をあげた。もし事故があったらすぐに彼の元に連
絡が入るはずなのだ。事故の予測、タダは何か直感力で感じ取っていたのかもしれない
のだ。
“いや、それなら最初か行いかなきゃいいんだよな”
それにそんな予測は石頭にでも当然できるのだ。あらかじめ危険だとわかっている実習
に学生達を行かせるわけがないのだ。
“タダ… どうしてなんだ?”
それでもフロルは次のページをめくったのである。
“フロル、今までの君に感謝している。そして… ”
その後も長々と文字が書いてあったのだが、そこまでが彼女の限界だった。
「タダ!」
誰もいない部屋でフロルは大きな声を出して泣いていた。こんな声で泣いた事なんて本
当に久しぶりだという程それは子供っぽくあり、純真でもあったのだ。防音壁だから外
には声はもれないだろう。だからこそ思い切り泣く事ができたのである。
「どうしてこんな事、書くんだよ? どうして… 」
指からこぼれ落ちた滴が手記をぬらしていた。いくつもいくつもシミを作り、それはイ
ンクをもにじませていったのだ。
「何が不満だったんだ?」
いくら考えてもわからないのである。昨日までのタダが急に遠いものになり、目の前に
タダの顔をした知らない男が立っているようだったのだ。
“死ぬんだとしたらどの場所なんだ?”フロルは冷静に物事を処理しようと大きく息を
ついた。でもまだ信じられない、しかしタダは遺書を残している。いや、残していると
いう表現は良くないのだ。

「星が好きなんだ」
タダは言った。暗くなった帰り道は、新月の為にいつもより多く星が見えるのだ。
「はるか遠い星々から… 気の遠くなるような年月をかけて届いたまたたきを今、僕た
ちは見ているんだ。小さい時にね。父さんには悪いんだけど、本当の父さんや母さんに
会わせて下さいって星に願いをかけた事がある。今から思えば恥ずかしいけどその時は
結構まじめに願ったんだよ」
タダは照れ臭そうに笑っていた。フロルは幼かった頃の彼の気持ちがせつなくて、とて
も笑う気にはならなかったのだ。
「 …… 」
「ごめん、泣かすつもりはなかったんだ」
タダはフロルを抱きよせた。
「星を見てると心が洗われて、つい正直に何でもぶちまけたくなる時があったんだよ」
「 …… 」
流れ星がひとつ流れて行った。
「昨日よりももっと愛している」
フロルの前では素直なタダが、さらに素直になるような光が天上から降っている。ロマ
ンチックが今、二人に与えられたのであった。

“あれはいつの事だったんだろう?”
その夜はつい最近の事なのだけれど、もう遠い昔のように感じられる。
 何かをしなければと思う。しかし具体的に何をすればいいのかわからない。
“オレの悪いとこなんて数え上げたらきりがねぇよ”
きっと自分に原因があるのだ。知らないうちに人は人を傷つけるものである。知らない
のは当の本人だけであり、人から言われて初めて気づく場合が多いのだった。
“あいつ、優しいから… きっとオレの為に我慢してたんだ… ”
再び涙が止まらなくなったフロルは床にしゃがみこんで… ただ泣いていた。
《 ・・・ 》
通信機が鳴っている。しかしこのアパートの主はいないのだ。
“何度コールしても無駄だぞ… ”
フロルは受話器を上げようとしなかったのである。
“タダ… タダ… 遠いよ、すごく… ”
《 ・・・ 》
再び通信機のコール音が鳴り出した。
「はい… 」
力無く受話器を持ち上げるとヌーの落ち着いた声が耳に入って来た。
《あれ、タダは留守なのか?》
ヌーの問いにどういうふうに答えたらいいのだろうとフロルは戸惑った。
「今夜… 帰って来たらいいなと… 思ってる」
《どうした? フロル。何があったんだ? ケンカして出て行くようなタダじゃないだ
ろう?》
しかしヌーはただならぬフロルの様子に驚きすぐに来てくれたのであった。

