ふ・た・り・の・・(1)
もう着ることのない夏服をかたづけたヒカルが鏡の前でスカートをつまみ
あげた。
背が高さに反比例したスカート丈がまぶしい。
「ちょっとテカってるけどま、いっかー」
ヒカルは一人で納得してベッドに乱暴に腰かけたのだった。
今日は葉瀬中と同じ北区にある全国有数の私立海王中学校において秋
期囲碁大会が開催されることになっていた。
「ヒカル、あかりちゃんが見えたわよ」
玄関から母の声がする。
「今行く!」
と階段を駆け下りたヒカルは行ってきますの声もそこそこに出かけて行っ
たのだった。
「あたしたちは6月で引退だったからね、後輩が気になったんだ。でもヒカ
ルが一緒に来てくれるなんて嬉しいよ。きっとみんなも喜ぶよ」
「うん、まぁ・・たまにはいいかなーって」
「やっぱ、ヒカルも気にしてくれてたんだぁ」
「まぁ・・ね。元部員として気になるから」
他愛ない話をしているうちに着いた海王中には大勢の生徒たちで賑わって
いた。
公立中学より広くとられた駐車場には少し離れた中学がチャーターしたマ
イクロバスとかワゴン車が並んでいて、いかにもという雰囲気を感じさせて
くれる。
「あ、金子さんたちはもう着いてる! 筒井先輩も!!」
あかりが指差す方を見ると、金子や三谷たちが手をふっていた。
筒井もニコニコとかわらない表情でこっちを見ていたのだった。
「先輩!」
あかりが駆け寄った。
「 ・・・ ?」
ふっ・・と、ヒカルは誰かの視線を感じていた。
ふり向くと海王中の男子生徒たちがこちらを向いている。
何も感じないあかりは予定外に現れた筒井と話してた。
一方ヒカルはこちらを向いている男子を見て怪訝そうな目をしている。
ニコッと笑う男子生徒たち。
"変なの・・"
彼女は顔をそむけあかりの後を追うのだった。
囲碁大会の大会にかりだされたクラス委員の中に塔矢アキラがいた。
彼は大会本部室で手際よく資料の整理をしたり、付き添いで来ている他校
の教師たちに応対していたのだった。
彼はもちろん囲碁部じゃない。
因縁こそあれ未練はない部活の大会だが、委員となると関わらざるをえな
いのが実情だった。
「おいおい、美人系の女子がいたぞ! 3年の校章をつけてた。葉瀬中!」
他のクラスの委員たちが入ってきた。
葉瀬中と聞いて思わず耳を立てるアキラ。
「あの髪、染めてんのかなぁ・・細くて美人だぜ。あんなタイプ海王にいない」
「で、隣りの子はかわいい系だったなぁ」
彼らは受付の資料を片付けながらその女子たちのうわさをしていたのだっ
た。
葉瀬中と聞くと耳が反応するアキラ。
前髪を染めて、となると思い当たるのはひとりだけ。
"進藤が来てるのか?"
ドキンと胸がはねる。
アキラはそれとはなく彼らの話を聞いていた。
彼らの話はその女子の顔やスタイルからつけている下着の想像の分野に
まで及んでいたのだった。
「男子、真面目にやってよね!」
女子の委員が文句を言っている。
その中には海王のマドンナと言われる白藤リリカがいた。
「資料の整理がすんだら自転車整理にまわってよ」
彼女が男子生徒に言った。
「入ってきたと思ったらくだらない話ばかりして。少しは塔矢君を見習いな
さいよ」
女子生徒が後に続く。
「はいはい、わかったよ。まったくうちの女子は・・・」
それ以上言うと袋叩きにあいそうなので黙っておいた男子だった。
"進藤がきれい系?"
