| Minima Poetica ─詩のディアスポラ |
| Seibun Satow |
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「人は、大いに善であるためには、激しく広く想像力を働かさねばならぬ」。 P・B・シェリー『詩の擁護』
近代は詩人にとって受難の時代である。近代以前、詩は神の文学として見なされ、文学の王座に長らく君臨している。ナポレオン・ボナパルトは詩人に憧れ、ドイツに遠征した際、敬愛するヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと面会している。いかなる業績を残そうが、美しい一作の詩を表わすのに優ることはない。 それは西洋に限らない。世界各地で、詩は最高の文学として敬われている。創世神話や英雄譚はしばしば叙事詩の形式で語り継がれている。また、李白や杜甫は、東アジア文化圏において、最高の文学者として敬意を表されている。小説は、この偉大な文学に比べれば、通俗的な読み物にすぎない。事実、中国を代表する「小説」の『西遊記』は「奇書」にすぎず、「文学」として扱われていない。 しかし、近代の到来は事態を逆転させる。近代が迫る中、ウィーン体制の反動化しつつも、P・B・シェリーが一八二一年に『詩の擁護(A Defense of Poetry)』を書いたということは、メアリーの夫は極めて鋭敏な感覚の持ち主だったと言わねばなるまい。詩は守られるべき立場へと見なされ始めている。 フリードリヒ・ニーチェが散文詩『ツァラツゥストゥラはかく語りき(Also Sprach Zarathustra)』(一八八五)を通じて一九世紀を「神の死」に要約してことは極めて象徴的な出来事である。詩と散文という二面性は古い時代が終わり、新しい時代が始まる隠喩であろう。そのニヒリズムは、時として、シェリーが『詩の擁護』の中でソポクレスの『オイディプス』に匹敵する悲劇と賛美するウィリアム・シェークスピアの『リア王(King Lear)』における次のセリフの事態を招いてしまう。
King Lear: Nothing will come of nothing─Speak again─.
ニヒリズムの時代である近代において、詩人は文学の王者の地位を追われ、小説による詩の殺害が行われる。正岡子規は近代の精神を理解し、短歌俳句命数論を唱え、伝統的な定型詩の死を予想している。また、シャーロットとエミリー、アンのブロンテ姉妹は、当初、詩集の出版を計画していたが、時流の変化によりそれを断念し、小説の執筆に向かっている。近代は詩が死を迎える時代である。 詩人たちもなす術もなく立ちすくんでいたわけでもなく、むしろ、一九世紀末、シャルル・ボードレールやステファヌ・マラルメ、ポール・ヴェルレーヌ、ポール・ヴァレリーなどが登場し、「近代詩(Modern Poetry)」の運動は活性化している。詩は自らのうちにその存在根拠を見出さざるを得ず、「芸術のための芸術(Art for art’s sake)」というスローガンはその一例である。詩人たちは近代的な自我を表現し、口語をとり入れ、韻律や定型を捨て、詩の民主化運動に務めている。小説がその地位を形成している間、詩にはこのように活動の余地が残されている。 ところが、二〇世紀に入ると、「ローリング・トゥエンティーズ」が体現している通り、商業主義がはびこり、その神の死は決定不能に陥る。すべては商品化する。神も例外ではない。神が生きていても、死んでいても、商品化できない以上、それは決定不能になっていなければならない。「現代詩(Contemporary Poetry)」は、近代詩の形式主義化や耽美化などへの反省により生まれ、近代詩が自己を表現したとすれば、表現自体を扱う。商業主義の流れに抵抗し、現象学・実存主義に影響を受けた哲学的な内容、エロティシズムとバイオレンスなど近代詩が扱わなかったタブーへ切りこみ、日常から乖離した特異な言葉遣いによる異化作用などがその特徴的である。しかし、詩も商品化されざるを得ない。二〇世紀を支配するのが商業主義である限り、詩人は社会的であらねばならない。「西欧文明の運命は共産主義との戦いよりも、むしろ、広告との戦いにかかっている」(アーノルド・J・トインビー)。 W・B・イェイツ(William Butler Yeats)は、神の死が決定不能になったことを鋭敏に理解していた詩人である。このアイルランドの詩人は、『再臨(The Second Coming)』(一九二〇−二一)において、時代の精神を次のように具現化している。
Turning and turning in the widening gyre The falcon cannot hear the falconer; Things fall apart; the centre cannot hold; Mere anarchy is loosed upon the world, The blood-dimmed tide is loosed, and everywhere The ceremony of innocence is drowned; The best lack all conviction, while the worst Are full of passionate intensity.
