レーン講師編・前編(社会人)
「フロル、しばらく航空科の講師をやってみないか?」
ある日、長老が言った。大学時代の努力がむだにならないように、そして勉学に対する情熱を失わな
いようにするためにもそうする方がいいと思う長老だった。宇宙大学は明らかに各惑星内にある大学
とはレベルに格段の差がある。したがって宇宙大学出身者はそのレベルの差に愕然とし、自分の星に
帰ってからの努力を忘れてしまうケースが多々見られたのであった。それは人間とは楽な方を選ぶと
いう証明みたいなものだったのである。
「週に3日ぐらいなら大丈夫だろう。レイの事ならわたしにまかしてくれたらいいぞ」
「僕もそうする方がいいと思うよ」
タダもすすめた。レイも随分しやすくなったしフロルの為にも自分たちの夢の為にもその方がいいと
思うタダだった。
タダの務める航空局には所属の大学とハイスクールがあった。いづれも将来パイロットを目指すも
のにとってはこの星における最先端の学校であった。ここの大学は専門教育が徹底しており航空局へ
の就職テストの合格率は群を抜いていたのである。フロルは大学時代に教職課程をとっていたので教
授としての資格をもっていた。身分としては航空局のパート勤務という事になる。
「それじゃ行ってくるからな。レイ、いい子にしてるんだぞ」
フロルはレイを抱き上げてキスをした。後ろ髪が引かれる思いがするのだがそこはあえて我慢し、長
老に預けたのだった。彼は昼間は助手だけでなく、近所で仲のいい老女に手伝いにきてもらう事に決
めたのだった。彼女なら子供の扱いは慣れている。フロルも彼女がいるからこそ安心できるのであっ
た。彼女はずっと以前から気づいていた事なのだがその老女は長老の大事な人だったのだ。
「おばぁちゃん、レイを頼むな!」
フロルは老女にも声をかけて出て行った。
「いい嫁さんだね」
マリーという名の老女は長老に言った。
「全くだ。あんな子は見た事がないよ」
さすがの長老も、フロルのような嫁は想像できなかったのだ。
「月並みな言い方しかできないけれど… タダは本当にいい娘と一緒になったと思うよ」
レイを抱いた長老はマリーと顔を見合わせた。孫の世話をする老夫婦といったところだろうか…
新年度が始まった航空局所属F大学航空科では新しい講師を迎えていた。まだ年若い女性の講師であ
る。壇上で彼女があいさつする前から彼女の事は話題になっていた。学生達は彼女の事を転入生だと勘
違いして騒いでいたのである。
「オレ、フロル・レーンって言うんだ。今日からお前たちを教える事になった。出身地はヴェネ、どの
星系でもないから知らない奴がいると思うけどよろしくな」
彼女の短いあいさつが終わった。めんどうなあいさつは彼女に似合わない。飾り気のないぶっきらぼう
な言い方だったのだ。
「レーン先生ってすっげぇ美人だけどずいぶんなまってるな」
ひとりの学生が言った。
「きっとこの星に来て日が浅いんだぜ」
彼らはささやき合っていた。そしてその後は当然フロル自身の話題になったのであった。
フロルは久しぶりのキャンパスを楽しんでいた。レイが生まれてからずっと育児に追われ息を抜く時間
すらなかったのである。彼女は授業と授業の合間を自分の勉強の時間にあてることにしたのであった。さ
すがに航空局合格率ナンバーワンの大学だけあって図書室の蔵書は膨大なものであった。
「これ… 石頭の部屋に転がっていたな… 」
フロルは図書室のフロッピーを手に取った。少し前の事なのに随分前のように感じられて少し切なくなっ
てくる。あの時はもう戻らない… そんな思いが胸にあふれて来たのであった。
「レーン先生」
フロルは声をかけられた。
「さっきの授業の質問なんですけど、いいですか?」
