マタニティデイト編(社会人)   






「 … に、行かないか?」

タダはフロルに言った。

「オレがこんな状態なのに?」

フロルは大きくなったおなかをさすっている。あと3カ月もすると二人目の子供が生まれ
てくるのだった。

「いいじゃないか、もう少ししたらどこにも行けなくなるんだからさ」

タダは乗り気だった。

「そりゃいいけど… オレもずいぶん空に出ていないから本当は行きたいんだ」

フロルはレイの方を向いた。

「レイなら父さんが見てくれるっていってたぜ。マリーばあさんと一緒にどこかに連れてって
やるんだって」

タダはレイを抱き上げた。

「レイ、パパはお前の事、すごく愛しているんだよ! でもたまにはママとデートしたいって
事わかってくれるかい?」

タダはレイにほおずりした。レイはちょっといやそうな顔をしたが、それでも父の腕の中で満
足そうに手足を伸ばしていたのだった。



 シベリースからテラまでは比較的近いのだ。テラ行きの直行便も出ている。今日は久しぶり
に二人だけの日帰り旅行だった。

「前に来た時はまだ学生だったんだな。なつかしいな、でも全然かわんねぇな、ここは」

フロルはパイロット席に座っていた。操縦桿を握るのは本当に久しぶりの事だったのだ。

「大丈夫か?」

タダの心配をよそにフロルは上機嫌でそこに座っている。レンタルの小型ボートだが、新しい
機種なので快適な乗り心地だった。

「オレもお前みたいに空に出られたらなぁ… オレさ、時々レイといるのに疲れちまう時があ
るんだ。きっとオレ、母親失格なんだろうな。そんなこと思っちゃいけない事なのに」

夕日に向かって飛んでいるので操縦席は赤く染まっている。タダはフロルの横顔をじっと眺めて
いた。前に来た時もそんな事があったような気がする。

「僕は君を束縛しているのかな… 」

タダは少し後悔している所があるのだった。

「束縛されてるなんて思っちゃいねぇよ。結婚して子供ができて… そんなの当たり前じゃん。働
く事への障害を束縛って言うのならオレには当てはまらねぇよ。だってオレの生きがいは働く事じ
ゃねぇからな。みんなといい関係でいて、いつも誰もが不幸せを感じない家庭を持つ事で出来たら
いいと思ってる」

フロルは言葉を切った。少し首をかしげて何かを考えているようだ。


「そりゃオレだって空に出て色んな所に行ってみたい気はあるけど今はそんな事よりもっと大事な
ものがあるから… 昔なら考えもしかなった事なんだけど働く事が生きがいだなんて寂しいような
気がするんだ。でも… もう何もしたくないって思う時がある… 」

タダはフロルに対し申し訳ない気持ちを感じていた。もっと自由にすごせたかもしれない大学5年
生を自分の責任で身動き取れないような状態に追いやってしまったという後ろめたさがあったから
だ。フロルは自覚していないようだけど疲れているのがわかる。最近は以前みたいに何に対してで
もむきになったりする事が少なくなったのだ。今日彼女を誘ったのも、いつも元気を与えてくれる
彼女に今度は自分が元気を分けられたらという思いからだったのである。

