ベルサイユのばら
レオナール編(後編)
次から次へとダンスの相手をさせられてオスカルは随分疲れていた。
今日は朝から忙しくて休む時間も無かったのだ。
「アンドレ悪いけど私は少し抜けるぞ」
オスカルは裏の方についているバルコニーへ歩いて行った。
さすがにここは人の気配は無い。
彼女はてすりに体を預け胸元を少し開いた。
よるの冷たい空気が心地よい。
しかしほっとしたのもつかの間であった。
屋根の上に怪しい影が走ったのだ。
“くせものっ!”
オスカルは短銃を構えた。しかし屋根だけではない。
バルコニーへ近づいてくる小さな足音が聞こえたのだ。
“二人か?”
彼女は柱の陰に隠れた。どうやら小柄な男のようだ。
男は壁をするようにして歩いてくる。
オスカルの存在に全く気が付いていないらしい。
オスカルは男の背中に短銃を押し付けた。
「お前は何者だ?」
突然のことに男は驚きの声を上げた。
屋根にいた仲間たちはその声に気が付き下に飛び降りた。
軽い身のこなしだ。
「ネリー、大丈夫か?」
しかし、彼はオスカルに短銃を突き付けられているのでうっかり返事はできない。
一方オスカルも3対1ではかなり不利だ。男たちはオスカルに迫って来た。
彼女は左手で剣を抜き右手に持ち替えた。剣を持てば何とかなる。
短銃の気配が消えたのでネリーと呼ばれた男は振り向いた。
一目で位の高いことが分かる軍人が剣を構えている。
すきがない、かなり強そうだ。しかし男たちは短剣を抜いて飛びかかって来た。
裏の方に何かの気配を感じたアンドレは舞踏会を抜け出してかけていった。
オスカルの事に関しては特別の勘が働くのだ。
ジェローデルはアンドレが抜け出したのを見てひょっとしたらと思い後を追った。
そういえば隊長の姿が見えない。
何かがあっては大変だ。
オスカルは男たちを相手に戦っていた。
一人は腕を切られたのか床にうずくまって腕に手をあてている。
オスカルは余裕であった。
命を奪おうとはせず、ケガもなるべく最小限におさえようとして戦っているようだ。
「オスカル!」
「隊長!」
その声に振り向いたオスカルの前から、男たちは逃げ出した。
「しまった!」
アンドレとジェローデルはあわてて男たちを追った。
かなり素早い。
しかし二人は庭の方に逃げるのではなく舞踏会の会場に向かって逃げて行ったのだ。
「いかん、けが人が出たら大変だ」
ジェローデルはさらにスピードをあげて走った。
すると前を走っていた男は胸元から果物の皮を取り出して来てジェローデルに向かって
投げた。
舞踏会の会場はピカピカに磨かれている。
貴婦人達の見ている中でジェローデルは不覚にも足を取られてしまい滑ってしまった。
しかし彼は視線を気にする男である。
滑りながらもググッと半身を起こし片足を上げてバランスを取った。
貴婦人達はその器用さに感嘆して拍手を送った。
ジェローデルは得意であった。
“受けている… ”
その雰囲気はジェローデルの最も好むものであった。
彼はいい気になって上げた片足をさらに上げて後頭部につけたまま思いっきり回転した。
ビールマンスピンだ!
その華麗な技にみんなが見とれてしまった。
“ばかな事を… ”
オスカルは腹を立てながらアンドレと二人で追っていった。
しかしアンドレはその技に嫉妬した。
“どこまでも派手な男だ… ”
ジェローデルがアンドレを意識するのと同様、アンドレも又ジェローデルを意識していた
のである。
それに一瞬でもオスカルがジェローデルに見とれていたというのが気に食わない。
二人は盗賊を追い詰めた。
遅れて来たジェローデルも加勢する。
もう盗賊に逃げ場は無かった。が、この二人はただの盗賊ではなかったのだ。
貴婦人達がキヤーキヤーと奇声を発する会場の二階の窓を開け放ち、一人が外に飛んだ!
クルリと二回転し、体をピンと伸ばしきれいに着地を決めた。
伸身二回宙返りだ。
続いて二人目も飛んだ。
彼はひねりを加え、伸身ムーンサルトで着地だ。
華麗なる技である。
貴婦人達は目の前に広がる光景を夢のように感じていた。
オスカルやジェローデル、アンドレ…
それに華麗なる盗賊の技、これは決して夢の世界の出来事ではないのだ。
一人目が飛び降りようとしたとたんに階段を駆け降りたオスカルは窓の下に向かった。
しかしジェローデルとアンドレは違う。
二階の窓の横で前の二人よりも華麗に飛び降りなければと思い、悩んでいた。
だから着地を決めた二人を次々に引っ捕まえたオスカルの姿を見つけることができなかったのだ。
意を決してジェローデルが飛んだ。
みんなが見つめている。
当然隊長も見てくれているだ<ろう。
彼は瞬時にして考えた。
一人目が伸身二回宙、二人目が伸身ムーンサルト、とすれば並の技では貴婦人達は満足してはく
れまい。
幸い窓の横にはよい枝が伸びている。
しなりも良さそうだ。ジェローデルは枝に向かって飛びついた。
彼はその枝で大車輪を始めた。
そして片手車輪、くるみ色の髪がきれいになびいている。
観客は思わずうっとりと見とれた。
かれはミスの無い演技で着地した。
オオオーッ!!
