革命を越えて(前編)
1789年6月30日、4000余名の大群衆がパレ・ロワイヤル広場からなだれのよ
うにアベイ牢獄へとおしよせた。アラン、他の投獄されていたフランス衛兵の釈放を要求
する人々の群れであった。
そしてとうとう衛兵は釈放されたのである。まさに民衆の勝利であった。しかし国王は黙
っていたわけではない。フランス全土から国王の軍隊がベルサイユをめざして集まりつつ
あった。しらずしらずの内に革命は始まりつつあったのである。
オスカルは自分の肖像画を書かせていた。ばあやはそれを不吉な、と言っていたが彼女
はかまわず続けた。近ごろ強い酒をよく飲むようになった。何か不安で落ち着かない。何
に対してでも真面目で真剣に取り組む彼女は今、アントワネットと民衆の間で揺れていた。
民衆の心がわからず彼らを“粗野で野蛮”と、決めつけているアントワネットにはもうつ
いていけそうにない。しかし、自分にはないものを多くもっているアントワネットを羨ま
しいと思いつつ側に仕えた永い年月、これも簡単には捨てられない。しかし、結果的には
民衆の側に付いた自分。オスカルは又、グラスにブランデーを注いだ。
「オスカル様、程々になさいまし」
ばあやがグラスを遠ざけた。
「わかっている。でも飲まずにはいられないのだ… 」
オスカルはグラスを引き寄せた。
「お嬢様、私はここの病気で血を吐きながら死んでいった者を知っております。やはりお
酒が好きで… 最初は軽い吐き気だけだからあまり気にならないのですが… だからお嬢
様、体に毒でございます」
ばあやは胃のあたりをポンとたたいて言った。
「別に好きで飲んでいるのではないのだ」
オスカルは弁解したがとりあえず、ばあやの顔を立てて今日はやめる事にした。それに軽
い吐き気が少し前から続いていたからだ。
風雲急を告げる7月、とうとうB中隊に出撃命令が下った。ついに兵隊が民衆に向かっ
て銃を向ける日が来たのだ。もちろん衛兵隊には多くの平民がいる。しかし国王の命令は
非情だった。
オスカルは昨夜自分の屋敷に帰り、部屋を片付けた。これから先、ここに戻ってくる事
ができるのであろうかと考えながら…
何の飾りもない部屋であるが思いでは多くつまっている。一緒に帰ったアンドレもきっ
と同じ思いでいることだろう。なにげない夕食であったが一つ一つ心の目に焼き付けてお
いた。両親もさりげないふりをしてくれている。胸が一杯であったが我慢して食事をすま
せた。
「アンドレ… 」
オスカルはアンドレの部屋をノックした。
「どうした、眠れないのか?」
「 …… 」
アンドレの顔を見ると急に体の力が抜けた。
「アンドレ… お前が… 淋しい思いをしているのではないかと思って… 」
言い終わらないうちに涙があふれてきた。
「それはお前だろ」
アンドレはオスカルを引き寄せた。両親やばあやには言っていないがオスカルはもうアン
ドレの妻であった。
「再びこの屋敷に戻って来ることがあるのだろうか… 」
オスカルは全てのものに、別れを告げてアンドレの部屋にやって来たのだろう。青ざめた
顔が物語っている。一番気になっている事をつぶやいた。アンドレはオスカルの髪をなで
た。人に髪の毛を触られる事が嫌いなオスカルであったがアンドレだけは別だった。
「一緒に寝ようか、いつかの子供の日に戻って… 森の大きな木の陰で二人で昼寝をした
みたいに… 」
オスカルは小さくうなづいた。今までお互い引かれ合っているのに気が付かぬままずっと
過ごして来た遠い日々。そして今…
「またここに戻ってこよう」
アンドレは耳元でささやいた。
次の朝、ばあやはアンドレの部屋から二人が連れだって出て来るのを見つけた。アンドレ
はオスカルの肩を抱き彼女はアンドレの腰に手をまわしている。それがごく自然な動作と
してばあやの目に写った。
