卒業からの始まり編
5年生卒業直後
「今度いつここに来る事ができるんだろう?」
宇宙大学惑星から離れて行く船の中でフロルは涙ぐんだ。
「今までだとこの星を離れる時には行って来ますって言ってたんだぜ。でももうそんな言葉、
出せないや。オレ達もうここには住めないんだからな」
それはタダとて同じ思いである。
「それに… これからはシベリースに住むんだ… 」
フロルは今から故郷に帰るのではないのだった。5年前に迎えた日と同じように再び新たなる
スタートを異星で迎えるのである。これから先の事を考えて不安な気持ちになるのも当然であ
ろう。
「こわいのか?」
タダは聞いた。
「こわかねぇけど、だってお前がいるもんな」
フロルは上を向いた。下を向くと涙がこぼれそうになる。さすがのフロルもにぎやかな船内で
タダに抱きついて泣くというようなまねはしたくなかったのだ。
「そうやって君は卒業式の時も泣かなかったね」
タダはフロルの髪をなでた。
「だってみんなの顔をよーく覚えていたかったから泣けなかったんだ。もう会えない奴がいる
かも知れないんだぜ… 」
「君は変わったね、強くなったのかな」
タダはフロルの顔をじっと見た。やや青ざめてはいるものの彼女の順応力をもってすれば大丈
夫だろうとタダは思った。
シベリースで待つ長老はこの日をどんなに待っていた事か… 今まで待つ、という事を経験
したことがないような気にさえなって来るのだ。タダが大学に入ってからだ、待つという事を
知ったのは。待っている時間はつらいがいずれ帰って来るという甘い未来の為なら彼は平気だっ
た。しかしそんな動揺をさとられたくない長老はわざと平静を装っていたのである。
「ただいま」
タダの声だった。彼は自分の息子なのだ。
「じいさん! ただいまーっ!」
フロルの声だ。彼女は自分の娘になった。そしてここは彼らの帰って来るべき家なのだ。自分を
含む3人は家族なのだから。こんな当たり前の事に長老はときめいた。幸せを感ずる時間、それ
が今である事を彼は身をもって感じていたのである。タダを引き取った16年前には考えられな
かったような未来を迎えられた事を長老はタダの両親に感謝していたのであった。彼は幸せだっ
た。しかし…
「おかえり」
その幸せを伝える言葉を長老は知らない。ただ平凡な出迎えの言葉が口から出ただけであった。
「タダ、お前が一番早かったな」
翌朝訪れた彼の友人達がフロルを見てうらやましそうに言った。結婚するのも父親になるのもタ
ダが最初である。
「タダはもう卒業したけど僕たちは今、学期の途中だし卒業までまだ1年以上あるもんな。就職
もそれからさ」
シベリースと宇宙大学は授業内容も進み方も全然違うのだ。
「ま、僕たちはのんびり大学生活を送るよ」
そう言って友人達は笑っていた。
「タダ、お前、帰るたびに友達が増えるけどみんな本当に友達なんか?」
フロルは尋ねたのである。
「いや、確かに知っているがあまり話した事ない奴もいたな。でもいいじゃない、僕は気にしな
いし。そのうち友達になるかも知れないだろ」
明らかにこの銀河系一である宇宙大学出身のタダと友達というと聞こえがいい為、ここに来てい
るという事は確かなのであるがそんな事は気にしないみたいなのだ。
「そんなもんかな」
フロルもなんとなく納得したみたいである。彼女もあまり気にならない性格らしい。
「5年前なら考えられない事なんだよ」
タダは言った。いつもたくさんの友人にかこまれていたフロルにはわからないかも知れないが彼の
ハイスクール時代はこんなのじゃなかったのであった。
「君だけでなくて僕にとっても新しい生活がスタートするんだな」
長老だけでなくタダも5年前には想像すらできなかった未来が今始まった事を感じていたのである。
彼はそのスタートにフロルがいる事をどう表現したらいいのかわからないのだった。
昼食を食べていたフロルが感心したように言った。
「やっぱりじいさんの料理うまいや。オレ、明日からじいさんに習うから楽しみにしといてくれよ!」
「今まで通り僕も作るよ」
大学時代のフロルの手料理を知っているだけに不安がよぎったタダだった。
「お前はしばらく休んだ方がいいぜ。就職したら最初は気疲れで大変だろうからな。それにオレ
は動いた方がいいと思うんだ」
もうすぐ迎える出産の事が気掛かりなんだろう、それはタダにとっても同じであった。しかし、
彼が変わってやる訳にはいかないのだ。
“僕を産んでくれた両親もこんな時を持ったんだろうな… ”
ふと思った。長老はそんなタダの声が聞こえたような気がしたのである。
「今度はお前の番だな、タダ。結局人間とは自分がその立場に立ってみないと本当の気持ちなん
てわからんものだ。お前の両親もきっと今のお前たちと同じような気持ちで子供が産まれて来る
のを待っていたに違いない」
長老はタダの肩に手を置いた。長老にはそんな経験がないのだ。彼自身気づかぬ所でひけめを感
じているのであろうか?
