オスカル衛兵隊へ! 編



   「オスカルに結婚話が… ?」
面会に来た祖母の言葉にアンドレは愕然となった。即座に彼女の父、ジャルジェ将軍の
考えがわかり、それが彼女にとって一番安全な道であると頭の中で理解することができ
たが自分にとっては最も恐れていた事態だったのだ。
“オスカル… 、俺のオスカル… お前が誰か他の男のものになるなんて… ”
今まで何のために尽くしてきたのか、自分の存在とは何だったのだろうと一瞬目の前が
真っ暗になった。

「アンドレ、じゃ、あたしは帰るからね。体に気をつけるんだよ」
祖母の言葉を上の空で聞き、一応手を振って見送りしたものの、彼の心はオスカルの面
影でいっぱいになりどうにもならない憤りを止める事ができなくなってしまった。気が
付くと自分の部屋の前にたっていた。
「おい、片目の新入り、お前あの女隊長の従僕だってな。聞いたぜ」
唐突に衛兵隊士のメルキオールが声をかけてきた。
アンドレは振り向いた。こわい顔をしている。
「なんだよ、その面は、俺たちにガンとばそうって言うんじゃないだろうな」
彼は大袈裟に両手を広げて笑った。前々からアンドレが気に入らなかったのだ。何を考
えているのかわからない新入りは、自分だけの世界を持っており、一緒に行動をしよう
とはしなかったのだ。“アランだけは特別なのかよ”そんな気持ちである。
 アンドレは黙っていた。
「気にいらねぇな、その態度、大体俺は貴族にしっぽふってる奴が大嫌い何だよな。し
っぽふるだけじゃねぇ、ある事ない事隊長に言い付けるつもりなんだろう」明らかな挑
発だ。後ろの四人は腕を組んでニヤニヤしている。
「ちょっと顔かしてもらおうか」
メルキオールは倉庫の方にアンドレを連れていった。
「たっぷりとヤキをいれてやるぜ」
メルキオールはアンドレの目をみてすごんだ。彼はアンドレのように美形ではない。ス
ラリとした長身でもない。上品さも兼ね備えていない。平民でありながら貴族の匂いの
する男がどうしても許せなかった。
「おもしろい、やってやろうじゃないか。俺も今日はイライラする事があってね、喜ん
で相手させてもらおう」
アンドレはいきなり殴りかかっていった。速いパンチがメルキオールを襲う。細身で筋
肉質の体は鞭のようにしなり、腹部にのめり込んだ。
「 …のやろう、よくもやりやがったな… 」
彼は殴りかかった。すかさずよけるアンドレ。場慣れしている。今までオスカルと共に
危ない目にあってきた。少々の事ではひるまない。アンドレがただの従僕だとたかをく
くっていたメルキオールはあてがはずれてますます腹がたってきた。以前、オスカルに
挑戦してあっさりと負けてしまっている。その上そいつの従僕にまで負けるわけにはい
かないのだ。再びアンドレのパンチがメルキオールの顔面に炸裂した。強い。見かけと
は随分ちがう。ニヤニヤしていた仲間はアンドレに駆け寄り両腕を掴んだ。彼らもまた、
アンドレのような中途半端な立場の人間が気に食わないのだ。
「ケンカだ、ケンカだーっ!! 片目の新入りがやられてるぞ─っ!」
兵士の声が廊下に響いてくる。オスカルは司令官室で立ち上がった。アランもベッドか
ら起き上がり声のする方に向かって歩きだした。やじ馬たちがいっせいに走って行く。

 メルキオールの逆襲が始まった。アンドレは必死で抵抗している。しかし多勢に無勢
では勝ち目はない。アンドレは近くに置いてあった銃でかかってくる相手を殴りつけた
が、かえって相手を刺激してしたたか殴りかえされた。“もっと殴ってくれ!”アンド
レは心の中で叫んだ。“体の痛みで心の痛みが忘れられるならいくらでもやってくれ… ”
彼はメルキオールたちに足蹴にされながら、いつかオスカルに対し、自分の激情を押
さえられなくなり抱き締め、彼女を傷つけてしまった事を思い出していた。その痛みに
くらべたらこんなもの… アンドレはもう、抵抗することをやめた。それがオスカルに
対する償いのような気がしたからだ。