“そうだったのかい、アンドレ… ”ばあやはオスカルがなぜジェローデルとの結婚話を
蹴ったのか、やっとわかった。大切にお育てしたお嬢様は知らぬ間に自分の孫と結ばれた
となっては旦那様に対し、申し訳ないと思ったがどこから見ても二人はお似合いだった。
“やったね、アンドレ”ばあやは孫の為に喜んだ。これが他の男だったら腹が立ってしか
たのない所だが…
「父上、母上、行ってまいります」
短い朝の挨拶である。
ジャルジェ将軍は声を出さずにうなづいた。
「アンドレ、オスカルをたのむ。お前が… 」
何かを言いかけたがそれ以上は言わなかった。
「はい!旦那様」
アンドレは力強く返事した。二人はジャルジェ家を後にした。
ジェローデル近衛連隊長は愛する者の直感でオスカルが王室をうらぎる事を察していた。
もし、彼女と敵対するような事があれば自分は間違いなく彼女を選ぶだろう。自分にとっ
ては王室よりも、彼女の方が大事なのだ。
“私はあなたに忠誠を誓う!”ジェローデルの愛も並々ならぬものがあった。このまま王
室が滅び去ろうとも、あなただけはこのジェローデルがお守り致します。
「連隊長!異常ありません!」
夜警の兵士が報告に来た。この頃とくに物騒になってきている。衛兵隊ではA中隊が銃を
持ってパリへと向かったと聞いている。“ああ… あの人は今、いずこにいて何を考えて
おられるのだろう… ”ジェローデルは目を閉じ眉間にしわをよせた。
まどの外でコトリと音がする。侵入者か?ジェローデルはそっと窓によりあたりを見渡し
た。何者かがいる。彼は機敏な動きで窓を乗り越え外に出た。ジェローデルの気配を察し
てか、その影が動いた。どうやら女のようだ。
「お待ちなさい!」
女と知ったからにはたとえ盗賊でも優しい言葉をかけるジェローデルなのだ。
「あ… 」
その女は逃げようとしてくるりと後ろを向いた所をジェローデルの力強い腕で押さえられ
た。その腕の中で女は突如、泣き出した。
「あなたはもしや… 」
忘れもしない豪華な金髪、しなやかな腰つき、白い手、間違いない!マドモアゼル・オス
カルだ。ジェローデルの心は早鐘が鳴りっぱなしになった。
「このジェローデルに会いに来て下さったのですか?」
ジェローデルは恐る恐る尋ねた。“はい”、と言うように女はうなずいた。
“おおっ!これは天が我に与えた至福の時間にちがいない!”
「後悔はないのですか」
ジェローデルは尋ねた。
女は縦に首を振った。もう外だろうが指令官室だろうがかまわない。口づけなんてまどろ
っこしいものはなしだ。涙の枯れぬマドモアゼル・オスカルをジェローデルは強く強く後
ろから抱き締め柔らかな乳房をクニッとつまんだ。いつ誰が来てもいいように服は着たま
まにしておいた。ジェローデルは後ろから徐々に優しくせめた。軽くいやいやをするよう
にマドモアゼル・オスカルはあえぐ。その色っぽいしぐさに彼は一機にいってしまった。
「すみません、こんなに短くて…」
竿の事ではない。時間がである。
ジェローデルは謝った。
「いいんです。あたし… 嬉しい… 」
「 … 」、「 … 」、「 … 」
、
“ちっ!ぐぁ!う〜〜〜っ!”
やっと涙が枯れて顔を上げた女の顔はマドモアゼル・オスカルとは似ても似つかぬ醜女だ
った。ジェローデルの全くの勘違いだった。恋するあまり何が何でもオスカルに見えてし
まうジェローデルの掘った墓穴だった。
“天は我をお見捨てになった… ”
しかし、勘違いをした事を見破られぬよう彼は言った。どこまでもプライドの高いジェロ
ーデルである。
「今日のすばらしい夜を私はわすれないでしょう。お嬢さん、ここは物騒です。お気をつ
けてお帰りなさい」
女は豪華な金髪をなびかせながらその場を去って行った。
ジェローデルは力が抜け、その場にしゃがみこんてでしまった。
“ああ、あの女とはもう二度と再び顔をあわせたくない!”
