革命を越えて(後編)
午後を過ぎると軍隊と民衆との戦闘は至る所で行われ、その激しさはますますエスカレ
ートしていった。そして連隊本部から出された元衛兵隊員たちへの討伐命令はすでに全連
隊へと行き渡っていた。オスカル率いるB中隊は少ない人数ながら、必死に戦った。軍隊
の懐に飛び込んでしまうと銃は使えない。オスカルは接近戦で挑んでいった。しかし、度
重なる戦闘のため、兵士も馬も疲れ切ってやがてひとり、またひとりと減り始めとうとう
その人数は、半数になってしまった。
「ひけ!ひけ──っ!」
オスカルはチュイルリー宮広場へ引き返し、ベルナール達と合流した。やがて夜になり降
り出した雨が死んで行った者の血を、洗い流していた。
バスティーユ、それはそれは高さ30 の城壁、幅25 のほりをめぐらせた堅固な獄
舎である。長い王制の歴史の中で自由を求める人々の口を封じ、その身を閉じ込めた悪評
高い象徴であった。
「 … 要点を言いましょう。我々は夜明けと共にバスティーユ牢獄へ向かい、これを
攻撃する」
ベルナールはみんなに向かって言った。
「なに… バスティーユを?」
アランがどうして、という顔で聞いた。
「今夜半に情報が入った。実は昨日バスティーユに大量の火薬と砲弾が運び込まれるのを
見たものがいる。そしてその後、この雨の中でバスティーユの大砲の向きが変えられたら
しい。いつもは外に向いている照準がパリ市内、我々に対して向けられた!」
「なんて事だ!国王は我々に戦争をしかける気なのか」
だれかが言った。
「そうとってもいい。今、各広場に集結している人々とも連絡をとっている。おそらく誰
もが同じ意見で一致するだろう。“バスティーユをおとせ”、と」
明け方が近付き雨は上がった。そしてフランス革命史上不滅の日、7月14日バスティ
ーユ攻撃の幕が上がろうとしていた。バスティーユ攻撃が歴史上名高いのはそれが体制側
と民衆との大きな戦いというだけでなく、それが民衆のはじめての意思統一による行為だ
ったからである。このフランス革命は、旧制度を批判する啓蒙思想を背景とした、商工業
者などの町人であるブルジョワ階級が、貧しい人々と共に戦った典型的な市民革命であっ
た。
「アンバリッド(廃兵院)で武器を奪うんだ!」
「銃を持ってバスティーユへ向かえ──っ!」
「アンバリッドへすすめ──っ!」
民衆はアンバリッドに向かって歩き始めた。狭く曲がりくねった道の奥の民家、薄暗い路
地や石の階段の陰、悪臭を放つ下水にかかる橋の下、ごみごみとした町のあちこちから人
が集まりはじめ、それがやがてはセーヌ川のような大きな流れとなり、一挙にアンバリッ
ドになだれ込んだ。武器を手にした民衆はバスティーユに向かって再び行進を始めた。
「誰か力を貸して欲しい!大砲を使って攻撃する!」
オスカル達元衛兵隊の人数ではとても運べそうになかった。
「よし!そんな事ならまかしとけっ!」
屈強な男達が大砲を取り囲み運び始めた。
「元衛兵隊諸君、先導をするんだっ!!」
オスカルは残っている兵士達に向かって叫んだ。オスカルも一門の大砲の前に行き、民衆
が巻き込まれないように先導を始めた。
「ド・ローネ公爵殿!大変です。民衆が後から後からこのバスティーユを目がけて押し寄
せております」
見張りの兵士がバスティーユを守るド・ローネ公爵の所へ駆け込んできた。
「心配いらん。たかが素人の集まりだ。こちらには軍隊も大砲もついている」
この時バスティーユ側はド・ローネ公爵以下、百余命の兵だけだったがその頑丈な城壁と
大砲の威力が何万という民衆をにらんでいた。
民衆はバスティーユの司令官に火薬の引き渡し、牢獄の明け渡しを要求した。しかし、
