フェルゼンの友情編 (前編)
ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン、これが私の名前だ。
私は自分を磨くため今まで色んな国を廻り、自分なりに研究を重ねてきた。
そして今、フランスの社交界で社交術を身につけようとパリの地に腰を据える
事にしたのである。
ここは仮面舞踏会の会場だ。身分の高い者、低い者、位の上下に関係なく若
い男女が集っている。この自由な雰囲気を満喫しながら私はこの町になじんで
いった。
今まで勉強ばかりだったので正直なところ最初はとまどいもしたがこの町はや
さしく、時には厳しく接してくれた。
そして今日、私は運命的な出会いをしたのである。
その女性はこの会場に初めてやって来た。透き通るような肌を桜色に染め、
優雅に踊っている。
もちろん仮面をしているのでどんな顔かはわからない。
しかし一目で美しいとわかる顔立ちなのだ。
「マドモアゼル、次は私と… 」
私は高鳴る胸を押さえながら彼女の手を取った。
しなやかな手、軽い足取り、一体何者なのだ?
この女性は… 私はどうしても仮面の下が見たくなった。
生真面目で堅く、融通がきかないとよく言われている。
しかし自分の信じた道は真っすぐに行く、そんな性格である。
だから今はとにかくその人の顔がみたい!
ルール違反と知りながら私は彼女の仮面を外したのであった。
“おお… 想像した以上の美しさ… なんという瞳、なんという唇、なん
という肌の色”
これほどの女性は今までお目にかかった事はなかった。
「失礼… マドモアゼル、ぜひ私にあなたの名前を… 」
私はあつかましいとは知りながら彼女に名前を聞いた。
するとどこからわいてきたのか知らないが、冷たい顔をした兵隊がやって来
た。
「若造、名前を名乗られい! 身分は? 地位は!」
その男の高飛車な態度に私はむっとなった。きゃしゃな体型だがかなりの腕
前なのだろう、スキがない。
「若造だと? 見ればおまえも若造と呼んだ方がいいような年だと思うが…
人に名前を尋ねる時はまず自分から名乗るのが礼儀というものだ」
私は少々皮肉っぽく言い返した。
「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ、近衛連隊長付きの大尉だ」
冷静な男だ、悪びれる様子もなくその男は答えた。
近衛兵だけあって整った顔立ちをしている。
美青年と言うより美少年に近い。
おそらくこの女性の護衛だろうが実に美しい。
さすがにフランスだけある。
「私はハンス・アクセル・フォン・フェルゼン、スウェーデン人だ。身分は
伯爵、まだ留学中なので帰国するまで地位はない」
「よし、フォン・フェルゼン、この女性と話がしたければベルサイユ宮に来
て正式に謁見を申しこまれるがよい!
フランス王太子妃殿下、マリー・アントワネット殿だ」
私はおおいに驚いた。どうしてそのように身分の高い女性がこのような場所
に… しかし、このオスカルという近衛兵、本当に堅い男だ。
頑固そうでどこか私と似ている気もする。
しかし私は何としてもこのアントワネットさまと話がしたい。よし、こうな
ればベルサイユ宮にのりこむしかない、物事を深く考えているようで結果的
に行動は単純なフェルゼンだった。
勝手にベルサイユを抜け出したアントワネットはさんざん小言を言われた
のだ。しかし王太子だけは優しくかばってくれる。そうなのだ、王太子はア
ントワネットの事を政略結婚ながら愛していた。しかしその愛は彼のおとな
しい性格、不器用な愛情表現により打ち消され、単純なアントワネットには
届く事はなかった。
「妃殿下、フェルゼンとか申す若いスウェーデン人が妃殿下に謁見をお許し
下されたいと申しておりますがいかが致しますか?」
女官長が告げた。
“あの方だ… ”
アントワネットは今まで味わった事のない甘いうずきを感じた。
「あ… では… 私の部屋に… 」
アントワネットの部屋の一つは謁見室になっている。
公的に人と会う為用意されている部屋だ。
フェルゼンが再会を試みたこの瞬間より、偉大な歴史的不倫は始まった。
北欧の美しく高貴な騎士と王妃の地位を約束されているベルサイユ一の貴婦
人の愛は二人自身にもそうとは気づかぬうちにふくらみ、やがてのめり込ん
でいくのであった。