「 …… 」
 
しかしタダは何て言ったらいいだろうと言葉に詰まっていた。




「どこを見てるんだ?」

タダは聞いた。

「あっちの方に雲の塊が見える」

フロルははるか向こうを指さした。レーダーにもはっきりとその塊は写っていた。台風なのだ。

「ほら、ここが台風の中心なんだ。目があるよ、はっきりしている。きっと強い台風なんだな」

フロルはレーダーをのぞき込んだ。

「オレさ、台風の目に入ってみたいな。ずっと前からさ、そう。オレがガキん頃なんだけど…
  台風の目の中に入って見たいと思ってた」

そう言ってフロルは再び船を動かし始めた。

「僕が動かすよ」
「いや、オレにやらせてくれよ。だってずっとシミュレーションだけだったんだもん。もっと動
かしてみたいや」

フロルは代わらなかった。
タダはしかたないなと言うような顔をして補佐に徹する事を決めた。

「やっぱり船は手動だな」

フロルは嬉しそうだった。座標を示せば自動操縦で目的地まで行けるのだが彼女はそれをしなか
った。

「手動もいいけど遭難だけはごめんだよ」

タダは笑った。

「子供を残して死ねないよ」

フロルは口をとがらせて言った。

「じゃ、僕を残してならいいのかい?」

タダは聞いてみた。

「そんな事言ってねぇだろ! お前、子供にやきもちやいてどうすんだよ。お前はお前で子供は
子供だろ。比較なんてできねぇよ」

思った通りの返事が返って来たのでタダは楽しくなってきた。

「ほんとに久しぶりだね、君と二人きりなんて」

タダはフロルの方を抱こうとしたが、あいにく彼女はパイロットに専念していたので無理だった。
しかし計器類を目の前に小型ボートを操っている彼女はおもちゃを持つ子供みたいに楽しそうな
表情だった。


「この下は今頃すごいんだろうな」

フロルは下の方に広がる渦巻き状の台風を眺めながら言った。そろそろ目の付近に近付いている。

「中型で強い台風ってとこかな? でもこの下は人は住んでいない所だよ。ほら、そこから中に入っ
てごらん」

タダはぽっかりとあいた目を指さした。フロルはその上空に船を一時停止させ、ゆっくり下降して
行った。

「タダ、見てみろよ、まわりは雨の壁が出来てるぜ。ここだけ陽が差し込んでいるのに変な感じだ
と思わねぇか」

フロルは地表に船を止めた。少し前までここは暴風雨にさらされていた事がうかがい知る事が出来
るような有り様だった。しかし今は目の中に入っているので穏やかである。

「自然の力ってすごいよな。オレたちさぁ、いつまでたっても自然にはかなわねぇんだろなぁ… 」

フロルは荒らされた地表を見渡しながら話しかけた。ここは低い岩場に挟まれた草原になっていたの
だが草は皆なぎ倒されていた。

「自然に挑戦する事に無理があるんだよ。僕たちは決して越えてはいけないものがある事をもっと
知らなくてはならないと思う」

タダはこのテラの昔の住人が犯した愚かな事に思いをはせていた。

「“核”がたくさんあったんだよ」

タダが言った。

「前に来た時、お前が言ってたやつだろ? テラで昔、何回かものすごい戦争があったんだって言っ
てた。でももうここにはないんだろ?」
「多分ね。今じゃもっと無害のエネルギーが開発されているから“核”はもう過去の遺物になっち
まった」