「おい、お前ら。事を起こす時にゃ、声をかけてくれなくちゃ… だよな」
アランがドアの所で立っている。メルキオールの手が止まった。
「い… いや… 、あの、別に何でもないんだ。偶然おこったただのケンカなんだよ、
なぁみんな」
彼はあわててまわりの者に同意を求めた。アラン・ド・ソワソン、衛兵隊伍長でありな
がら隊員の信頼を一身に集めており、その実力も彼の右に出る者はいない。
「ケンカだと? 5対1でかい? 気にいらねぇな」
アランはナイフを取り出した。顔は笑っているが目が本気だった。アランをよく知って
いるメルキオールはあせった。彼を怒らせたらこの班ではやっていけない事をよく知っ
ていたからだ。
「もうしねぇ、もうしねぇ、な、だから… いや、すまなかった、な」
「わかりゃあいいんだ。ただな、この片目の新入りは俺の大事な飲み友達なんだ、そこ
んとこよぉく覚えといてくれよな」
アランはナイフを収めた。
「わかった、すまなかった」
メルキオールはあたふたとその場を離れた。取り巻いていたやじ馬たちもアランがまだ
怒りを静めていないと察し、散って行った。

「まぁ派手にやられやがって… 」
アランは気を失っているアンドレに近寄って行った。
「おい、アンドレ。大丈夫か?」
彼を抱え上げてやろうとしゃがみこんだアランは、アンドレが何かしゃべっている事に
気が付いた。
「 …めてくれ… オスカル… 結婚なんて… やめてくれ… 」
アンドレの目に涙が光った。
「そうか… そういう事かい… 」
アランは彼がオスカルを愛しているという事を初めて知り、なぜ彼が衛兵隊に入ったか
ということを理解した。
 人の気配で振り向くとドアの所にオスカルが黙ったままで立っている。
「ふん、なんだい。あんな男みたいな女。いったいどこがいいんだい」
アランは立ち上がりオスカルの方に近づいた。
「おい、隊長さんよ。こいつの手当はあんたがしてやるんだな。なにしろこいつはあん
たに命懸けだ。あんたが結婚すると聞いてヤケになっちまったみたいだぜ」
すれ違いざまアランはオスカルに向かって言った。オスカルはアランを無視してアンド
レを見つめている。彼はオスカルがアンドレを意識している事を認識し、高笑いをしな
がら出て行った。

 アンドレは倉庫の床にボロ雑巾のようにころがっている。
さっきの面会でばあやがアンドレに話をしたらしい。
“お前はばかだ… 私がそう簡単に結婚するとでも思っているのか… 子供のころから
ずっと一緒にいながらそれくらいわからないのか… ”
“  … ! ”
オスカルはアンドレに向かって心の中でつぶやいた言葉にはっとした。彼女も彼の、自
分に対する愛を見抜けなかったのだ。そう、ずっと一緒にいながら… 
“ばかなのはお前だけではない、私は今までずっと貴族の生活にあまんじていて国民の
多くを占める平民の生活を見ようとはしなかった… アンドレ… お前はジャルジェ家
の生活が嫌になったのではないのか… ? 私はいつか、お前に見放される日がくるの
ではないのか?”
 オスカルの背筋に冷たいものが流れた。
“父の命令で衛兵隊に入ったとばかり思っていたのが、本当はそうではなかったのか?
  それが証拠にお前は屋敷に帰ろうとしない… そんな事… 許さんぞ”フェルゼンとの
別れを経験してオスカルは変わった。
フェルゼンという、実るはずの無い人を恋愛の対象に選び、恋に恋していた自分に気が
付いたとき、改めてアンドレの存在が大きく感じられたのだった。

考えている時間は一瞬だった。
まだ気が付かないアンドレにオスカルは急に不安を感じた。
「アンドレ、アンドレッ!!」
揺すってもアンドレは気が付かない。頭を切っているのか額に血の筋が、ついている。
「アンドレ…  」
ここは近衛ではない、屋敷でもない、王宮でもない、ただふたりっきりで誰もいない暗
い倉庫の中だ。彼女の不安はそのまま涙となり頬を伝って落ちた。アンドレを揺すりな
がらオスカルは泣いていた。
 まだ気が付かないアンドレの横には、ばあやが持ってきた荷物が派手に散乱している。
孫のためにあれこれと必要のないものまで混じっていた。年老いてなお孫の面倒をみた
いというばあやの愛と、それを素直に受け取るアンドレ… 
ばあやのちょっとうるさいが、やさしい顔が浮かんでくる。
オスカルはころがっている袋の中に一つ一つ、汚れをはたき落としながら入れていった。
こんな事はもちろん彼女の仕事ではない。ましてや日常の生活でもこういう動作には縁
がなかった彼女であったが… 。
 アランは一度、倉庫から出て行ったもののひょっとすると自分の単なる思い過ごしで、
アンドレが放っておかれては大変だと、また戻って来た。ケガをしていたので手当もし
てやらないと… と思いつつ覗いてみるとアンドレの横でオスカルが彼の荷物を拾って
やっているのが見えた。
“貴族のお嬢様がそんな事するのかよ… ましてや自分の従僕のだぜ… ”
彼女は荷物を入れながら泣いているらしい。時折そでを、目にあてている。アランはな
んだか久々に心の底から楽しくなってしまって口元がゆるくなった。
“アンドレ、ファイト!!”
アランは声に出さず心で叫んだ。ここで自分の存在に気づかれてしまうと、せっかくの
ムードがぶちこわしになってしまう。アランはそっと倉庫から離れて行った。
 貴族だから鼻持ちならないとか、女だから命令に従わないとか思ってきた自分が急に
小さく感じられ、ここはもう少し、この女隊長を観察してみるとするか…と思うアラン
であった。