控えめで無駄口をたたかず人間味にあふれたフェルゼンはベルサイユで行
われる数々の舞踏会に出席し、若い貴婦人だけでなく人妻までも魅了してい
った。
彼は何とか恥ずかしくないくらいの社交術を身に付ける為に必死だったので
ある。しかしそれはいらぬ心配というもので、どこに出席しても彼は実に堂
々としており自分が思っている以上に好感を持って見られていたのである。
フェルゼンのアントワネットに対する思いは日を追う事に高まっていった。
もともと誠実で、表現がストレートな彼は何とかその感情を抑えようと努力
した。
「いやぁ、そなたにはかなわぬな」
王太子はオスカルに向かって言った。今日はキツネ狩りの日であった。
いつも通りオスカルもその共をしている。
「まぐれでございます。しかし先程はもう少しでございました。次はきっと
しとめられる事でしょう」
みごとなキツネが並んでいる。みな毛並みがよく貴婦人たちが羨ましそうに
眺めている。フェルゼンはいつもアントワネットさまや王太子のそばについ
ているオスカルに軽い嫉妬を抱いているのに気づいた。おそらく立場上そこ
にいるのだとは思うが…
でも、もしアントワネットさまに対し失礼な感情を抱いているのなら自分は
かなわないのではないか? そんな思いがフェルゼンを悩ませた。
「フェルゼン、あなたも狩りを見に来ていたのか?」
突然オスカルに声をかけられてフェルゼンは驚いた。
彼に声をかけられたのはいつかの仮面舞踏会以来である。
「ああ、何でもフランスの事を知りたくてな。狩りのやり方も国とは違う」
フェルゼンは答えた。
「あなたは色んな国を廻り色んな知識を身につけておられるのだろう。私は
残念ながらこのフランスから出たことがない。一度外国の話を聞かせて欲し
い」
本当にそう思っているのだろう、曇りのないサファイヤ色の目をしている。
「オスカル、オスカール!」
一人の男が近づいて来た。長い黒髪をした上品な男だ。
こんな王宮の奥深くまで入って来ることができるとは、おそらく貴族でも上
流の方なのだろう。
おまけにオスカル、と呼び捨てにしている。いったい何者なのだろう?
「もっと話をしたかったがあいにく小用が入ってしまった。では又」
前とは違う印象を残してジャルジェ大尉は去って行った。
“ジャルジェ大尉”少し言いにくい… 彼は私の事をフェルゼンと呼んだ。
呼び名が定まらないとどうも親しく喋ることができないものだ。こんな事を
考えるのは私だけなのだろうか。よし、これから彼の事をオスカルと呼ぶ事
にしよう。少し身構えて喋ったため汗ばんだフェルゼンはポケットからハン
カチを取り出した。その時小さな包みが下に落ちた。
「フェルゼン伯、それは?」
王太子は偶然その中身を見た。それははるか遠い海の向こうの孤島で作られ
た鍵であった。
いつか王太子に渡そうと用意していた物である。
「これは東洋で作られた錠前にございます。
いつか殿下にお渡ししようと用意致しておりました」
フェルゼンは汚れをはらい王太子に渡した。
「おお、これはめずらしい… フェルゼン伯、ありがたくいただこう。そうだ、
フェルゼン。鍛治場にこぬか。今日はひとつ、完成したのだ。ぜひそなたに見
てもらいたい」
余程の自信作なのだろう、王太子は満面に笑みを浮かべている。
「これだこれだ」
彼はひとつの錠前を指さした。一見何の変哲もないが、カギの方にギザギザが
たくさんついている所を見ると、複雑な構造になっているのだろう。
手に取ってカギを差し込み出来具合を調べてみた。
どこも引っ掛かる事なくスムーズに開く。フェルゼンは感心してほめた。
今までの中で一番の出来かもしれない。錠前作りは決して単純な作業ではない。
かなりの神経を使う。その時の精神状態もかなり影響されるものなのだ。
「フェルゼン、王太子さまをお見かけしなかったか」
鍛治場から出て来たフェルゼンにオスカルが声をかけた。
さっきの上品な男も横にいる。彼はここの奥の部屋にいる事を告げた。
「私は王太子殿下に錠前を見せて頂いていたのだ。もうすぐ出てこられるだろ
う」
オスカルはほっとしたような顔をフェルゼンに見せ、礼を言った。
横についている男も丁寧に頭を下げた。
色でたとえるなら、黒か紺色のような男だなと、フェルゼンは思った。
ではオスカルなら白… という所だろうか?
