銀色物語7
ヘケートは母の望む大魔女になりたくはなかったのだった。短い寿命を精一杯生
きて死んで行く人間にあこがれていたのである。いつか棺桶塔でサファイヤのエネ
ルギーを奪ってからはいっそうその気持ちが強くなって来たのであった。
“ママ、ごめんなさい。私はもうサファイヤのエネルギーを奪うのは嫌なの”
あの時の不快感と違和感、体の中に入って来たエネルギーへの拒否反応は忘れられ
なかった。そしてとうとう彼女は魔法の鏡を持って家出してしまったのだった。
「遠くに行きたいですって?」
テーブルの書き置きにはそう書いてあった。そしてヘル夫人は娘の家出に驚いて魔
の山から飛び立ったのだ。どこに行けばヘケートに会えるのかわからない。魔法の
鏡がないと行方を捜せないのだから・・ それでも彼女は遠く北の氷の王国の方ま
で探しに行ったのだった。
お城の王子は今はプラスチック王子となっていた。しかし彼はその称号が嫌でた
まらなかったのである。
“ああ・・ 僕は愛している女性の父を殺害した者の息子なんだ。おまけにそれを
知っていて止める事もできず、その人を恐ろしい牢獄に送ってしまった・・ きっ
と彼女は辛い目にあっているに違いない”プラスチックは後悔の日々を過ごしてい
たのである。
“僕はもうたくさんだ・・”
彼は家臣たちから王子様と呼ばれるたびに殺人者の息子という立場を再認識してし
まうのであった。
“僕にもう少し勇気があればどうにかなっていたのに! 僕に王子は似合わない。
僕にこの国を継ぐ資格はない!”
プラスチックは重い足取りで部屋を出た。さっき父が部屋に来るよう言って来たか
らなのだ。
「父上、入ります」
プラスチックはジュラルミンの待つ部屋に入って行ったのだ。中にはニコニコ顔の
ジュラルミンがいた。
「プラスチックや、実はお前にいい話しがあるのだ」
彼は嬉しそうに言った。
「何ですか?」
プラスチックは聞いた。
「お前はもうすぐ17才になる。そろそろ許婚者がいてもいい頃だ。そこでわしは
盛大なパーティーを開きたいと思うのだ」
彼はプラスチックが喜んでくれるものと思い大袈裟な身振りを交えて言った。しか
しプラスチックは浮かない顔をしている。
「どうした? プラスチック」
ジュラルミンが聞いた。
“そんな事、言えないよ。僕はサファイヤが好きだなんて”
しかしプラスチックは黙っている。
「お前の為に国中のきれいな娘を集めてやるぞ、どうだ?」
ジュラルミンがプラスチックの顔をのぞき込むように言った。
「でも・・・ 以上にきれいな娘なんて・・ 」
かれは口をモゴモゴして何かをつぶやいた。
「何? きれいな娘がいいのだろう? ハハハ・・ わかったわかった。近いうち
におふれを出そう。そうだな、船に乗って川下りなんてどうだ?」
ジュラルミンは勝手に納得して満足していたのだった。
シルバーランドで久しぶりに明るい話題が起こっていた。それはプラスチックの
花嫁選びのパーティーのおふれが出たからだ。
「なになに? 身分は問わず美しさに自信のある者は参加できる、だと?」
おふれのまわりには多くの人が集まっていた。その中荷は変装をしたサファイヤも
交じっていたのである。
“プラスチックの花嫁だって?”
彼女はプラスチックをよく知っている。
“そんなのあのプラスチックが言い出した事とは思えないが・・ でもジュラルミ
ンに近づくチャンスだ! 問い詰めて白状させてやる”サファイヤは亜麻色の髪の
娘に変装して船に乗り込む事にしたのだった。
一方ヘケートもそのおふれを見ていたのだ。彼女は新しい王子には興味ないけれ
どそのイベントには興味があった。
“私ってどんな人間に見えるのかな?”
