アンドレ物語・2



 貴族についてアンドレが知っている事はばあやに聞いた範囲だけなのだ。
“てっきりお姫様の護衛だと思っていたのに… ”
彼は軽い失望をおぼえて裏庭の草むらに転がっていた。隣にはオスカルが涼しい顔を
して座っている。剣を全く扱えないアンドレは彼女の敵ではないのだった。傍から見
るとふたりは剣の練習と称して遊んでいるかのように見えたのだが彼にとってはそう
ではなかったのである。
“あの子… なんて名だっけ?”
今になって村にいた一つ年下の少女がいかに少女らしかったのかとわかるのだ。
“まぁ、顔だけみりゃお姫様に違いないんだけどな”
アンドレはオスカルの横顔を斜め下から見上げていた。
“でも僕が知っている女の子の中で一番きれいだよ、君は”
彼はくすっと笑ったのだった。
「何を笑っているのだ?」
忍び笑いのはずだったのだが彼女に聞かれてしまったらしい。
「きれいだなと思っただけさ」
アンドレは素直に答えたのだがその言葉にオスカルは反応しなかったのだ。
“すましているのか?”
しかしそうではないようなのだ。オスカルは戸惑っていたのである。屋敷にいる少年
たちは自分の事をあからさまに何でもほめてくれている。でもアンドレの素朴なそれ
とは違うのだ。
「アンドレ… 」
と、オスカルは呼んだ。
「何だ? オスカル… 様…」
と、アンドレが返事をしたのである。語尾が乱れたのは主人である彼女に丁寧な返事
をしなかったせいなのだ。
「オスカルでいい!」
彼女は怒っているようだった。事実彼女は怒っていたのである。
「おまえはわたしの従僕というものだって父上が言っていた。でも遊び相手だとも言
ってたぞ! だったらもっと遊び相手らしくしろっ!」
オスカルは必死でアンドレにくってかかって来たのだ。彼女自身まだ従僕というもの
をよく知らないらしい。屋敷の仕事をこなす召し使いとは違い、彼女専用の付き人、
従僕という者なのであるが…
“かわいい… ”
アンドレはその表情の変化を見てそう思ったのである。それは今までどの女の子にも
感じた事のない感情だった。
“女の子ってかわいいものなんだな。妹ってこんな感じなのかな? でもオスカルは
貴族という人間だっておばあちゃんが言ってたっけ。それじゃ、妹だと思っちゃいけ
ないのかな?”
アンドレも又、従僕を理解していなかった。
“オスカルの髪… ”
彼は太陽の光を反射してキラキラ光る短い金髪をなびかせているオスカルをいとおし
く思ったのだ。
「オスカルと呼んでもいいのか?」
アンドレはまじめな顔をして聞いた。
「当たり前だ!」
ふてくされたように彼女が答える。その幼さが余計にアンドレを刺激する。考えて見
れば彼女のまわりには彼女と同等に話をする者はいないようなのだ。
“この子、もしかすると寂しかったのかな?”
しかしそれを言えば怒りそうになるのでよしておいたアンドレだった。あまりにも多
くの大人たちの中で幼い子供がいかに孤立していたか、そんな状態を彼は知らない。
アンドレのように村の子供達と暗くなるまで楽しく遊んでいた経験を彼女は持ってい
なかったのである。
「どうしてオスカルは男の子の格好をしているんだ?」
最初に会った時に聞きたかった事を彼は今聞いた。
「男の子がいないから… わたしが父上の跡継ぐからだ」
彼女ははっきりと答えたのである。その言葉があまりにもいさぎよくてアンドレは何
も言えなくなっていた。
“変なんだな。貴族ってそんなものなのかな?”
彼はますます貴族というものがわからなくなっていたのである。

 ジャルジェ家は伯爵家であり、レニエ伯爵は将軍の地位についていた。従ってオス
カルの将来は王室を守る士官としての人生が待っている。今はまだ何も知らない子供
のオスカルは毎日父の指導の元に剣の稽古や初歩的な勉学や行儀作法を習っていたの
である。そして常時ではないがアンドレも同席する事があり、今まで縁がなかった貴
族のマナーを身につけていったのだった。

 その日は珍しくジャルジェ伯爵家で舞踏会が行われていた。オスカルのすぐ上の姉
がさる伯爵家と縁続きになる事を祝ってのものだった。そこに初めてオスカルが登場
したのである。
「あれが将軍の末のお姫様ですよ。なんとりりしくあられる事か…」
貴族達の間でオスカルの事が話題になっていた。今までジャルジェ伯爵が自分の末娘
を男として育てているといううわさは有名なものだった。しかし実際に社交の場に出
した事がなかったので所詮それはうわさの域を出ていなかったのである。
「何という豪華な金髪でしょう… うわさ以上にお美しくて… 」
彼女のまわりには常に珍しいもの好きの貴婦人たちが集まっており、彼女の美しさを
褒めたたえていたのである。彼女たちは社交の場に出ておしゃべりをする事が仕事で
あり、いかに自分を美しく見せるかという事に興味を持っていたのだった。
“つまらない… ”
しかしすぐその輪の中からオスカルは抜け出したのだ。
「アンドレも来ればよかったのに」
オスカルは給仕の指揮をしているばあやにぼやいていた。舞踏会に来ている大人たち
を誰も知らない彼女は退屈だったのだ。
「いやいや、めっそうもない。あの子にこんな場所は似合いはしないですから」
ばあやはアンドレに裏方の手伝いをさせていたのである。平民は平民らしくというの
が彼女のポリシーなのだろう。
「わたしもアンドレと同じ事がしたい」
彼女は薪を運んでいるアンドレを指さした。
“オスカルさまはまだまだ子供なんだね”
ばあやは嬉しくなってきたのだ。少なくとも彼女は舞踏会の華やかな席よりも孫のア
ンドレと遊ぶ事を選んだのだ。それは彼が従僕として信頼されているというより年の
近い遊び相手としての役割を充分に努めているという事になる。
「アンドレ、ちょっとお嬢さまのお相手をしておくれ!」
彼女はイスにかけていたアンドレの新しい上着を手渡した。どこで誰が見ているかは
わからない。たとえ従僕と言えども彼女の従僕らしい格好をさせんと常に心掛けてい
るばあやだったのである。