Surely some revelation is at hand; Surely the Second Coming is at hand. The Second Coming! Hardly are those words out When a vast image out of Spiritus Mundi Troubles my sight: somewhere in sands of the desert A shape with lion body and the head of a man, A gaze blank and pitiless as the sun, Is moving its slow thighs, while all about it Reel shadows of the indignant desert birds. The darkness drops again; but now I know That twenty centuries of stony sleep Were vexed to nightmare by a rocking cradle, And what rough beast, its hour come round at last, Slouches towards Bethlehem to be born?
イェイツは時期によって作風が著しく異なり、多彩なジャンルを手がけた文学者であるため、一つの文学者像に要約することは難しい。その上、政治家でもある。「新しい文学は、多かれ少なかれ多様かつ雑種的な組み合わせや結合のもとに、『国民的』な形で現れざるをえない」(アントニオ・グラムシ『獄中ノート』)。 イェイツの詩は非商業主義的であり、時として、貴族主義的ですらある。また、オリエンタリズムやナショナリズム、エキゾティシズム、オカルティズムなど一九世紀的主題がしばしば見られる。しかし、一方で、表現方法は大胆で、革新的である。『ひとつの幻想(A Vision)』(一九二五)はポストモダン文学の先駆的作品でさえある。そのため、彼を「最後のロマン派詩人」と呼ぶものもいれば、「実践するモダニスト」に定義するものもいる。イェイツは一九世紀と二〇世紀の両面を持っている。 レトロさはある種の新鮮さをもって世の中に復権することがある。一九八〇年代前半、坂本龍一が前髪をたらすヘアー・スタイルをして、モードにしたが、それは一九世紀末の流行であり、イェイツの写真で知られている。テクノ・ポップの時代、実際、古着がファッショナブルともてはやされている。 イェイツは、能から影響を受けて、革命的な儀式・仮面・コーラス・舞踏などの技法を取り入れた戯曲『鷹の井戸(At the Hawk’s Well)』(一九一六)を代表とする舞踏劇四編を執筆している。確かに、それらは商業的成功を狙ったものではなく、貴族主義的で裕福な通に向けられている。しかし、これを当時流行の異国趣味と解すべきではない。それらの戯曲の中で、彼は、長く忘れられていた詩の伝統を演劇に復活させている。 能からの影響が告げている通り、こうした試みは、近代以前、半ば常識的手法である。人形浄瑠璃など日本の伝統芸能は和歌をモチーフに演劇にしている。神の死が決定不能になったため、二〇世紀芸術は近代が抑圧した過去を復権させうる。 ミュージカル『キャッツ(Cats)』も、商業主義性を色濃く出しているとしても、この延長線上にある。それはT・S・エリオットの詩集『おとぼけおじさんの猫行状記(Old Possum's Book of Practical Cats)』に対し、アンドリュー・ロイド・ウェーバーが曲をつけ、トレヴァー・ナンによる演出でミュージカル化され、一九八一年にロンドンのウエストエンドのニュー・ロンドン劇場で初演され、今日、最も有名なミュージカルの一つである。難解なエリオットの詩が、伝統への回帰を通じて、家族で楽しめる娯楽へと変容する。それは芸術と言うよりも、芸能の復活と呼ぶべきだろう。二〇世紀において、歴史の流れに基づく体系的な知識・教養を持つ気のない芸術家には表現する資格はない。 『再臨』以上に、最高傑作『学童たちの間で(Among School Children)』(一九二八)は時代を貫く決定不能性を次のように体現している。
Labour is blossoming or dancing where The body is not bruised to pleasure soul. Nor beauty born out of its own despair, Nor blear-eyed wisdom out of midnight oil. O chestnut-tree, great-rooted blossomer, Are you the leaf, the blossom or the bole? O body swayed to music, O brightening glance, How can we know the dancer from the dance?