「タダがいなくなっちまう!」
フロルはさっきの手記をヌーに見せたのだ。彼女の涙でにじんでしまって読みずらくな
っているものの、だいたいの内容はわかるのだ。
「フロル… おまえが読んだこの文章なんだけれどね」
彼は笑いたいのをこらえるのがつらくてわざと下を向いて話しかけたのである。この遺
書は宗教学科の中にある生涯学習コースの宿題だったらしい。ヌーのすすめで気まぐれ
で受講していたタダだったのであった。
「どうせ最後まで読めなかったんだろう? 同じような文章がいくつものパターンで書
いてあるよ。書き損じには印まで入っている」
ヌーはその部分を指さしてフロルに見せたのだった。

「どうしたんだ? 今日は発着所に来てくれなかったんだね」
タダが帰って来たのだ。
「このバカーッ!!」
出迎えのかわりの言葉がそれだった。
「タダの… 」
それだけ言うとフロルは彼の胸に飛び込んで来たのである。何となく事情が飲み込めて
来たタダは、デスクに置かれた手記に目をやった。棚に置いていたはずなのにそこにあ
るという事はどういう事なのか明らかだった。
「ヌーに聞いたんだね」
誤解は解けていた。しかしフロルの怯えは消えてはいなかったのだ。
「変な宿題でさ、これ。暇な時にベッドに転がって書いていたんだよ。だってコンピュ
ーターは移動する事ができないからね」
タダは彼女が落ち着くようにゆっくりと軽く、リズミカルに背中をたたいていた。
“最後まで読まずにパニックになっていたのか… ”
タダはその行動にいつものフロルを感じていたのだが、今笑うのは不謹慎だと知ってい
た。
「ねぇ、フロル。これだけは言っておきたいんだけどな」
タダの言葉にやっとフロルは顔を上げたのである。
「僕は君の前ではすごく正直だって事、以前言ったよね」
彼女はうなずいた。
「君だからそれができるんだよ。難しい理屈や定義なんていらない、君とずっと一緒に
いたいと思っている僕が君の前からいなくなるわけないんだよ」
言葉で言ったのか彼女の心に直接言ったのかはわからないが、フロルが落ち着いて来た
のは確かなようだった。
「ごめんな、タダ。オレ早合点しちまって… 」
彼女はやっと少しほほ笑んだのであった。
“僕の為にパニックになっている君を少し見てみたかったような気がするな”
これはもうひとつのタダの心だったのだけれど口に出しては言えない。愛されている自
覚がタダの胸を暖かく浸して行くのを彼は心地よく受け止めていたのだった。魂の同化
とでも言うのだろうか? たまにそれを感じる事がある。肉体じゃなく精神の強い結び
付き、それはフロルだからこそと思うのだ。
「君がいて良かった… 」
単純な言葉が好きなタダはその言葉に自分の思いのすべてを託していたのである。
 タダは文字の流れた手記を読んでいた。その時のフロルの様子がそこから強く伝わっ
てくる。閉じられていたためにまだ少し湿っている。タダはそのページを開いて乾かし
たのであった。
“これも僕の宝物になりそうだ”
タダはにやついている自分をかわいいと感じていた。
 ベッドではフロルが眠っている。精神的にまいっていたのかすぐに眠ってしまったの
だった。タダはにやついた顔のままで彼女の横にもぐりこんだのである。知らぬ間に枕
が二つになっていたタダのベッドにフロルが眠る日が多くなって来た。
“アパート、ひとつでもいいのにな”
ふと、つぶやいた。
“めんどうな手続きなんてなかったら僕たちはもう… ”
タダはフロルの指をいじっていた。熟睡しているのか反応がない。
“いとおしさが止まらない!”
眠っているにもかかわらず、シーツの上から彼女を抱き締めるタダだった。

                                      終



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