今ひとたびの・・・



設定・・・アキラがヒカルと交際中。お互いプロとして活躍中。


 真昼の強い光を白くはね返しながら普通電車が海岸沿いを走っている。
夏も終わりを告げるこの季節に"海が見たい"と言ったヒカルのおねだりを、アキラ
は快く聞いたのであった。
「お盆をすぎたら海に入っちゃいけないって言うのはくらげが増えるからだって」
そんなたあいない事をヒカルが楽しそうに話している。
本当かウソかは知らないが、アキラはヒカルのよく動く口元を目を細めて見ていた
のだった。
「塔矢、せっかくの休みなのに悪かったな」
ヒカルはふと我に返ったようにアキラにあやまった。
「いや、たまにはいいじゃない。でもどうしてここの海岸に?」
アキラは印の入った地図を見ながら聞いた。
「これは・・」
ヒカルは一瞬とまどってからアキラに言った。
「ここ、本因坊秀策が立ち寄ったことのある海岸って聞いたんだ」
彼女は少しほほ笑んで答えたのだった。

佐為が消えてからの幾度もの夏を迎えている。彼は自分の中で生きていると何度
も言い聞かせてはいるもののまだ未練があった。
「秀策ゆかりの地って結構あるんだよな。俺はその地を訪ねたいと思っている」
「進藤は秀策が好きだからな」
アキラはやわらかな笑顔を彼女に見せていた。
アキラにとっては秀策がどうこうと言うのは関係ない。
彼女と一緒に行動し、二人だけの時間を持つことができればいいのである。
"君はどう思っているか知れないが、これはれっきとしたデイトだよ"
アキラは心の中でヒカルに向って訴えていたのである。


 某駅で下りた二人は地図をながめながら印の海岸に向って歩いている。
ときおり通り過ぎる子どもの団体はみんなキラキラしていて活動的だ。
「いいな、子どもって」
「進藤もボクも少し前まで子どもだっただろ?」
「ああ、だけどさ。中学を卒業してから数年しかたっていないというのに随分たっ
ちまったような気がすんだ」
ヒカルはほっとため息をついていた。何も知らない子どもの頃に誰もがもっている
輝きを大人になると失っていくのだろうかと寂しくなってゆく。
「まだそんなにたっていないじゃないか?」
「そんなコトねーよ!」
ヒカルは逆らった。
前ほど激しくないが佐為がむしょうに恋しくなる時がある。
"もう一度・・もう一度でいいから・・"
佐為に会いたいと思う。
サヨナラの言葉を聞かずに消えたのはどうしてなのだろうと思う。
佐為に対し恋愛という感情ははいっていなかったが大切なものにかわりはない。

「君は時おり遠い目をする・・」
アキラが寂しそうにいった。
そんな時のヒカルは決して心を開かない。
「ごめんな・・」
ヒカルがあやまった。
アキラはまだ"藤原佐為"の事を知らない。
彼だけでなく誰もヒカルの碁に生きる佐為の存在に気がついていないのだ。
しかしアキラはネット上に存在した"sai"がヒカルの師匠だというのは聞いていた
のだった。彼女の中に師匠の碁がある事も感じている。
しかし今回の秀策ゆかりの地とsaiとの共通点は見出せないだろう。

「ほら、あの松林、あそこにほこららしいものがあるそうだ」
テンションの下がったヒカルを元気付けるかのようにアキラが明るい声をだした。
「あそこ?」
ヒカルが指をさす。
人の少ない海岸には小さなほこらがあった。
盛り上がった小さな丘に数本の木が植わっており、その中央に風雨にさらされ
忘れられたほこら・・・
 それは近づいてみると思ったよりも広い。
2畳ぐらいの中は薄暗く潮風が運んだ砂がつもっていたのだった。
「ここの漁村に秀策が碁を教えに来たそうだ」
アキラが祭られた札を見ながら言った。
きっとこのほこらは漁村の中に建っていたのだろう。しかし年月は漁村を鉄道寄
りに移したようだった。
「きっと秀策はこのほこらは知らないだろう。しかし確かに気の遠くなるような過去
に秀策がここに存在したのだと思うと崇高な気持ちになる」
アキラはじっと札を見つめていた。
"佐為もこの地を秀策と共に立っていたんだ"
ヒカルはそれを思うと胸がいっぱいになってきた。
早く亡くなったとはいえ、秀策といた時の長かった事はヒカルのそれと比ではない。
"秀策は佐為に利用され、俺は佐為を利用した・・"
ヒカルはあらためて佐為と打った碁の少なさに驚く。
そしてネット碁でしか彼の棋力をあらわせなかったことに・・
"だから逃げちゃったのかな?"
これは今まで何度も自分に問いかけた事。
「いつか言ったよな・・」
ふいに話しかけられたアキラは不思議な表情でふり向いた。
「何?」
彼は聞いた。しかし心はここにないようだ。
「いつか話す・・・?」
と言いかけてヒカルは息をのんだ。

「佐為!」
彼女は思わす大きな声をだした。

これはきっと夢だろう。

佐為を思う心が見せた夢だろう。

「君にも見えるのか!」
アキラもまた大きな声を出した。

その声に驚くヒカル!

「塔矢、おまえ・・・」

<バカですね、ヒカル・・>
あでやかに佐為は笑った。
それは消えたときより更に輝くような声だった。

「塔矢、佐為だよ」
そう言ってヒカルはほほ笑んだ。
いく筋もつたう涙の中にアキラはヒカルの寂しさの影を見つけたのだ。

いつしかアキラはヒカルを両腕で抱いていた。
ヒカルもあえて逆らったりはしない。
アキラが佐為を感じるのは、二人の距離がなくなったせいかも知れなかった。

「あなたの事は感じていました・・」
後になってどうしてああ冷静でいられたのかはわからないぐらいの声でアキラは
言った。
満足そうにうなずく佐為。
彼は黙って二人の前に手を差し出した。
そしてなお、黙ったままでふたりに透き通った笑顔を見せたのだった。

やがてゆっくりと彼の輪郭はぼやけてきて・・

もう一度ほほ笑んだ時に彼はその姿を二人の前から消していた。
それは決してサヨナラを言わない佐為の意思でもあるかのようだった。

<あなたがたのために私はいたのですよ・・・>
佐為はまだ伝えられない言葉があるのを知っていた。
しかしいづれは気付くだろう・・
神の一手を極める者達を。



 潮風が砂を運んでくる。
ほこらの中に夕暮れが訪れた時、ふたりは抱き合ったままだった。
「塔矢・・」
ヒカルがぎゅっと彼の手を握ってきた。
「ん?」
と握り返すアキラ。
 二人は連れ立って砂地を踏んでいた。
佐為の消えた空にいつしかヒカルの肩を抱くアキラ。
見上げた空にうっすらと星が浮かんでいた。

そして・・



<いまひとたびの・・・>
佐為の思いはまだそこに漂っているようだった。


                           終
   

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