それは一人の娘として、世間ではどう見てくれるのかが知りたかったのである。
フランツはあの夜のひと時が忘れられなくなっていた。サファイヤのまゆやまつ
げ、うなじまでもが彼の目に鮮明に焼き付いている。もう后はサファイヤ以外には
考えられない。その為にはどんな事でもする覚悟を決めたのだった。
「じい、以前僕が言ってた后の話だけどね」
フランツはさっき小用で部屋に入って来た子供の頃からの教育係に話しかけた。彼
は誰かに本心を聞いて欲しかったのだろう。
「后がどうかしましたか? だいたいフランツさまは女の子を取っ替え引っ替え何
人も紹介して下さるからじいにはどの娘が本命なのかわかりません」
彼はきっぱり過去の悪行をひにくったのである。
「僕は今まで本気で付き合ってた娘なんていないよ。だから今回が初めてなんだ」
フランツはがらにもなく照れている。
「それじゃその方はどこの娘なんですかな?」
彼は聞いた。きっとそう言うからには本気なのだろう。
「今は身分はない。でも僕は彼女しか考えられないんだ。だからそんな人がいるっ
て事だけをじいに聞いて欲しかったんだよ」
フランツは具体的には言わなかったが意図は通じたみたいなのだ。
「身分のない? でも王様がどうおっしゃるか・・ 前途多難になるかも知れませ
んがじいはいつでもフランツさまの味方ですからな」
彼は自分の意志を示したのである。
「ありがとう、いつか城に連れて帰るからね」
フランツは約束したのだった。
「はいはい、その時まで生きてればの話しですがな。でもこれで度々お城を抜け出
す訳がわかったというもんですわい」
彼は納得してフランツ王子の部屋を後にしたのだった。
棺桶塔のガマーは全面的にサファイヤの協力者になっていた。彼は昔ジュラルミ
ンの手によって身内を失った経歴があるらしい。深くは語らないがいつかはジュラ
ルミンを何かの形で追い詰めたいと願っていたのだった。
「お姫様、今度は何をやらかすんですかい?」
ガマーは聞いた。
「お母様には内緒だよ。僕は今日、プラスチックの花嫁選びのパーティーにもぐり
こんで来る。そこでジュラルミンを捕まえて白状させてやるんだ。帰れないかも知
れないけどお母様にはうまく言っといてよ」彼女は言った。
「本当にあきないね、お姫様にしとくのがもったいないってもんだ。でもフランツ
王子さまはご存じなんですかい?」
彼は聞いた。プラスチックのパーティーに参加するという事は危険を伴うのだ。も
しサファイヤが棺桶塔から抜け出しているのがばれたらひどい目にあうだろう。今
でもたまたま魔女がやって来ないからばれないだけなのだ。
「フランツには言っていない」
サファイヤはどうやら反対されそうな気がするので言わなかったのだろう。
「そりゃ、自分の恋人が危険な目に会うのがわかってるんだから言うと止められる
でしょうな」
ガマーはからかうでもなくさりげなく言ったのだ。
「別にフランツは恋人なんかじゃないよ。それに僕は囚人だよ。フランツには似合
わない」
サファイヤは自分の立場を自覚していたのだ。それにフランツが好きなのは亜麻色
の髪の娘であって自分ではない。だからこのまま亜麻色の髪の娘が現れなっかった
らフランツもきっと彼女をあきらめると思っていたのだった。
“そうなんだ、フランツは仲のいい友達でいいんだ”
サファイヤは自分に言い聞かせていたのだった。
「そうかね、わしの見たところフランツ王子は姫の事を大事になさってると思いま
すがね」
ガマーはどう見ても二人は相愛関係にあるとしか考えられないのだ。
「ま、本気の男はなんだってやりますからね。きっと力になってくれますよ」
彼はそう言って話を切り上げたのだった。
シルバーランドとゴールドランドの国境になっている川に大きな船が浮かんでい
た。快晴の昼下がりの川下りは若い娘たちを乗せ、多くの人でにぎわっていたので
ある。さすがに一国の王子であるプラスチックの花嫁選びだけに、遠い所からも容
姿に自信のある娘たちがやって来ていた。その中にはサファイヤやヘケートも交じ
っていたのだった。
王座にはジュラルミンが座っている。その隣にはうかない顔のプラスチックがい
た。そしてその隣には王の側近のナイロン卿がにらみをきかせていたのだった。