2〜3人の学生達はわざとらしく質問を作ってやって来たのであった。
「あれ? オレの教え方、悪かったかな? これは… ここで… こうなんだ」
フロルは説明してやった。初歩的な質問なのだ。しかし彼女はまじめで面倒見がいい。だから彼らの質問
以上の事も教えてやったのであった。
「なぁ、お前ら最上級生なんだろ。だったら来年はパイロットになってるんだな」
フロルはうらやましそうに言った。
「でも先生、パイロットになるにはパイロットライセンスを取らなくちゃいけないんですよ。それに合格
しても今度は航空局のテストを受けなくちゃならないから… だから航空局のパイロットは僕の夢なんです」
シベリース惑星内のパイロットなら少しの努力でなれる。しかし宇宙に向けて航海出来るワープを許可さ
れたパイロットライセンスは航空局に認められた者しか取れないのであった。ここの学生の目指すパイロ
ットとは航空局のパイロットの事なのだ。
シベリースで最もレベルの高い航空科の学生でもそんなに大変なものなのかな、とフロルは思った。自
分なら宇宙大学の推薦状ひとつで今すぐにでも航空局のパイロットになれるのだから。しかし彼女にはこ
の学生達みたいな自由な時間は与えられていなかったのである。
「その夢… かなうといいな。でも時間があるんだもん、きっとなれるさ!」
フロルは励ました。パイロットに対する思いは彼らと変わらない。しかし今は、この仕事に頑張ってみよ
うと決めていたのである。
「もうすぐパイロットライセンスのテストあるだろ。オレの受け持つ奴ら全員合格させてやりたいな。も
ちろんお前たちも含めてだぜ」
フロルはガッツポーズを作った。学生達は同じポーズで答えたのである。
「先生… 今日、授業が終わってから時間… ありますか?」
早速のナンパである。
「オレ、そんな時間ねぇんだ。早くかえらないとじいさんに悪いもん」
フロルははっきりと答えたのである。学生達はきっと病気のじいさんがいるのだと誤解した。それは彼ら
の直感力が鈍いのではなく、フロルが長年のタダとの付き合いで自然と心が読めないようにしているから
であったのだが…
「じいさん! 今日、すごく楽しかった。オレやっぱりずっと勉強から離れられないような気がする。レ
イがいるのにこんなこと思っちゃいけないかも知れないが… オレさ、もっと知りたい事がいっぱいある
んだ」
フロルはやや済まなさそうな顔をして言った。彼女の言いたいことはよくわかるのだ。
「それでいいと思うよ。このまま講師を続けたらいいのではないのかね?」
長老は興奮気味のフロルを落ち着かせる為にわざとゆっくりとした口調でいった。
「ばあさんもそれでいい? 週に3日、絶対レイを見なくちゃなんねぇんだぜ?」
「いいわよ、フロル。大学に行ってらっしゃい。わたしは子供の世話はすきだもの」
マリーは優しく答えた。
「ごめん、でもありがとう! でさ、オレ思うんだけどさ。いっその事じいさん達、結婚すりゃいいの
に!」
フロルは二人をかわりばんこに見た。マリーはしわだらけの顔を赤らめてそっぽをむいてしまったので
ある。しかし悪い気はしていないようだった。
F大学航空科の職員室ではパイロットライセンスのマニュアルが配られていた。
“え… こんな簡単な内容の… !”B
フロルは言葉に出さなかったが… 顔に出てしまったのだ。
「これがシベリースのパイロットライセンス取得テストなんですよ。レーン先生」
隣に座っていた教授が教えてくれた。
「宇宙大学のパイロットライセンスとは随分差があるでしょう?」
それほどシベリースのテストは宇宙大学のそれに比べたら甘いのだ。
「僕も最初は驚きましたよ。あ、僕もあなたと同じく宇宙大学航空科出身なんですけどね」
トラップ教授はささやいた。プライベートな事に関する以外のことは航空局より事前に知らされているの