「あーっ、じいさんもやっぱり普通の人間なんだな。さっきタダの両親に嫉妬してただろう」
「フロルーッ!」
彼女の遠慮のない言葉にタダはあせった。
「でもさ、タダの両親はじいさんに嫉妬してると思うぜ、だって5才の時からからずっと育て
る事ができたんだもん」
しかしフロルは冗談で言っているのではないようだった。考えようによってはそうなるのかも
知れない。
「オレ、お前の両親の事を考えると悲しくなるよ… 子供を残して死ぬななきゃならなかった
なんてあんまりだろ?」
タダは今まで両親について深く考えた事がなかったのだ。それは長老に対する裏切りのような
気がしたからだ。
「確かにそうだろう。しかしタダの母親は自分の子供が生き延びる事を知ると安心したように
息をひきとっていったのだ。子供を残して逝く悲しみより子供が死なない喜びの方が勝ってい
たのだろう。私は思ったよ、それが親なんだと」
長老は深くため息をついた。フロルは静かに涙を拭っていた。
「そして… しばらく考えた後に、私は親というものになってみようと決意したのだった。も
う16年も前の事だ。でもおかげでこんな幸せにめぐりあえる事ができた… ずっと、ずっと
感謝していたんだよ。お前の両親にはな」
タダは長老からそんな言葉を聞くのは初めてだった。自分の両親の事は触れてはいけないこと
のように感じていたところもある。これがいらぬ遠慮というものだったんだろうか? フロル
がいなければそんな言葉を長老から聞く事はなかったかもしれない。タダは今更ながらフロル
の位置の不思議さを感じずにはいられなかったのだ。
「フロル?」
フロルは突然うずくまったのだ。これは泣いているのではない!
「おい、しっかりしろ!」
タダはあせった! これは陣痛なのだ。タダにとっても長老にとっても初体験の事だったのだ。
「あせるでない、タダ。落ち着くんだ!」
そういう長老の声も上ずっていたのであった。彼はあわてて車の用意をしたのである。タダは
自分が震えているのがわかるくらい動揺していたのだ。無事に産まれてくれさえすれば… 所
詮彼もただの夫だったのだ。
「タダにそっくりだぜ… じいさん、本当のじいさんになっちまったな… 」
フロルは言った。それだけ言うと彼女は安心して眠ってしまったのだ。
黒い髪の男の子だった。長老はうれしそうにベビィの手に触れていた。タダはこわごわベビィ
を抱いて考え事をしていたのである。
“フロルが目をさましたら何て言えばいいのだろう?”
気の利いた言葉が出て来ないタダは密かに悩んでいた。喜びを伝える最もよい方法を見つけ出
せないタダは、自分の平凡さを恨めしく思うのであった。シベリースに帰って早々の出産という
いかにも“らしい”スタートを切った二人には未来に向かってあらたなる決意を確かめ合う時間
すらないのであった。
終