バレエ・リュスに影響を受けたこの最後の一行は、一般的に、マルティン・ハイデガーの存在と存在者の差異さながらに、ダンサーとダンスを区別することの不可能性を訴える修辞疑問文と解釈されている。しかし、ポール・ド・マンは、『記号論とレトリック(Semiology and Rhetoric)』において、「最終行を譬喩としてではなく、文字通り読むこと、すなわち(略)同一視できないものを同一視するという間違いからわれわれを守ってくれる区別は、どうすれば可能になるのかと問うていると読むこともできる。(略)この疑問文は修辞的なものであるとする読みは、おそらく素朴すぎるのであって、文字通りの読みの方がそのテーマにと陳述内容とをより大幅にわかりにくいものにする」と指摘している。文脈上どちらの解釈がその部分に関してふさわしいのか批評家は再考し始める。けれども、「この二つの読みは、真正面から衝突して戦わざるをえない」とイェール学派のゴッドファーザーは釘をさす。「と言うのも、一方の読みは、もう一方の読みを斥けようとする誤りそのものであり、それによって覆されてしまうはずだからである。(略)文法構造が生み出す意味の権威なるものが、差異を発見することを強く求めながら、同時にそれを覆い隠してしまう譬喩の二重性のために、完全にかき消されてしまう」。イェイツは二〇世紀を姦通する決定不能性を驚くべきコンパクトにこの詩で描いて見せたのである。 さらに、学校を舞台にしている点も時代を表象している。近代における教育の特徴は中等教育の出現である。近代以前、教育は大学の高等教育とヴィレッジ・スクールなどの初等教育に二分されていたが、中等教育がそれをつなぐものとして生まれている。初等教育の発展と高等教育の準備という異なった二つの流れがそこにあり、国民、すなわち官僚=産業資本主義的労働者はこの教育機関を通じて、生産される。その二重性の決定不能性が明らかになるにつれ、信じがたい先見性で、一九世紀後半もかかわらず、ジュール・ヴァレス(Jules Valles)が『ジャック・ヴァントランス(Jacques Vingtras)』三部作で描く「黒服の悲惨」、すなわち貧しいインテリが生産されていく。近代において身分ではなく、学歴が人生を左右する。ところが、学校で学んだ学問は、受験を突破するためのものであり、それに失敗してしまえば、何の役にも立たない。教師は受験技術を伝授させるのであって、普遍的な知識や教養を教えるわけではない。革命家やジャーナリストといったルンペン・プロレタリアートは労働者階級ではなく、高級官僚や教授になれなかった黒服出身者が多い。また、日本の私小説家の多くも「逃亡奴隷」と呼ばれるこうした貧しきインテリである。学校は理想と現実がかけ離れた近代的なルサンチマンを生み出す場である。 イェイツは、現実の学校のカリキュラムはともかく、形式と内容の一致こそが芸術活動の理想と考えている。学習や労働が苦役ではなく、花であり、舞踏であるという理想を部分が全体である花盛りのマロニエの大樹に象徴させている。これは一九世紀によく唱えられた思想である。功利主義経済学に対抗して、「生命系在学」を提唱したジョン・ラスキン(John Ruskin)は、『ヴェネツィアの石(The Stone of Venice)』(一八五三)の中で、地方文化のロマネスクの対概念である都市文化のゴシック様式建築を絶賛しているが、その理由を「精神の力と表現」に求めている。職人たちは支配者に命じられて、奴隷のように、「労働(ラボール: labor)」をしたわけではなく、権威に対抗し、自主独立の精神に基づいて、「仕事(オペラ: opera)」にとり組んでいたとラスキンは語っている。資本主義の矛盾が露呈する中、イェイツはそんな「オペラ」実現の可能性がありうると説く。 ラスキンの弟子を自認するにウィリアム・モリス(William Morris)は建築を「総合芸術」と捉え、その建築を含め、彫刻や絵画などのファイン・アートを「大芸術(The great arts)」と呼び、それが「日常生活の身のまわりを美しくする」ものである「小芸術(The lesser arts)」と分離していると批判している。小芸術はとるに足らない些細なものと貶められる一方で、大芸術は一握りの富裕層の虚飾と化している。モリスは、一八六一年、その両者の結合を目指し「モリス商会」を設立し、ステンドグラスや壁紙、織物、タペストリー、家具などを製造・販売している。