だろう。ここの教授で宇宙大学出身の者は多くない。従ってトラップ教授のいうところの簡単なテストで
パイロットライセンスを取得した者も多く、うっかり口を滑らすと人間関係に影響するのだと彼は教えて
くれたのである。
「適当にやっときゃいいですよ、どうせレベルは低いんだから。僕はシベリースに帰って来て正直言って
がっくりきたんです。あまりにも高い水準の教育を5年間にわたって詰め込んで帰ってみると自分の星は
こんなものだったのかと思っちゃいましたよ。この星の授業の進め方は遅すぎる」
「トラップ教授」
フロルは小さな声で呼びかけた。
「あんた、友達いないんじゃない?」
フロルの呼びかけにトラップ教授は嬉しそうに答えた。
「いなくなりましたね、この星に帰って来てから。やはり同じレベルの人間でないと、友とは言えないで
すよね、レーン先生」
「オレはそうは思わねぇけどさ」
フロルはつっけんどんに言った。何だか無償に腹がたってきたのである。
「いや、そんな事はないはずだ。レーン先生は教授免許だけでなくパイロットライセンスやB級医師免許
もお持ちだとか、そんな優れた人が一般人と同じようにつきあうなんてできませんよ。あなたがここに来
る前にあなたの事は職員室でうわさになっていたんですから。いったいどんな才女がやって来るんだろうっ
てね。じっさい年配の教授なんか扱いに困るとぼやいてましたよ。しかしこんなに若くてきれいな方だと
は思わなかったな」
トラップ教授はフロルの目をじっと見た。彼女はなんて嫌な男なんだろうと思ったが、とりあえず職員室
でケンカするわけにはいかないのだった。それに才女と言われているらしいが自分は大学時代、決してタ
ダみたいに優秀な学生ではなかったのだ。単位を落としそうになった事もある。実習テストなんがボロボ
ロの時もあった。大好きな数学を除くとその他は真ん中くらいを維持するのがやっとという状態だったの
だ。しかしそのおかげでみんなに励まされる喜びを知ったのだった。
「トラップ教授のクラスの学生は全員パイロットライセンスのテストを受けるんだろ?」
フロルは聞いた。
「もちろんですとも。みんなその為にこの大学に来ているようなものだから。でもパイロットライセンス
は半分合格すれば良い方ですけどね。ま、その程度ですよ」
彼はしゃあしゃあと言った。
“それでも学生達にとっては大変な事なんだから… こいつ性格悪いな… ”
フロルはそのマニュアルを持って教室に向かったのであった。
「この中でパイロットになりたくない奴はいるか?」
フロルは聞いた。しかしYesと答えた者はいないのだった。パイロットはどこの星でも花形職業だった
のだ。
「レーン先生、みんなそのためにここに来てるんだと思いますよ。少なくとも入学した地点ではほぼ全員
がなりたいと思ってるんだから」
誰かがさも当然と言うように返事した。
「でも、航空局のパイロットになるという事に関しては自信がないな」
「そうそう、やればできると思っていた時がなつかしいな」
これは劣等生の返事だった。でもいちるの夢は残しているらしいのだ。
「パイロットライセンスをって航空局に入りたい奴! きょうからテストまでの間、死に物狂いで勉強す
るんだぞ。目標があるから頑張れる、そんな当たり前の事をしらん奴はいねぇはずだ。やればできる、そ
んなの当たり前じゃん。わかったか?」
フロルはみんなにゲキを飛ばしたのである。ここにいる学生達はシベリースでは航空局所属パイロットに
なれる最短コースにいる者ばかりなのだ。やってできない事はない。トラップ教授が何と言おうとシベリ
ースでは高い水準を誇る学力を持つ大学なのだから。