 アンドレは人の気配を感じて目をさました。ぼんやりと誰かの姿が見える。彼は体を
起こそうと腕を動かした。
「アンドレ! 気が付いたのか?」
オスカルの顔が目の前にあった。いつの間にかメルキオール達は出て行ってしまったよ
うだ。体中が痛んでなかなか起きられない。オスカルはすかさず彼を支えてやった。
「アンドレ、大丈夫か?」
オスカルは聞いた。決して大丈夫ではないのだがアンドレは首を縦に振った。口をきく
のもおっくうなくらい疲れている。しかし、彼女を安心させる為にあえて強がってみせ
たのだ。それに自分はオスカルが充分支えられるほど小柄ではない。しかしアンドレの
額からは又、一筋の赤いものが流れたのでオスカルはあせった。すぐに傷の手当をしな
くては… 今まで流血の場面をよく見知っている彼女ではあったが今日はいつもとは違
う。
 衛生室にはもう医者が待機していた。アランがあらかじめ呼んでおいたのだ。強いば
かりじゃない、よく気がきく男であった。アンドレの事が心配なのだろう、彼はアンド
レが来るのを待っていた。
「アンドレ、お前なかなかの腕前じゃないか。あいつら随分やられてたぜ」
オスカルに抱えられて入って来たアンドレに向かってアランは言った。
「いや… ばかな事をしてしまったと思っているよ… このざまだからな」
アンドレはなさけなく笑った。
何も言わないオスカルに抱えられているのが苦痛になっていたので、アランが話しかけ
てきてくれてほっとした。相変わらずオスカルは黙っている。アンドレは再び祖母の言
葉を思い出した。

「どうした? 何を暗くなっているんだ?」
  アランは何も知らないかのようにアンドレに聞いた。
「いや… 何でもない… 」
アンドレは寂しく笑った。笑顔が痛々しい。オスカルはたまらなくなってその場を離れ
た。自分が結婚すると勘違いしてやけになっているアンドレを見るにしのびなかったの
だ。たった一言、アンドレに言えば済むことなのにどうしてさっき、言わなかったのか…
 なぜ、彼の前で何も話せなくなってしまったのか… その態度がますますアンドレと
の距離をひろげてしまったのを充分理解できるだけに辛かった。

 オスカルは指令官室に戻り、カウチに横になった。なぜだかとても疲れている。気疲
れしたのか頭も痛くなってきた。彼女は軍服を脱ぎ、えりをゆるめた。今夜は夜勤では
ないのだがここに留まる事にした。やはりアンドレが心配なのだ。それに彼の誤解もと
いておかないと…   と、ウトウトとしていたらノックの音が聞こえてくる。立ち上
がらないとと思ったが体に力が入らない。
「隊長! 隊長… ?」
ダグー大佐の声だ。
「入れ」
どうにか起き上がって返事をした。
「隊長、面会人が…  あ… 大丈夫ですか?」
オスカルがふらついて倒れそうになったのをダグー大佐がささえた。
「なんでもない、済まなかった。話を続けてくれ」
彼女は再びカウチに腰をおろした。どうやら熱があるらしい。
「はっ、表で近衛連隊長がお待ちですが… いかがいたしましょう?」
ダグー大佐はオスカルを気遣いながら返事を待った。紅潮した頬が熱のあるのを物語っ
ている。
“ジェローデルか… ” オスカルは一昨日前の夜の事を思い出した。衛兵隊から帰っ
て来るとジェローデルが待っていたのだ。その時は何も言わなかったが父には自分と付
き合いたいと、いう事を願い出ていたのだ。父は喜んで話に乗ってしまった… さしず
め父親公認の婚約者、というところか… ふん、ばかばかしい。しかしあの話は確かに
断ったはずだったのでは… ああ… 考えるのもうっとうしい… どうして次から次へ
とややこしい事が出てくるのだ… 
彼女は眉間に手をやった。とりあえずジェローデルを追い帰さないと…
  「ご苦労だった。ダグー大佐、悪いが夜警の兵士を一人、補充してくれないか。アンド
レが無理のようだ」
「はい、かしこまりました。では… 隊長、ご無理なさらないように」
彼はオスカルの体を心配しながら出ていった。

