ベルサイユのばら

レオナール編(前編)




 オスカルの今日の勤務はアントワネットの新しいドレスのお披露目会に出席することで
あった。もちろんアンドレは部屋の中には入れない。
したがって彼は従僕部屋で一日を過ごすことになる。
 アントワネットの私室の一つに続々と王宮貴族のご婦人方が集まって来ている。
その横についている控えの間でアントワネットは専属の髪結い、レオナールに自慢の髪を預
けていた。
彼はまさにロココのフィガロであり、彼の手によって数々の傑作が生まれ、上流社会に流行
していったのである。

「王妃様、今日はこのような形にまとめてみたいと思っております」

レオナールは一枚のデザイン画を取り出した。
そこには真珠とストライプのリボンで上品にまとめ上げられたイラストが書いてあった。
淡い空色の目に灰色がかった金髪のアントワネットには上品な真珠がよく似合う。

「まあ… いつもながらあなたのデザインには感心してしまいましてよ」

アントワネットはほっとため息をついた。
これから取り掛かるヘア・スタイルにアントワネットはうっとりとしている。
オスカルもまた、ほっとため息をついた。
彼女はくだらない二人の会話に疲れてしまっていたのである。

「仕上げはこのダチョウの羽でいかがでしょう? これはたいへん手に入りにくく王妃様
ならではでございますよ」

レオナールの弟子は王妃の方に鏡を向けた。
おそらくダチョウの羽はこれから流行してくるであろう。
いっときはやっていた塔のような頭は影をひそめこれからはダチョウの時代になるだろう。
レオナールは慣れた手つきで手早く仕上げて行く。
さすがに毎日パリから通って来るだけ合ってアントワネットの髪の扱いに慣れている。
その手つきにはオスカルも感心した。
クシと洗い粉と香油によってアントワネットの髪は見事に変身してゆくのである。

“すきがない… ”

レオナールはオスカルが自分の方を向いているのに気が付いてにっこりほほ笑んだ。
愛想のよい男である。
しかしオスカルは知らん顔をした。
そう、オスカルはこんなタイプの男に対しては愛想が悪いのだ。



 アントワネットの部屋に集まった貴婦人たちは、お菓子とお茶と世間話で王妃の登場を
待っていた。彼女たちは待つことに飽きもせずおしゃべりを楽しんでいた。
そうやって一日、また一日を過ごしてゆく女達。
オスカルは自分がそんな女達と同じ女であるということに一種の幻滅を感じていた。
決して女を否定しているのではないが同じ気持ちになれはしない。





 オスカルはアンドレに向かって今日の事を愚痴っていた。

「… で、その後はベルタン嬢のドレスを選ぶんだ。ヘア・スタイルに合わせてな。全く
どうしてそんなことが楽しいんだろう?」

アンドレはそんなオスカルを見てくすっと笑った。

「何だアンドレ。何がおかしいのだ?」

オスカルはむきになった。

「いや、お前のそのときの顔が目に浮かぶようだ。しかし普通の女性はそんなものかもし
れないぞ。貴婦人たちにとってそれが仕事なのかも知れないしな」

アンドレは何とか王妃にとりいって自分の夫の地位を上げてもらおうとしている女達の気
持ちもわかる。オスカルの持つ女性観とアンドレの持つそれとは少し違っているのだ。

“オスカル、お前は恵まれているのだ。ねだらなくても上がって行く階級、入ってくる地
位… 俺はお前とますます距離が開いて行くのだな。そんなお前に宮廷の女達のきもちな
んて分かりはしまい。もちろん俺の気持ちも… ”

「何をしている? アンドレ、帰るぞ!」

オスカルはアンドレをせきたてた。この長身で聡明な女神は常に彼の心をくすぐっていた。
大股に歩いても厳しい口調でしゃべっていても彼女の女らしさが感じられる。
同じ屋根の下に暮らしていても、自分は一生この女神に愛を告白できないかもしれない。






 二人の馬車を追い越して、アントワネット御用達の裁縫師、ベルタン嬢が馬車を連ねてパ
リに帰って行った。
ベルタン嬢は再下層社会出身の装身具屋で、店はサン・トレノ街にあった。
王妃御指定御用商人の看板は、周りの装身具屋を寄せ付けないほどの威圧感があった。

「まるで一個連隊の隊長だな。ベルタン嬢は」

アンドレは感嘆するように行った。

「本当だ。彼女は裁縫師や刺繍師の隊長なのかもしれないな」

オスカルはアンドレの表現がおかしくて後を続けて答えた。

「しかし王妃様はご存じなのだろうか? 王妃様の使われているのはフランス国民の税金な
のだ、ということを… 」

アンドレは何げなく言ったのだろうがこれはオスカルが最も感じていたことなのだ
。盲目的にアントワネットについて行こうとは思わないが自分に無いものを持っている彼女
にひかれているオスカルであった。 





 今夜はヴォードル侯爵家で舞踏会が開かれている。
いつもは舞踏会には出席しないことにしているオスカルではあるが、侯爵夫人が母親の友人
であり、ベルサイユで評判のオスカルをぜひ出席させてくれるよう夫人から頼まれていたの
である。