そんな思いである。
しばらくすると一人の兵士がその女をしょっぴいて来た。
「連隊長、怪しい女がおりました。尋問したところ連隊長のお知り合いだと言うのですが… 」
さっきの女である。確かにさっき、尻合い、いや知り合いになった。ああ、しかし、勘違い
で抱いた女だとはとても言えない…
「あたし… 愛する連隊長に会いに来たのです… 」
女は再び泣き出した。ジェローデルは優しくなぐさめた。
「門の所までお送り致します」
ジェローデルは彼女の肩を抱いた。兵士が驚いて口をあんぐりあけているのを尻目にジェロ
ーデルは女を送って行った。そういえばこの女、見覚えがある。いつかの舞踏会であまりの
醜さに同情して踊ったことがあった。それ以来、私の事が忘れられなくなったのであろう。
かわいそうな女だ。いや、もっとかわいそうなのはまぎれもなく自分であった。彼は悟った。
物事には順序がある。睦み事は、まず顔を見合わせ口づけから始めるものだと… 。
衛兵隊本部、今、オスカルはブイエ将軍の命令を口の中で繰り返していた。
“明日午前8時、B中隊はパリのチュイルリー広場に進撃せよ”
武装した民衆への牽制であるが、暴動となった場合は民衆に発砲の上鎮圧…
これはどう考えてもできない事であった。オスカルは兵士を集合させるため立ち上がった。
そのとたん激しい吐き気と貧血に襲われた。あわてて窓に駆け寄り吐いた。
“これはもしかして… 、いや…”
「オスカル、どうかしたのか?」
アンドレが入って来た。オスカルは再び吐いた。
「大丈夫か、しっかりしろ」
アンドレは背中をさすってやりながら声をかけた。
「すまない、どうやらかなり緊張しているらしい… アンドレ、みんなを集めるようにアラ
ンに言っておいてくれないか」
オスカルは青い顔をしてアンドレに頼んだ。まだ少しふらついている。
「よし、わかった。無理をするんじゃないぞ」
アンドレはオスカルを気遣いながら出て行った。
「諸君ももう知っていると思うが、ついに我がB中隊にも進撃の命令が下った。明日午前8
時にパリに向かって進撃しなければならない。目的は暴動となった場合の鎮圧にあたる。つ
まり武器を持った民衆に発砲ということだ」
兵士達はついに来る時がきた、という思いで聞いている。かれらは民衆にまぎれた自分の家
族の姿を見ている。平民の者が多いのだ。ダグー大佐は貴族ながら衛兵隊に長くいたため彼
らに同情的になってきている。オスカルはアンドレの方をチラリと見た。そして覚悟を決め
たようにしゃべり始めた。
「事態は急を要している。国王軍と民衆によりパリの町はいつ、戦場になってもおかしくな
い状態になっている。」
オスカルは一息ついた。
「私は… 私個人の考えをのべる。 … 私はいつの頃からか貴族という事で優遇される事
に疑問を感じるようになっていた。貴族という事で悩むようになった。近衛を辞めたくなっ
たのもそれが大きな原因といってもいいだろう。そして今、私は衛兵隊も… 民衆に銃を向
けるとならば、直ちにやめる。私は隊長という地位を捨てて民衆と共に戦う!」
一瞬どよめきがおこり、やがて静まった。この発言は非常に危険な事だった。この地点でオ
スカルは国家に対する反逆者となった。
「隊長、あんたは衛兵隊を辞めるこたぁねぇ」
アランが言った。
「あんたがここに来る前にみんなで相談ぶってたんだ。もし、戦いになったらおれたちゃそ
の場で衛兵隊を辞めて、革命に身を投じようじゃねいかってね。だがあんたがその気ならそ
んな必要はねぇ。俺たちゃあんたの指揮のもとで民衆と共に戦う!みんなバラバラになるよ
りその方がずっと力になる!」
「そうだ、国王軍とはりあうんなら俺達みたいな戦闘のプロがいた方がいいぜ」
オスカルが味方についたと知って、アランはほっとした。知らず知らずのうちに彼女に対し、
愛情が芽生えていったからだ。自分たちが反逆者となったら彼女とは敵になる。彼女に銃を
向けるような事だけはぜったいしたくなかったのだ。
「ダグー大佐、あなたは貴族だ。私達と行動を共にするとは思えない」
「はい、隊長、私はご一緒できかねます」
その通りだというようにうなずいてオスカルは言った。
「今ここできいた事を連隊本部へ報告なさるもなさらないもあなたの自由です」
「はっ!報告するつもりです。ただし今はもう深夜、勤務時間はすぎておりますゆえ、報告
は明日以降になるでしょう。では失礼致します」
ダグー大佐は部屋を出て行った。
1789年7月13日、一人の兵隊の発砲が引き金となりついに血で血を洗うフランス革
命の凄惨な戦いの幕が切って落とされたのである。
