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「妖怪作家」としての山本弘を語るスレ
- 1名無しさん:2004/04/16(金) 02:00
- 一応、妖魔シリーズで妖怪作家としてそこそこの経歴
はあるハズなのに、雑誌の妖怪特集等では相手にされ
ない山本弘について語ろう。
- 2名無しさんsage:2004/04/16(金) 02:09
- 関係ないけど水木しげるってまだ生きてるんだっけ?時節柄そろそろお迎えがきそうな予感
- 3名無しさん:2004/04/20(火) 23:50
- >2
お化けは死な〜ない♪
って事です。
- 4木馬sage:2004/04/28(水) 00:56
- 妖魔夜行シリーズの初期〜中期は面白かったです。
シリーズ開始当初、
「『ゲゲゲの鬼太郎』からの脱却」というのがテーマだったそうですが、
その目的は果たされているんじゃないでしょうか。
都市伝説やトンデモネタを絡めたりして、
従来の妖怪モノにつきものの泥臭さやオドロオドロしさのない、
新しい世界観を作ろうとしていた感じがします。
山本氏特有の簡潔な文体も、現代的な雰囲気にあってました。
でも、私的な趣味(アメコミとかドールとか)に走るようになってから
勢いがなくなりましたね。
『チャイカ』は短いのが救いでしたが、
間口が狭まった感じがするのが残念です。
なんか後期の『こち亀』みたいですね。
まぁ、読んでる側も、
いわゆるオタクというか、
山本氏と趣味を共有できる人たちなんだろうから、
あれはあれで需要と供給が成り立っているのかもしれませんが。
- 5木馬sage:2004/04/28(水) 01:20
- 自己レスですが、
>従来の妖怪モノにつきものの泥臭さやオドロオドロしさのない、
この辺が、人によっては物足りないというか、
深みに欠ける感じがするのかもしれないですね。
そこが、従来の妖怪ファンに受けなかった理由なんじゃないかと。
やっぱり、良くも悪くも『鬼太郎』のイメージは大きいですからね。
もちろん、それをあえて崩そうとした試みは評価できると思いますが。
- 6名無しさんsage:2004/04/28(水) 02:24
- >>4
> その目的は果たされているんじゃないでしょうか。
目的が達成されたかと言うことと、そもそもそれが達成すべき目標であったかは別なことですな。
ゲゲゲの鬼太郎シリーズからの脱却というのも、それ自体が鬼太郎の呪縛から離れられていない気がするけどね。
鬼太郎が面白いのは論を待たないが、(伝統的な)妖怪ものとして見た場合鬼太郎はかなりゆがんでいるし偏っていると
思うけど。というかストーリーがかなり陳腐だよね。
だから描き手の力量さえあれば「泥臭さやオドロオドロさ」の世界で鬼太郎とは別な世界を構築できるはず。
それを全く別な次元にせざるを得ないのは、単に自分(たち)は同じ土俵じゃ叶わないから別なところでやりましょうというだけ。
- 7名無しさん:2004/05/08(土) 21:18
- >一応、妖魔シリーズで妖怪作家としてそこそこの経歴
>はあるハズなのに、雑誌の妖怪特集等では相手にされ
>ない山本弘について語ろう。
妖魔シリーズ自体が妖怪話としては特殊と言うのもあるが、そのなかでも
山本の話は妖怪っぽくないというか浮き上がってるから評価はされにくいと思う。
妖怪というよりもどちらかと言うとスーパーヒーローっぽいと言うか
万能無敵な主人公が暴れるアクション作品と言う感じで情緒がない。
チャイカとかは、軍隊と戦っても遜色ないしその気になれば世界征服も簡単。
その後の記憶を操る奴なんて、神ですら赤子扱いできるような究極の存在だし。
強すぎるキャラがいると話がつまらなくなるのが分かってないんだよね。
- 8名無しさんsage:2004/05/08(土) 23:11
- 妖怪ってのは一種の(人間以外の)動物なんだよね。犬や猿みたいな。
さまざまな偶然の選択の結果犬は犬になったわけであって、犬である必然性はない。
人間はこうした不合理さに「自然」を感じる。妖怪も同じだと思うんだよね。
フォークロアの一番の特徴は不条理さにあると思う。それが時代が下るにつれて
因果応報や勧善懲悪、時代の価値観などによって理屈が付け加えられ物語として
