ベルサイユのばら
フェルゼンの友情編 (後編)
国王陛下の前でアンドレはうなだれていた。アントワネットのたずなを握って
いたアンドレに全責任が集中した。
やはり彼は平民であったのだ。近衛兵は内心ほっとしていた。
本来なら自分達に責任がいくものをアンドレがいたおかげで難を逃れられたのだ。
オスカルの部下のジェローデルは彼をあまり快く思っていなかったので気の毒に
は思ったものの仕方がないこととあきらめていたのである。
「アンドレ、この不祥事を引き起こした責任の大きさは、覚悟しておるであろうな!
王太子妃にケガをおわせた、偶発事とはいえ死刑はまぬがれないぞ!」
アンドレは言葉もなくただうなだれていた。
腕や両手の指からの出血の跡が痛々しい。
彼は両脇に剣を突きつけられて連れて行かれようとしていた。
「お待ち下さいっ!」
国王陛下の前にオスカルが駆け寄った。
アントワネットを近衛兵に渡すと共に彼女もまた、気を失っていたのだ。
しかしアンドレが陛下の前に引きずり出されたと知ると周りの者が止めるのも聞かず、
飛んで来たのであった。
「国王陛下… お待ちを… 王太子殿下、メルシー伯、そしてほかの方々も見ておら
れたはずだ! 妃殿下のおそばについていたとはいえ、アンドレに罪はない。もしも…
もしもどうしてもアンドレをおとがめになると言うのなら、ジャルジェ家の名におい
て正式の裁判を要求致します! さもなくばアンドレの責任は主人である私の責任… 」
オスカルは自分の剣と短銃を前に置いた。
抵抗する意志のない事を陛下に示したのだ。
彼女の精一杯の免訴の形であった。
「オスカル… 」
アンドレは激しく感動した。オスカルが自分の為に命を投げ出すという…
たとえ主人の責任感からだとしても自分をかばってくれたオスカルが嬉しかった。
「わ… 私も…、アンドレには罪はありません。お願いでございます、陛下!」
フェルゼンもオスカルの横に並んだ。王太子は目の前が真っ暗になった。
もともとは自分のくしゃみが引き起こした事故なのだ。
気の弱い彼が気にしない訳がないのである。
「私も正義の為に死ねるぞ、オスカル」
フェルゼンはオスカルに耳打ちした。
「フェルゼン?!」
オスカルは驚いた。
“何という男なのだ、この男は… ”
「フェルゼン、お前までが死ぬことは… 」
オスカルが止めにかかろうとした時に、アントワネットが陛下の前にやってきた。
けがらしいけがもなく健康的な足取りで、顔だけがこわばっていた。
「陛下! ああっ! どうか、誰にもおとがめのないように悪いのはアントワネット
でございます。この私のわがままから… 私の為に誰も処刑されることのないように…
お願いでございます、陛下… 」
アントワネットは取り乱し、陛下のマントを握り締めて激しくしゃくり上げた。
ルイ十五世は、もちろんアンドレに罪は無い事を充分知っていた。
しかしものにはけじめというのがある。
自分亡き後、このアントワネットはフランスの王妃になるのだ。誰かをみせしめにし
ないと… と、思いアンドレをあえて選んだのだがオスカルだけでなくフェルゼンや
アントワネットまでもが乗り出してくるとは思いもしなかった。
フェルゼンみたいな留学してきている外国の貴族に対する見栄もあったのだが…
「 … よかろう。王太子妃がそれ程言うのなら… 今回の事だけは一切とがめなし
ということにしよう。アンドレ、そなたはよい主人をもったな」
結局彼はアントワネットの顔をたてた。
彼女の言葉の重みを諸公に見せ、今後のためにと思っての事だった。
「陛下… この温情、私は生涯わすれません… 」
アンドレは陛下に向かって何度も頭を下げた。
“オスカル、おれはいつか… お前の為に命をすてよう…お前が今日この俺の為に命
をかけてくれたように… いつかお前の為に、アンドレはこの命をかけるぞ… ”
「フェルゼン、心から感謝する。この恩は決してわすれないぞ… 」
オスカルは立っているのが辛くなりよろけたのである。
「オスカル! しっかりしろ!」
フェルゼンがとっさにささえた。
アンドレも駆け寄ったが、彼にはオスカルを支えるだけの力は残されていなかった。
ジェローデルはアンドレの横を抜けてオスカルの腕をとった。
「しっかりして下さい!」
ジェローデルはフェルゼンをチラリと見ながら声をかけた。
オスカルに気のあるジェローデルにとってフェルゼンは邪魔者なのだ。
平民のアンドレはいいとしても、独身で外国の伯爵となると穏やかではない。
「軽い男だから私だけで大丈夫だ」
しかしジェローデルは彼に向かって言ったフェルゼンの言葉を聞いて、ふっと表情を
和らげたのだ。
「フェルゼン伯、こちらでございます」
ジェローデルは自分もオスカルを支えつつ宮殿に控えているジャルジェ家お抱えの医
師のもとに案内した。
腕の傷はもちろんだが、その日から襲って来た打撲の痛みのためオスカルは床に就
いてしまったのだった。
アンドレは両手に包帯を巻かれながらも自分は彼女の手前、床に就くことを拒んでいた。
一方、フェルゼンはこのフランスで得た新しい友人の為に、時間を見つけては見舞いに
来ていた。
もちろんアンドレも身分は違うものの打ち解け、友情が芽生えていた。