司令官は、これを拒否。午後一時、ついに宿命の戦闘は開始された。バスティーユ側は大
砲や銃をたくみに使い、民衆の犠牲者は増える一方だった。
「大砲は… 我々の大砲はまだか?」
降り注ぐ銃弾や砲弾に身をさらしながら、民衆は衛兵隊を待った。
「さ──ぁ! どけどけ──っ!」
民衆の人波が分かれ十二門の大砲が現れた。
「衛兵隊だ! 衛兵隊がきたぞっ!」
「フランス衛兵だっ!」
強い味方を得て民衆は喜びどよめいた。
「全員配置につけ──っ!! 砲撃準備!」
オスカルは命令を下した。一瞬静まった中にリンとした声が響いた。
「発射角45度!! 狙いは城壁上部!」
狙いが定まった。
「うて────っ!!」
砲弾が城壁に命中した。
「撃て──っ!」
オスカルは続けて号令をかけた。
バスティーユ牢獄の中でド・ローネ公爵は危機を感じた。あなどっていたはずの民衆がじ
大砲を撃ち、それが正確に当たっている。。
「閣下、衛兵隊です!討伐令が出ている衛兵隊が攻撃をかけております」
「何をしている。ひるむなっ!」
ド・ローネ公爵は次々に命中する砲弾にたじろぎながらそれでも負けじと叫んだ。
「誰でもいい、ワラを積んだ荷車に火をかけろっ!! 煙をタテにして、はね橋をおそう
のだっ! 衛兵隊諸君は砲撃を中断するなっ! 砲手を狙え!」
オスカルは叫んだ。衛兵隊は休みなく撃ち続けた。民衆の気勢が上がって行く。
「いいぞ!相手はひるんできた。このすきに大砲を前進させ、城門を吹っ飛ばせ!!」
「ド・ローネ閣下! このままでは我々は全滅です! 早く白旗を… 降伏して下さい!」
「ド・ローネ閣下、ご決断を!」
しかし、ド・ローネ公爵は攻撃を続行した。
「閣下! はね橋が… 民衆の手に… 」
「撃ちかたやめ──っ!! 民衆が中に入ったら援護射撃を開始しろっ!」
オスカルはなお、攻撃を緩める事なく続けたいる。彼女の姿はあたかも軍神のように雄々
しく美しく、民衆の目に焼き付いた。
バスティーユはついに彼等が足を踏み入れる事を許した。みな一斉に中になだれ込み、
ド・ローネ公爵の首を求めて牢獄の中をさまよった。
「閣下! 民衆がこちらに向かっています。白旗を!!」
部下は叫んだ。
「攻撃は続行だ!! 奴らの指揮官をねらえっ!」
ド・ローネ公爵は命令した。
「まだ撃ってくるとはしつこい奴らだ」
アランが撃ちかえしながらアンドレに向かって言った。こちらには火薬も銃弾もまだ残って
いる。しかし、昨日からの連日の戦闘で衛兵隊士の疲労は頂点に達していた。その時一発の銃
弾がオスカルの左腕をかすった。
「 うっ…… 」
オスカルが片膝をついた。もう一発、銃弾が足元ではじけた。
「あいつら、隊長を狙ってやがる!」
アラン達が一斉にそちらにねらいを定める前に、アンドレはオスカルに向かって走って行
った。
「オスカ──ル!!」
アンドレはオスカルの上に覆いかぶさった。アンドレの足に、肩に銃弾がつらぬいた。ア
ンドレの暖かい血がオスカルの髪を染めてゆく。
「大丈夫か… 、オスカル… 」
負傷してもなおアンドレはオスカルを気遣った。
「あ… アンドレ… 、アンドレ… ばか、私の事より… 」
オスカルの指揮が止まった。
「隊長を庇護するんだ!」
アランはすかさずオスカルの前に出て衛兵隊士に命令した。
「撃てっ!!」
バスティーユに残っている砲手や兵隊は次々に倒れて行った。彼等は中からも外からも攻
められて行き場を失っていった。
「アンドレ、しっかりしろ。アンドレ… 」
オスカルは名も知らぬ夫人が渡してくれた布でアンドレの足をきつく縛った。しかし、肩
の傷も深い。痛みの為に脂汗を浮かべている。
民衆の中からひときわ高い歓声が上がった! ド・ローネ公爵の首がヤリ先にかかげられ、
人々の前に現れたのだ!!