アキラは彼らのヒカルに対する印象を心の中で復唱した。
"そうか・・進藤は・・"
彼は一人で納得している。
今月になって、彼女と2年4ヶ月ぶりの対局を迎えることができた。
久々に真正面から見た彼女の変貌は彼をおおいに驚かせていたのであ
る。
きれいになった。
彼女を追い、彼女から追われ、そして求め合う。
それは囲碁においての事だ。
しかし・・・
"進藤かも知れない"
アキラはじっとしていられなくなって来たのである。
「ちょっと休憩に入っていいかい?」
アキラが女子委員に聞いた。
「どうぞ、塔矢君」
スマイルとともに出されたOKに男子達の苦情が出る。
「ちぇっ! 塔矢だと何でもありかよー」
「塔矢君はずっと真面目に用事してくれてたんだから。あんたたちとは大
違いよ」
「ツラのいいやつは得だなぁ」
「頭の中身もよ! あんたたちとは違うの!」
言い返す女子たち。
しかしアキラはそれをスルーしていたのである。
「いやいや、塔矢は葉瀬中の美人が気になって見に行くんじゃないのか?」
このセリフにもスルーするのかと思われたアキラが返事をした。
「その通り」
驚く男子生徒。
そして女子、なにより一番驚いたのはマドンナ・リリカだった。
「じゃ、少しの間よろしく」
うだうだ言っている男子をしりめにアキラは本部を出て行った。
もちろんヒカルを探す為だった。
自分の想像したとおりだったヒカル。
同世代のライバルとしての確かな手応え。
saiを感じさせた手。
それがアキラを混乱させる。
彼女には常に謎がつきまとう。
そして何よりアキラを驚かせたのはヒカルの変貌だった。
"進藤は変わった・・"
言葉づかいも顔も同じなのだが雰囲気が変わっている。
対局以来まだ手合わせをした事がないので答えが出ていないアキラ。
しかしもう一度、彼女を見るとそれがわかるような気がしたのだ。
「いいなぁ、団体戦。もう一度味わいたいよ」
あかりが葉瀬中の後輩たちの奮闘を見てぼやいていた。
「高校で囲碁部に入れば出られるじゃない」
金子がこたえる。
「だからよぅ、受験があるもん。いいなぁ、筒井先輩は高校生で」
「はは・・・でもボクだって1年前は受験生だったんだよ」
筒井が照れくさそうに笑っていた。
彼は進学校では上位に位置する高校に通っていたのだった。
センター試験をほとんどの学生が受ける彼の高校では、ブームにのって囲
碁部ができており初心者の部員が若干名いたのである。
「あれ? ヒカル。どこ行くの?」
あかりが会場から出て行くヒカルに声をかけた。
「トイレ、すぐに帰るから筒井先輩と同窓会してて」
彼女はそういい残して外に出た。
前に来た時は夏期大会だった。
塔矢アキラと初めて打った一局がいまでは懐かしい。
ヒカルは海王中に来て、あらためてここが原点だったのかもと思っていた。
最初に打った碁は佐為のもの。
二度目も佐為だった。
そして本当のはじまりはこの海王中。
"もう来る事はないと思っていたのに・・・"
なぜか懐かしさがこみ上げる。
アキラを失望させた自分は過去の自分。
"そして今はどうだろう?"
ヒカルは考えた。
本部室にいたリリカは塔矢アキラが探している葉瀬中の子が気になって
いた。
自転車整理に追いやった男子生徒たちが騒ぐ程の子らしい。
「男子ってば失礼よね。ここにリリカがいるのに」
「塔矢君まで見にいくなんて思ってもみなかったわ」
リリカが言った。
彼女ははっきりとアキラを男として意識していたのだ。
「言ってるだけじゃないの? パッと見てきれいに見えて実は、てみたい
なー」
「気になる? 見に行こうか?」
その言葉にリリカは即答した。
「見に行って!」
このひと言で彼女の敵が決定したのだった。
リリカの為にという大義名分がある密偵役は楽しいものだ。
その彼女を見つけた後のリリカの行動も気になっている。
しかし彼女たちは、それがいじめという行動につながるとは考えないように
していたのだった。
ぼんやりと枯れ葉の散る中庭にたたずんでいるヒカルはめだっていた。
憂いを秘めた表情でぼんやり遠くをみている彼女は無防備であぶない。
海王中の男子だけでなく他校の男子たちもそんなヒカルを見ていたので
ある。
「どこかで見た事あるよな。アイドルか?」
そんな声もある。
「誰かを待ってんのかな、男?」
めだっているのは決してその髪だけではない事を彼女自身は自覚して
いない。
相変わらすポケッとしている彼女だった。
「進藤!」
中庭を二分する渡り廊下から声をかけたのはアキラだった。
ヒカルはゆっくりとふり返った。
ふわっとした柔らかい表情は対局をしている彼女と違っていて、アキラは
一瞬息を止めたのだ。
「進藤・・」
今度はかみしめるように彼女を呼んだ。
彼女を見なくてももう答は出ていた。
自分が彼女にひかれる理由。
最初は碁に対するものだけだと思っていた。
ライバルと呼ぶにふさわしくないと失望した時でさえ、彼女の影は消えな
かった。
碁とは違う次元で彼女への好意は存在しているものだと気がついた。
何故? と思う。
しだいに培われてきたものなのか、最初から存在したものかは定かでな
いが、確かに自分は彼女にひかれている。
単純に言えば好きなのだろう。