「レーン先生はトラップ教授と同じ宇宙大学航空科出身だと聞いたのですが、本当ですか?」
「ああ、卒業したてなんだけどな。なんかまだ学生気分がぬけねぇよ」
フロルはちょっと照れた。自分でも先生らしくないのがよくわかる。
「頼りないかも知れんが遠慮なく何でも聞いてくれよな」
フロルは言った。
「じゃ、レーン先生。いったい何才なんですか?」
これは勉強に関係なく男子学生が聞きたかった事であった。
「オレ、テラ暦で言えば21才だけどそんなのテストに関係ねぇだろ!」
しかしその答えにみんなはわいたのであった。なぜならここにいる最終学年の学生達とシベリースにいれば
同級生という事になるのだから。
取り敢えずフロルには目標ができた。みんなを合格させるという事である。彼女はプレッシャーを感じる
よりむしろ喜びを感じていたのであった。それにひとりでも多くの合格者を出してトラップ教授の鼻をあか
してやりたい気もするのだ。そう、彼女はもともと負けん気が強いのであった。
「やっぱり転入生と間違うの、むりもないな」
フロルがいなくなってからだれかが言った。
「でも宇宙大学を出てるようには見えないけどな。トラップ教授とえらい違いだな。ちっともきどってなく
て」
「でもどうして講師なんだろう? 教授になればいいのに。それに宇宙大学を出ていれば、推薦状ひとつで
すぐにでも航空局所属のパイロットにでもなれるんだろ? もったいないなぁ… 」
それはフロルの家庭の事情を知らないから言えることであったが…
「ほんとに嫌な奴なんだぜーっ。年なんてあんまり変わんねぇみたいなんだけどなんか他の教授に対して高
圧的でさ」
フロルはタダにトラップ教授の話をしていた。
「そりゃ世間にはいろんな奴がいるからね。君と合わない教授がいたとしても不思議ではないと思うな」
「オレだけじゃねぇよ、他の教授や助教授も嫌っているみたいだったぜ。それに年上の助手補なんてそいつ
のそばに近づこうとしねぇんだぞ。ばかにされるのが嫌だから」
教授、助教授、講師、助手補という職名で呼ばれるF大学の職員たちは、和気あいあいという雰囲気でもな
いようだなと思うタダだった。
「でもフロル、君… その状況を楽しんでるんじゃないか?」
タダは聞いた。
「わかる?」
フロルは答えた。自分でもどうしてだがわからないけれど何もないよりかえって楽しいような気がしたので
ある。
「今日の模試の結果はどうでした?」
トラップ教授が聞いてきた。どうやら彼はフロルに一目置いているようなのだ。
「やっぱり半分ぐらいかなぁ… パイロットライセンスにパスできそうなのは。オレの教え方が悪いんだ
ろうかな?」
フロルにとっては納得できない結果なのだ。
「いや、レーン先生が悪いんじゃないですよ。いつもこんなもんだから。でもみんなそんなにパイロット
になりたいものなのかなぁ?」
トラップ教授は不思議そうにつぶやいた。
「え?」
フロルはそのつぶやきが信じられなかったのであった。
「ひよっとしてトラップ教授、パイロットになりたいと思ったことがないんじゃねぇのか?」
フロルが聞いた。
「ないですよ。だって僕が航空科を選んだのは世間の聞こえがいいからなんですよ。宇宙大学に入った地
点で何かを選らばなきゃならないんだったらその方がいいと思ってね」
“不純な動機だったんだな… ”
と、思ったフロルだったがそれに関しては自分もいいかげんなのだ。タダが航空科に入るから付いて入っ
たのだし、宇宙大学のテストを受けたのは男になるための手段としてだった。
“オレもこいつと同類なのかな?”
フロルはちょっと考え込んでしまったのである。
“レーン先生は僕と同類?”
トラップ教授はフロルからこぼれてくる思考をキャッチした。彼女はその時だけ心にロックするのを忘れ
ていたのであった。
その2に続く