「隊長! バスティーユの上に白旗が… !!」
誰かが叫んだ。みな一斉に城壁の上を見上げた。
ついに陥落したバスティーユ牢獄に白旗が掲げられた。勝利を喜び合う民衆の声があちこ
ちに響いた。新しい歴史の1ページが開かれた、まばゆいばかりの瞬間だった。
アンドレは負傷した人々が集められた教会に運ばれた。バスティーユ攻略の立役者とも
いうべき衛兵隊の兵士であるアンドレには、ひとつのベッドが与えられ民衆の中から名乗
り出た医者が診察にあたっていた。
「先生、アンドレはどうなるのですか?」
オスカルは横についていながら何もできない自分が情けなかった。
「いや、幸い銃弾は貫通している。丈夫そうな男だから大丈夫だ。それよりあなたの方が
心配だ。顔色がよくない。どこか具合の悪い所でも?」
医者の言うとおりだった。オスカルは気力だけで持っている状態だったのだ。
「隊長さんよ、悪いこたぁいわねぇ。あんたも診てもらった方がいい」
アランが言った。単に寝不足だけとは言えない程、彼女は疲れているようだ。
「いや… 私は何ともない… 」
アンドレのベッドを支えに立ち上がろうとしたが、足に力が入らず倒れそうになった。ア
ランはすかさずオスカルを支えた。そしてそのままひょいと抱き上げ、隣の小部屋に連れ
て行こうとした。
「な… 何をする、アラン!」
「先生、隊長を診てやってくれ。ただし女だからここじゃいけねぇや」
強引な男である。周りからオスカルが女だったと知って、驚く声が上がった。ついさっき
まで屈強な兵士達を従えて、陣頭指揮をとっていた人物がまさか女性であったとはだれも
気がつかなかったのだ。それほど彼女の姿は勇敢で頼もしく民衆の目に写っていたのである。
「ジェローデル様、あたし嬉しい… こうやって… あなたと時を過ごす事ができて… 」
チカリーヌはほんとうに嬉しそうだ。長年恋い焦がれていたジェローデルと、電撃婚約に
までこぎつけたのだ。
“アリジゴクに捕らわれたあわれなアリちゃんみたいだ… ”
ジェローデルは崩れ落ちる砂の壁を昇りきる事を信じ必死でもがいている、けなげなアリ
に自分を見た。感違いで関係をもち、プライドの為に深い仲になり、あげくの果てに婚約
にまで持ち込まれてしまうとは… このチカリーヌという女、ただ者ではない! チカリ
ーヌの屋敷では彼女の両親が大喜びで迎えてくれた。近衛連隊長のジェローデル、といえ
ば知らぬ人のないほど有名人だったからだ。
“青春は終わった… ”
そんな、気持ちだった。
アンドレは目をさました。いったいいつからここにいたのだろうと、起き上がろうとし
た。しかし肩に鋭い痛みを感じ思わずうめいた。左の肩がうずく。周りには自分と同じよ
うにケガをした者が寝かされていた。多くの人々が動けぬ者の看病にあたっていた。ここ
はどうやら教会らしい。
「よっ、気がついたのか。心配させやがって」
アランが声をかけた。
「アラン、俺ちょっと隊長に知らせてくる」
横にいた兵士がアランに声をかけて走って行った。
「アラン… オスカルは… ? オスカルはどこにいるんだ?」
アンドレは聞いた。隊長に知らせてくる、と言った以上生きているんだろう。
「隊長なら隣の部屋だよ。ただし体調が悪いのでずっと横になっているがね」
「オスカルが… ?」
そういえばそうだった。バスティーユ攻略の前も… ずっと働きずめで、あまり休んでい
なかった。男である自分でもここのところかなりきつかった。
“俺がもっと気遣ってやるべきだったんだ。すべて俺のせいだ… ”
アンドレは激しく自分を責めた。それを見透かしたようにアランが言った。
「そう、すべてお前のせいだ、アンドレ。立てるか?」
アンドレが立ち上がろうとするのを、アランがささえた。
「あんたもわからん人だね──っ、全く!」
年配の婦人が、いや、おばちゃんと言った方がいいような婦人がオスカルに向かって何か
文句を言っている。
「しかし、いらないものはいらない、と言っているのだ!」
オスカルが言い返している。二人のやりとりが部屋の外まで聞こえてきた。
アンドレとアランは顔を見合わせた。
「オスカル」
声をかけてアンドレは部屋に入って行った。オスカルの横にいた婦人が入って来たアンド
レを見た。