干渉にふけっていたヒカルははかなげに見えた。
染めているのか本来のものかはわからない淡い色をした前髪が光をふく
んでいる。
枯葉を踏みながらゆっくりと歩いている姿はいつもの姿からかけはなれて
いたのである。
"こんなにも女の子なんだ"
アキラの胸が再びはねる。
「塔矢、いたんだ・・」
ヒカルがアキラの側に来た。
人懐っこい笑顔は昔のままの彼女。
「ああ、うん」
アキラは間の抜けた返事をした。
呼び止めたはいいものの言葉が続かない。
まさかいきなり好きだとか、惚れていたとか言えやしないのだ。
「後輩の応援? きっと君は慕われてるんだろうな」
アキラはたまたま通りがかったふりをきめこんだ。
「そんな事ねーけど。でも後輩たちを見てるとキラキラしてて気持ちいい」
彼女の瞳にうつるものを羨ましそうに見ているアキラがいた。
"でもまぶしいのは君だ"
「後輩思いなんだな、ボクなんてきっと忘れられているよ。君と対局する為
の手段に囲碁部に入った勝手な奴だから」
「らしくねーっ、謙虚なお前なんて。」
ヒカルが否定した。
「囲碁部に少しの間でもお前がいたという事は、囲碁部からプロを出したと
言われるんだぜ。それだけでも貢献したって思っていいじゃん」
「ありがとう」
アキラはにっこり笑ってそう答えたのだった。
"ドキドキする・・・"
ヒカルは彼を見て思った。
碁盤をはさまずに近くでアキラを見ると純粋に容姿に目が行くヒカル。
"塔矢ってほんとうに端整なんだ・・"
「 ・・・ふっ・・ 」
小さくヒカルが笑った。
照れていたせいもある。
一緒に話をするのが嬉しいためでもある。
それからしばらく何を話をしていたのか・・
アキラのヒカルへの思いと言葉は閉じ込められたままだったが・・
最後に碁会所で打つ約束をして別れた頃にはもう昼の休憩時間が迫って
いた。
「ふ・・・ん、そうなの。葉瀬中の子と仲良くねぇ・・」
リリカはものすごく不機嫌になった。
彼女はいつも女王様でいたいのだ。
そしてその隣りには塔矢アキラがいれば最高といつも思っていたのである。
彼女はかなりの確率でアキラと行動をともにしてきたのだった。
クラス委員からなる委員会活動の行事でである。
まれにお似合いの二人だとも言われる事もあった。
否定しないアキラにひょっとしたらと言う思いもあった。
しかしそれは大いなる勘違いと言うものなのだ。
アキラは全くの無関心なだけだったのだから・・
「あの塔矢君が嬉しそうに話をしていたのよ」
「でも彼女には見えなかったなぁ」
「ふ・・・ん、どんな子?」
リリカが聞いた。そこが一番知りたい彼女だった。
「えっと・・・、やっぱりリリカの方がかわいーよー!」
その言葉のニュアンスで彼女は察したのだ。
そう、葉瀬中の子はかなりの子だという事に。
「はぁー、疲れたぁ」
「お茶くれよ、お茶!」
自転車整理に行っていた男子委員たちが帰ってきた。
「あんたたちの弁当はここ、お茶はあそこ!」
リリカの隣りにいた女子が言った。
彼らが帰ってきたのをいい事に本部室から出て行ったリリカたちは葉瀬中
の「彼女」を探しに行ったのだった。
彼女らと入れ違いに帰ってきたアキラは先に帰った男子から弁当を受け
取った。
空腹を感じなかったものの受け取らないと悪いだろう。
「な、塔矢」
箸を使いながら男子が話しかけた。
「え?」
「見てきたんだろう?」
「何を?」
「彼女。葉瀬中の美人」
ヒカルの事かとわかったアキラは素直にうなずいた。
彼らの会話がなかったらヒカルとは会えなかったかも知れないのだ。
「ああ」
「な、ふわんとしてて守ってあげたくなるタイプだろ? 細くて色白で」
「 ・・ん?」
そう言えばそう見えるかもと思う。
いや、客観的に見ればそうだろう。
しかしヒカルを知っているアキラは吹き出したのだった。
「彼女が?」
アキラがまだ笑っている。
「おかしい事言ったかぁ?」
「いや、何でもない」
と、あわててごまかしたアキラだった。
「でもよ」
弁当を食べ終えた一人が思いついたように言った。
「白藤が取り巻きの女子連れて出て行ったぜ」
それがどうしたと言うように隣りの男子が顔を上げた。
「ちらっと聞いただけだが葉瀬中の子を捜すとか何とか言ってたぜ」
「女は恐いからなぁ、自分よりきれいな奴には厳しいぞ。あの白藤は性格
キツイから」
「そうなのか? 白藤がねぇ・・」
「白藤というのはさっきの女子の事なのか?」
アキラが聞いた。
「え、塔矢は白藤を知らなかったのか?」
「顔は見た事があるけど名前までは・・」
彼は本当に知らなかったのだ。
自分に関係あるもの以外は感心のないアキラらしいと言えばらしいだろう。
「かわいくて明るくてもててるけど泣かされた奴もいると聞いた事があるか
らな」
「そうだったのか・・」
ヒカルがからむとつい口が軽くなるアキラだが、それが男子たちにはフレン
ドリーだと受け取られ好印象を与えていたのだった。
「知り合いなら行って来いよ」
突然アキラが立ち上がった。
ヒカルの身に何かが起こってからは遅いのだ。
突如として沸いたアキラの騎士道がヒカルの元へと駆り立てたのだった。
「すまない、ちょっと席を外す!」
こんな時にも丁寧なアキラは一言断ってから出て行ったのである。
続