眠り姫の時間(4)





塔矢アキラは人目をひく。
ヒカルの個室にあらわれる彼は病院ではちょっとした話題になっていた。

「ねぇねぇ、あの彼、今日も来てるわ」
若い看護師たちがうわさする。
ロビーに取り付けられたモニターにアキラがうつっている。
「花を持って来てるわ。胡蝶蘭かな? 淡いピンクの」
「なかなかいないよねー、あんな子」
棋士だとは聞いていたものの、イメージする棋士とは縁遠い。

「あの子、あの個室のお姫様の彼氏ね」

「そうそう、あの子、かわいいよ」

「そういや彼女、頭部外傷の頭蓋内圧の上昇はすぐにおさまったよね。呼吸機能
や循環系のコントロールも問題ないって話よ」
「大脳も機能廃絶じゃないみたいって言うじゃなーい」
「じゃ、なぜ植物状態なのかな?」
「なおってもおかしくないのにね」



 アキラは看護師の横を通る時に軽く会釈をした。
凛とした姿は彼女たちをときめかせる。


「ね、古風な皇子様って感じじゃない? 」
「そうそう、そして個室の彼女は見た目のままにお姫様ね。おとぎ話の眠り姫」
「それじゃ彼のキスで目覚めるの? うわっ!」
「あ、いいかも。すっごくらしいじゃない」

「さ、くだらない事を言ってないで! 夜勤さんに申し送りの時間ですよ」  
と、師長の声。
「すみません!」
と、あわてて看護日誌を取りにゆく看護師たちだった。

※申し送りとは引継ぎ業務のことであり、患者さんの状態を夜勤や日勤の職員に
くわしく伝えるものである。




 アキラはその時間をねらってよくやって来る。
点滴は午前中に済んでいた。
ベッドサイドでのリハビリは少し後になる。
正常な自発呼吸ができる植物状態なので人口呼吸器も取り付けていない。
申し送り中はナースコールでもしない限り誰も個室にこない。
ヒカルの母、美津子が洗濯物とか備品を持って来るのはもっと後の事。


だからアキラはその時間が好きだった。
最初の落ち込みによる鬱状態から抜け出したアキラはしだいに前向きに考えるよ
うになり、現状を認識していたのである。

「進藤、今日はね・・」

物言わぬヒカルにアキラは話しかける。
今日の手合いを話し、棋譜を見せ、いつもと同じように優しく微笑みかけたのだっ
た。

「看護師さんが言っていたよ。君はケガもなおり脳の中もなんともないのになぜか
目覚めないのだとね」
「ホラ、君はこんなに生気があるのにどうしてなんだろう?」
アキラは少し悲しそうだった。
目を閉じて眠っているヒカルは単に眠っているように見える。
とてもじゃないけど囲碁とは縁遠いようなお姫様だった。

「でもボクはあきらめないから。だから死なないで。生きているだけでもいい、ボクの
前から消えるんじゃない。君がいるだけでボクはこんなにも穏やかだ」

アキラはヒカルの手をさすっていた。
碁を打つ者の共通した指があたたかい。
拘縮もなく自由に動く指は今すぐにでも碁石をもてそうだ。
「ヒカル・・・ 」
アキラが名で呼んだ。
「不思議だな、今なら君を前にして名で呼べる」
「ヒカル」
と、アキラが彼女の頬をチョンとつついた。
弾力のある感触で、ピンク色の頬が白くなった。
血が通って、生きていて、その命の存在がどんなに自分にとって大切なのかという
事を彼は感じていたのである。

「でもね・・ 辛いよ。本当は君と話したい! 今まで言えなかったけど好きだった・・」

アキラは漠然と壁を見つめていた。
その壁のところにヒカルがいる。

「何も言わずに消えるなんて許さない!」

強い口調で弱音をはくアキラは佐為を失った時のヒカルと同じ立場だった。
ただ違うところはアキラの方が何ものにも立ち向かう強さを持っていることだった。


  塔矢、オレはここにいるんだよ。
  なのにどうしても戻れないんだ。
  それにさ・・

  それに・・


ヒカルは悲しくてその場から逃出した。
アキラの思いが辛い。
いるだけでいいなんてウソ!
わかってしまったアキラの心。

オレも塔矢が好きだよ。

ヒカルはつぶやいた。

でもそれだけの事・・・

  どうして戻れないんだろう?
  ヒカルって・・
  ヒカルって塔矢が呼んだのに!



   何の変化もないヒカルは再び病室をさまよっていたのだった。




                            つづく



 

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