この「美術工芸運動(Arts and Crafts Movement)」は「芸術による労働の疎外からの回復」の実践であるが、小芸術の名誉回復をもたらしている。それは次の世紀が小さいものの時代だということを予告している。 モリスの試みは集団的匿名性によって分化してしまった芸術を結合する二〇世紀的である。しかし、それは新しいと言うよりも、伝統の復興であろう。ホメロスは詩人の集団的匿名だったし、レンブラントはレンブラント・ファン・レインその人ではなく、レンブラント工房を意味している。今日、多くの芸術制作は個人ではなく、チーム・ワークが主流であろう。ミューズとプロデューサー、マネージャーの協力があって、芸術家は初めてその能力を一般に認めさせられる。マンガはプロダクションによって生み出されている。また、「シブサワコウ」は、コーエーブランドにおける『信長の野望』や『三国志』シリーズなど数々の歴史シミュレーション・ゲームのプロデューサーであるし、「葉村彰子」は『水戸黄門』や『大岡越前』、『江戸を斬る』といったTBS月曜夜八時の時代劇シリーズの原作者や脚本家としてクレジットされていた共同ペンネームであり、「東堂いづみ」は、『おジャ魔女どれみ』シリーズなどオリジナルのアニメ作品の原作に用いられる東映アニメーションの集団的匿名である。他にも、フランスの数学者のグループは「ニコラ・ブルバキ(Nicolas Bourbaki)」という匿名を用いて、数学研究を発表している。逆に、アメリカで、映画制作中に映画監督が何らかの理由で降板した場合、全米監督協会の審査・認定の下、「アラン・スミシー(Alan Smithee)」が使われる。それは、"The Alias Men(偽名の人)”のアナグラムである。近代は所有権の確定を前提にした政治・経済体制であるが、現代では、名前はもはやある特定の個人に属するものではない。 集団的匿名性は、多くの領域で、細分化・専門化が進んだ結果だとも言える。イェイツは、ウィリアム・ワーズワース同様、「大詩人」であり、その意味で、必ずしも二〇世紀的ではない。二〇世紀の詩は、モリスの試行に従えば、「ミニマ・ポエティカ(Minima Poetica)」である。それは、詩を超えて、広範囲に影響を及ぼす偉大な詩人の登場が難しくなった証でもある。 モダニズムにおいて、シュルレアリズムやオーデン・グループが示している通り、詩は依然として刺激的であり、挑発的な文学である。しかし、モダニズムの大衆化とも言うべきポストモダニズムでは、詩はその革新性を期待されていない。高橋源一郎が現代詩の手法を小説に導入しているとしても、ジェイムズ・ジョイスやマルセル・プルーストが見せた散文の挑戦の前では色あせてしまう。テオドール・W・アドルノ(Theodor W. Adorno)の『プリズメン(Prismen)』(一九五五)におけるテーゼ、すなわち「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」に答えるまでもなく、今日、詩は読まれなくなっている。 森毅は、『ゆきあたりばったり文学談義』において、「現在の文学をめぐる文化状況」が「専門分化し過ぎている」と批判し、戦前の詩の活況と比較して戦後詩の状況について次のように述べている。
ところが、戦後詩というのは戦前詩に比べて、いわば韻律に頼るということを否定することによって、ある意味での文学少女向け、大衆性みたいなものを失ったのじゃないかと思います。それはお洒落文化とも関連しますが、堀口大學などがお洒落な小説を訳し、お洒落な小説を訳す。コクトー(略)などは詩と戯曲です(略)。そういう詩や戯曲、思想、評論、小説が渾然一体としていた文化が、戦後、それぞれ分化したのじゃないでしょうか。矢代静一(略)などは、戦前文化の流れから出てきたんだろうと思います。