「お迎えにまいりました。マドモアゼル・オスカル… 」
ジェローデルは嬉しそうに頬を紅潮させて彼女を迎えた。端正な顔立ちからこぼれる笑
顔は宮廷じゅうの貴婦人を充分に魅了するだけの値打ちをもっている。が、オスカルに
とっては無意味だった。
「ジェローデル、せっかくだが急用ができたので今日は屋敷には帰りません。失礼」
オスカルは愛想なくジェローデルを断った。きびすを返し兵営の方に歩いて行くオスカ
ルの後ろ姿を彼はほほ笑んで見つめていた。ああ… 今日も彼女の声を聞くことができ
た… それだけでも満足であった。これ程純粋に愛する男も少ないだろう。

 衛生室ではアンドレが一人で眠っていた。当番の兵士は席を外している。
  「アンドレ、ばあやが持ってきた荷物…  なんだ眠っているのか」
オスカルはベッドの横のいすに腰掛け荷物をひざに置いた。
こうやってじっと、落ち着いて寝顔を見つめているとなぜだか子供にかえったみたいな
気がしてくる。よく一緒に昼寝をしたものだ… あくまで控えめなアンドレにはねっか
えりの自分… 主従関係をしらない子供のときからこの男は自分に対してそういう態度
をとってきた。
“本当にばかなんだから… ”
衝撃的な愛の告白は彼にとって大きな賭けだったのかもしれない…
  “のるよ、お前に賭ける… 、と言ったらどうするアンドレ… ?”
オスカルは自然と笑いが込み上げてきた。久しくこんな笑いをしていなかったので、ア
ンドレが眠っているのを忘れ思わずふきだしてしまった。
「 … ?」
アンドレは気がついた。
「あ… すまない、起こしてしまったようだな」
オスカルは素直に謝った。起こす気がないとは言え、耳元で笑われては無理もないが…
「アンドレ、ばあやの荷物だ」
まだ現状が飲み込めないまま体を起こしたアンドレに、オスカルは笑いながら差し出し
た。妙に明るいオスカルを目の前に、ばあやの暗い言葉がよみがえってくる。
“オスカル、お前は本当に誰かと結婚するのか?”
アンドレは喉元まで出かかった言葉を飲み込んでしまった。もし否定されなかったらこ
れからの自分の存在価値とは… アンドレは思わず頭を抱えた。
「おい、しっかりしろ」
オスカルは驚いてアンドレの手を握った。彼女の手の温もりがアンドレに伝わってくる。
しかしそれは温かいというより熱かった。
「オスカル、お前… 」
よく見ると彼女の目は潤んでいる。顔も赤い。
「しっかりするのはお前だ、熱があるじゃないか」
アンドレはオスカルの額に手を当てて言った。息づかいも荒い。
「交替だ、オスカル」
アンドレはまだ痛む体にむちうってベッドから離れた。抵抗するかと思ったが以外とお
となしくオスカルは横になった。そうとう辛かったのだろう。さっきの妙にハイの状態
は熱が高かったせいなのだろう。今度はアンドレが横のいすに腰掛けた。癖毛の金髪が
枕に波打ち、閉じた瞳は長いまつげで縁取られ、はるか昔に読んだ童話に出てくるお姫
様のように、彼女は横たわっていた。アンドレはオスカルの汗ばんだ額にかかった前髪
に手をやった。
「アンドレ… 」
オスカルは目を閉じたままアンドレの手を握った。
「わたしは父の決めた相手とは結婚なんぞしない。私は… 私は… 」
うなされているのか正気なのかわからないが、アンドレの知りたかった答えが返ってき
たのだ。とりあえず今日はそれだけで充分だった。
 アンドレはオスカルの手を軽く握りその指先にキスをした。ひんやりとした感触が心
地よい。いつしか彼女は深い眠りに落ちていった。言い残した言葉が気になったがアン
ドレなら分かってくれるかもしれない… いや、分からないかもしれない… でもいい… 
きっといつか…  なんだかいい気持ちだ… 
 夢の中で二人は子供に戻っていた。いつもと同じように馬をとばし、近くの森まで遊
びに来ている。ひと息遊んだ後で二人は草の上に寝っ転がった。涼しい風が汗ばんだ肌
を冷やしてゆく。
「アンドレ、私はお前が大好きだ。ずっと一緒にいてくれるな?」
幼いオスカルはアンドレに聞いた。
「もちろんだ。俺もお前がもっともっと大好きだ!」
二人は顔を見合わせて笑った。もうすっかり忘れていた記憶がよみがえってきた。そう…
  今も同じだ… 

 かすかにほほ笑んだオスカルの寝顔を、あきることなく見つめているアンドレであった。


                                      終

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