「オスカルは舞踏会が嫌いなのか?」
不機嫌そうな顔をしているオスカルにアンドレが聞いた。
「嫌いだ。どうして姉上はこんなものにいつも出るのだと思う」
ぶっきらぼうにオスカルが答えたのだ。
「父上が正装をして出ろというからこのざまだ」
彼女は胸元と袖口に豪華なレースの縁かがりのあるブラウスに、上品な薄緑の上着を
着ていたのだ。
「似合ってるじゃないか」
アンドレはまじまじと見て言った。
「窮屈だ。それに退屈だ。わたしはあんなのはやはり嫌だ。おまえと木登りをしてい
る方かずっと楽しいぞ」
急に饒舌になったオスカルに驚きながらも彼は喜んでいた。
“僕と遊んでいる方が楽しいんだな”
「わたしはこれから先にもこんな舞踏会に出なくてはいけないと父上に言われたのだ。
だから今度はおまえも一緒に出るといい」
それは彼女の命令みたいなものだった。本来なら従僕は従僕部屋に控えているはずな
のだが彼女はそれを許さないだろう。
“しかたないな”
と、思ったのだが悪い気はしないアンドレだったのである。

「最近オスカルが変わってきたのですよ… 」
ジャルジェ夫人は彼女の部屋の片付けをしているばあやに向かって言った。
「え? お嬢様が」
ばあやは聞き返したのである。
「あたしには別に… 」
「そうですね、表面的というのではないのですけれど子供らしくなりました。アンド
レがあの子を変えたのだと思うのですよ」
ジャルジェ夫人はそう言って手に持ったカフェ・オ・レを一口すすったのである。
「良い子ですね、アンドレは」
彼女は満足そうにほほ笑んだ。ばあやは何だかわからないけれど自分の孫の事をほめ
られたのに満足していたのだ。
「わたしは本当は反対だったのですよ」
ぽつりとジャルジェ夫人が言った。
「オスカルを男の子として育てるだなんて… でも男を生めなかったわたしは何も言
う資格はないと思っていました」
彼女の表情が一瞬くもったのである。
「そんな、奥様。男なんていつも勝手なものですよ。アンドレの父親もあたしの大事
な娘を勝手に連れてっちまってさっさと死んじまったんだから」
ばあやはため息をついた。
「でもそれなりに娘は幸せそうでしたよ。そんなものだと思いますよ、あたしゃね。
みんな… それなりの境遇で幸せを見つけて生活してるもんなんだと思いましたよ」
彼女の言葉は妙に説得力のあるものなのだ。
「後になって後悔したくないものなんですけどね。でももう少しだけ娘と話がしたか
った… 」
ばあやは亡くしたばかりの娘を思い出して涙ぐんでいた。まさかこんなに早くいなく
なってしまうとは思いもしなかったからである。
「子供は親より先に死んじゃいけないものなんですよ。そんなもんです」
彼女は言い切ったのだった。
「あなたは私には想像もできないような事を乗り越えてきたのでしょうね。でもあな
たはいつも明るくて… やはりアンドレはあなたの孫なのだと思いますよ」
ジャルジェ夫人もやはり涙ぐんでいたのである。幸い彼女は子供に先立たれた経験は
ない。
「でもオスカルが心配です… 」
彼女は上の娘たちとは違い、自分では触れられない部分を持っている末娘に伝えたい
愛情を持て余していたのである。
「ご存じですよ、お嬢様は。かしこいお方だから」
ばあやはほほ笑んだ。
「そうですね、心配しても仕方のない事なのですね… でも私はあの子を心配せずに
はいられない。やはりあの子にとってもっと母親らしくしていたいと思うのですよ」
「わかりますとも」
ばあやは大きくうなずいたのだった。彼女の焦燥が手に取るようにわかるのだ。どん
なに末娘を思い、将来を心配しているのかはっきり伝わってくる。オスカルはやはり
女の子なのだ。やがて性の壁というものに当たる事は目に見えている。
“その時は… ”
その時の事はその時になってみないとわからない。その壁を乗り越えた先には何が見
えるのか? それもわからないものなのだ。
“私は怖こわがっている… ”
「奥様?」
ばあやが声をかけた。軽いめまいがする。
「いえ、大丈夫です」
青い顔をしたジャルジェ夫人がはっきりと言った。
“何があっても私はオスカルの母親なのですから!”
彼女は気をしっかりと持たねばと思うのだ。これから先、オスカルが男の社会に入っ
て行くという事でどんな障害があるかわからない。しかし自分は彼女の精神的な支え
になると心に誓っていたのであった。



                                     

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