プラスチックは自分の為に開かれたパーティーにうんざりしていたのだった。
“誰を見てもサファイヤ以上に魅力ある人なんていないよ”
彼はため息をついたのだ。ダンス音楽が流れているのに立ち上がらないプラスチッ
クをジュラルミンは心配した。
「どうした? プラスチック」
彼は聞いた。
「ううん、何でもないよ」
プラスチックは立ち上がって娘たちの輪に入っていったのだ。
大きな船は贅を尽くした料理が並べられ召し使いたちが忙しく動き回っていた。
着飾った若い娘たちはライバル心を剥き出しにしている者もあり、冷たい戦争があ
ちこちで起きていたのだった。
「なによ、あの娘。どこの生まれか知らないけれど・・」
と言う視線の先にはヘケートがいた。彼女は地味目のグリーンのドレスを身にまと
っていたが、それがかえって髪の色を目立たせて印象的なのだ。
「それに何よ。何者かは知らないけどお姫様みたいに!」
そっちの方にはサファイヤの扮する亜麻色の髪の娘がいた。ふたりともここにいる
花嫁候補と別格であり誰から見ても美しかったのである。 案の定ジュラルミンの
目に止まったのはサファイヤとヘケートだった。ふたりはジュラルミンに呼ばれた
のである。
“ ! ”
ふたりは同時に声を上げそうになったがかろうじてこらえたのである。
「さあ、娘よ。そななたちの名は何という?」
彼は聞いた。
「ヘケートにございます」
ヘケートが正直に答えた。
「ローズにございます」
今度はサファイヤが偽って名のったのである。
「ふむ、なかなかはっきりした娘たちだな。おい、プラスチックはどうした?」
ジュラルミンはナイロンに聞いた。
「あれ? さっきまで大臣の娘と踊っておられましたが、はて?」
ナイロンは娘たちがかたまっている所に探しに行ったのだ。
「仕方のない奴だな」
と、言ってジュラルミンも王座から離れたのだった。
「君は・・」
サファイヤがヘケートに話しかけた。
「しっ! あの時はごめんね。でもママがどうしても私の為にって呪文を使ってし
まったけど。でも私は嫌なの。だから家出して来ちゃった。ママは今頃遠い所に飛
んで行ってしまってるからこの国にはいないわ。だからサファイヤは安心していて
ね」
ヘケートはこっそりと教えてくれた。
「しかしヘケート、どうしてここにいるの? 君はプラスチックに用があるのか?」
サファイヤが聞いた。
「ううん、でも私、人間になりたいから人間に混じってもおかしくないか知りたか
っただけ。それにあのプラスチックの父親ってあなたの敵でしょ? 私、ママがあ
の人に頼まれて毒薬を作るのを見てたのよ。人間にも悪魔みたいな人がいるんだな
って」
ヘケートは全てを知っているようだった。それに彼女はどうやら敵ではないらしい
のだ。
「でもそんな人間ばかりじゃないよ。悪魔の事は知らないけれど人間っていいもん
だと思う」
サファイヤはヘケートに好意を持ったのだ。それはヘケートにも言える事だった。
「それに君にばれちゃったけど僕はプラスチックに近付いてジュラルミンをおびき
出して悪事を暴きたかったんだ」
サファイヤの言う事を彼女は黙って聞いていた。きっと父を殺したジュラルミンが
許せないのだと思う。しかし殺意がないのはサファイヤの優しさだろう。
「暴くだけでいいの?」
ヘケートが聞いた。
「だって誰だって肉親の死は悲しいものじゃない?」
サファイヤは逆に聞いたのだった。
「あなたはいい人の方ね、だったらプラスチックに用があるのでしょうから邪魔は
しないわ」
ヘケートは気をきかせたのだった。
「ありがとう、ヘケート」
サファイヤは素直に礼を言ったのである。
棺桶塔についたフランツはガマーからサファイヤの行方を聞いたのだ。ガマーは
サファイヤが無茶をしないかと心配だったので、渡りに船だったのである。
「全くサファイヤは僕を信用していない!」
フランツは無視された事に腹をたてていた。彼女の遠慮が彼にとって不満なのだ。
「そうおっしゃらずにお姫様を守ってやってくださいな」
ガマーはそう言ってフランツを送り出したのであった。言われなくてもその気の彼
はばれないように変装して船に潜り込んだのである。
“さっそく目立ってるじゃないか、サファイヤ!”