その分化の結果、極端な小説の覇権が確立する。現在、文芸誌に掲載されている作品はほとんどが小説という異常な事態に陥っている。小説以外は売れないという商業主義的判断から活字メディアから締め出されて、ジョン・スチュアート・ミルやアレクシス・ド・トクヴィルが危惧した状態が現実化している。詩や戯曲、批評はマイノリティとして小説というマジョリティの横暴に苦しめられ、恐るべき文学的なジェノサイドが展開されている。詩は、研究者や愛好家を除けば、若者、それもティーンエージャーの文学と見なされている有様だ。 専門分化は近代学問の特徴であり、このセクト主義は一九七〇年代に行き詰まりを見せる。それを打破するために、各領域が相互浸透を始める。カオス学はその典型である。また、その頃、ヘドリー・ブル(Hedley Bull)が『国際社会論─アナーキカル・ソサイエティ』を発表し、国際社会には世界政府がないいう批判に対して、強まる相互依存性・浸透性により秩序が保たれると指摘している。現代文学は、いみじくもジェイムズ・ジョイスが『ユリシーズ』で試したように、各ジャンルが相互に浸透していかなければならない。 選択肢の多様化が、言うまでもなく、自由のジレンマを招き、供給・受容のいずれの側にも閉鎖性を助長している点も否定できない。今の時代は物も情報も溢れ、選択の自由が浸透している。しかし、自分の感心があることやお気に入りのことには熱心であっても、それ以外には無関心どころか、ことによっては、排除しようとさえする。選択の自由という寛容さが不寛容を生み出しているというわけだ。それは自由になった取捨選択が保守化を招くというジレンマである。 現代詩は詩という形式に限定されていないと考えるべきだろう。「詩人のほうが、小説家よりもけっこう言葉に対する感覚がいいんです。ところが、詩壇というものは閉じている。いわば特定の詩の愛好家と詩人仲間という世界で、『ああ、いい詩ですね』と言って感心しあっているという気がします。それがエッセイになると、一般人に向かって拡がってきて、その語り口がなんとなくうまいなと思ってしまいます」(『ゆきあたりばったり文学談義』)。森毅は詩人のエッセイに詩を見出しているが、柄谷行人は、『反文学論』の中で、藤枝静男の『悲しいだけ』を参照しつつ、私小説を散文詩だと指摘している。梶井基次郎の『檸檬』は、確かに、散文詩と呼びうるし、その短い生涯のため生前成功を収められなかったけれども、小説の時代においては賢明な態度である。天才詩人エドガー・アラン・ポーが短編小説を書き続けたのも、事実、生活の糧を得る理由からである。詩人は、時代に風潮によって、狭義の詩からディアスポラしたのであり、共和国からの詩人の追放というプラトンの理想は実現している。アルチュール・ランボーの選択はあまりに時代の先を行っていた行動である。 詩は読まれなくなっている一方で、生活のテンポが速まり、メディアが多様化していく中、短い言葉が巷に溢れている。政治家はかつてのように長々と大演説しなくなっている。政治活動はマスメディアを通じて行われる。「スピン・ドクター(Spin Doctor)」を雇い、政治マーケティングを実施し、断片的な「サウンド・バイト(Sound Bite)」で有権者に訴える。有権者にしても、二時間も三時間も、辛抱強く演説を聞くよりも、パンチの効いたキャッチ・コピーで候補者を選ぶ。”New Labour, New Britain”はトニー・ブレアをイギリスの首相に選出させた有力な要因だろう。広告コピーや政治スローガン、ニュースのヘッドライン、短い言葉が好まれ、流通させるためには軽いほうがよい。詩人から見れば、かなり粗雑で陳腐であるとしても、それを主張できることもなく、詩のエッセンスは、むしろ、は社会に浸透している。その結果、カール・ローブ流の品格を欠いた政治マーケティングが幅をきかせるようになっているけれども、そうした現状を批判するにも詩的センスは不可欠である。 ディラン・トーマスやアレン・ギンズバーグのような詩は文学以上に、ボブ・ディランやポール・サイモン、ジム・モリソン、ラッパーといった商業主義と苦闘するポップ・ミュージックに息づいている。パティ・スミスに至っては、詩人からロック・シンガーに転身し、「ニューヨーク・パンクの女王」の称号を授与されている。ボブ・ディランがノーベル文学賞の候補者にノミネートされているのも不思議ではない。ジョイスやプルーストには三文姓が見られるが、この三文性は二〇世紀芸術に不可欠であり、ポップ・ミュージックの歌詞はそれが溢れている。 しかし、この変化は、何も、詩に限った現象ではない。二〇世紀において、マスメディアの発達はメディア・スターを生み出している。パブロ・ピカソやサルバドール・ダリ、ジャクソン・ポロック、アンディ・ウォーホル、岡本太郎はカンバスに油絵の具で描く画家ではない。