タダは腕を組んで雨の壁を眺めていた。デートだと言いながらあまりらしくない会話になってしまっ
たなと少し反省するタダだった。

「お前、今、困ったと思ってるだろ」

フロルが突っ込んだ。確かに少々困っていたのは事実だが…

「お前はこだわる性格だからな」

フロルは笑っていた。





「タダ、タダ。ほら、何かいるぜ!」

フロルが岩場に近づいて行った。何か薄茶色の生き物が動いている。彼女は駆けよった。

「どうした?」

タダもその後を追った。フロルの手の中には小さな生き物がいる。まだ子供のようだ。

「ハムスターの一種だね。テラ系の亜熱帯の岩場によくいる奴だ。強い種だし雑菌もほとんどないか
らペットとしてよく飼われているよ」

タダはフロルの手の上で震えている生き物を見ながら言った。

「でも放っておくと死んじまうぜ」

フロルは小動物が大好きなのであった。

「近くに親がいるのかもしれないな」

タダはあたりを見渡した。しかし風雨にさらされた岩場には小動物の影はなかったのだ。

「完璧な迷子だな。でもここに放しときゃ親が見つけるかもしれないよ」

タダはフロルの方に向き直った。

「何言ってんだよ。もし、親が見つけてくれなきゃ死んじまうぜ。お前、無責任だなぁ」

こんな小動物に関しては無責任でもどうでもいいと思うタダなのだが、それでもフロルは本気で心配
しているようなのだ。

「逃げ遅れたんじゃねぇのかな? どこかから飛ばされて来たのかもしれないぞ」

彼女は岩場に登ろうとした。

「やめろ! フロル!」

タダはあわてて止めた。大きなおなかでそんな事をしてもしもの事があったらどうするのだ。

「でもこの岩場のどこかに巣があるかもしれないんだぜ。なぁ、もしレイが迷子になったとするだろ、
その時レイの近くにいる奴がレイを放っておいたらかわいそうだろ? お前だったらそんなの耐えら
れるか?」

フロルは不服そうだ。もしレイがそんな目にあったら自分の直感力を最大限に働かせて必ず見つけだ
す自信のあるタダだったのだがやはりそんな事をここで言うべきではないと思うのだった。

「そうだね、でも僕が登るよ。険しい岩場じゃないけどやはり君はここにいろよ。雨に濡れた岩場は
君には無理だ」

タダは小動物を受け取った。

「タダ!」

フロルは期待に燃えた目で自分の方を見つめている。

“ああ、この目だ!”

タダは思った。フロルが学生時代の時、よく自分に向かって投げかけていた何かを訴えるような目な
のだ。

“僕はこの目に弱い… ”

タダは幾度、その目の期待に応えるために頑張って来たことか…
 
「任せなよ!」

タダは奮い立った。

「期待してるぜ、タダ!」

フロルはウインクした。

“あれ… ?”

なんだか学生時代に戻ったみたいに新鮮な気持ちになってくる。フロルは岩場の下から自分の方を
ずっと見続けていた。

“僕の方が元気をもらっているみたいだ… ”

タダは何だが変な気持ちになって来た。

“フロルを元気づけるためにここに来たんだのに… ”

タダは彼女の方を向いた。

「タダ、お前、いい奴だな!」

フロルは叫んでいた。タダは彼女の方に向かって大きく手を振った。再び心の中に暖かいものが流
れ込んでくる。タダは直感力を頼りつつ岩場を進んで行った。

“ここかな?”

タダはその小動物を放してやった。岩の影に巣穴らしいものが見える。しかし中から出て来た同じ
種の親くらいの大きさの小動物はタダが放した子供を拒否したのであった。

“違うみたいだね”

タダはもう一度それを手のひらに乗せた。この小動物の思考を探る事はさすがの彼でも無理な事だっ
たのだ。

 少し離れた所にもう一つ巣穴があった。タダはもう一度、それを放したのだった。中から出て来た
小動物はタダの放した子供の匂いを嗅ぎ、そして満足したように口にくわえて巣穴の中に入って行っ
たのである。

“やった!!”

タダは単純に嬉しかった。彼はフロルに向かって両腕で“丸”を作ったのである。

「よかった! あいつ自分の親の所に帰れたんだな」

フロルはタダに飛びついて来た。

「心配してたんだ。もし親が見つからなかったらどうしようって思ったんだ。家に連れて帰れないし…
  でもやっぱりタダだな」

フロルは腕を組んで来た。タダはそのしぐさがかわいい。ふたりは夫婦だというのにまるで恋人同士
のように新鮮な気持ちになってくるタダだった。

「フロル… 」

タダは彼女の頬を両方の手のひらでつつんだ。

「あーっ!」

せっかくのいいムードがフロルの声で台なしになってしまったのだ。

「もう、君は… 」

と、言ったタダだったがフロルの指さす方向を見て彼も思わずあっと驚いたのであった。

「目がずれてる… 」

それは当然のことだったのだ。台風のスピードは速い。いつまでも同じところにはいないのだった。
二人の乗って来た小型ボートは雨の壁の向こう側にぼんやりとしたシルエットと化していたのであった。