淡いピンクのドレスを着て、食事もせずにじっと立ってるだけの彼女を見つけたフ
ランツが、心の中で叫んだ。料理を運ぶ召し使いの男たちがチラチラ見ているとい
うのに彼女はその視線を感じていないのだ。
“無防備だぞ! サファイヤ”
フランツは気が気ではない。そうこうしているうちにサファイヤはジュラルミンに
声をかけられ王座の前にまで行ってしまったのだった。
“早まった事はしないだろうな”
と、フランツはハラハラしながらその後を付けて行ったのだ。髭をつけ猫背のふり
をし召使の服を着ているフランツは芝居もうまいのだ。彼はサファイヤに近づき引
き続き様子をみる事にしたのだった。
「のう、ナイロン。プラスチックにはどっちの娘が似合うかな?」
酒を飲んでいるせいかいつもより口数の多いジュラルミンがにこにこ顔で聞いてき
た。
“あんな美しい娘たちがあのプラスチックに似合う訳がない”
と、思ったナイロンだったがそんな事を口にはできまい。
「それはやはりプラスチック様の気に入った娘が一番ですな」
彼は無難に答えたのである。時期王妃がかかっているのだから申し込まれたら嫌と
は言えないだろうし、元々その気で来ているのだから断らないはずだった。
「それもそうだ。あいつが王になってきれいな后と共に王座につくのがわしの夢だ
からな。その頃にはわしもおまえの隠居の身だな」
ジュラルミンがさりげなく言った言葉にナイロンは愕然とした。自分にはまだまだ
欲がある。隠居になるには若すぎるのだ。それにこれから先の保証を約束されてい
ない身だ。プラスチックの代になるまでに自分の確固たる地位をつかんでおきたか
ったのだ。
“プラスチックが国王になったら俺はどうなるのだ?”
一抹の不安がナイロンによぎった。しかし顔には出さない。
「さようでございますな・・」
彼は適当な言葉でその場をしのいだのであった。
プラスチックが呼ばれて来た王座にはふたりの美しい娘が腰を低くして待ってい
た。
「面をあげるがよい」
と、ナイロンが命じた。すると・・・
“ !! ”
プラスチックはひと目で前にいる亜麻色の髪の娘がサファイヤだと見抜いてしまっ
たのだった。しかし彼はその場では何も言わなかったのである。それに気づいたヘ
ケートはジュラルミンとナイロンの方を向いた、が、何も気づいてないらしい。
「あっちに行って話をしようよ」
プラスチックはサファイヤにだけ話しかけた。彼女はうなずいてプラスチックの後
につき舳先の方に歩いて行ったのだった。
「サファイヤ・・」
人気のない所で困惑した面持ちのプラスチックが声をかけた。
「君には変装がきかないな」
サファイヤは苦笑したのだ。しかし彼を見据える彼女の目はきつい。
「サファイヤ王子。僕はずっとあなたにお会いしたかったのです! だって・・
あのままになってたから」
彼女と話したのは国王の葬儀の時以来なのだ。その時はサファイヤにくやみを言う
より父の犯した罪の大きさに恐れおののいて泣くだけしかできないプラスチックだ
った。
「僕は父が王位をねらっていたのを知っていました。なのに何もできないどころか
毒薬の事を知っていてあなたに黙っていたのです! それは僕も加担したのと同じ
なんだ」
彼は自分の言いたかった事を次々と話したのだ。
「僕はそこまで言ってないよ。しかしジュラルミンの犯した罪は僕は決して許さな
い! 何があろうと僕は許さない。それは君にはっきりと言っておく」
今までになく強い口調のサファイヤにプラスチックは一歩しりぞいた。王子として
育てられただけあって姫であるのに凛々しくて強い。今まで何をやってもかなわな
かったサファイヤが、今自分に向かって正面から話をしてくれている。それはプラ
スチックにとって一種の快感であり充実した時間だった。