大衆文化において、実際の作者の生死は問題ではなく、商品化を維持するために、いかにそのイメージが増殖していくかが重要である。それは、一九〇〇年に亡くなったオスカー・ワイルドのような文学者が、最初に実践したあり方である。”I put all my genius into my life; I put only my talent into my works”(Oscar Wilde). 歌詞と詩は、言うまでもなく、同一のものではない。歌詞は詩の持つ一つの面が強調されているのであって、ほかの面が切り落とされている。 ルイス・キャロルは視覚性を強調した次のような詩を作成している。
Round the wondrous globe, I wonder wild, Up and down-hill?Age succeeds to youth Toiling all in vain to find a child How so loving, half so dear as Ruth
この執筆年不明の無題の詩を歌詞として採用したとしても、その味わいは半減する。『さまよえるユダヤ人(The Wandering Jew)』をモチーフにし、ルース・ダイムス(Ruth Dymes)という少女に捧げたアクロスティック(Acrostics)である。それは各行の先頭の文字を合わせると、ある単語になるという詩の形式である。 詩には、聴覚性と視覚性があり、ポップ・ミュージックでは、その視覚性がうまく表現できない。視覚性を生かし、モダニズムの詩人たちはコラージュやタイポグラフィ革命などの発想に基づき、凝ったレイアウトの詩集を刊行している。それは詩と美術の相互浸透の一例である。何が書かれているのではなく、どう描かれているのかが重要であり、活字は目を通って、脳を駆けめぐり、知覚を混乱させ、活性化する。また、同様の発想により、小説と違い、詩集はどこからでも読める。森毅は、『ゆきあたりばったり文学談義』の中で、詩自体の一作一作は楽しめるが、詩集となると、単調で、読むのが「苦行」に感じられると告げている。けれども、読者は作者や編者の専制政治に従う必要はない。苦痛であるなら、詩集を粉々に砕き、再構成するべきだろう。詩は、その短さのために、散文以上にメディア特性を顕在化しやすい。詩にはその小ささ短さ、ソフトさを試す場がまだまだ残されている。 視覚性だけでなく、聴覚的効果にも意識的であることを考慮するなら、現代の詩は依然としてルイス・キャロルの圏内にある。数学的認識からもたされたのであるけれども、数学を援用して詩を創作したのは、むろん、『不思議の国のアリス』の作者が最初ではない。一一世紀後半から一二世紀前半にかけてペルシアで活躍した偉大なウマル・ハイヤームは、『ルパイヤート』において、四行詩による自然科学に関する記述を行っている。しかし、「慈悲あまねく慈悲深くアッラーフの御名において」思考を続けた彼は大知識人あり、ペルシアの文化を代表している。チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンは、それに対し、逆説論理学を志向する小詩人である。その小ささが彼を現代に近い存在にする。 現代は小説が支配する時代であり、詩はそれに対抗するパルチザンとしての役割を担っている。社会や時代に背を向けて、セクト主義的に詩を表現することなど商業主義を勢いづかせる最も愚かな姿勢であろう。詩は小説の支配する世界に小さな穴を開ける「小さい文学」であり、それこそが意義である。 一九二〇年代から始まった二〇世紀は「大衆の世紀」と呼ぶにふさわしかったが、現在、別の名称が必要となりつつある。カリフォルニア大学教授のマーチン・トロウ(Martin Trow)は、二部作『高学歴社会の大学―エリートからマスへ』・『高度情報社会の大学―マスからユニバーサルへ』の中で、高等教育の進学率に応じて、大学を三つの檀家に分類している。彼は大学進学率が一五%未満の高等教育を「エリート型」、一五%以上五〇%未満を「マス型」、五〇%以上を「ユニバーサル型」と呼んでいる。世界の主要国の大学進学率は、「ユニバーサル型」の領域にすでに入っているか、もしくは近接している。二一世紀には、世界的な規模で、「ユニバーサル型」の社会が到来するだろう。