「隊長──っ! 軍隊がついに民衆に発砲を始めました! パリはもはや戦場です。軍は無
差別に攻撃を繰り返しチュイルリー宮広場は血の海となりました!」
「よしっ!!衛兵隊諸君!チュイルリー宮広場に向かうぞ。全員騎乗──っ!」
いかに武装したとはいえ民衆は組織化されていたわけではない。正面からぶつかっては軍
の統制のとれた銃器の前にかなうはずはなかった。ここにいる民衆をひきいているベルナー
ル・シャトレは、ドイツ人の騎兵連隊にチュイルリー宮広場を追われ多数の犠牲者をだしな
がら退却を強いられていた。もちろんベルナール・シャトレは兵法に関しては素人である。
目の前で多くの知人の最期を見て、すっかり戦意を失ったベルナール達の前に衛兵隊が現れ
た。
「はさみうちだ… 」
誰かがつぶやいた。後ろには騎兵連隊がいる。民衆はどちらに向けて銃をかまえたらよいの
かとうろたえた。
「待ちたまえ!!我々は諸君と戦う意志はない。」
オスカルは民衆に向かって叫んだ。
「どういうことだっ?」
誰かが叫び返した。
「もし… その気なら引き上げて来る君たちを、とっくに狙い撃ちしている。とにかく道を
あけて下さい」
オスカルは一歩前進した。民衆は衛兵隊のために左右に分かれた。チュイルリー広場の騎兵
連隊指揮官が、前進してくるオスカルに向かって言った。
「衛兵隊の諸君か?私は騎兵連隊指揮官ランベスクだ!名乗られよ、貴公の階級と称号は!」
「私はオスカル・フランソワ、しかし階級と称号はない!」
そう言ってオスカルは右手を上げた。衛兵隊はいっせいに銃を構えた。
「何を… ?」
ランベスクはうろたえた。
「兵を引いて下さい。ランベスク公、さもないと我々はあなた方に対し一斉射撃をします」
オスカルは構えをくずさずに言った。
「き… 君達は?… 」
「衛兵隊B中隊は今日限り全員除隊致しました。兵をお引き下さい」
「… ぜ… 全員、退却──っ!」
ランベスク公はオスカルの表情に揺るぎのない決心を見て叫んだ。
去って行く騎兵連隊を見ていたオスカルは、後ろから声をかけられた。
「ようこそ!オスカル・フランソワ」
ベルナール・シャトレだった。横には妻のロザリーもいる。
「オスカルさまっ!」
ロザリーがオスカルに抱きついた。
「いつかはこうなると思っていたよ、アンドレ」
ベルナールはアンドレに握手を求めた。民衆は衛兵隊が味方に付いた事で再び活気づいた。
50人とはいえ、れっきとした軍隊なのだ。
「今度はアルマン連隊だ!兵力、約500。こっちに向かって来るぞ──っ」
見張りが報告に帰ってきた。
「ベルナール、あなたがたはこの広場にバリケードを築いて下さい。バリケードがあれば武
器が少なくても軍隊と互角に戦える!私達は彼らをかく乱させます。その間に早くっ!」
「わかった。無事を祈る。オスカル・フランソワ!」
「元衛兵隊諸君、前進!」
パリでの暴動がベルサイユにいる近衛連隊長であるジェローデルの耳にも伝わったきた。
正午前には衛兵隊B中隊が民衆に寝返ったという情報も飛び込んで来た。直ちに連隊本部か
ら衛兵隊B中隊に対し討伐命令が下された。
“あなたはあくまで自分を貫いて生きてゆくのですね… でも… 死なないで、生きて再び
会える事を私は切望してやみません”ジェローデルは大きなため息をついた。
「連隊長、あの… 」
歯切れの悪い言葉と共に部下が司令官室に入ってきた。
「どうした?言葉遣いも軍規のうちだぞ」
ジェローデルはたしなめた。
「あの… この女がここまで… 」
と言って部下はこの前の女を連れて来た。
「な… なっ、な、なんでこの女が… ?」
ジェローデルの言葉遣いが乱れた。女は嬉しそうにジェローデルの方を見た。何があったの
かと他の部下も入って来た。昼の明るい光の中で豪華な金髪はますます輝き、その顔とのア
ンバランス度を増していた。
「どこかに連れて行きたまえ」
ジェローデルは眉間に手を当てて片手で追い払った。部下は女の腕をつかみ外に出そうとし
た時、女は一言ポソっとつぶやいた。低い声だがみんなに聞こえる声だった。
「早漏… 」
ジェローデルのあたまはドッピョ〜〜〜ン!となった。彼はこのままでは… と、思いとど
まった。
「あ… ちょっと待て!彼女に話がある。ここにとどめおくように」
それだけ言って彼は部下をさがらせた。
追い出された部下たちは“下の口と話をするのではないか”と、喋りながら持ち場に戻った。
それは当たっていた。ジェローデルは名誉挽回の為、必死で激しく戦っていた。そのころオ
スカルはチュイルリー宮広場にいるベルナール達から軍隊を引き離す為に必死で戦っていたの
であった。