しかし現実は厳しいのだった。ニヤニヤしているプラスチックにサファイヤが不
快感を覚えたのである。
「プラスチック、君は僕をばかにしているのか?!」
突然サファイヤが彼の胸倉につかみかかったのだ。
「してません・・ 決して!」
彼は弁解したのだ。しかし頭にきているサファイヤは彼をつかんで思い切り頬をぶ
ったのである。
近くにいた召し使いがそれを見ていた。
「誰か! 王子が暴漢にっ!」
召し使いが叫んだ。彼の大きな声で近くにいた人が一斉に振り向いた。
「サファイヤ王子、逃げて下さい! 僕はあなたに忠誠を誓います! 僕はずっ
と前からあなたの味方です!」
小さな声でプラスチックが言った。その言葉が終わらないうちに物陰に隠れていた
フランツが飛び出しサファイヤの腕をつかんだのである。
「サファイヤ! こっちだ!」
フランツが言った。彼はサファイヤをうまく誘導し、誰もいない所にまで連れて行
ったのだった。
「ここから逃げるんだ。さ、ドレスを脱いで! 早く!」
フランツが小さな声でせきたてた。
「でも・・」
最初からなにかあったら川に逃げる気でいたのだが、さすがにフランツの前ではド
レスは脱げない。
「でも!」
サファイヤは躊躇した。するとすぐ側で誰かの声がする。今、船内はプラスチック
を襲った暴漢探しにやっきになっていたのだった。
「僕も剣を持っていない! 捕まりたくなかったら飛び込むしかないだろう?」
フランツが後ろを気にしながらもう一度言ったのだ。サファイヤも自分を探す声が
近づいて来たのであわててドレスを脱いで川に向かって投げたのである。そして自
分もフランツと共に川に飛び込んだのであった。船内は暴漢が逃げたので騒ぎは治
まっていた。もちろんプラスチックはサファイヤの事はひと言もしゃべらず亜麻色
の髪の娘は実は凶暴な顔をした男の変装だったと父に説明したのである。
流れのゆるやかな川をゴールドランド側に泳ぎ切ったふたりは疲れた体を休める
間もなく歩いていた。
「この近くに漁師小屋がある。今夜はそこで休もう」
前を歩くフランツが後ろを見ないで言った。夕暮れが近づき影が長くなって来てい
たからだ。
「村まで遠いの?」
サファイヤが聞いた。
「このままだと風邪をひいちゃうよ。明日になってから僕の城に行こう。このあた
りの地理には詳しいから任せておいてよ」
その時、初めてフランツがサファイヤの手を取ったのである。
少し歩くとその小屋があった。
「火を起こさないとね」
フランツは暖炉の近くに置いてあった棒を取り上げた。
「これを・・ こうするんだっけ」
知識でしか知らない火の起こし方でフランツは棒をこすっていた。紅潮した頬に伝
わる汗が必死なのを物語っている。
“フランツ・・ ”
サファイヤは王子の身分である彼がそんな事をするなんて思いもしなかったのだ。
やがて火が起こるとフランツはふいに立ち上がった。そして窓にかかっているカ
ーテンのほこりを払い、引き裂いたのだ。
「服を乾かさないとね」
彼は二つに裂いた大きい方をサファイヤに差し出した。
「いいよ、これでいい」
サファイヤは断ったのだった。
「濡れたままだと体に悪いから」
フランツは無理やり彼女の手に押し付け後ろを向いたのだった。
濡れた服を脱ぎ、カーテンを巻いて暖炉の前に座っているふたりはどちらともな
く話はじめたのである。
「君は勝手だよ、どれだけ僕が心配したと思うんだい?」
フランツが言った。
「ごめんなさい」
サファイヤはしおらしく謝った。その表情は思い出の棺桶塔でのシーンと同じなの
だ。
「僕に話してくれないなんてずいぶん信用がないんだな」
フランツが拗ねたようにぼやいている。
「違う! 君にまで迷惑かけたくなかっただけなんだ」
サファイヤは弁解したのだった。
「僕は迷惑だなんて思っちゃいないよ。だから何でも話してくれないと困る!