フォーディズムに代表される大量生産大量消費に代わり、見渡すと、多品種少量生産の製品が店頭に並んでいる。そのラインナップは、残念ながら、一種のイベントを通じた消費刺激にすぎず、まだまだユニバーサルな観点に乏しい。二一世紀に対し、歴史は「ユニバーサルの世紀」の呼称を用いるに違いない。これを踏まえるならば、二〇世紀の政治はマスメディアによるマスデモクラシーと言われてきたけれども、ユニバーサル・デザインの重要さが認識されてきたように、これからは「ユニバーサル・メディア」による「ユニバーサル・デモクラシー」へと発想を転換していくべきである。文学も同様である。 おそらく、二〇世紀中、世界で最も知られたそんな詩の一節はモハメド・アリの”I’ll be floating like a butterfly and stinging like a bee”だろう。この自分を讃える詩は、『スポーツ・イラストレイテッド』誌がその世紀最高のアスリートに選んだ一九四二年一月一七日生まれのこの人物の生涯と重なりあいつつ、人々の口に上る。端正なマスクのこのビッグ・マウスはヘビー級でありながら、ウェルター級並みのスピードを武器にアウト・ボクシング、すなわち小さいボクシングで世界チャンピオンになっている。しかし、一九〇cm九六sの大男の闘いはリング内にとどまるものではない。アメリカの人種差別に幻滅して、六〇年のローマ五輪で獲得した金メダルを故郷ケンタッキー州ルイヴィルのロジャース橋からオハイオ川に投げ捨てたカシアス・クレイは、プロに転向後、六四年二月二五日、ソニー・リストンを破り、王座につくと、翌日、イスラム教に改宗し、「モハメド・アリ(Muhammad Ali-Haj)」へ改名すると発表している。ベトナム戦争が激化する六七年、信仰を理由に、兵役を拒否して、世界タイトルもプロ・ボクサーのライセンスも剥奪された挙げ句、刑務所に収監されてしまう。七〇年、法廷闘争の末、無罪を勝ちとり、リングに復帰して、七四年、世界王者ジョージ・フォアマンをノックアウトし、それは「キンシャサの奇跡(The Rumble in the Jungle)」と呼ばれている。七八年に、レオン・スピンクスを破り、三度目の王座についたものの、八一年に引退したが、その三年後、パーキンソン症候群と診断されている。史上最高のボクサーは、九〇年、湾岸戦争の際には、バグダッドに飛び、サダム・フセイン大統領にかけあい、一〇人のアメリカ人の人質を解放させている。そのアリが、一九九六年、商業主義にまみれたアトランタ・オリンピック最終聖火ランナーとして登場し、その震える手で聖火台に炎を灯した「その瞬間、僕は確信したのでした。人口僅か40万人の都市アトランタは『スペインの金満家』にKO勝ちしたのだ、と。(略)アトランタは、必死に重病と戦う黒い肌をした悲劇の英雄、然れども公共の電波の中ではその”雄姿”は”異形”に屈してしまう人物を開会式の主役として登場させることによって、”一発逆転”を成し遂げたのです。北と南、西と東、上と下、白と黒、富と貧。アメリカが、そしてアジア、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニアという全世界が今も猶、完璧に根絶出来ずにいる数々の格差を在りの儘に見詰めることから新しい人類の一歩が始まるのだ、と宣言したのです。それは、『バブリー』の沼から生まれたアトランタ五輪で一番最後まで浸り切っているのはサマランチ会長に代表されるIOCのお歴々のみ、との隠喩に他なりません」(田中康夫『嗤う!』)。二〇世紀はアメリカの世紀であるが、六一戦五六勝(三七KO)五敗のアフロ・アメリカンのボクサーはそのアメリカと闘争して勝っただけでなく、さまざまな偏見や矛盾と戦い続け、逆に、彼が体現した世紀である。”Float like a butterfly, sting like a bee”が現代の詩の目指すかけがえのない姿にほかならない。
新しい文学の前提は、歴史的、政治的かつ民衆的でないわけにはいかない。それは既存のものを仕上げることを目指さなくてはならず……、そこで重要なのは、論争的か否かではなく、たとえ遅れた陳腐なものであったとしても、さまざまな好みや傾向、知的・道徳的な世界を持ったあるがままの民衆文化の土壌の中に、新しい文学が深く根を下ろすということである。 (アントニオ・グラムシ『獄中ノート』) 〈了〉 |