整えられていく。
妖怪っぽさとは極論すれば不条理さだと思うのだけどね。
- 9あぼーんあぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 10あぼーんあぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 11名無しさんsage:2004/09/24(金) 15:03
- 山本は初期の頃は面白かった。「さようなら地獄博士」はうっかり涙した。
でも「棒の手紙」(タイトル失念)から何か気持ち悪くて読めなくなった。
「自分が悪とみなすものには何やってもいい」っていう感じがあったというか。
水木しげるとか、京極夏彦とか、荒又宏とか、「妖怪作家」に見られる人たちって、
妖怪が好きなのがいろいろなところからひしひしと感じられる。
笑いものにする時も、愛情を持ってるのがわかる。「こんなに変なんですよ、でも好きだー」みたいな。
水木しげるに向ける京極や荒又の視線や言葉なんかもそう。突っ込みつつも「でもそんな水木さんが好きだ」
っていうのがわかる。
山本に欠けているのはこれだと思う。
愛情があればいい妖怪物が書けるかといえば、必ずしもそうではないだろうけど、
「自説を(自分に都合よく)説明(話に)する」道具にしか妖怪とかオカルトを使っていないようにしか
今は見えない。だから面白くない。
結局トンデモとか他の小説とかと同じ。
- 12名無しさんsage:2004/09/24(金) 15:55
- http://homepage3.nifty.com/hirorin/youma01.htm#sayounarajigokuhakase
これによると「星を喰った男」がきっかけのようだね。
「星を喰った男」は唐沢(兄)が実質的に書いた「自叙伝」。なかなかいい本だと思う。唐沢の潮健児への入れ込みようが
行間からにじみ出ている。
しかしこの本は潮健児の死後に出てるんだよね。この本では最初細かく唐沢の原稿をチェックしていた生前の潮健児が、
ある時感極まって「あなた(唐沢)ほど私(潮)を理解してくれている人はいない。もうあなたにお任せするので自由に書いてください」と
涙ながらに語ったというエピソードが書かれている。そういう出来事が本当にあったのかも知れない。しかし死後に出した本に
これを書くのはちょっとルール違反ではなかろうか。言葉の受け取り方はさまざまだ。仮に潮健児が唐沢が書いた文章と
一字一句違わない発言を本当にしていたとしても、「いや、あれはこういう意味ではない。こう書かれては微妙にニュアンスが違う」と
言いたいこともあるだろう。そもそも潮健児が生きていたら唐沢はこの一文を書いただろうか。
悪く言えば死者の口を借りて自分(唐沢)を讃えているわけだから。あの本には酔わせてもらった。しかし一カ所だけ読んでいて
酔いが覚めたのがこの箇所だった。潮健児が実際に唐沢の原稿を評価していたとしても、別な方法でそれを表現すべきだった。
それにしてももし山本がこれと同じような本を書こうとしたらどうなるのだろうか。ちまちまとした蘊蓄をちりばめるだけで、
こんなに高質の本にはならなかったろう。「僕はすばらしいと思いました」「僕は感動しました」「僕は憤りました」「僕は…僕は…」
こんな感じで山本の人格ばかりが前面に出た本にしかならないのではないだろうか。
読者に感動を「伝える」のでは二流と言わねばならない。読者を感動「させる」のが一流の物書きと言えよう。
- 13名無しさん:2004/09/24(金) 15:56
- age
- 14名無しさんsage:2004/09/24(金) 16:00
- 余談だけど山本のサイトの記述は「星を”食”った男」になってるんだよね。つくづく山本は他人の著作には無頓着な作家だ。
- 15名無しさんsage:2004/09/24(金) 17:53
- なに、山本弘の著作には他人は無頓着どころか(ry
- 16あぼーんあぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 17名無しさんsage:2004/10/13(水) 17:31
- sage
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