いずれにせよこの二人は妙に一体感があって美しい。
フェルゼンは知らず知らずほほ笑んでいたのである。
“この男、つかみどころのない奴だな… ”
オスカルはそう思った。博識ではあるそうだがそれをひけらかす事なく、かと
いってバカにも見られない。なにより人見知りの激しい王太子殿下のお気に入
りでもあるし… オスカルはつい、まじまじとフェルゼンを見てしまった。北
欧の陽に透ける髪、生真面目そうな額、整った顔立ち、何か近衛隊の者にはな
い魅力がこの男にはあった。
フェルゼンはけげんそうな顔をした。オスカルはあわてて目をそらしたのであ
る。その様子に彼はオスカルの少年っぽさが感じられ更に親近感が増していった
のだった。
「王太子さま、アントワネットさまがお待ちでございます」
鍛治場から出て来た王太子に向かってオスカルは声をかけた。
「アントワネットが? そうか、すぐにまいる。しかしどうしたというのだろう」
アントワネットが自分を探す時は、何か願い事があるという事なのだ。
「はい。実はアントワネットさまが馬にお乗りになりたいと申されております」
オスカルは答えた。
「馬に? 別にかまわないのではないのか。お前もアンドレもついていてくれる
のだろう?」
「はい、それはもう… しかし、万が一ということもございますので… 」
「そうか、とりあえずアントワネットの所につれていってくれ」
そういって王太子は大きなくしゃみをした。
「大丈夫でございますか?」
オスカルは聞いた。
「たいしたことはない。風が冷たかっただけだ」
王太子はアントワネットに弱い。もちろん妻として深く愛している。しかし
その愛情表現が非常にへただった。こういう形で妻の我がままをゆるす事ぐら
い
なものだ。そう、今日はアントワネットが生まれて初めて馬に乗る日である。
乗馬のように本格的に乗るのではなくてただ単に、馬にまたがる程度にとどめたい
と思うオスカルであったが…
多くの貴族の見守る中、乗馬服に着替えたアントワネットが宮殿から出て来た。
暇をもてあましている貴族達にとってこういうイベントは、かっこうのエサなのだ。
「よし、アンドレ。引き綱をとれ!」
オスカルはアンドレに向かって言った。フェルゼンは王太子にアンドレの事を聞い
た。今まで彼は一体誰なのだろうと思っていたが、この時初めて彼がオスカルの従
僕だという事を知った。この… 身分がはっきりと別れていて格式の高いフランス
においてアンドレのような人物はどう考えても不思議だった。ジャルジェ将軍家が
いかに王室に信頼されているのかを、改めて認識したフェルゼンであった。
「たずなは下の方でお持ち下さい。止まる時はこれを引けばよいのです。それから
絶対に脇腹をけってはなりません」
アンドレは丁寧に説明をした。
「ありがとう、アンドレ」
アントワネットはアンドレに礼を言った。
“なんという事だ、アントワネットさまが平民に向かって礼をいうなんて…
フランスとは奥の深い国なのか? それとも私が田舎者なのか? いずれにせよお
心の広いアントワネットさまだ… ”
馬上のアントワネットは実に美しかった。朝の輝く光の中に華やかな顔がまぶし
く、これが私の妻なのだと心底王太子は誇らしく思っていたのである。
「オスカル、アンドレ、横についていて下さいね」
アントワネットは嬉しそうにたずなを握っている。王太子はアントワネットの喜ん
でいる顔をもっと間近で見ようと近付いていった。
「はっくしゅん!」
王太子はいきなり大きなくしゃみを放った。
ブルルルルッ!
馬が驚いて前足を大きく上げた。同時にアントワネットの叫び声が聞こえ、馬はア
ンドレにぶつかってから駆け出した。彼はあわててたずなをつかんだが馬を止めら
れない。
「アントワネットさまっ!!」
オスカルは一瞬の間もおかず、自分の馬に飛び乗りその後を追った。アンドレがた
ずなをにぎったまま引きずられている。彼は少しでも馬の速度を落とそうと必死で
あった。しかし、それにも限度がある。
「アンドレ! たずなをはなせっ! 死んでしまうぞ」
オスカルは叫んだ。しかし聞き入れるアンドレではない。彼の責任強さはオスカル
の命令を無視することによって実証されたのだ。
「オスカル… ああっ! オスカルーッ!」
アントワネットは恐怖のあまり馬の上で叫んでいた。しかし馬はその声に再び奮い
立ちその速度を上げてゆく。
「あっ… 」
アンドレの握っていたたずなが切れて、彼はおもいっきり遠くに弾き飛ばされた。
荷がかからなくなった馬はさらに速度を上げつつある。が、少し先はもう道はない。
“まずい… 確か低い崖になっていたはず… ”
と、その時アントワネットの馬は速度を落とし始めた。
スタートダッシュがきいたのか息があがってきたらしい。オスカルは一気に距離を
縮めたのだった。
「オスカル… 」
アントワネットは間近に迫ったオスカルの顔をみてほっとした。彼女なら何とかし
てくれる…
「アントワネットさま、目を… 目をおとじ下さいっ!」オスカルはいきなり自分
の馬を蹴り、アントワネットに向かって大きくジャンプし、彼女を抱えた。アント
ワネットはふわっとした感触と共に気を失った。
「!!」
鋭い痛みがオスカルを襲ったが彼女は決して気を失うような事はなかったのだ。
「アントワネットさま、アントワネットさま!」
オスカルは気を失ってはいるものの、ほぼ無傷の妃殿下を確認し、ほっと胸をなで
おろした。左腕に血がにじんでいる。背中も激しく痛む。妃殿下の体重が胸にかかっ
たために頭から落ちずにすんだようだ。
「オスカル、大丈夫か?」
フェルゼンだ。近衛兵と共に彼も駆けつけて来た。
「アントワネットさまはご無事だ。気を失っておられるが軽いすりきずだけだ」
オスカルは不敵にもほほ笑んだ。
“何という勇敢な奴なのだ… 見かけよりもずっと強い”フェルゼンはオスカルに
対する見方をさらに改めたのである。
続く