「ヴォードル侯爵夫人、お招きありがとうございます」

オスカルは心にもないあいさつをした。しかしそんなオスカルの気持ちを知らない侯爵婦人
は彼女を大歓迎した。
いや、彼女だけでなくアンドレまでもが歓迎され、平民であるとは思えないようなもてなし
を受けた。
だいたい貴族の舞踏会の会場にアンドレが顔を出すということ事態不自然なことなのだが彼
の場合は特別であった。
華やかなオスカルが光とすればアンドレはまさに影であり、二人は常に一緒であった。
確かに従僕とは主人に付き添うものなのであるが、彼の場合ただの従僕とは違っていた。
人目を引く整った顔立ち、オスカルと並んでも不自然でない上背、神秘的な漆黒の長髪は、
彼の地味ではあるが決して貧相ではないコーディネートによくマッチしていたのである。
しかし今夜の舞踏会のスペシャルゲストはオスカルだけではなかった。
今、宮廷で人気を上げているが、オスカル同様舞踏会にはめったに出席しないので有名な
ジェローデル大尉もなぜかやって来たのである。
彼は女嫌いでとおっているが決して男色では無かった。

「隊長、どうしてこの舞踏会に?」

心ひそかにオスカルに好意を寄せているジェローデルは、彼女が舞踏会に出席することを
知っていた。
自分の母親もまたヴォードル侯爵婦人の友人であり、オスカルが出席することを自慢され
たと言ったのを聞いていたからだ。

「お前こそどうしてここに? 確か、舞踏会は嫌いだとか言っていたのではないのか」
「いえ、今夜は特別でございます。私の母がヴォードル侯爵婦人の友人であるのでぜひに
と頼まれまして… 」

ジェローデルは待ってましたとばかりに用意しておいた答えを言った。

「なんだ、それでは私と同じではないか。女嫌いで有名なお前が出席なんぞするので見て
みろ、貴婦人方が騒いでるぞ」

オスカルは笑いながら言った。
彼女はこんなところでジェローデルに会うとは思ってもいなかったのであった。

「隊長、誤解のないように申しておきますが私は決して女嫌いではありません」

ジェローデルは弁解した。
男が好きなのだと誤解されては困るからだ。
真面目な隊長の事だひょっとしたらそう思われているかもしれない。

「では好きなのか?」

オスカルは本気で間の抜けた質問をしたのであるがジェローデルは冗談と受け取り笑いな
がら答えた。

「もちろんでございます」

オスカルは少し顔を赤らめた。
この男はひょっとするとものすごくエッチなのかもしれない…
彼女はあんな事やこんなモノを想像した。
ああっ、いけない。男はみなこのような生き物なのであろうか…

「オスカル、飲み物を持って来たぞ」

アンドレが二人にワインを持って来た。

「ありがとう、お前もどうだ?」

オスカルはジェローデルにすすめた。
ジェローデルはオスカルがアンドレに礼を言っているのを聞いて驚いた。
普通なら従僕に対しそんな態度は取るまい。
やはりあのうわさは本当だったのか? 
アンドレが実は大貴族の私生児であり、ジャルジェ将軍の好意によって従僕として預けら
れているという… 
いやいや、実はジャルジェ将軍の隠し子であるといううわさの方が本当なのであろうか?
 

オスカルはジェローデルがアンドレを見つめているのに気が付いた。
かなりしつこく凝視している。
心なしかその目は熱く燃えているような気がする。
彼女は思わず目をそらした。
女が好きと言ってごまかしているのかもしれない… 

“そうだったのか… ジェローデル。お前… ”

オスカルはなんだか自分がジェローデルの邪魔をしているような気がして来た。
アンドレには悪いが二人が並んでいると絵になる。
華やかなジェローデルに控えめなアンドレ。
しかし二人とも甲乙つけがたい程の美男子だ。
ジェローデルもアンドレ同様背が高い。
周りの貴婦人達は当然のことながら二人を見比べていた。
真っ白の上着に金色の刺繍、淡いグリーンの薄物のシャツはジェローデルのくるみ色の流
れる髪によく似合っていた。
いっぽうアンドレはシンプルなグレイの上着に真っ白なシャツ、ワンポイントである胸元
の宝石はトパーズで、これも彼の黒髪によく似合っていた。




 メヌエットが流れ始めた。
注目の三人は滑るように踊りだした。
オスカルは常に男役に徹している。
もちろん一番人気は彼女であるが他の二人も捨て難い。
貴婦人達は本当に今夜の舞踏会に満足していたのである。
まさによりどりみどりなのであるから…




 ヴォードル侯爵家の木陰で怪しい影が動いた。
こそ泥である。三人組のようだ。

「ネリー、お前は裏口にまわれ。俺とヂチャーチンは二階の窓から忍び込む。みんな舞踏会に
気をとられているから気づかれまい」
「キム、お前も気をつけろ」

彼らはオーストリアの敵、フリードリヒ大王の手下の子飼いの部下の下っ端であった。
フリードリヒ大王はアントワネットがフランス王妃になった瞬間危機を感じたのであった。
オーストリアとフランスが母子で結託すれば、このヨーロッパはどうなることなのであろうか、
と心配したのであった。
彼はプロイセン大使に彼女の政界においての行動に注目するよう申し付けたのであるがアント
ワネットは全然その才能も気力も無いようであった。
したがってお払い箱となったこの三人組は食うに困ってこのような行動に出たのである。
東洋のどこかの国では忍者と呼ばれるような事も彼らには可能であった。
それほど身が軽かったのである。



                                     終
         

                                     

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