亜麻色の髪の娘の事も、いつかは話してくれると思っていたのに」
やはり怒ったようにフランツは言った。
「どうしてそんなに僕を気にするの?」
彼女はフランツに聞いた。
「気にするさ! 気になって仕方がない。だって僕は君を愛している。君に后にな
ってもらいたい! 君を城に迎え君と共にこれから先を過ごしたいと思ってる」
フランツは一気に告白した。
「僕は側室を持つ気はない。だから君じゃないと駄目なんだ」
今度は冷静にサファイヤに向き直ってフランツが求婚したのである。
「でも僕は棺桶塔の囚人なんだよ。君が国を愛しているならそんな軽はずみな事を
しちゃいけないよ」
サファイヤはもっともらしい理由で断ったのだ。
「君は平和なゴールドランドを維持する義務がある。国の統治者は常に国民を意識
すべきだよ。僕はフランツに思いやりのある王様になって欲しいんだ」
サファイヤはフランツに背を向けたのである。突然、フランツの前に素肌の両肩が
現れた。
「思いやりのある王になるにはサファイヤが必要なんだ」
フランツは後ろからサファイヤを抱いたのだ。
「何もしないよ。だからもう少しこのままでいさせてくれ・・ 」
フランツはじっとそのまま抱き続けていたのである。
小屋にある粗末なベッドにはサファイヤが眠っていた。彼女は昼間の疲れがでた
のかあっけなく寝てしまったのである。火の番をしていうフランツはかすかに聞こ
える寝息に落ち着かない心を持て余していたのだ。
“まだサファイヤから良い返事をもらっていない”
さっきは軽く断られたのだがそれは自分を思いやっての事だと思う。
“まさかサファイヤは僕が嫌いなんじゃないだろうな?”
強気な彼には似合わない消極さが心を支配する。
“ああ、本当にいっそ・・”
フランツはサファイヤの側により寝顔を眺めたのだ。こんな状況でもぐっすり眠っ
ている彼女はよほどの鈍感なのか、それとも自分を信頼しきっているかのどっちか
だろうとフランツは思う。
“魔女は美しい生娘のエネルギーを奪うと言ってたっけ。それじゃ処女じゃなくな
れば・・・”
フランツはサファイヤの上に覆いかぶさるように両腕をついた。
“これは君を助ける為なんだ!”
彼はさらにサファイヤに近付いた。その時・・
「フランツ・・ 」
と、小さな声でサファイヤが呼んだ。いや、呼んだと言うのは正確ではない。寝言
なのだから。
「 ・・ 」
とっさにフランツが彼女の手を握った。すると安心したのか、かすかなほほ笑みを
浮かべた彼女は再び小さな寝息をたてたのである。
それで充分だった。自分はサファイヤに信頼されていると感じ取るのに。
“ごめん、サファイヤ。さっきは君を助ける為じゃない。単なる僕の欲望だったん
だ”
フランツは彼女の手を離さなかった。そしてそのままベッドサイドで眠ってしまっ
たのだった。
カーテンのない窓から朝の光りが差し込んでいた。サファイヤに起こされたフラ
ンツは朝食の代わりの果物がテーブルに乗っているのに気が付いた。
「君が取ったの?」
フランツが聞いた。高い木になっている甘い果物なのだ。
「そうだよ、さっき取って来たばかりだからどうぞ」
多分、彼女ならやりかねない。そんなたくましさをこの美貌の姫は兼ね備えている。
ちゃっかりフランツのブラウスを着ている彼女は明るく笑ったのだった。
「ねぇ、フランツ」
前に座ったサファイヤが呼びかけた。
「もう少し待ってくれる?」
彼女が聞いた。フランツはいったい何を言っているのかわからなくて戸惑ったのだ。
「僕もフランツが好きだよ。でも今は返事できない。だから待って欲しいんだ」
后になる返事の事だろう。それはサファイヤの逆告白でもあった。
「待つよ、サファイヤ」
フランツは立ち上がった。もう我慢ができないのだ。
「これは約束の印だよ」
と言ってサファイヤを抱きよせてキスをしたのだった。それはふたりにとって初め
てのキスであり、新しい関係の始まりでもあった。
終