「君はここにいろよ!」

タダは駆け出した。

「オレも行くよ!」

フロルもゆっくり駆け出した。

「びしょ濡れになってしまうのに」

タダは振り向いて言った。

「お前と一緒ならいい!」

フロルは雨にさらされながらも速足で歩いていた。タダはフロルに近づいて行った。

「タダ。お前、言ったよな。いつまでもいっしょに歩いて行こうって」

フロルはタダの目をじっと見つめていた。

「もちろんだよ、でも一緒に雨に中を歩こうとは言っていなかったけど… 」

しかしタダはフロルの背中に手をまわし彼女を抱いていた。おなかが邪魔になるけどキスをするには差
し支えない。二人は身を寄せ合ったままボートまで歩いて行ったのである。




「夕焼けって好きだぜ」

台風の目を抜け出したフロルが唐突に言った。

「何だい、急に… 」

タダはフロルの話題が夕焼けに移ったことに戸惑った。今の彼女の心が見抜けない。

「夕焼けってさ、太陽と大地の角度が小さくなった時におこるだろ。太陽光線が空気の層を長く横切る時、
塵に光線が吸収されて波長の長い赤い光が届きやすくなってさ。空気が乾いてて塵の舞う量が多い時に夕
焼けになるんだ」

そんな事くらいタダが知っている事をフロルは知っていた。

「でもレイってさ、単純に自分の体が赤くなった事に喜んでいるんだ。あいつは夕焼けを見て、なぜそう
なったか何て考えていねぇから素直に楽しんでいるんだろうな。だからそんな時、オレはつくづく素直
じゃなくなった自分に気づくんだ」
「でも君は素直だと思うな」

タダは答えた。

「でも子供にはかなわねぇよ。やっぱり子供っていいよな。今までオレさ、タダが一番好きだったけ
どレイが生まれてからは一番好きな奴が二人になった。そしてもうすぐそれが三人に増えるんだ。つく
づくさ、オレは幸せな人間なんだなぁと思う」

タダはフロルをじっと見つめていた。心からそう思っているようだ。

「そしてじいさんもばあさんも故郷の両親も兄弟もみんな大好きだよ」

彼女はタダの方を向いた。

“そんな事を考えている君を僕は愛している… ”

言葉に出さずにタダは言った。今の彼女から疲れというものは感じられない。二人の間に沈黙の時間が
流れていた。

「よかった… 」

タダはつい言葉に出してしまった。

「なにが?」

すぐに突っ込みが返って来た。

「いや、何でもないよ。でも早く戻ろう。ステーションにデパートがあっただろ。着替えを買わなきゃ
風邪をひいちまう」

二人ともこれ以上はないと言うほどずぶ濡れの状態だったのだ。

「お前買ってきてくれよな、オレこんな格好で外にでられねぇから」

フロルは頼んだ。

「君さっき、お前と一緒ならいいって言ってたじゃない」

今度はタダが突っ込んだ。

「お前、意地悪だな!」

フロルはまるでエアポケットに入った時のような急降下をしたのである。

「やめろ、フロル! 普通の人間なら気を失う寸前だぞ!」

タダはあわてて椅子にしがみついたのである。まぁ、フロルらしいリアクションなのだが…





「タダ、お前がついていながらどうしてフロルを巻き添えにしたのだ!」

めずらしく長老が怒っている。ふたりの髪が濡れていたので不審に思った長老なのだ。この場はおとなし
くしていた方が賢いだろうなと思うタダだった。

“そういえば子供の頃に怒られた記憶はなかったな… ”

少し嬉しい気がするのはタダにとって当然の事と言えなくもないのだった。

「な、じいさんはオレの味方なんだよな!」

フロルは長老の首に両腕をまわしながら言った。レイは彼の腕に抱かれてうとうとしている。その横で
タダはひとり、孤立した状態を楽しんでいたのである。どこにでもみられるような家庭における平凡な時
間、その平凡さを知らなかったタダや長老はその時間を大いに満足していたのだった。



    
                                     終



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