城端神明宮祭礼   国指定重要無形民族文化財

 城 端 曳 山 祭 り

5月4日(宵祭り).5日(祭礼)
   

越中城端曳き山祭りは、城端神明宮の祭礼に供奉して、今から約三百年前、貞亨年間から行われています。現在の山車や庵屋台は亨保年間後のもので、加賀藩の特別待遇を受けていた郷土の大工左平治、左右衛門、塗師治五衛門、唐津屋和助など名工と言われた人たちの魂誓こめて作られたものです。
 山車6本はいずれも金泊や多彩な城端塗の粋をつくした、絢爛豪華な屋台式二層の人形山で、それぞれに庵屋台が囃しながら随行して街を練り廻ります。
 お囃子はいわゆる祇園囃子がその後の時代の巧者の工夫によって城端独特の
※庵唄囃子となり、その音律は極めて優雅なものです。
 やがて夜も更け、山車や庵屋台に提灯がともされ塗りの金色と灯りが織りなす情景は圧巻で、時代絵巻を今に伝えます。


祭り風景


  写真提供  南砺市 城端 和田カメラ
東 上 町 
            


鶴舞山

鶴舞山と称し、寿老像を安置する。安永年間、小原治五右衛門の作。年代を経て多少補修されたが、原形を最も多分に遺すものとして尊重せられる。屋根は二重通大唐風で、平天井である。最も高い曳山で三間二尺。重さも最も大。その車は代八車と称し、金色燦然たる金具を附し最も豪華である。

東上の庵屋台は治五右衛門塗として有名である。江戸の粋亭を模し、大のやの暖簾がかかっている。宝玉・扇・鶴などの刺繍が施してある。



西 上 町
竹田山

竹田山と称し、恵比寿像を安置する。この曳山は大部分小原治五右衛門作のままを保存しその朱塗りは天下一品と言われる。安永年間の作である。屋根は四方軒廻りで、天井は折上という特異なものである。



西上の庵屋台は昭和三十一年全部新調した。原型に則って、数寄屋造りの最も佳いところばかりを工夫したものという。居町の大工、竹下理三郎が骨組みを作り、居町の塗工中川文平・高宮善次郎・谷井嘉一・河合豊二と他町の同業者の協力によって出来た。

東 下 町

東耀山

東耀山と称し、別に福の山・福寿山の名もある。大黒天像を安置する。享保年間の作。原作はその後居町の遊部屋(岡部氏)大島屋(島田氏)等の漆工によって補修せられている。屋根は通大唐風で、この山の天井だけは格天井である


東下の庵屋台は京都江戸の青楼の粋を模したものである。

西 下 

練皷山

練皷山と称し、堯王像を安置する。亨保年間に出来た原作は年代を経て度々補修せられ、嘉永年間殆ど面目を一新した。特色は四方唐破風の屋根で、平天井である。


西下の庵屋台は、京都江戸の青楼の粋を模したものである。       

大 工 町
千枚分銅山

千枚分銅山と称し、関羽周倉の像を安置する。曳山車は明治三十一年四月の城端大火に類焼し、同三十九年漸く新調したもの。大工棟梁浅野喜平・浅野辰次郎。漆塗金具等の完成には挙町心血をそそいだものである。屋根は四方唐破風で平天井である。


大工町の庵屋台は、明治三十三年の火災で類焼。その後十年を経て新作が出来た。この屋台は在原業平の別荘を模したもので、伊勢物語に取材したという。欄間は杜若・おしどり、腰は水引。

出 丸 町




唐子山
唐子山と称し、布袋像を安置する。山車は享保年間の作。後代度々補修された。屋根は軒廻前後唐破風で、平天井である。



出丸の庵屋台は、数寄屋造り。二棟の間に紅葉の大樹を出して風情を添えている。水引は唐子遊びの友禅模様のちりめん。