「この人があんたの亭主かい? うちの亭主とえらい違いだねぇ。ハンサムでかっこよく
てさ。この人の為にもたくさん食べて元気な赤ちゃんを産まなくちゃねぇ」
オスカルの枕元には、少しも減っていない食事がおかれていた。アンドレの肩をポンとた
たいて婦人は出ていった。B
アンドレはあまりの痛みに飛び上がった。
無神経なおばさんである。
「もっと劇的に知らせてやろうと思ったんだが… まいったね、さっきのおばさんには…
、と、いう事だよ。アンドレ。じゃあな」
気を利かせてアランは出て行った。
アンドレは一瞬言葉が出なかった。まさか想像もしなかった事であったからだ。
「オスカル、気分悪いのか?」
自分の妻がつわりで苦しんでいるというのに、こんな言葉しかでないとは…
「うん… 」
オスカルはうつむいた。彼女もまたこんな場合どう言ったら良いのだろうと言葉が詰まっ
てしまったのだ。
「オスカル… 」
アンドレはベッドに腰をかけ、ケガをしていない右腕でオスカルを抱いた。アンドレの暖
かな心がオスカルに伝わってくる。二人は言葉より口づけで互いの鼓動を感じた。オスカ
ルの頬に涙が光っている。
「ちょっと、ちょっと──っ!」
そう言ってさっきのおばさんが、果物を抱えて飛び込んで来た。
「ちょっとあんたって衛兵隊の隊長さんだって? あたしゃ全然知らんかった。あんたに
果物を持ってってやるんだ、っていったらみんなが自分の食料も少ないのに分けてくれた
んだよ。あんたもたいした女だねぇ! あたしも亭主に向かって大砲ぶっぱなしてやりた
いよ。はっはっはっ、あ、なんだか取り混み中だったみたいだね。出て行くから続き、や
っとくれ」
入って来たときと同様すごい勢いで親切なおばさんは出て行った。
「元気のいい人だな… 」
オスカルは感心した。今まで出会ったことのないタイプだったからだ。
「お前もすぐにそうなるよ」
アンドレは笑いながら言った。
「どんな生活をしても絶対ああいうふうにはならないぞ!」
オスカルは心に誓った。彼女はまだまだ染まってないのである。
「さあ、そんな事よりこれ、せっかく持って来てくれたんだから… 」
アンドレは柑橘系の果物を片手でむこうとした。
「自分でむくよ」
オスカルは慣れない手つきで果物の皮をむいた。彼女は一粒をつまみ、アンドレの口に入
れた。
「ほら、私でもやろうと思えばできるのだ!」
オスカルはちょっと得意だった。
アンドレの傷は日を追う毎によくなっていった。杖がなくても歩けるようになり、肩も
ある程度動かす事ができた。オスカルの方は相変わらずだったが…
「アラン、君はこれからどうするんだ?」
アンドレは聞いた。革命に武力はつきものであるが四六時中必要なものではない。これか
らは武人ではなく、革命家が主役になってゆくのであろう。アランもそれはよくわかって
いた。
「とりあえずこの村で、妹と母親の墓を守ってゆくさ」
アランは小さな紙切れをアンドレに渡した。村の住所が書いてある。アンドレも紙に同じ
ように書き、アランに渡した。
「ここがジャルジェ家に引き取られる前に住んでいた所だ。ぜひよって来てほしいな。オ
スカルと共に大歓迎するよ」
アンドレは本心で言った。
「ああ、約束するよ。お前も顔を出してくれ。子供も一緒にな」
そう言ってアランは気持ちよく笑った。
7月14日に続く新しい革命の日々が始まった。新パリ市長に国民議会議長、ジャン・
シルヴァン・バイイが任命された。ついで武装して戦った者を正規の軍隊として編成し、
ここに全国的組織をもつ国民衛兵隊が誕生! しかしこれはまだ、一定の財産を持ったも
のしか入隊できないという、重大な欠陥を持っていた。同年8月4日、ベルサイユで開か
れた国民議会で僧侶、貴族代表は封建時代のさまざまな特権を捨てる事を決議したが、実
行されずやがて貧しい民衆の憎しみを増すだけの結果となった。
革命は、とどまるところを知らず、その歩みを進めてゆくのであった。ルイ十六世、マ
リー・アントワネットをはじめ多くの人々が革命という名の下にギロチンの露と消えたの
である。事実フランス革命により流された血の多くは、戦いの最中ではなくその後であっ
たと言ってもよいだろう。
その後フランスは一人の英雄、ナポレオン・ボナパルトの出現を待つことになるである…
終