ものすごい歓声が鳴り響いている
。拍手の渦の中でジェローデルは得意だった。
オスカルはすっかり腹を立て彼の演技を見ていた。
気の毒なのは盗賊たちで、彼女の怒りのために逆エビ固めに縛られてしまい、身動きが取れない
でいたのだ。
忘れ去られた一人目は裏のバルコニーで出血多量で転がっており、瀕死の状態である。
“だっ… 誰か止血を… ”
彼の声は誰にも届かなかった。
脇役は常にこういう扱いなのだ。
さて、ここまでジェローデルにやられてしまってはアンドレとしての男が立たぬ。
彼は燃えた。
下にはオスカルがいる。
手を振って何か言っている。
よし、俺は男だ。
オスカル、俺は決してジェローデルには負けないっ!!
「アンドレッ! さっさと降りて来い!」
オスカルの叫びもアンドレには届かないらしい。
彼女はあきらめた。
しかしあいつ、あんな所から飛び降りられるのであろうか?
オスカルは心配した。
だいたい剣の腕前も自分より劣っている。
銃もたいしたことはない。
何が得意なのかよく分からないような平凡に見える男なのだ。
無理をして大ケガをさせたらばあやに申し訳がたたない。
オスカルはそれだけにアンドレが心配だった。
下で眺めているジェローデルは不敵に笑っている。
たかが従僕に何ができる、アンドレにはそういう顔に受け取れた。
実際にもそのとおりであり、悔しかったらまねをして見るがよいと思っていたジェローデル
なのだ。
“オスカル、見ていてくれ!”
アンドレは飛んだ。
緊張している。
突然の風に枝が揺れた。
“あぶないっ!”
オスカルの体は電流が流れたかのように硬直した。
しかしアンドレはぐぐっと腕を伸ばし、枝をキャッチした。
ない胸をなでおろすオスカル、彼女はアンドレを思う自分の気持ちにまだ気が付いてはいない。
“フン、あぶなっかしい奴め”
ジェローデルはほくそ笑んだ。
やっと枝をキャッチしたやつに何ができる…
そんな思いである。
しかしアンドレはいつものアンドレではない。
静かに燃えている男、その炎は誰にも負けはしないのだ。
彼はオスカルに向かってニコッとほほ笑みかけた。
逆エビ固めのロープを握っていたオスカルは、彼にほほ笑み返した。
“オスカル… ”
彼の目の前がぱあっと明るくなった。
アンドレは片手で車輪をきめてから思いっきり上に飛び上がり両足を開いた。
トカチェフだ!
すばらしい滞空時間である。
そのまま両手で枝を捕らえたアンドレは車輪を加えて遠心力をつけてから再び飛び上がり、枝
の上で一回転をした。
コバチだっ!!
E難度の技である。
ジェローデル以上のどよめきと拍手が起こった。
そして一回転降り…
完璧だ。
アンドレはジェローデルに勝った。
大きく手を上げポーズをとるアンドレ。
唇をかむジェローデル。
その横ではオスカルが我を忘れて拍手を送っていた。
今日のヒーローは誰から見てもアンドレであった。
ジャルジェ家では相変わらず、多くの舞踏会の招待状が届いている。
最近ではぜひともアンドレを、という内容のものがありジャルジェ将軍を驚かせていた。
以前からオスカルの扱いにかけては一目を置いている将軍ではあるが、どうして彼にこの
ような招待状が届くのであろうと不思議に思うのであった。
「アンドレ、お前小さいときから木登りが得意だったな… 」
近衛隊の勤務を終えたばかりのオスカルが唐突に言った。
舞踏会でのアンドレの演技がよほど印象に残ったらしい。
「この前のことは済まないと思っているよ。盗賊を放っておいてジェローデル大佐と張り
合うような真似をしてしまったんだからな」
実際我に返ったアンドレをオスカルは責めなかったのだ。
それがアンドレにはつらかった。オスカルは彼の思考に気がついた。
「アンドレ、お前盗っ人の才能があるぞ。いつかその腕前を発揮する機会が来るかもしれ
ないな」
彼女は決して怒ってはいないぞ、と言うようにアンドレの肩をたたいた。
アンドレは正直言ってほっとした。
建物の陰からそのやり取りを聞いていたジェローデルも又、胸をなでおろした。
そしてその夜から彼はジェローデル伯爵家に隠し部屋を作らせ、トレーニングに励むので
あった。
しかし二人とも将来盗賊の真似をするようになるとは夢にも思わなかったのである。
終
後書き
これはアントワネットとフェルゼンの出会いを描いたものです。
深く考えず、お気軽に読んで下さい。