越中城端むぎや祭

毎年9月の敬老の日(第3月曜)の前日の土曜と日曜

今年のむぎや祭り日程



       城端別院境内
寿永の昔(約800年前)、権勢と栄華をほしいままにしていた平家一門が  屋島・壇の浦の合戦に敗れ、落人たちは安住の地を人里はなれた越中五箇山に求め住みついたとされています。後世 山仕事や農耕の合間に往時を偲んで、唄い踊ったのが麦屋節です、発祥は能登半島は輪島で、素麺作りの際に歌われていたものであるといい、「麦屋節」という作業唄であったようです。能登と越中を麦を持って往来した商人や、また輪島素麺の技法を習得した職人などによって、能登麦屋節や「まだら」という祝儀唄が、越中の礪波平野を遡り、城端に入り、さらに五箇山へ入って、越中麦屋節になったものと考えられています。昭和26年に初めて開催され、以来、毎年多くの人手で賑わいを見せます。
(富山県の代表的な民謡です。)   
  
  

越中城端麦屋節保存会新声会

麦屋節


能登半島の輪島は、素麺の産地である。輪島で唄われていた素麺作りの「粉 ひき唄」が、五箇山に移入されたもので、初めは「輪島」と呼んでいた。明治 42(1909)年、皇太子だった大正天皇に「輪島」を上覧したいと、村長や小学 校の校長などが集まって相談、歌詞や曲を統一した。その折り、歌詞の冒頭か ら「麦や節」とつけられました。

 唄  北本希一 
 地方 越中城端麦屋節保存新声会
マクロメデイアフラッシュを使用しています。          
 

越中城端麦屋節保存会新声会

こきりこ節

五ヶ山地方の平村上梨に伝わる民謡で、平家の落ち武者衆が都での優雅な生活を思い起こし、烏帽子、狩衣等の衣装をつけてビンササラという108枚の木片を綴じた楽器やコキリコという細い竹片(7寸5分にきった物)あるいは身近にある鍬金や農具の手製の楽器を打ち鳴らし、唄ったり踊ったりして時を忘れていた様子がうかがえます。

古代神


越中城端麦屋節保存会新声会

〔歌詞〕・・・おらちゃサ〜イ お背戸に山椒の木がござる そのマ山椒の木に蜂が巣をかけた蜂も蜂かよ 足長蜂よ 羽根が4枚あって足が6本ござる そのマ蜂めは尻に剣もござる わしとお駒が御拝の縁で 心中噺をしておりました そこへ蜂めがパッと来てはチクリさす ツ〜と来てはチクリさす わしもその時や死ぬかと思うた。
  新潟県十日町の流行歌 新保広大寺が五箇山から白川一帯で歌われたものです。リズミカルな伴奏に乗って歌われます。歌詞はユーモラスなものです。
古代神を更に調子を高くして、早い歌運びにしたものが小代神です。

といちんさ

    昔、はたを織る若い娘さんが、春先に飛んで来たサイチン(みそさざいよく似た鳥)の敏捷な動きを見ているうち機織りの音がいっしょに一つになってきて、かけあいで唄ったのが始まりのようです。
四つ竹節   
 越中城端麦屋節保存会新声会
総踊り風景

祭両日夕刻より西町通りにて麦屋節、こきりこなどの総踊りが行われます。参加自由