しばらく宮殿を留守にしているオスカルの為に見舞いの品々がベッドの周りに山のよ
うに積まれ、彼女の人気、ジャルジェ家の威光を表していた。
中には真っ赤なバラの花束もあり、奇麗なカードに愛の言葉が書き連ねているものまで
あった。
“そうなのか… フランスでは男同士、堂々とふるまえるのか… ”
フェルゼンは感心した。
なんと自由な国なのだと…
でもそれは違うぞ!フェルゼン…
「ばあや、湿布はもういい、随分痛みも引いてきたので外しておくよ」
オスカルはまだ青紫にはれている背中を鏡で見ながら言った。
激しい痛みは去ったのでかえって何もしないほうが気持ちよさそうだ。
左腕の傷も医師の腕のせいか膿む事なくふさがって来ている。
オスカルは久々に起き上がった。
「この分だと来週あたり宮殿に出られそうだ」
体を拭いてくれているばあやにオスカルは言った。
「まだはようございます。こんなにはれているのに…軍服なんて着られるわけないで
しょ! 全くお嬢様は強気なので困ってしまいます!」
ばあやは新しいシーツを取り出した。しゃべりながらでも次々と的確に仕事をこなし
ていく… 彼女こそジャルジェ家における、縁の下の力持ちであった。
オスカルは横に置いてあった洗濯を終えたばかりの寝具を着た。
ストンとしたデザインなので腰のあたりがふわふわしている。
彼女はサッシュをしようとしたがやはり背中にひびいて思わずうっ、と声を出した。
「言った通りでしょう。まだ軍服なんてとんでもない! 後しばらくじっとしていて
下さいまし」
ばあやはオスカルの世話をするのが楽しかった。
赤ちゃんの時からずっと彼女と共にいきてきたのであったから…
ある意味では孫のアンドレとは違う愛情を、彼女に感じているのであった。
「ばあや、一度下におりてくるよ。なんだか足に力が入らないのだ」
「はいはい、ご無理なさらないように」
ばあやの言葉を背にオスカルは部屋を出た。
庭に出るとアンドレがハトにエサをやっていた。
別にかっている訳じゃ無いが時々こうしているうちにハトのほうがなついてしまった
のだ。
人の気配に振り返ったアンドレはオスカルの姿を見つけた。
彼は彼女に向かってかけて行った。
「オスカル、起きてもいいのか? おばあちゃんが随分ひどいと言っていたぞ」
アンドレは心配した。
「ばあやは心配性だからな、私は大丈夫だ。そろそろ外に出ないと体がなまってしま
うからな」
しかし、彼女の顔はまだ青白かった。
こうして寝具を着ていると誰から見ても女性にしか見えない。
アンドレは彼女から視線を外した。
「お前こそ大丈夫なのか? 随分引きずられていたじゃないか」
オスカルは彼のあごや指に残るまだ新しい傷痕を見ながら言った。
「俺のことなら心配いらないよ、これでも俺は男なんだからな」
そういって笑っているアンドレの胸をオスカルはドンと、たたいた。
「痛たたっ! 何をするんだ!」
アンドレは胸をおさえた。
「はっはっ… 何が心配いらない、だ。すぐにボロのでる強がりはよすんだな」
オスカルは笑った。久しぶりに笑ったような気がする。
「全くお前は人が悪い… 」
ブヅブツ言っているアンドレをしりめにオスカルは屋敷の方に向かって歩き始めた。
アンドレもその後を追った。なんだかんだ言いながらもオスカルにくっついていた
いアンドレであった。
玄関のほうに廻るとフェルゼンが立っていた。
彼はこうやってまめに見舞いに来てくれる。
オスカルは彼の正義感、博識ではあるが控えめな言動に好意を抱いていた。
「フェルゼン、いつも来てくれて済まなく思っている。どうぞ中に入ってくれ」
オスカルは声をかけた。
「 ? … っ!! 」
フェルゼンはその時初めてオスカルが女性であることを知ったのだ。
決してオスカルの手前、口には出さなかったがその驚きは並々ならぬものがあった。
うかつにも自分は全く気づきもしなかったのだ。
それにしてもなんとだらしない男達だ、オスカルをこんな目にあわせるなんて。
フェルゼンの頭にきらびやかな近衛兵の姿が浮かんで消えた。
それにしても… フランスという国は驚くことばかりだ…
なにより女性の身でありながら危険を返り見ず示した勇敢な行動、手合わせしたこ
とはないものの伝え聞いた剣の腕前、フェルゼンは深い感動におそわれたのである。
オスカルの回復を祝ってその日の夕食は豪華なものになった。
フェルゼンは暖かく迎えてくれるジャルジェ将軍に感謝し、いつになく饒舌になった。
彼の知識は将軍を大いに満足させるだけのものをもっていた。
この時だけはおだやかな時間が流れ、やがてくる時代の節目は全く感じられないよう
だった。
その春の4月、王家の不幸がおこった。狩猟中の国王ルイ十六世が、突然原因不明
の頭痛と高熱で倒れ、昏睡状態のままベルサイユ宮殿に運び込まれて来た。
十数名からなる宮廷医師団の必死の治療もむなしく同、5月10日の夕刻前ついにル
イ十六世は天然痘の為に逝去した。
王太子は新国王、ルイ十六世となった。ときにルイ十六世19才、美貌の王妃、
マリー・アントワネットは18才であった…
そしてドラマは続いて行くのであった。
終
後書き
これはアントワネットとフェルゼンの出会いを描いたものです。
深く考えず、お気軽に読んで下さい。